戦艦扶桑物語

@KMhijiki

プロローグ 呉港 2003年

その日の空は快晴だった。

黄色く塗られた古い電車は定時に呉駅のホームに滑り込んだ。

銀色のピカピカだった新型に比べると幾分か古臭く、そして老朽化も見た目通りにしている車両だった。しかし乗客も、日常の景色の一部になっている沿線の人々も電車の老朽化など全く気づかないほど電車は軽快に走っていた。

やたら頑丈で、必要な箇所が必ず壊れるように作られている昭和時代特有の設計の電車から1人の女子高生が降り立った。


降りてくる人々もまばらで、平日の昼間なのだということを彼女に強く印象付けた。

呉自体は軍港の街として他の地方都市と比べてもかなり栄えている。しかし昼間ともなれば職と学業を生業にしている大半の人間は職場や学校にいるのが普通なのだ。

そんな人の少ない呉駅のホームには、僅かに磯の匂いが漂ってくる。

近代的な建物に囲われていても海に近い駅であるのだと、長野県生まれの自分には全てが初めての体験だと新堀鈴香は新鮮な気持ちになっていた。

 案内板にしたがって改札を通った彼女の目の前には早速工事中と書かれた白色の囲いが広がっていた。普段は駅前に広がっているであろう道路もその囲いの内側にあって、彼女に許されているのは歩道スペースだけだった。

 目的の場所は再開発中のエリアを抜けた先にあった。呉駅に備え付けられた周辺地図はまだ再開発前のものだったが、普段は愛想も態度も役人と同じであまり良くはない国鉄にしては気前がよくその場所への案内がいくつも囲いや柱に取り付けられていた。あった。

それだけ利用者が多いのか、あるいはそれが国の象徴とも呼べるものだからか。

それは鈴香にはわからないことだったが、利用するのに理由を知る必要はなかった。

 そんな流れで何度か地図と交差点を睨めっこする作業をしてようやく建物が開けてくると、磯の匂いが強くなり目的地の一部が見えるようになってきた。

その船は瀬戸内海汽船呉港フェリー乗り場の横に係留されていた。

瀬戸内海の穏やかな波が鋼鉄の船体を撫でるように流れていく。多少牡蠣が水面下の赤色の部分に付着しているが、そこまで多くは見えなかった。

火が落とされて何十年と経っているが、その船体は細部まで手入れが施され綺麗な状態を保っていた。

 

 

船に接続するタラップに併設された窓口で入館権を書い、バリアフリーなど皆無なタラップを登っていけば海の香りとは違う木と鉄と薄らと残る硝煙の香りが微かに漂ってきた。

それが幻のものなのだと理解していてもそう感じざる得ない。そんな迫力がその船にはあった。

しかし初めてその船に乗る鈴香にとってはどこから見ていけば良いのかわからない。なまじほとんどの箇所が解放されているためか見学ルートに固定はないのだ。

 

「何かお探しですか?」

迷っている鈴香に話しかけてきたのは当時を模した、今の感覚で言えば古臭い。しかし他の服にはないクラシカルで威厳のある白い制服に身を通した初老の男性だった。

胸には案内人と書かれた黒色のネームプレートが取り付けられてあった。

他にも案内人と思しき人はいるが、彼らとその男が違うのは、着させられている、どこかコスプレのように感じる違和感がない事だった。着こなしていると言うのはこう言うことを言うのだろうと漠然と考えながら鈴香は迷っていた理由を話した。

「初めて来たもので、どこから見ていこうかと思っていたんですが」

この船の案内人である事を理解した鈴香はどこから見ていこうか迷っている事を伝えた。

なにぶん彼女はフェリーにすら乗ったこともなく全長200m超えの巨大な船のどこから見ていくのが良いのかわからなかったのだ。

 

「では私がご案内します」

 

「ありがとうございます」

木製の甲板の上では足音もまた少し鈍くなる。しかし男の靴はよく響き、一定のリズムで威厳を保っていた。

 

「ところで観光で来られたのですか?」

 

「お爺ちゃんが艦長だったんです。先月亡くなって、その巡礼を兼ねて来ました」

 

この船の艦長職をしていた人はそう多くはない。長い艦歴を持ちながらも、艦長は5本の指で数えられるほどしかない。その中でも最近まで存命であったのはこの船の最後の艦長でありこの船に最も多くの武勲を立てた人物でもあった。

「では貴女のお祖父様は……これは失礼しました。自分は少年兵としてこの艦に乗艦してました。松永 藤次郎と申します」

 流石に男性の態度がガラリと変わった。軍人特有の背筋を伸ばした動きにメリハリのある動作がさらに洗練される。それほどまでに彼にとって鈴香の祖父は偉大なる上官だったのだ。それを端的に表していた。

 

「私は新堀鈴香と申します。祖父は新堀 帝次です」

 

「存じております。艦長の通夜に私も参列いたしましたので」

 

「そうだったのですか。あの時は百人以上も来られたのと私は裏で別のことをしていましたからご挨拶ができていなくて」

さらに祖父の帝次は当時の家庭の常識と変わらず子沢山であり息子三人、娘三人とかなり大きな家庭を持っていた。そのため孫の世代にあたる鈴香も祖父方直系のいとこの人数は二桁を超えている。

「こちらこそ新堀さんのお孫さんだとは知らず、無礼をお許しください」

90歳を超え100歳に迫る高齢ながら永遠の別れがくる直前まで非常に元気であった祖父の顔を思い出しながら、鈴香は前楼を見上げた。半世紀も前に祖父が指揮をとっていた場所。その場所は見学できるエリアではあるが、場所が場所であるが故に整理券を受け取る必要がある場所だった。

「艦橋に行かれるのでしたらご案内致します」

 

「あ、いえそんな。整理券もまだですから」

 流石にただ孫というだけで特別扱いされるような扱いに彼女は、大半の人間がそうであるように慣れていなかった。

「構いません。幸いにもこの時間は人もあまりいません。1人くらいは問題ないでしょう」

何にでも世界三大や日本三大などと三つでひとまとまりに物事を括りたがる日本人の感性に漏れずその艦は日本三大記念艦として呉の港の一角で眠りについていた。一見しただけでは眠りを邪魔するものに不機嫌さを感じているかのような、人々を威圧するような感覚を与える。しかし船乗りたちは言う。孤独と死の付き纏う海原で、自らが乗る船だけが唯一人を死と孤独から分け隔ててくれる。それは例えるなら外敵から子を守る母親のようなのだと鈴香は祖父から何度か聞かせてもらったこの船の話で教えてもらっていた。

それが正しかったのだと鈴香は艦内を案内され歩くたびに感じていた。外からではわからない。人の生活感の名残。記念艦になり内部はそのほとんどが手入れをされ無機質だった頃に戻ってはいるがそれでも人が何十年と積み上げたものはそう簡単には消えない。

 塗装の禿げ方から刻まれた傷に至る全てが積み上げる芸術作品のようでもありそしてある種の生き物のような感覚さえ与える。

艦橋を上がるラッタルを老人であるはずの松永はそれを感じさせないほど身軽に登っていく。

 

「お祖父様からはどのように聞かれていましたか?」

 

「随分と姿が変わって行ったフネだと聞かされました」

それを裏付けるかのように艦橋は詳しい人が見れば船体の古めかしさとはかなり変わって近代的なものになっている。その艦橋の最も高い位置に当たる防空指揮所には人は全くいなかった。

ラッタルを上がってハッチの扉を空けると海風が吹きつけてきて磯の匂いが濃く鼻についた。

「ええその通りです。『扶桑』は世界有数と言っていいほど初期の頃から艦影が変わった軍艦とも言われていますから」

 艦橋からは呉の街並みと呉港がよく見えた。大型のフェリーや客船に漁船からプレジャーボートまで色々な船が広くない海を行き来している。

「そうですね、何度か写真を見てはいましたけれど、確かにこれは変わっていますね」

日本初の純国産超弩級戦艦にして日本の近代海軍艦艇の始まりの艦。先の大戦を生き延びたその艦は日本の別名とも言える扶桑の名を背負い、その名前に違わない生涯を送り呉で老体を休ませていた。

 

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