第46話 悪魔は死んでいない・7
ボイルのやるべきことは決まっている。
アダムがグレイシール侯爵との取引材料にするための素材集め。
つまりは貴族の体を手に入れること。勿論、死体で。
体さえ手に入れば、アダムは解放してくれると約束してくれている。
もしも約束を果たしてもらえない時は、彼と戦わなければならない。
「本気ってなんだよ…。用済みって」
でも、あの男に自分を殺す意志がないことは、独房に入れられておきながらもボイルが一番分かっている。
アダムは世が乱れることを望んでいるサイコパスだ。
きっと父親も彼の家族もサイコパスだ。そんな男の常識など知らない。
知りたくもない。
「用済みなのはお前も同じだ。体さえ手に入れば、アリスと一緒に」
だからボイルはハンカチを追う前に、あの家に向かう。
二日前、中で何かしていることには気がついていた。
ただ、真正面から貴族とやりあう覚悟はない。
貴族が性行為をするのは魔力の最大値を増やすため。
快楽も理由の一つだろうが、今の世の中を考えるとその二つの理由で、頻繁に性行為を行われている。
さらにアダムは豆知識を教えてくれた。
魔力に自信のない貴族なら、夜中に乱行パーティを開くのを避けるらしい。
理由は監視役が敵を発見しづらいから、夜に行う場合部屋に灯りをつけないといけないから。
魔力の強弱で戦闘能力が決まるのなら、闇の結界は意味をなさない。
「真っ暗な中よりも、目で見れる状況の方が興奮するでしょう?」とアダムの言葉。
ならば、夜よりも陽の光が差す昼間の方が都合が良いし、監視も周りの状況を把握しやすい。
ちょっとでも怪しければ、性行為を中断して逃げ出せる。
「ということは、あの日にも何か行われていた可能性はある。でも、性行為特有の魔力は感じなかった」
という言い訳を自分にするボイル。
本当は早く彼女に会いたかっただけだ。
もしかしたら全部嘘で、幸せそうな顔の自分へのアダムからの嫌がらせかもしれない。
「この建物は位置的に上流と中流の間くらいの貴族か。伯爵位くらいの家かな。くそ…。アダムに聞けば早かったんだけど、あの状況じゃあ聞けなかったし…」
また、アリスからの魔法の通信があるかもしれなかったから、早く出て行って欲しかった。
絶対にアリスを知られたくない。
だから、そんな家を見つけておきながら、どこの誰かと会っていたなんて、あの男には報告できない。
そもそも、危険を冒してくれるアリスは、安全が確保されているわけではない。
足さえ手に入れば、もっと自由に行動できる。
それに、今の今まで溜め続けた魔力があれば、本当に逃げ切れるかもしれない。
「ここだな」
ただ、そんな思いとは裏腹に、二日前との違いをいち早く発見してしまう。
闇の結界があからさまに発動している。
以前ならば見えなかっただろうけれど、今はその輪郭がくっきり見える。
そして誰がどこから発動しているのかさえ、目を凝らせば分かる。
「
言ってみれば覗き行為。
性欲が魔力に繋がるなんて馬鹿げたルールがこの世界にはあった。
その秘密に気がついてしまえば、平民にもチャンスがある。
ただし性格だって、半分以上が遺伝で決まる。
彼がその理を破ることが出来たのは、あの腐り切った思春期に他ならない。
だから見つけられる。中途半端な気分で貴族をやっている奴らよりもボイルの方がよほど飢えている。
しかも何故か今回も見張りの男はモチベーションに欠けるらしい。
それがどういうことなのかは分からない。
殺していいなら殺すだけだった。
「結局、貴族は殺さないと…。力を持ってても、いい貴族がいるのは知ってるけど」
ボイルの義手は更に魔改造が施されていた。
彼の魔力に反応して形状が変わる。形状で言えばレイピアに近い。
便利になっているが、その分だけ魔力の消費が激しい。
とは言え、非常に魔力を通しやすい素材なので、やりようによっては簡単に部位破壊ができる。
例えば頸動脈を切って、切った端を回復魔法で閉じてやることも出来る。
「間違って一般人を切った時でも使える…?」
でも、今は関係なかった。
脳内に心臓と肺を持っている特異体質ならば、この攻撃は意味を為さないがどうやら彼は普通の人間だったらしい。
一人目。今日はいつもより体が良く動く。
これは彼の性欲が絶好調だからである。
アリスと昨日も話した。でも、長くは話せない。
だから、一緒に暮らしたい。アリスと子供を作りたい!
アリスに子種を植え付けたい!アリスとヤりたい!それを邪魔するお前たちは死んでしまえ!
ド外道の精神状態で、貴族一人があの世へと旅立った。
もっとも、あの世の方が幸せかもしれないが。
そしてその瞬間、ボイルは猛烈な吐き気を覚えた。
既臭感のある反吐が出る臭い。
「オェェェェェェェェ!この匂い……」
血の匂い、それは知っている。もう嗅ぎ飽きた。
精液と愛液の匂い、それも知っている。鬱陶しいくらいに何度も嗅いだ。
何よりも一番知っている、本当に気持ちの悪い臭い
勃起を禁じているボイルは今、シリアルキラーと相違ない。
この臭いに反応して、それほどの憎悪が激情が、体中を掻きむしっている。
「なんでここでこの匂いがするんだよ!俺が強制的に飲み込まされた、劇物の匂い…。それも——」
ボイルが知らないほどに新鮮な匂いがする。
精液や愛液の匂いよりもその匂いの方が強い。
まるで、今まさにそれを調理しているような香ばしい匂い。
ソレがボイルの鼻腔もくすぐるが、実はボイルの下半身がソレを跳ね変えている。
この程度‼、と
その声を聴きながら、ボイルは探る。
うまそうに食っている男が二人、性行為に夢中な奴が二人。
そして、生きたまま解体されて、大切なところを失っている男児と女児が二人ずつ。
何かを火で炙っている男女が二人。
え…
ボイルの頭は真っ白になった。
「ひ…」
でも、体が勝手に動く。まずは馬乗りになっている女を殺した。
この女から強い魔力を感じたからかもしれない。
「なんだ、きさ…ま」
そして、そのまま寝転んでいる男の首を刎ねた。それはただの勢いだった。
あとは動揺している食事中の男二人の心臓を抉りとる。
でも、ここからが本番だった。
「たす……けて……」
声が聞こえ、ボイルは我に帰った。
臓物を掻き出された少女の助けを求める声。
マリアが言っていた言葉が再生される。
「女のは取り出しにくい」という言葉だ。
だから雑に解剖されて色んなところが食いちぎられている。
「なんで…」
男児二人は根本から抉り取られたのか、鼠径部の動脈から大量に出血をして、既に絶命していた。
では女児は助かるのか。
既に解体されて、大切な場所は生で食われたか、調理して食われたか。
剥き出しの心臓が、彼女が味わった苦痛を物語っている。
意識があるのが奇跡という状況だった。
「どうして…、気付けなかった…」
だから、ボイルは彼女の「助けて」の本当に意味を悟り、妹たちを殺した。
弟たちの方はボイルのせいで既に死んでいた。
「テメェ、誰だよ! 一体、どういうつもりだ!?」
キーーン、殴られたわけじゃないのに耳鳴りがする。
その合間を縫って聞こえた声。おかしい。それはこっちのセリフなのだ。
カニバリスムの変態野郎に言われる筋合いはないのだが。
でも、その声さえも届かないほどボイルに戦慄が走っていた。
奥にも死体がある……。1、2、3…5人
二日前からおかしかった家だ。
その可能性も当然存在した。
そもそも自分がやったことではないのだが。
「お前達が殺したのか……」
「あ!?ちゃんと買ったに決まってんだろ?お前、どこのもんだよ!俺たち貴族の風習を知らねぇなんて、どこぞのお上りさんだ?」
「待って、 お前があれ?最近噂に聞く、腹上死狙いのシリアルキラー? こんなガキがやってたの⁉」
「お前、よくも俺の従兄弟たちを腹上死させてくれたな!」
一応言っておくとボイルは殺す順番を間違えたらしい。
こいつらこそがこの中で最も血が濃い貴族だった。
ならば、二番目に殺した人間は貴族ではなかったかもしれないが、貴族だったかもしれない。
でも、それもどうでも良い。
ボイルは一つの作業に必死だった。
——全部、こいつらのせいだ。
つまり全力の責任転嫁。
二人から大きな魔力を感じる。
これは支配の魔力だ。魅了させて動かなくさせる、貴族の定番魔法だ。
でも、貴族の魔法はこんなものだったか?
いや。
そんなことはない。サマンサの強制力は尋常じゃなかった。
マリアの魔力は桁外れだった。
だったらこいつらに貴族を名乗る資格はない。
一旦、大人しくしてもらおう。ここは冷静に、冷静に。
二人とも、お揃いになってもらおう。とりあえず一本。
鋭利なレイピアの先に殺人衝動の魔力が篭る。
そしてその1秒後には貴族の男女二人の右腕が床に落ちた。
血まみれの床だったので、ビチャっと新鮮な血が跳ね返る。
もちろん、その上から血の雨が降り注ぐのだけれど。
「何なの、こいつ…」
「お願いだ。助けてくれ…。全部やる。この家のもの、全部持っていって…」
命乞いを待たずに男の首が飛んだ。
「お前、弱いな。縮み上がってんのか?」
「お願い‼私は伯爵家の…」
女の方はもう一本の腕を刎ねた。
彼らが弱く見えるのは当たり前の話だった。
彼らは仲間が目の前で殺されたくらいで、あそこが萎えている。
リリアンの腕はこの程度じゃあ、取れなかったのに。
ルーシアの方がずっと威勢が良くて、威圧的だったのに。
彼らが強かったのは、縮み上がらなかったから。
縮みあがるのは、生命として正しい。
そして、あの時の彼らは狂っていた。
つまり今のボイルは正しく、狂っている。
間違いなく、この世界専用に調教されつつある男なのだ。
「お前も弱い。その程度で貴族戦争を生き残れると思うなよ」
この男女二人は、ボイルの読み通り伯爵家の生まれである。
だから魔力もそこそこに強い。でも、彼らは狩られる側に立ったことがなかった。
だから恐怖して、だから死んだ。
「妹たちを誰から買った?」
ボイルは女の首に剣を当てながら、孤児院の弟妹が売られた経緯を問う。
違う。言い訳じゃない。俺のせいじゃ…
「お願い…殺さないで。正直に全部話すから…」
ボイルは更に剣を喰い込ませる。完全に悪いモノ。
「王族に決まってるじゃない。王宮公認なのよ‼」
俺が二日前に来たら、六人とも生きていたのかって…
「お願い!助け…」
彼らに八つ当たりをする。そもそもこれはアダムとの契約だ。首と性器を持って帰るまでが、ボイルの仕事。
それに、二日前にここに来なかった自分への怒りを、八つ当たりをぶつけただけ。
目の前で自分が殺したことさえも欺いて、ただ、彼らのせいにする。
でも、女の首を落とそうとした瞬間だった。
彼女が放った一言に、彼は切っ先を止めた。
「グレイシール様から譲って頂いたのです!でももう、主人を失った私は何もできません!もう…、他の貴族におもちゃにされるだけ…ね。…もう…殺してください」
「グレイシールってやつが悪いんだな!」
「はい!グレイシールです!」
その都合の良い言葉を聞き、切っ先の行き先を変えた。
彼女は良いことを言った。隣の男の解体を始める。
と、同時に良いことを言った女の失った片腕を器用に剣で拾い上げ、義手に念を込める。
「
「もしもなんてありません。私は貴方様を見ただけ、声を聞いただけ、臭いを嗅いだだけで、縮みあがります。…私はどう足掻いても貴方様には勝てません」
貴族が平民に言う言葉ではなかった。
ボイルの念に女は脱力して、跪いた。
「マチルダです」という艶っぽい声を聞きながら、ボイルは周囲を見渡した。
そして、考えるのを止めた。
「ここにいる貴族の首と局部を切り取って、家の前に置いとけ。」
女に伝える。彼女は寂しそうな顔をした。
だから「気が向いたら拾ってやる」と言い残して、彼は愛する少女の元へ向かった。
今日はむしろ、義肢で良かったと思ってしまう。
体についた血の匂いを鉄の匂いだと言い張ることができるから。
だから、彼はにこやかに彼女の元へ向かえる。
そんなわけないじゃないか!!
「俺のせいで……、俺がサボったせいで、みんな……、みんな死んじゃった……。それに……、リサとエミリは僕がとどめを……。だって、仕方ないじゃないか。あんなの生きてても苦しいだけで、それならいっそ……。大丈夫、ちゃんと痛まないように殺した…から」
脳内麻薬がドバドバと溢れる。
ボイルだって強がっていただけだ。
気合いを入れておかないと、悪ぶっていないと、腰が抜けそうだったから。
街の噴水でゴシゴシと返り血を洗い流す。
「取れない…。取れないよ…。俺の手が血に染まっていることが、アリスにバレてしまう……」
何度も、何度も体を擦る。
義手の方はうまいこと流し落とせたけれど、髪とか、服についた血がなかなか取れない。
何度も義肢に引っかかって髪の毛が抜ける。
それでも、彼女の前でだけは、正義の味方でありたい。
でも、時間がない。
あの時、どれだけ時間を使ったのか、分からない。
もしかしたら数分かもしれないし、1時間以上いたのかもしれない。
なんで、アリスとの待ち合わせ場所があんなに離れているのか。
もっと近くなら……
だめだ。近くだったら、気付かれていたかもしれない。
「俺が…、貴族みたいに人間を殺す残忍な男だってことが」
アダム、あの男は気がついていたのだろう。
だからあんな言い方をした……。
アリスのことを勘付かれているのかと思って誤魔化したのに、それは全然違くて、孤児院の子供たちが連れて行かれたって情報を彼は掴んでいて。
それで、それで、それで……
これではダメだ。今、襲われたら殺される。でも、こんな気持ちをどうしたらいい?
アリスとの生活はこれからもきっと続いていく。
だから、あの1日くらい、いや、せめて1時間くらい会う時間が少なくても、問題なかった。
でも、その1時間のせいで、六人の弟妹が死んだのだ。
この感情を俺はどうしたらいい?
分からなかった。守るべきアリス。でも、守るのと待ってもらうのは違う。
これは単純に、貴族のような考えだった自分のミスだ。
だから僕は、アリスに救いを求めた。
彼女なら、きっと分かってくれる。
「俺を慰めてほしい。」
そう言って、ボイルは魔力の制御がおぼつかない義足でふらふらと、彼女の元へ辿り着いた。
そこで一瞬だけ、寒気がした。
だから急いで庭に飛び込む。
「お帰りなさい、ボイル」
なんでもない彼女が待っていてくれた。
だから僕は、彼女に抱きつきたくて、慰めてもらいたくて、いつもよりもずっとそばまで近づいて、彼女を抱きしめた。
パンッ!
突然、頬に感じる痛み……
ハッとして、アリスを見ると、彼女は怯えていた。
「ど、どうして…、アリス。僕はアリスの…
「ごめんなさい。でも、ボイル、ちょっとおかしいよ? それにこういう大切なことは、そんな気持ちで受け入れたくない。…勘違いしないで。嫌っていうわけじゃないの。でも、今のボイルは優しいボイルじゃない。今だけのボイル。きっと後で後悔する。…それに、私もきっと後悔する。」
そして、少しした後。
今度は彼女の方から優しく抱きしめてくれた。
で、やっぱり俺は感情が涙となって溢れていて、彼女の高級な洋服を汚してしまった。
「あ…」
「大丈夫。私の一番はボイル。…優しいボイル」
少しずつ落ち着いていく。全てを受け入れる海。
だけど、時には厳しい海。だけど暖かい。
アリスは目に涙を浮かべながらも、懸命にボイルを支えてくれた。抱きしめてくれた。
俺は彼女にまた助けられた。
ただ、彼女からは良い匂いがして、それに抱きしめられた時に、彼女の胸の柔らかさを知って、彼女の顔がすぐ近くにあると分かって……、ボイルは突然、彼女にキスをしようとした。
すると、例の痛くない頭突き。
「だーめ。ちゃんと順序を守ってって約束、覚えているでしょ?」
でもその代わり彼女は自分の唇に指を当て、その指をボイルの唇に当てた。
そして少し恥ずかしそうにしながら、こう言った。
「今のはサービスね。だからボイル、今日のことは忘れてあげる。今日は辛いことがあったのよね。それで、こんな風になってしまった。私、大体分かっちゃうの。君は優しいから、守りきれなかった誰かの痛みを、自分のせいだと思ってしまっただけ……、きっとそう。でも、君がどんなことをしようとも、私はそれが正しいことだと信じてる」
アリスの顔はいつもの慈愛に満ちた笑顔に戻っていた。
天使だから、悪いことは罰する。
天使だから、許しを乞えば許してくれる。
この空間は不思議だ。
彼女といるだけで、世界の不条理を忘れることができる。
「ごめん……」
どうかしていた。だから素直に謝った。
「本当にそうよー。そういうのはちゃんと結婚してからでしょ?……やっぱり結婚式の初夜まで初めてはとっておきたい…かな。あれ、あれ!私、なんかすごく恥ずかしいこと言っちゃった!?」
心がくすぐったくなる。
「ううん。ぜんぜん恥ずかしくないよ。僕だって、童貞だし。早く体を取り戻して、貴族の手の届かないところまで逃げて、結婚して、一緒に初めてを経験しよう」
想像するだけで、幸せな気持ちになった。
「うん、すごく楽しみ。本当に期待している。絶対に絶対に絶対に、早く私を迎えにきてね。後、…心配だから、また夜に」
「うん。あり…がと…」
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