第44話 悪魔は死んでいない・5
ボイルは足早にグランスロッド邸を目指した。
一応、見回りも行っているが、今日は妙な気配を感じない。
もしかしたら軽く噂になっているのかもしれない。
偉い誰かに誰かに、ボイルが助けた少女が匿われている、そんな事実はある。
勿論、それはグランスロッドも把握していること。
「コウモリが噂していましたよ。どこの誰かは分からないけど、どこかの派閥がこんな中で動こうとしているってね。やはり、それらもウチで匿うべきでしたか…。でも、噂になって貰わないと困るのも事実。今の所、問題はないでしょう。あるとすれば……。ふむふむ。とにかく君はいつも通りで構いません。」
などと、意味不明なことを言っている。
だから、ボイルは逆に聞き返してみた。
「ってことは、誰も危険な性行為には及ばないんじゃないか?」
するとアダムはきょとん。
不思議そうな顔をした。そして何度か頷いてニヤリとする。
「そうですね。君は童貞でした。ならば、分からなくても当然です。それに君のやり方は私たちには突飛すぎるものですし。魔力はどうすれば高まるか。それは知っているでしょう?」
「前にマリアに説明を受けたよ。体内の魔力器官で作り出したマナを性器で魔力に変える。そしてその変換の原動力は性欲そのものだって」
「そうですね。でも、それはマリアさん、話を端折りすぎですね。魔力は循環させることで磨かれる。それを君は『オナキン』という方法で行っているわけですよね。」
アダムの口からそんな卑猥な言葉が出ると、ボイルが妙な気分になる。
でも、それは事実である。男性器に魔力を停滞させすぎると単に射精する。
夢精する。
だからボイルは意識して体内を循環させている。
イメージは睾丸から臀部、背中、うなじ、耳の後ろを通って頭頂部、そこから目、鼻、口を通って鎖骨上神経に伝達させる。
さらに胸、腹部、下腹部と動かしている。
これが不思議なもので逆方向に回すと射精しそうになる。
睾丸で凝縮された魔力が銃口に向かうのだから当たり前かもしれないが。
「それが突飛すぎですよ。考えてみてください。男女のまぐわいとは、そもそも性器同士の擦り合いです。勿論、性感帯でも近い現象はおきますが、これほど効率的な循環方法はないわけです。そのままオーガズムを迎えてしまうと、その間は力を失います。でも、重要なのは開発の方です。君は偶然なのか、知っていてなのか、自然とそれを実践していましたけれどね」
冷静にあの時の行動を分析されると恥ずかしい。
だが、まさしくその通りだった。因みにボイルの場合は開発しようと思ったわけではなく、単に隠そうと思っただけである。
そして、その考察が先程の循環に至った経緯でもある。
「つまり動物的自然な行動は、そのまま魔力量を増幅させる。だから貴族はあんなに見境なく、交尾してるってこと?」
「さて、そこは卵が先か、鶏が先かという問題ですね。どのみち、貴族というものは性欲の権化ですよ。私も含めてね。今も君を嬲り殺したくて仕方ありませんよ」
そう言って舌なめずりをするアダム。
アダムの厄介なところは、それを行動に移さないところだ。
因みにボイルの目には、アダムも自分と同じことをしているのではと映っている。
「まぁ良いでしょう。今は利用できるだけ利用しますけどね。ではまた。次もなんでもない日常になりそうですが、見回りの方、頼みましたよ。」
そう言って、アダムは独房に鍵をかけた。
「次…ね」
そしてボイルも眠りについた。
毎度の如く、あの夢は見る。世界中の女を自分のものにして、征服欲に満たされる夢。
あれは移植された何かが理由。それも分かっている。
けれど、実は奇妙なことがある。
ただ、夢の中のことだから考えても仕方ないこと。
彼はひたすら、夢精しないようにリビドーを循環させ続ける。
□■□
それからボイルは二日おきに外出許可を得られるようになった。
1日目はなんでもない1日だった。けれども、その次の日は特別な1日。
アリスはその日、お茶を淹れてくれた。さらにはお菓子までついてきた。
「おい…しい…のかな。よく分からないけど、お菓子はおいしい。」
お茶の価値なんて分かるわけがない。
酸味とか渋みとかコクとか言われても何のことだか分からない。
「香りだけでも優雅な気分になるでしょ? ほら、やっぱり貴族様ってお高いものが好きだから、手に入りにくいものは美味しいって思うんじゃない?」
足が勝手に彼女のいる方に向かっていた。
警備をしているつもりだったのに、あのハンカチを探していただけじゃないかと、自分でも情けなく思う。
まぁ、一応警らだし?殺害命令は出ていないし?
先日、アダムが言ったように貴族の気配は驚くほどに消えている。
とはいえ、一軒一軒押し入るべきではない。
貴族が本気になれば、義肢での戦闘では完全にボイルの劣勢である。
それに大切なことが、とっても大切なことがある。
「あ、あのさ…、アリス。その…、この国についてどう思ってる?」
猿轡を外したい理由はなんだったか、それはそれはお茶の味なんか分からなくなるだろう。
アリスの雇い主はとっても良い人。だけど、アダムとボイルは貴族を潰そうとしている。
絶対に聞いておかないといけない。
「それは貴族様のお話ってこと? …あんまり大きな声では言えないけれど、はっきりとおかしいと思う。孤児院でも教わったでしょう? 自身の貞操は大切にしなさいって。異性を見れば見境いがなくなる男も男。女も女よ。」
彼女の言葉は心地よくもあり、そして心を抉るものでもあった。
自分としては貞操を守っているつもりだが、どこまでがセーフでどこからがアウトなのかが分からない。
でも、彼女ははっきりとそう言ってくれた。
動物の本能と人間は違う。動物だってもしかしたら弁えているかもしれない。
「だよな…。俺たちの方が正しいよな。」
「…うん。でも、ボイルもただじゃ、済まなかったのよね?」
当然、そういう目で見られてしまう。
誰が見てもボイルは過去に貴族におもちゃにされたのだと分かる。
でなければ、そう簡単に四肢を失わないだろう。
しかも義肢で縛られた生活を送っていることはアリスに打ち明けている。
——だが、ここではっきり言っておかなければならない。
ボイルは胸を張ってよいのだ。
魔法による魅了で、体液を抜き取られたことはあれど、その行為には至っていない。
ちゃんと抗っていた。
「アリス、ものすごく突然のカミングアウトだけど、俺、まだ童貞なんだ。貴族には犯されていない。え、えっとお尻の方も…、今の所は大丈夫…」
真剣な眼差しでボイルは彼女に自身は汚れていないと宣言した。
何度もそそのかされたけれど、ギリギリそのラインだけは超えていない。
そのせいで腕を失ったまである。
クスッ
ただ、童貞のその真剣な眼差しは、アリスの屈託のない笑顔で返された。
「ごめんね。笑いたかったわけじゃないの。でも、男の人のそれって、なんか誇っていいのか、分からなくて…。でも、そっか…。なんか嬉しい…」
アリスは本当に嬉しそうに微笑んだ。
変な発言を聞いたせいで、多少照れてはいたが。
その沈黙の中で、ボイルは勇気を出す。
これで条件は整った、と。
「あのさ…」
「ねぇ…」
ただ、二人の声が重なって、微妙な空気になる。
あれだけ快活な喋りを披露したアリスも、どこかもじもじしているように見える。
なら、今度こそ、今ならば。
だって、彼女は言った。だから、猿轡を憎んだ。
「あの日の約束…、覚えている?」
その約束。その約束が彼の命を繋いだ。
もしくは苦痛への縛りを課した。暗黒面に落ちれば、ボイルはもっと楽しく悪者になれただろう。
でも、アリスの顔が浮かぶから、我慢することが出来たし、拷問にもかけられた。
「うん…。で、でも…、その…、えっと……」
ボイルの真剣なまなざし。今度はアリスをしどろもどろにさせた。
だって、この約束は
──ボイルの口から、ちゃんと言わなきゃダメという約束だから。
「俺はアリスが好きだ。だから拷問に耐えてきた。でなきゃ、とっくに死んでいた」
普通に生きていたら言えなかった。
こんなことを言える勇気はなかった。
でも、いつアダムに切られるか、貴族に殺されるか分からない日々。
もしかしたら、伝えるチャンスはこれが最後かもしれない。
そもそも、この瞬間が来るなんて思っていなかった。
言えずに死んだ可能性だってある。よく頑張ったと手足を失った痛みに耐えた過去の自分に言ってやりたい。
「…だから、俺と付き合って欲しい」
今のアリスの状況は全部無視して、ボイルは自分の気持ちを素直に伝えた。
もう、何年も前の約束だ。
それを今更言われても、しかもこんな状態になった人間に言われても、そう思われるかもしれない。
そもそも、これほどまでに美しい女性になったアリス。彼女を放っておく男などいるだろうか。
しかも、自分は死んだと思われていたのだ。
…フられても仕方ない。
でも、やっぱりフラれたくない。
そして。
「…うん。私もボイルが好きだよ。その申し出は是非受けさせて頂きます。…あれ?どしたの、ボイル。」
ボイルは固まっていた。
いや、振られるかもという恐怖心が、彼に青い顔をさせていたのだ。
なんと、拷問の日々よりも今の瞬間の方が怖かった。
だから、ボイルは言ったそばから後悔していた…のだが。
「え?…今、なんて?」
けれど、彼女はしっかりと受け止めてくれた。
唖然とするボイルに向かって、頬を膨らませるアリス。
「ちょっと考えれば分かるでしょう? 私もそう思っていなきゃ、こんな危ない橋渡らないわよ」
「あ…、そか」
全く、その通りだ。勇気の告白が台無しになったまである。
彼女の主人がどれだけ良い人なのか分からないが、貴族街を出歩くこと自体、危険を伴う行為だ。
しかも、ボイルはいつ来るか分からないという状況の中で、アリスはアリスのハンカチを危険と分かっている貴族街で結んでくれた。
彼女は戦場の中で待ち続けてくれたのだ。
「俺、アリスがものすごく綺麗だから……、その……」
「もうー。うれしいこと言っちゃってぇ。私だって頑張ってきたのよ。じゃあ、今日は時間までずっと手を繋いでいよっか」
ボイルの周りでは、これまでいくつもの悲惨な事件があった。
自分自身にもそれは起きた。
──でも、彼は今日の約束を永遠に忘れないだろう。
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