第43話 悪魔は死んでいない・4
あれから、俺は貴族狩りを心待ちにするようになった。
外に出ればあの子に会える。
もしかすると弟妹の何人かを救えるかもしれない。
「この教会に匿ってもらえる…のか?」
「えぇ。ここは教会ですよ。迷える者、弱き者の味方です」
結局、ここでもゲラムには会えなかった。
教会としての機能は完全に終わっていて、単なる壊れかけの建物でしかない、グランスロットの別邸。
とは言え、石造りの建物の外殻はしっかりしていて、住むのに不便はなさそう。
教会跡地で教会の力はなくなっていても、法的にはグランスロッドの領地法が適用される。
その辺の男爵の家よりもずっと安全と言える。
そこに救った後の孤児たちを匿っても良いらしい。
「今でも教誨師のつもり…か」
「今でも教誨師です。それに弱者は私の計画に必要ありません。お金にも興味ありません。それで君のやる気が買えるなら安いものです」
つまり前回の戦いっぷりが評価された。
ならば願ってしまう。早く、貴族街で乱交パーティが催されろと神に祈りを捧げてしまう。
「お前の頭の中が知りたいよ。お前自身が標的でも俺は構わないんだけど、な」
「それは流石に笑えませんね」
「…嘘を吐け」
「いえいえ。そもそも話になりません。私の力でその義手、義足は動いているのですよ」
「…はぁ。そうだった」
それにこの男は自分の手を汚さない。
そもそも、悪い奴かどうかも分からない。
アダムが100%悪いと思えるのは、今のところジェームズ・ライザーの死しか思い当たらない。
だが、しかし。
──さて、今日の主役は実は彼なのです。若き男爵、ライツ・ライザー
ちゃんと約束を守っている。
父の死で連座制から、彼の子らを守ったのも事実なのだ。
「では、警らに出かけてください。君の役目は重要なのですから、ね。」
「重要…ね。全く意味が分からないけど、悪い貴族を殺せるなら本望だよ」
情報が入っていない時でも、三日に一度、三時間程度の外出は許可されている。
最初の件のように、知らぬ間に三下貴族が住み着いているかもしれないからだそうだ。
ここは貴族街の外れだが、三時間もあれば俺は──
「今日は外出が許された。一応、見回りもかねてだけど……。それになんだっけ。見るからに怪しいローブ姿の誰かが徘徊しているという噂を立てる意味合いがあるとかないとか……。確かに、すでに二件の殺しを行ったから、貴族街に何かあるという噂はされているか。」
ただ、それが何者か分からない以上、他の貴族と本格的に密談は出来ない。
相手の領地に赴くのは流石に危険だし、かといって別の領地で会うのも、それはそれで怖い。
だから中立地帯を装っている王族領での密会が最適だそうだ。
分からないものは分からない。そも、俺には関係ない。
「あのハンカチ……」
そして俺は希望を見つけた。
何度目のことだったかは覚えていない。
誰が彼女の主人か聞きそびれてしまったし、正体をバラしてはいけないという約束もあるから、俺から連絡が出来ない。
「それに洗い立ての匂い…。つまり今日だ」
お花のアップリケが目印の彼女のハンカチ。
孤児院の時と同じハンカチではない。だけど、彼女が得意な裁縫が施された彼女だけのハンカチ。
こないだ渡されたハンカチにもあったから間違いない。
「やっと、タイミングがあった」
連絡出来ないから、ハンカチというメッセージは一方通行。
俺はそのハンカチを結び直すことで、安否を知らせていた…つもり。
メッセージを文字で残すなんて出来ない。
だって、アリスが危険な目に遭うかもしれないから。
「これ、あっちに行けって…こと?」
結び目で分かる。
俺は夜光虫のようにそのハンカチに吸い寄せられ、次のハンカチを見つけては蝶のように貴族街を飛び回った。
そして最後のハンカチを、人気のない貴族の邸宅の崩れた壁の中に見つけた。
「流石に二件の皆殺し殺人で、貴族街は静かになってる。ここを情報交換の場にさせない計画はうまく行ってるのか…」
なんて、仕事をしている風を演じて、俺は小さな穴をくぐり抜けた。
そこでついにあの子を見つけた。
「…久しぶり。…待った…よな」
ここが誰の屋敷だったのかは分からない。
ガーデニングが綺麗だったのだろう、今は少し勿体なく感じる庭。
その片隅に咲く綺麗な花。可憐な少女を見つけた。
そして少女は俺の声に反応して、笑顔の花を咲かせてくれた。
「もうもうもう!何日待たせるつもりなの! 私、ずっと待ってたんだから。…でも、本当に良かった。ちゃんと生きてた…」
嬉しそうな顔の中に、安堵も見える。
変わらない笑顔。やっと、この瞬間を…
なんて、考えない。先ずは安全の確認だ。
「ゴメン。連絡手段が無くて。えっと何日もゴメン。えと、ここがアリスを雇ってくれた貴族様の屋敷……なのか?」
孤児達は奴隷身分、それはおそらく正しい。
ここまで長く苦しめられる誰かがいるかは分からない。
だけど、実感として分かる。
こんな危険な世界で何も教えてもらっていない時点で分かる。
あいつらは、そもそも孤児を独り立ちさせる気なんかなかった。
でも、彼女は違った。
「ううん。えっとね、私、お話ししたの。幼馴染と会ったって。そしたらご主人様が、今は使われていない別邸を使っていいって‼そう言ってくれてね。中はお貴族様のものだから、庭先でのおしゃべりだけになっちゃうけど……、それでもいい?」
本当に当たりを引いたのがこの子で良かった。
暗躍だけして、自分の手を汚さないで、善人のフリを続けるアダムに教えてやりたい。
いや、教えたら絶対に何かをされるから、教えたくない。
「全然いい!俺、ずっとアリスのこと、心配してて……」
「それ、ボイルが言う?わ・た・し・の・ほ・う・が‼ずーっと、ずーーーーーっと心配してたんだよ。ボイルのことだけを考えてた。ボイルが卒業した日からずーーーーっと‼」
頬に血液が集まるのを感じる。
耳の先まで、鼻の先も。顔が熱くなった。火傷以上に熱くなった。
「お、俺だって。こんな世の中で大事なアリスが…」
「ありがと。離れていても、同じ気持ちだったんだね。二人とも」
「うん。少なくとも…俺は…」
アリスが居ないと死んでいた自信がある。
アリスがいなかったら、どこかの気絶の後、目を覚まさなかったかもしれない。
「少なくともじゃなくて、私も!」と言い張るアリス。
環境は違えど、想いは同じだった。
そんな彼女が興味深いことを話した。
「王を殺したのってボイルじゃないのに…」
「それは俺も思ったよ」
「あの時、孤児院も大変だった。兵士が荒らしまわって。しかも二回も‼」
逃げた先が孤児院だと思われていた。
そも、ウィリアム先生は俺のせいで殺された。
「ボイルのせいじゃない…から。だから、私は何も話さなかった」
「話さなかった?」
「わざわざ子供を連れて聞き込みまでして。隠してないか、とか。昔のボイルはどんな奴だったかーとか。…ボイルが悪魔だったって証拠はないかとか。そんなわけないのに。だから、私は何も喋らなかった。絶対にボイルじゃないって信じてたから」
「子供?」
「うん。ボイルに親を殺されたって」
ここでライザー家の家族が俺を恨んでいた証拠を、俺は初めて聞いた。
彼の長男がギロチンを落とした。あの青年はガチガチだった。
彼のこと?
「男の子?」
「男の子と女の子。特に女の子の方。凄く感じ悪かった…」
「まぁ…。俺のせいで死んだのは間違いないし…」
「なんでそんなこと言うのよ。だって、ボイルは──」
ここで俺は一つの事実に気付いた。
ジェームズ・ライザーの死、家族が俺を恨んでいたこと、そんなことはどうでも良いってこと。
あぁ、そうじゃない。気付いたのは別の事。
俺の出生を探るものが現れてもおかしくはない。
だから、これは「そうなるよな」と言う程度。
——だって、そんなことよりも重大な問題がある
すごく会いたかったし、すごく話したかった。だって、こんな日が来るなんて思ってなかったから。でも、よく考えたら、どんな会話をしていいのか分からない。全然考えてなかった!
俺の卒後の話は絶対にしたくない。
それを思い出すだけで背徳感というか、罪悪感というか。
何も知らないウブな少女に聞かせる話ではない。
可憐な金髪の公爵娘に体液を抜かれて、罪をなすりつけられた話も出来ない。
母を思わせる女に体液を抜かれて、罪をなすりつけられた話も出来ない。
手を失った理由も、足を失った理由も、何もかもが最終的には破廉恥な目的すぎて、何も言えない。
ってか、絶対に嫌われてしまう‼
俺はアリスと話したかったけれど、何を話せばいいか分からない。
喜劇の中で悲劇を見つけていた。
でも…、そんなの要らなかった。
「ねぇ、ボイル。覚えている? 昔、私が蛇だ、蛇だって怖がってたときのこと…」
アリスはいつも俺を支えてくれた。
もしかしたら、多少のことは気付いているかもしれない。
だから、俺が言えないってことも察してくれたんだ。
「あ、うん。俺も怖がっちゃって…。でも結局あれは…」
「そう!あれ、私の悪戯だったの!ボイルがあんなにビックリするとは思ってなくて」
「そりゃそうだよ。だって俺、蛇なんて図鑑でしか見たことないし、毒をもってたらとか、色々考えるじゃん」
「ビックリしすぎて、孤児院中がパニックになって…」
「その後、一緒に怒られたんだっけ」
ずっと一緒に居たんだ。生まれた時は言い過ぎでも、覚えている範囲では一緒に居る。
そんな何気ない顔をしていると、急にアリスが顔を覗き込んで不思議な顔をする。
「んー。本当にボイルだよね? なーんか、顔つきも大人っぽくなっちゃって」
「そりゃ、そうだよ。大人になったってことだろ。アリスだって…凄く綺麗になって…」
「え、それ。どういう意味?」
「違っ。そうじゃなくて昔は可愛らしいって感じで…」
冗談よ、と大爆笑するアリス。無邪気に笑うアリス。
すると少しずつ気になり始める俺が居た。
再会した日、彼女は即座に俺に気付いた。
「あのさ…」
「うん。私は知ってるよ。悪魔は殺されたんでしょ。そしてボイルはちゃんと生きてる」
「えっと…でも…」
「ね、知ってる?神様は本当にいるんだよ?」
「え?神…様?」
少し意外だった。アリスの口から神様って名前が出るなんて。
そうだったっけ?あんまりそういう話はしてこなかったけど。
「うん。ギロチン台はね。偶に助かる人がいるんだって。ちゃんと神様が見てくれている。で、私は知ってる。ボイルは悪いことなんてしてない。だから、神様が助けてくれた」
「そ、そか。ゴメン、変なこと聞いて」
「ううん。…私がそう思おうとしてるだけかも。私はずっとボイルに生きててほしいって、ボイルは良い子って神様に祈り続けていたから」
ここでアリスは初めて…、再会して初めて涙をこぼした。
そして、ギュッと抱きしめられた。
祈り続けてくれていた。もしかしたら泣きながら…。
どこまでもフローレスな彼女。それに比べて、俺は…
「そっか…。だったらやっぱり俺はアリスに助けてもらったんだな」
辛いとき、彼女の顔が浮かんだ。声が聞こえた。
きっと祈ってくれていたんだ。
「わ、私は…、お祈りをしていた…だけ、だよ」
そう言って少女は頬を染めた。
「ううん。俺にとって、アリスは天使様だ」
「て、天使?そんなことない。私には何もできなかったし…」
両手両足義肢でも、彼女はそう言ってくれる。
昔の話は本当に冤罪だ。でも、今は本当に殺しを生業としている。
そんなこと天使な彼女に言えるわけもない。
「え、えっと、アリス、今、辛くない? ちゃんとご飯とか食べてる?」
だから話題を変えようとした。
俺には何もない。大した会話が出来ない。
あるのは吐き気を催すような性欲の慟哭だけ。
「うん。前にも言った通り、私はとっても運が良かったの。とっても偉い人。国を左右するような仕事に携わってて、いつも忙しくされているの」
自分から会話しようとしたけど、やっぱり難しかった。
「そか……、それは良かった。」
そこで俺の会話は止まる。
でも、アリスはそんな俺に微笑んでくれる。
「その体って、お貴族様に弄ばれたってことよね。ボイルの方がよっぽど大変なのに、私の心配をしてくれる。本当にボイルは優しいね。あの子達も今は元気よ。見知らぬ誰かが助けてくれたって、カッコよかったって今は言ってる。本当のことが言えない私の身にもなってよ…。なんて、その体を見たら言えないね。…でもねぇ。会いたい会いたいってしつこくて、困ってるんだよ」
「え…、いや。た、偶々助けられただけで…。俺のことなんて忘れてもらっていいんだけど」
「よね。ボイルが生きていることは知られたらダメ。私も分かってる。…ただ、ちょっとむず痒いっていうか…」
ちゃんとそこまで見抜いていた。
膨らました頬が愛らしい。
やっぱりアリスは特別な存在だった。
若かりし自分も見る目があったものだ。
幼馴染が貴族のお姫様と肩を並べるほどの美少女に成長し、性格も雰囲気もとても愛らしい。
そんな彼女と照れながら話をする。
──だから、時間が止まって欲しいと願う。
今までは、この苦痛の時間が早く過ぎればよいと思っていたのに、世界はとっくに地獄に落ちていると思っていたのに。
「ボイル、そろそろ時間じゃない? その義肢、主人の魔力で繋がっているって言っていなかった?」
「そう…か。もう、そんな…」
でも、彼女は言ってくれた。
「大丈夫。私、また待ってるから。みんなと離れ離れになってしまったけど、私と貴方はちゃんと出会えた。これって……絶対に…運命だから」
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