「死神? というと、大鎌を持ってるあの死神のこと?」


 青年の疑問もわかる。現在のマリアは黒のパンツスーツを着用している。ザ・入社一年目という出で立ちだ。事実そのとおりなのだが、人間さんの持つ死神のイメージからは、かけ離れている。

 しかし──草刈りでしか鎌を使ったことがなかったとしても──正真正銘、本物の死神である。


「うん、それで合ってる」マリアは答えた。


「死神が、どうしてここにいるの? 誰かを殺しに来たのかい?」


「こ、殺し?! 人間さんを殺す!?」何と恐ろしいことを考えるのだろうか。「そんなことするわけないでしょ! 人間さん殺しは重罪だよ! 常識でしょ!」


 死神は魂回収業者にすぎない。殺し屋とは違うのだ。


 青年は不可思議な未確認生物を発見した猫のような困惑げな顔で黒目がちな双眸をしばたたいた。「死神なのに? 本当に殺さないの?」


 マリアは、うん、と大きく顎を引いた。きりりとして言う。「人権尊重と法令遵守が死神のモットーです」

 

 なお、マリアという死神は、人権の種類や法的性質などについてほとんど何も理解していないし、個別の法律の知識も小学校低学年レベルである。かわいそうなことしたら駄目なんだなぁという程度の認識である。


 青年はなおも半信半疑といった面持ちをしている。

 マリアは事情を説明しようと慌てて口を開いた、その時、


「きゃあぁあぁあぁー!!」重ねてきた年輪を感じさせる甲高い女の悲鳴が響き渡った。「お嬢様ぁーっ!!」


 惨たらしく殺された、雇い主の娘の遺体を発見したアラフィフの家政婦が上げそうな悲痛な叫び声だな、とマリアは思ったし、目の前の青年も似たようなことを考えたのだろう、疑わしそうな目をマリアに向けた。その瞳は、君が殺したんじゃないのか、と問うていた。


「ち、違うっ、マリアじゃないもんっ!」マリアは懸命に訴える。「マリアは無実! 事実無根! 完全犯罪! 無罪放免! 信じて! 包丁で深々と刺して殺すなんて怖くてマリアにはできないよ!」


 青年はあきれたような顔になった。「『完全犯罪』って、それ、自白してない?」


「あっ……」







 程なくして慌ただしい足音が聞こえてくると青年は、「とりあえず透明死神になってて」と言った。


「う、うん」マリアに否やはなかった。


 透明化が完了するのと人影が突き当たりの角から現れるのは、ほとんど同時だった。

 五十絡みの恰幅のいい婦人だった。彼女が先ほどの悲鳴の主だろう、こわばって涙ぐんだ顔で、「アオ様、お嬢様が、茉莉お嬢様が血だらけでっ」と舌をもつれさせた。


「落ち着いてください」青年は、君は少しは動揺しろ、殺人と死神だよ? 異常事態も甚だしいでしょ、と突っ込みたくなるほど落ち着き払った丁寧な口調で言った。「事故か何かで怪我をされているということでしょうか?」


 婦人はふるふるとかぶりを振った──顎のお肉がぷるぷるする。「な、亡くなっていましたっ。誰かに殺されたんですっ」


「ふむ」青年はもったいをつけるように顎に手をやって思案げな様子を見せた。「では、警察へ連絡はしましたか? まだでしたら、僕からしましょうか?」


「も、申し訳ありません、まだしていません。動転してしまっていて」


 わかりました、と応じて青年は、スマートフォンで警察にラブコールを送った。







 電話が終わると青年は、厨房へ行って遺体を確認し、この建物──どうやら赤葉茉莉の自宅らしい──にいる人間さんたちを厨房の二倍くらいの広さの食堂に集めた。

 このお屋敷には、五人の生きた人間さんたちがいた。

 五十代ほどだろう、茉莉の父親らしき押し出しのいい男。

 パッと見の印象は若々しいが首元はくたびれている、美魔女という風采の、茉莉の母親らしき女。おそらくは四十代くらいか。

 彼らの息子らしき、八、九歳くらいの痩せた、しかしかわいらしい顔立ちの少年──前途有望だな、とマリアはこっそりとうなずいた。

 そして、アオ様と呼ばれた美青年と第二発見者の家政婦らしき婦人だ。

 全員が大きなダイニングテーブルに着いている。


「茉莉さんが殺害されたというのは本当なのですか」母親らしき女が、板についた自然体な敬語で青年に尋ねた。いまだタチの悪い冗談だと思っているのか取り乱してはいないが、ひそめられた眉からは内心のおびえが窺えた。


「ええ、事実です」青年は平然とうなずいた。「先ほどトモコさんと現場を確認しましたが、背中を刺されていて、凶器と見られる包丁が突き立てられたままになっていました。他殺と見て、まず間違いないでしょう」


 トモコとは家政婦のことだろう。


「アオ君には──」と父親らしき男が口を開いた。声音は重く、表情は険しい。しかし、こちらも平静さを失ってはいない。「犯人の目星はついているのかね?」


「そうですわ!」母親らしき女が、身を乗り出して追従するように言った。「〈死神〉とうたわれる名探偵のアオさんになら、もう真相がおわかりになっているのではなくって?」


 ほぇ、君も死神だったの?──背後霊よろしく青年の後ろで息を潜めているマリアはひっそりと驚愕した。しかし、いやいやそんなわけないか、と首を振った。死神特有のじめじめした魔力の気配がしない。彼は人間だ。


「ははは」死神と言われることが不服なのか、青年は乾いた苦笑を浮かべた。「申し訳ありませんが、情報が不足しており、パターンを絞りきれていません」


「そうですか……」母親らしき女は、脱力するように肩を落とした。


 マリアも落胆した。青年は名探偵らしいし、この不可解な事件もあっという間に解決するのではないかと期待していたのだ。


 そう、不可解なのだ、極めて。なぜなら、この中に殺人を犯した人間さんクラスの〈悪行ポイント〉を持つ者がいないから。


 ということは、この場にいない者──外部犯による凶行だろうか。

 そんなふうに疑いたくなるが、青年と家政婦の移動中の会話で、〈この屋敷の敷地は高い塀に囲まれており、さらに複数の防犯カメラに見張られている〉ということが話されていた。

 普通、そんなセキュリティー意識の高い屋敷に侵入して人を殺そうなどと思うだろうか。茉莉がターゲットというのなら外出中に襲えばいいのではないか。そちらのほうがローリスクだ。


 大抵の人間さんよりも頭の残念なマリアでさえこう考えるのだから、外部犯も当然それに思い及ぶだろうし、あえてリスキーな殺人計画を立てる可能性は低いように思う。それに、外部犯が密室を作る理由も想像できない。そんな面倒なことをするメリットがわからない。

 だから内部犯だと思うのだが、カルマ判定の魔眼はそれを否定してくる。どういうことなの。


 そしてもう一つ、重要すぎる情報があった。

〈すべての部屋に対応しているマスターキーは失くしていて、厨房だけに対応している子鍵は買い物のために外出していた家政婦が持っていた〉らしいのだ。

 であれば、厨房内から扉のつまみを回して施錠するしかない。しかし、マリアが転移した時に生きた人間さんの気配はなかった。あったのは濃密かつ新鮮な死臭だけだ。

 つまり、やっぱりガチ密室殺人じゃない、勘弁してよぅ、ということである。

 何という不運だろうか。数多のペーパーテストを〈鉛筆コロコロ〉で乗りきってこられたことから自分は幸運なのだと信じていたが、初仕事からこれではその自信も揺らいでしまう。

 まさか学生時代にすべての運を使い果たしてしまったのか? ……ありうるな。悲しすぎる。


 メンタルにどっと疲れが来たマリアは、かわいいものを見て癒やされようと息子らしき少年に視線をやった。彼は眉を曇らせて顔色を窺うように大人たちをちらちらと見ている。いきなりの殺人事件に困惑しているのだろう。お互い大変ね、とマリアは同情の言葉を念じた。


 程なくして警察が到着した。人間さんたちの捜査が始まる。

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