暗殺姫は籠の中~罠にはまった女暗殺者は皇子様に囚われています~

雪月

烏と皇子

0.プロローグ 烏羽の姫君


 その日、帝国の誇る白亜の宮殿には多くの貴族が招かれていた。

 栄えあるディオスクロイツ帝国、その第一皇子アレクセイ・フォン・ディオスクロイツの主催する大宴会が催されたのだ。


 会場となった宮殿内の大広間には、これでもかと華美な飾りつけがされ、主催者の権威を象徴するようであった。

 皇族御抱えの楽団が奏でるグラツィオーソは会場中に響き、ゆったりと落ち着いた雰囲気を作り出している。


 主催であるアレクセイはまだ会場入りしていないようだが、すでに立食式の宴会は始まっており多くの貴族達が料理と酒に舌鼓を打ち、歓談していた。


 そんな会場の一角に商人上がりの男爵達が集まっていた。

 彼らは皆、アレクセイの支持者であり朗らかな様子で宴会を楽しんでいる。


「いやはや、この料理も酒も、我々では無理をせねばお目にかかれないようなものばかりですな」

「ハハハ、もっとも調達したのは我々ですがな」

「商人上がりの一代貴族の我々を重用してくださるとは、アレクセイ様には頭が下がります」

「新規に事業を起こす時など「私も一枚噛ませろ」と……一体どこで聞き付けてくるやら。地獄耳とはこのことだ」

「新規事業に皇族の後ろ楯、結構なことではありませんか」


 つい一週間ほど前、彼らの元にアレクセイからの書簡が届けられた。

 内容は、要約すれば『一週間後、大宴会をやるから諸々の手配を頼む。金に糸目はつけない』といったところだろう。

 そんな無茶なとは思ったが、商人時代にはもっと無茶もあっただろうと、何よりアレクセイの為と奮起した彼らは見事に手配をしてみせた。


「上位貴族の御方々は爵位を金で買ったのだと揶揄するがアレクセイ様は違う」

「左様、「爵位を金で? 大いに結構! それだけの財を成す業、是非とも帝国の為に役立ててくれ」とそうおっしゃってくれた。あの方の為なら金は惜しまないよ、私は」

「それで言えば我々に爵位を授けて下さった現帝ディムロス様だ。血毒の病に倒れて2年……なんとか快方に向かってくれれば良いが」

「皇族の血特有の病なのだそうだな。帝国の誇る“聖盆”より滴る万能薬でも治らないとなると……口惜しいがどうにもなるまい」

「我々に出来るのはせめてアレクセイ様に報いることだけよ」


 現帝ディムロスが不治の病に倒れて2年、皇后アナスタシアもまた心労で体調を崩し、実質的にアレクセイが政務を取り仕切っていた。

 若い感性で振るわれる辣腕は、一部保守的な貴族からは急進的に過ぎると批判を受けてもいたが、概ね評判は良好であった。


「あれは、ユリウス第二皇子か?」

「皇族だというのにあのように酒をついで回って……」

「上位貴族……それもアレクセイ様に批判的な者ばかりに」

「アレクセイ様との兄弟仲も良くないと聞く。妙な気を起こさねば良いが」


 上位貴族達の固まっている一角では第二皇子のユリウスが貴族達の中に混じり酒をついでいた。


 貴族達に下手に出ているようにすら見えるその態度は皇族にあるまじく、アレクセイ派の貴族は冷ややかな視線を向けていた。

 実力、評判共にアレクセイには及ばないとはいえ、皇位継承権第二位のユリウスの動きはアレクセイ派の貴族としては放置しておけるものでも無かったが、話題がきな臭い方向に向かいかけたのを1人が慌てて戻そうとする。


「いかんいかん、アレクセイ様の主催の宴で暗い話題ばかりではな」

「そうですな。倹約家でもあらせられるアレクセイ様がこれ程の大宴会を催されたのだ」

「倹約家? それは違うぞ。アレクセイ様はな、我々の商人貴族の薫陶を受けて下さっているのだ」

「はは、無駄金は使わない、あこぎはしない、要る金はとことん使う、ですな」

「左様、であればこの宴はアレクセイ様が“要る”とした宴。ならばその主旨は……やはり婚約者の発表でしょうかな?」

「大いに! 皇族は20歳を迎える前に婚約者の御披露目をするのが習わし。いやはやめでたいことですな!」


 アレクセイ派の貴族達がそんな話をしている頃、奇しくも同じ話題で密かに盛り上がっている者がいた。

 皇宮勤めの侍女達だ。

 彼女らは主に下位貴族の娘であり、まず皇子の婚約者にはなれない立場である為、ある意味で完全な外野から楽しんでいた。


「ねぇマルタ、やっぱりこの宴は婚約者の御披露目なのかしら?」

「そうですね、ブリジッタ。私もそう思います……。実は先日アレクセイ様の命で離宮の一番いい部屋を整えたのです」

「やっぱりだわ! あぁ、一体どなたが見初められたのかしら?」

「そうですね……正妃筆頭候補といえばペチュニア様ではないでしょうか」


 彼女らの視線の先、プラチナブロンドを縦ロールにした美しい少女が取り巻き達に囲まれていた。

 ファウフィデル公爵家令嬢ペチュニア・フォン・ファウフィデル、その人である。

 ファウフィデル公爵家は帝国においてもっとも古い家の1つであり家格では抜きん出ている。

 ペチュニアもまた齢17にして、帝国の華と謳われる美貌の持ち主で、深紅のドレスを纏った勝ち気なブルーの瞳の少女の立ち姿からは「選ばれるのは自分である」という自信を感じさせた。


「家格で言うならエンゲルシュタン公爵家も負けていないんじゃないかしら? オリビア様も16歳でしょう?」

「えぇ、ですがオリビア様はユリウス様とご一緒されているのをよくお見かけします」


 エンゲルシュタン公爵家もまた帝国の古い家の1つだ。

 その令嬢、オリビア・フォン・エンゲルシュタンは会場の隅でそっと佇んでいた。

 ホワイトブロンドに藍色のドレス。

 伏し目がちなエメラルドグリーンの瞳が時折ユリウスを追っていた。

 その視線が不意に別の方向に向くのと、わぁっとにわかに会場が色めきたつのはほとんど同時だった。


 中二階に儲けられたバルコニー様のスペースに、黄金をそのまま糸にしたような鮮やかな金髪の青年が皇族専用通路から現れたのだ。

宴の主催者にして帝国第一皇子、アレクセイだ。


 スラリと伸びた細身を、白地に金糸の刺繍の入った衣装に包み、一見優男にも見えるアレクセイは深紅の瞳に強い覇気を湛え、その第一印象を塗り替えるような力強いよく通る声で口上を述べる。


「皆の者! 突然の招待にも関わらずよくぞ集まってくれた!」


 しかし、アレクセイがさらに言葉を重ねようとした、その時だった。


「アレクセイ!! 貴様よくも私に招待状を出せたものだな!」


 ダミ声がアレクセイの名を叫ぶ。

 初老の、少しよれた貴族服に身を包んだ男が唾を飛ばしていた。

 咄嗟に取り押さえようとした騎士達を手で制し、アレクセイは男を見下ろした。


「ペッカー男爵。これは何事かな?」

「何事だと? 貴様、私からは地位も金も奪っておきながらよくもこんな宴を開けたものだな!」

「それは貴殿が不正に手を染め、民に不当な税を課し私腹を肥やしていたからだ。それにこの宴の費用は私自ら稼いだものから出している。貴方と一緒にしてもらっては困るな」


 ペッカー男爵と呼ばれた男は、元は伯爵であった。

 しかし、アレクセイに不正を暴かれ降爵されたのだ。


「長く帝国に尽くしてくれた家故、降爵に止めたというのに……父君や先祖に申し訳が立たないとは思わないのかい?」

「黙れ黙れ黙れ!」


 ペッカーが懐から何かを取り出した。

 それを見た幾人かの婦人達から悲鳴が上がる。

 それは小振りな単発式の魔導銃であった。


「こうなれば道連れだ……死ね、アレクセイ!」


 銃口がアレクセイに向けられ引き金に指がかかったそのわずかな一瞬。

 フワリと、何かがアレクセイと銃口を結ぶ直線上に浮かんだ。

 それは一枚の漆黒の風切り羽根だった。


 銃声、そして甲高い金属音。

 放たれた銃弾は、魔力で強化された鉄製の扇に挟み止められていた。

 風切り羽根と入れ替わるようにして現れた黒髪の女性により、アレクセイに当たるはずであった銃弾は防がれたのだ。


「失礼」


 扇が振るわれ、銃弾が凄まじい速度で打ち出されペッカーの額を直撃する。

 もんどり打って倒れ、額を抑えるペッカーに騎士達が押し寄せあっという間に連行していった。

 しばしの静寂の後、アレクセイは誰もが見惚れるような笑みを浮かべる。


「皆、騒がせたな。本当はもう少し引き伸ばそうと思ったのだが仕方あるまい……」


 しっとりと濡れたような黒のストレートヘアに、同じ色のマーメイドラインのドレスからは抜けるような白い肩が見えている。

 スラリと一本芯の通った立ち姿に、吸い込まれそうに深く、それでいて鮮やかな金色の瞳。

 アレクセイと並び立ってもそう変わらない突然現れた長身のその女性に、会場にいた誰もが目を奪われていた。

 皆の注目が集まったことを確認し、アレクセイは高らかに宣言した。


「この女性ひとはクロウディア! クロウディア・ダ・フライハイト。異国の姫君にして、私の……婚約者だ!」


 幾人かを除き、先ほどの騒ぎを忘れたかのように会場中から歓声が上がる。

 多くの視線がクロウディアに注がれていた。

 ただその中に気づいた者はいただろうか?

 微笑んでいるように見えるクロウディアの端正な容貌がその実、ヒクヒクと引き攣っていたことに。


 ▽ ▽


 宴が終わった後、アレクセイの私室にて女性の怒声が響き渡っていた。


「婚約者!? 聞いていません!! こんなの……契約違反です!」

「ハッハ! 言ってないからね! それに魔法契約書には“婚約者にはしない”とは一言も書いてない!」

「ふ、ふざ……ふざけないで! あんな大勢の前で……! 何がクロウディアよ!」


 柔らかな枕を振りかぶったクロウディアに追い回されながら、アレクセイは部屋中を逃げ回り言い訳のような屁理屈を捏ね回していた。

 涙目になりながら追い回すクロウディアの手をさっと振り向いて捕まえるとアレクセイはクロウディアの耳元で甘く、優しく囁いた。


「クロウディア、いやクロウ。これで君は僕のものだ」

「~~っ! もうっ、嫌ぁアアアアアアア!!!」


 顔を赤らめたクロウディア……いや女暗殺者クロウの悲鳴は、アレクセイの仕掛けた防音の魔法に阻まれ、部屋の外で待つ侍女の首を微かに傾かせるだけだった。
























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