4.イライラ

「ハァ……何でこんなことに……泣きたい」


 クロウは1人、溜め息と泣き言を漏らしながら机に突っ伏していた。

 アレクセイはあらかじめ用意していたのだと、離宮の一室をクロウにあてがった。

 1人で使うには広すぎる部屋に、1つ売れば平民なら数ヶ月は暮らすのに困らない調度品の数々。

 普段のクロウなら「無駄の極みですね」と鼻で笑っただろう。


 しかも、この部屋はアレクセイの書斎と転移陣で繋げられていた。

 離宮は男子禁制じゃないのかとか、これからも部屋に突然やってくるつもりかとか、小一時間問い詰めたかったが、アレクセイは「明日はパーティーがあるからね。ゆっくり休んでくれ」と告げすぐに何処かにいってしまった。

 どうもまだ眠る様子ではなかった、まだ何かするつもりか。


 ちなみに、クロウが繋がれていたのはアレクセイの書斎にある隠し部屋だった。

 壁に見えたのは本棚の裏側だったらしい。


「……もういい、寝る」


 時間はまだ深夜2時前といったところだろう。

 暗殺稼業に身をやつしてから、というか生まれてこの方こんな事態は経験がない、あってたまるか。

 精神的に疲労困憊だったクロウは、考えるのを止め用意されていた寝間着に袖を通し、キングサイズのベッドに体を横たえると目を閉じた。

 どんな時でも眠れるのは暗殺者の嗜みだ。

 柔らかなベッドに体が沈み込む感覚は慣れなかったが寝間着もシーツの肌触りも恐ろしく心地がよかった。


 翌朝。

 気配を感じ目を開いたクロウの目覚め一番に飛び込んできたのは自分の寝顔を覗きこんでいるアレクセイの柔和な微笑みだった。


「おはよう、クロウ」

「……」

「おや? 反応が薄いね、クロウ。朝は弱いのかなっとぉ!」

「ある意味で予想通りだっただけです」


 腹の立つ顔面をひっぱたこうとしたが腕輪の力に阻まれたので仕方なく枕を投げつけながらクロウは起き上がる。

 柔らかい枕なら危害判定にはならないらしい。


「何なんですか貴方は。殺気を纏ってはいないとは言え私の寝込みを易々と……組織にもここまで上手く気配を隠せる者はいないのですが?」

「もちろん、君とお近づきになる為に習得したのさ」


 当たり前のように言うがクロウとて血のにじむような鍛練の末、漸く今の技量を手に入れたのだ。

 必然、この男もまた鍛練の末身につけた技量ではあるのだろう。

 だが、暗い世界に身を置いてきた自分と皇族のこの男の技量が拮抗……いや暗殺を防がれたということは上回られてすらいる事実にクロウは無性に腹が立った。

 

 何より、初対面ではないような口振り、言葉の端々に自分のことを知っていると匂わせる態度。

 自分の秘しているはずの情報を知られていることもまた、クロウの心を波立たせた。


 対して、クロウはこの男、アレクセイのことを知らなかった。

 勿論潜入をしてから調査はした。

 人柄や能力、行動パターン。

 使えそうな情報は集め回った。

 分かったのは皇位継承者としては極めて優秀であること、悪政を敷くような人物ではないこと。

 市井に降りては民と交流を持つ、皇族としてはやや自覚が足りない面もあるがそれ故に民からの人気は抜群。

 そのことが一部貴族からは反感を買っているようであり、民を重視する態度が暗殺依頼に繋がったのだろうと思った。

 殺すには惜しい。

 でも依頼は依頼。

 クロウはそう割りきった。


 しかし、潜入にすら気づき、高い技量を持つことを感じさせることもなくこの男は振る舞って見せた。

 そうしてクロウはまんまと罠に飛び込んだというわけだった。


 知られているのに、知らない。

 その事実はクロウを酷く苛立たせた。


「(イライラします……この男の全てが気に入りません)」

「ん? どうしたんだい? そんなに見つめてきて」

「何でもありません……それより何か用があるのでしょう?」

「いや? 寝顔を見に来ただけだよ?」

「っ! ふざけないでください!」

「寝顔も、怒った顔も可愛いよ」

「~~っ! ~~~っ!」


 何を言っても通用しない、逆にペースに呑まれそうになる。

 口を開いて言い返そうとしても言葉がつむげず、顔を赤くしただけになる。

 本当にイライラする。

 こんなにも1人の人間に振り回されるのは初めてだ。

 ただ……思えば同年代の男性と話したことはあまりなかったような気もする。


 ▽ ▽


 まだ活動を始めて間もない組織は、20歳のクロウが最古参であるほどで多くは年若い少年、少女により構成されている。

 表向きは孤児院の体を取っており、実際に身寄りの無い子供の面倒も見ていた。

 裏稼業で稼いだ資金は孤児院の運営にも当てられる。

 無論、堅気の職員には秘密であるが。


 組織の長である“父様”は常には院に居らず、時折様子を見にきては孤児達の中から見込みのありそうな者を秘密の場所に招き、そこで組織の一員としての教育をしていた。

 クロウもその中の1人だった。

 共に訓練を受けた中には初対面の者もいたので恐らくは同じような孤児院が他にもあるのだろう。


“父様”は常に構成員の少年少女達に言い聞かせていた。


「私は君達を暗き道に誘った。しかし、人形にする為ではない。存分に笑い、泣き、友を作りなさい。人のままでいなさい。もしこの道から逃れたければ私に言いなさい。明るい道を君達に用意してあげよう」


 非合法なことを生業にする組織ではあったが、実際に“殺し”に従事しているものはクロウを含め数人だった。

 多くの構成員には諜報活動や護衛の仕事があてがわれた。

 皆、自分の技量に自信と誇りを持っていたし互いを友として切磋琢磨していた。


 その中にあってクロウはいわゆる鬼才だった。

 幼い頃、強盗に押し入られ両親を失ったクロウはその復讐心から次々に技術と知識を吸収していった。

 卓越した身体能力と膨大な魔力量。

 加えて、ごく一部の者にだけ発現する特異な魔法……通称、異能すら発現してみせた。

 僅か13歳で初仕事として復讐を果たし、それ以降も精力的に仕事をこなした。

 同期が足を洗い、堅気の仕事や所帯を持つようになってもそれは変わらなかった。


 交流のあったのは同じく異能持ちの、組織の中でもエース級とされる幾人かであり、皆女性であった為男性とはあまり話したことはない。

“父様”と時折顔を出しにいく孤児院の子供達との交流が精々であろう。


 ▽ ▽


「(男性との会話というのはこうもままならないもてのなの? この男が特別おかしいだけだと思いたいわ)」


 落ち着く為に黙り込んだクロウのしかめ面をひとしきり眺めるとアレクセイは「ごめん、ごめん。ちゃんと用はあるからさ」と話を進めた。


「今日はパーティーがあると伝えたよね? 早速だけど君にも出席して貰いたいんだ」

「……? 影から見守るのではダメなのですか? 私としてはその方がやり易いのですが」

「いやいや、ちゃんと側にいてもらわないと。やっぱり不安だからさ」

「……まぁ、構いませんが。仕事は仕事ですし」


 思ったより臆病なのか、とクロウは意外に思った。

 自分を振り回した男の意外な面を知れたことでほんの僅かだが溜飲が下がる。

 アレクセイは「良かった」と笑い、「早速だけどこれを君に着てほしいんだ」と一着のドレスを差し出してきた。


「これは……黒絹ですか?」

「あぁ、白と迷ったんだがやはり君には黒が似合うと思ってね。特別にあつらえさせたんだ」


 渡されたのは、流行りからは逆行した、フリルの一切無い、マーメイドラインのドレスだ。

 特殊な飼料を与えることにより漆黒に染まった蚕繭から作られた、染色では出せない独特の艶と色合いを醸し出す黒絹によって編まれたドレスはクロウの髪と同じ濡羽色に艶めいていた。


「……」

「気に入ったかい?」

「……そう、ですね。美しいと、そう思います」

「これを着た君はもっと美しいだろうね」

「……」


 クロウはしばらくの間、ドレスを持ったままドレスとアレクセイに交互に目を向けていたがおずおずといった様子で切り出した。


「あの……着てみたいのですが」

「うん、是非着てみてくれ」

「はい、ですから着替えますので」

「うん」

「……」

「見ててあげるから早く着替えてみてくれ。それとも手伝いが必要かい?」


 クロウはそっとドレスをベッドの上に置くと、代わりに枕を掴みアレクセイに向けて振りかざした。


「部屋から! 出ていけ!!」

「ハッハッハ! パーティーは正午からだ! それまでに一度ドレス姿の君を見せてくれ!」


 枕でしこたま頭を叩かれ、捨て台詞を残しながらアレクセイは転移陣に逃げ込んでいった。


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 ここまでお読みいただきありがとうございます!

 第一章はここまでになります!

 面白いと思っていただけたなら幸いです!

 ★やいいねをいただけたならもっと幸いです!


 第二章は悪役公爵令嬢とのバチバチとなっておりますっ

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