第3話 ノール王国国王歓迎夜会
目の前で繰り広げられているこの光景は、まるで壮大な舞台の一幕のように感じられた。
アイリスは、夜会の会場中の注目を集めながら、ただ1人、豪華に飾られたバンケットホールに立ち尽くしていた。
そこだけまるで、大きな穴が開いているとでもいうように、ぽっかりと空間が空いている。
遠巻きにする人々が見つめる中心に、アイリスはいた。
背筋がすっと伸びた立ち姿。
シンプルで控えめながら、上品なラインを描く、ロイヤルブルーのドレス。
きっちりめのハーフアップに結い上げ、後ろの部分だけ自然に巻いた、青い髪。
金の耳飾りとネックレスがシャンデリアの光を受けて、キラキラと輝いていた。
「聞こえなかったか? アイリス・ノーフォーク! お前との婚約を破棄する、そう私は言ったのだ」
アイリスに指を突きつけるようにしているのは、金髪に青い瞳をした、アイリスの婚約者。
ローデール王国の第2王子、エドワードだった。
「……お前のその、冷たい、澄ました顔が嫌なんだ。いつも上品で、真面目で。お前が表情を変えることはあるのか? まるで作りものの人形のようじゃないか。私は人形を妻にする気はない」
エドワードは母である王妃譲りの、整った顔をした青年だった。
金髪碧眼の、絵に描いたような王子様。
今日着ている、白と金を基調にした礼服も、とても似合っている。
その時、アイリスは、エドワードがさりげなく胸に差しているポケットチーフがストロベリーピンクであることに気がついた。
(アイリスの色は、珍しいなあ。青い髪に、紫の瞳なんて。でも、こうして君の色を身に付けると、自分が君にとって特別な存在だと感じられて、嬉しいよ)
かつて、エドワードはそう言って、アイリスの色を礼服に使ってくれた。
「エドワード様…………」
エドワードの傍から、か細い声がした。
淡いペパーミントグリーンの、ふわふわとしたドレス。
肩と腰に付けられた、大きなリボンは、ロイヤルブルーに、金の縁取りが施されている。
くるくると巻いたストロベリーピンクの髪を自然に垂らした令嬢が、そっとエドワードの腕を掴んで、潤んだ赤い瞳で、アイリスを見つめていた。
「大丈夫だよ、リリベル」
エドワードが、ピンク髪の令嬢の腕をぽんぽん、と撫でた。
それからアイリスに向き合って、厳しい声で言った。
「アイリス。侯爵令嬢であるお前が、男爵令嬢を虐げるなんて、恥を知れ!」
「とても怖くて、体が震えてしまいました。1週間、外出することもできず……自分が何をしてしまったのかも、わからず……。人と会うことも怖くなって。だって、何かあっても、申し開きなどもできませんわ。わ、わたしは身分が低いから……っ!!」
ピンク髪の令嬢は、今や大粒の涙をこぼし始めていた。
肩を震わせ、エドワードにしがみついている。
「アイリス、お前はどこかおかしいんじゃないのか? いつも冷たいと思っていた。人を思いやる心がない。どうしてそんな残酷なことができるんだ。人として、どうかしている! そんなお前が未来の王子妃とは、人の上に立つことになるなど、私には信じられない。言語道断だ」
エドワードは手に持っていたものを、アイリスに突き出した。
「お前との婚約は破棄する。国外追放だ。侯爵家を出て、他国で平民として生きるがいい。自分が苦しめた身分の低い者の苦しみを味わうといいのだ……!!」
ほら、とアイリスに1枚の紙が投げつけられた。
「愚かで物覚えの悪いお前のために、書面にしてやった。『アイリス・ノーフォークとの婚約は破棄。王家反逆の罪にて、国外追放。侯爵令嬢の身分は剥奪』」
今や、夜会の会場は、一切の音もなく、静まり返っていた。
アイリスの目の前には、自分の婚約者である、エドワード王子が立っている。
ノーフォーク家に婚約の打診が来たのは、アイリスが8歳の時だった。
正式に婚約したのは、アイリスが12歳の時。
それから6年間。
正式に結婚する時のために、王妃殿下主導のもと、王子妃教育のために、王宮に通い続けた。
エドワードのために。
王子妃に、エドワード王子にふさわしいと思われるように、完璧な令嬢になろうと努力をした日々。
もしかしたら、エドワードに愛されてはいなかったのかもしれない。
それでも、同じ道を共に進む、同志愛は、友情はあると信じていた。
確かに、ここ最近、エドワードは自分に対して批判的な態度をよく取るようにはなっていた。
何かあったのだろうかと、思わなくもなかった。
それでも、少なくとも、憎まれているとは、思ったことはなかった…………。
アイリスはエドワードを見つめた。
(…………でも、今のあなたは、わたくしを憎んでいる)
意志の力を総動員して、ギシギシと音がするかのような、ぎこちないしぐさで、アイリスは体を屈める。
ぱさり、と床に落ちた紙を、アイリスは拾い上げた。
(婚約破棄……王家反逆……国外追放……身分剥奪……)
恐ろしい言葉が並ぶ文面。
その瞬間、目の前が文字通り真っ暗になった。
アイリスは動転する。
(だめよ。わたくしは侯爵令嬢)
(こんなことで、気を失うなんて、弱者のすること。そんなこと……)
静まりかえっていたホールに、たくさんの悲鳴が響いた。
「アイリス!!!」
誰かが自分の名前を叫ぶ声が聞こえた。
(だめだわ)
自分の心臓の鼓動が、気持ち悪い。
アイリスは美しい紫色の目を閉じた。
周囲のざわめきが怖いくらい。
そんな中、自分に駆け寄ってくる、誰かの足音だけは、はっきりと聞こえた。
最後にアイリスは、馬車から飛び降りようとした、アナを思い出した。
(アナ、あなたも、こんな気持ちを味わったのね)
夜会に集まった、大勢の人々の前で断罪されたアイリスは、そうして、意識を手放した。
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