綿雪の降る世界で
綿雪みれい
第1話
これは私が今までの人生で経験してきた嘘であって欲しい本当にあったお話です。これを読み終えた頃、皆さんにはこの世界がどう感じるのでしょうか。それでは本題に入りましょう。
私は北国の田舎で生まれ育ちました。父が国家公務員、母はパートとして働く地元だと少しだけ立地の良い戸建ての家に家族3人で暮らしていました。
父は昔からテニスが大好きだったらしく、母との出会いもテニスがきっかけという程で私も物心ついた時から父の入っているテニス協会が行っているテニス教室へ通っていました。習い事は当時の子供の中ではそこそこ多めにさせてもらっていて、他には公文や水泳教室にも通っていました。
そして私は誕生日が12月31日の大晦日でした。他所の家の子はだいたいクリスマスが近いからと誕生日とクリスマスを一緒にされるという話を聞いていましたが私の場合は、クリスマスと誕生日は別に祝い、ケーキもクリスマスと誕生日とで別のホールケーキを用意してもらい、プレゼントもクリスマスと誕生日とで別の物を与えて貰えていました。
ここまでの話を聞くと裕福な幸せな家庭で生まれ育ったかのように聞こえるでしょう。ですが実際の家庭環境は今思い返すとかなり異質なものでした。
父方の祖父祖母に会う際は会う直前に「〜って聞かれたら〜って答えなさい」と返事は事前に打ち合わせして決めていたし、誕生日の時は前年のクリスマスで祖父祖母から貰った物を必ず持っているか近くに置いて置くように言われていました。他にも父も母も「この話は内緒ね」と言いつつ互いの愚痴を聞かされたり、購入品の内容を口止めされたりといった事が多くありました。
他にも父と母は時々夫婦喧嘩をしていたのですが、おそらく皆さんが想像する様な夫婦喧嘩とは違うと思います。何故なら喧嘩をする度、怒号が飛び交い何かしら物が壊れそれを逃げも隠れも出来ず見続けるという環境だったからです。ついでに言うと逃げも隠れもしなかったのは部屋数が少いとか家が狭いからとかではありません。当時の家は4LDKの二階建て庭付きで車庫もあり、その他に車が2台は駐車出来るスペースがあるくらいそこそこに広い家でした。ただ喧嘩する場所が毎回リビングでリビングを中心に他の部屋へ移動出来るようになっていたので自室に行くにも怒号が飛び交ってる所へ飛び込んでいかないといけない状況でした。
だから幼い頃は毎回私が怖くて大泣きしてそれに気付いてなあなあで喧嘩が終わるというのが流れになっていました。
けれど物心ついた時から既にこの状態だったのでこれが"普通"なのだと当時の私は信じていました。
こんな環境で育ったものだから気づいた頃には人の顔色を伺うのが気づかぬうちに癖になっていて、友達が喧嘩しそうな雰囲気ならその場から巻き込まれないうちに逃げるようになったり、幼い頃色々な大人から将来の夢について聞かれた際も「この人はこういう人だからこう言う風に言えば喜んで貰える」と考えその人が喜んでくれそうな将来の夢を語ったりしていました。
父と母の喧嘩も次第に私が泣いてちょっと落ち着いた時に私が馬鹿のようなことを言えば笑ってくれると分かり喧嘩の直後は馬鹿のフリをするというようになっていきました。
だいぶん掻い摘んで幼少期の出来事をお話しましたが我ながら狂っていると思います。ですがここまでのお話はまだまだ序の口でした。
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