Chapter4 賽は投げられた(1)

 三月三日。入学セレクション生選抜プログラム【黄金解法】初日──午前七時三〇分。

『──定刻通り、午前八時より、初日のエリア開放が開始されます』

 クラウドメールへ届けられていた通知を眺めてから、俺はそれとなく──。

「グッドモーニング、あり……なんだ、どうした? 顔色、あまり良くないぞ?」

 隣に立ち、同じように待機していた在歌へ、ほんの些細な世間話を振ってみた。

「……ずっと思ってたんだけど。気安く名前で呼ぶの、止めてくれない?」

「朝食は摂ったのか? それとも、朝は基本的に弱かったりするのか?」

「誰のせいで……だいたい、さも当然のように私の近くへ来たのはなんなの?」

「それは勿論、在歌と組むのを諦めてないからだよ」

 疲弊と警戒心に溢れた視線を受け止めつつも、同時に俺は、付近の状況も確認する。

 周辺に、俺や在歌をスカウトしようとする連中は皆無。本番当日というのもあるだろうが、大方切り崩すのは無理と判断して、ほとんどは別の奴と協力関係を結んだんだろう。

「俺も、できれば昨日の段階で決めたかったんだけどな」

「……さんに迎合していれば、その願いも叶ったでしょうに」

「なんか勘違いしていないか? 俺は養われたいだけで、贅沢をしたいわけじゃないんだ」

「その二つに、大きな差異なんて無いでしょうが……じゃあ、もしも院瀬見さんがお金の話をしなかったら、君は受け入れてたの?」

「……ああ。は卓抜して可愛らしいし、自分からアプローチしてくれたから」

「院瀬見さん。顔も知らない貴女は、どうしてそうしてくれなかったの……」

「ほんとだよな……その世界線の場合、俺と在歌と琉花子でトリオを組んでたわけだし」

「そんなパラレルワールド無いからっ……私の加入を決めつけないで頂戴」

「ああそうだ、そういえば──昨日、ベッドで眠る前に在歌のことを考えてみたんだが」

「無断で考えないで。というかもう、静かにしてくれない?」

「思考まで強制できるようになったら、いよいよディストピアも近いだろうな」

 軽口を叩きつつも。俺は昨日に引き続き、芹沢在歌という女子に一歩、踏み込んだ。

「たぶん在歌は、独立した個として圧倒することに目的意識を割いている。それが何故なのかはどれだけ考えてもわからないが、とにかく、このプログラムでも一人で戦い、一人で成果を挙げ、一人で勝利の美酒に酔おうとしている──そこまで考えて、思った」

「……何を」「そう、上手いこといくか?」「…………」

 仏頂面のままの在歌に、俺はわざと、歯に衣着せない物言いをしてみた。

「私の能力に、不足があるって言いたいの?」

「まさか。ただ、本当に果たしたい目的のための選択肢を自ら狭めて、本質を見失っているかもしれない、というのが所感で──それだと、場合によっては落ちるかもしれない」

「言うに事欠いて、本質? 君と組むことに、どんな影響があるって?」

「固定観念を取り払ったうえで、第三者目線での意見は与えられるだろうな。ついでにエスプリに富んだコミュニケーションで、楽しませる自信だってある」

「……他人におんぶに抱っこを望んでいる君に、そんなこと言われたくない」

 朝っぱらから説教じみたことを言われ、しかも、その相手は自分に固執している、わけのわからない男。それら何もかもの構図が癪に障ったらしく、在歌はキッと睨んでくる。

「本音を言ってほしい。私を怒らせたいのか騙したいのか、実際はどっち?」

「どちらでもない。ただ純粋に、在歌のためになりたいと思っただけで──そうだな」

 こちらの意思をしっかりと表明したうえで、俺はこんな提案をした。


「在歌が良ければ──『一日目のエリア開放終了時点での資産額』で勝負しないか?」


 どれだけ口で頼んでも無駄だというのは、いっそ、痛いほど理解できた。

 よって……ここから先は、実力行使も辞さない構え。

「俺が勝ったら、明日以降は晴れて、俺と在歌でデュオとして戦っていく。逆に在歌が勝ったら、望むようにすればいい。二度と視界に入るなと言うなら、涙を呑んで従おう」

「…………勝負、ね」

「無論、断ってもいい。ただ……白黒付けるって話をするなら、悪くない提案だと思うぞ。プログラムの趣旨に則っているんだから、別の負担だってかからないはずだしな」

「その約束が、破られない保証は?」

「学園側が、ご丁寧にも『契約』なんてギミックを作ってくれているだろ?」

 俺はすぐさま、自分の端末の画面を在歌に見せ付けた。

 起動されているのは当然、セレクションプログラムのためのアプリケーション。

 その、一端。受験者間で個別に取り決めるための、契約締結画面が表示されている。

 ……こんなギミックを搭載しているのは、チームとチームのぶつかり合いの場を整えるため、なのかもしれない。契約というシステムによって得た正答報酬金の等分を担保できるし、内容によっては裏切りの芽も潰すことができる。何にせよ、鍵になりそうな要素だ。

「俺の方の条件はさっき言った通りだが、逆に在歌は、いくらでも追加していい。『自分が勝ったら俺の今日稼いだ正答報酬金を全額よこせ』なんてのも全然アリだし、受け入れる。とにかく、今回の勝負における契約内容の調整をしたいなら、俺は拒まないよ」

「……」子細を聞いた在歌は、十五秒ほど思考するための時間を取っていた。

「君が負けたら、プログラムから自主的に降りて──とかは?」

「い、言っただろ? どんな条件でも、構わないと」

「どこか動揺しているように見えるのは、私の気のせいかしら……とはいえ、そこまでは求めない。ただし、さっき君が話したように、私に対して接触することを禁じる。一切の勧誘を認めないし、コミュニケーションも、もっての外」

「それだけで良いのか?」「人の謝罪なんて、好んで見たいものじゃない」「……OK」

 在歌からの参加の意思を確認した後、アプリケーションを操作する。契約内容の共有を行い手続きを進めていくと、事務局側からの最終確認画面が表示された。

 で──最後にもう一つ、やらなくちゃいけないことが残ってるよな?

「そういえば、お互いとやらがあるんだったな」 順位は伏せるが、ライブラリを見た限りだと在歌は、体力考査では奮っていなかった。

 250万と、500万。

 このまま契約が締結された場合、俺が有利な状態で勝負が始まることになるが……。

「わざと触れなかったんじゃないの? ……別に私は、このままで良いけれど」

「卑怯なトラップを許容できるだけ、勝算があるんだな──大丈夫だよ。俺はそんなこと考えてないし、何より、もっとをするから」

 単に勝つだけなら、このまま、彼女の慢心をも利用して進めてしまえばいい。

 だが……俺が今回の勝負で得たいのは、そんな、ミリ単位で決する勝利じゃない。

「…………これ、どういうつもり」

 しゃらん、と。露骨な電子通知音は、在歌の端末から鳴っていた。

「どういうつもりも何も──

 500万。在歌の元々のアドバンテージを足すと、合計750万。

 敵に送る塩代にしては膨大な額を、たった今、芹沢在歌の口座へ送金してやった。

「……どれだけ私の神経を逆撫ですれば、君の気は済むの?」

「逆だよ。この送金は、在歌に対する真摯さの表れだと考えてほしい」

 拳を握りしめ憤怒を露わにしていた在歌に、俺はあくまで、冷静に語っていく。

「お前はまだ、ぐまどうの魅力を理解できていない。そして、どれだけ口で説明しても、考査結果の順位をひけらかしても、たぶん在歌は、納得しないよな? ……だから、させることにした。勝利を見せ付け、俺という存在を結果でプレゼンする。だったら、単純に資産額で上回るだけじゃ、そんなもんじゃあ足りないだろう?」

 そして。どうせやるならできるだけ派手に、当事者として関与してもらいたい。

 ……リスクを負ってでも、今の俺はハイリターンを望んでいたという話だ。

「ああ、そうだ。無いとは思うがドローは、在歌の勝ち扱いで構わないからな」「……」

 俺が強めの口調で押し通したからか、もしくは、俺の排除を優先しようと考えたのか。

 いずれにせよ、契約の締結が妨げられるようなこともなく、きっちりと結ばれた。

「さ、時間だな──お互いに、健闘を祈ってるよ」

 がらがらと、豪奢な正門が開かれる音が響くと、受験者たちは一斉に移動を始めた。

 そして、その波にお互いが紛れ込む直前で、在歌は俺に宣言してくる。

「私が勝って、一番になる。君にも他の人にも──誰にも、負けるつもりはない」

 言い終えると、彼女の姿もまた、受験生の喧騒の中へ紛れていった。


 ──Do or Die.

 わかっているよな? 獅隈志道。この局面は、勝利以外の結果は許されない。

 そして──在歌。俺は、お前をしている。掲げた主張は本音で、単身でプログラムに臨もうとする。ひたむきに、問題を解くことで資産を積み上げようともするだろう。

 ああ、それでいい。それが、いい──。

 、俺は在歌に、勝つことができるんだから。


『契約対象者:受験者識別番号18:芹沢在歌×受験者識別番号42:獅隈志道』

『契約内容:両者は入学セレクション生選抜プログラム『黄金解法』の一日目終了時点で自らの現在資産額を開示し、その際の資産額の多い側を本契約上の勝者と定める。

 勝者側の要望を敗者側は速やかに受け入れ、上記が破られた際は選抜プログラムの禁則事項に抵触した際と、同等のペナルティが適用されるものとする。

 また、現在資産額が同額の場合は芹沢在歌の勝利として扱う』


     $


 やってしまった……というのが、素直な感想だった。

 売り言葉に買い言葉で勝負を受けて、私が負けたら、彼──獅隈志道君と、協力しなければいけなくなる。そんな状況に、自ら身を置いてしまった。

 もう少し、慎重になるべきだったのかもしれない。というよりそもそも、私の立場からすれば彼からの申し出を、律儀に受ける必要すらなかった。徹底的にスルーして、存在ごと無いモノとして扱うこともできた。可哀想だけれど、でも、選択肢は確かにあった。

 ……無理矢理にでも、理由を付け加えるなら。たった一日の短期決戦で、それも、彼個人を上回れないようなら、それはつまり、私の実力が足りていないということになる。

 そんなの許されない。私はこの学園で、圧倒的な存在にならなくちゃいけない。

 私ののためには、一瞬だって立ち止まってはいけないのだから。

 だから、相手が誰であろうが、プログラムの趣旨に則っているならば、捻じ伏せてしまえば良いだけの話で──ダメだ。どう頑張っても、言い訳にしかならない。

 そう、結局は簡単な話で……獅隈君に、少し腹が立った。

 彼はどうかしている。入学セレクションという戦場に置かれても何一つ緊張していないようだし、むしろ女の子と、積極的にコミュニケーションを取ろうとしている有様。

 あまりに呑気で──でも、そこまでは良い。個人の価値観の違いだし、まだ許せる。

 問題は、この学園に来た理由の方。

 交際相手を探すって? 恋人に養われたい? 私が、その候補に躍り出たって?

 ……馬鹿馬鹿しすぎて、乾いた笑いが出そうになる。そんなの、ここでしないで。

 それに──もっと私が気に食わないのは、彼の雰囲気だった。

 言っている内容はくだらないのに、彼本人に対して、そこまでの不快さを抱けない。顔立ちが整っているから、危ない場面を助けてくれたから、そんなことで結論付けられれば楽だけど、私が彼に感じた違和感は単純なものじゃなくて、もっと複層的なものだった。

 どこか、強い意思を感じてしまう。一朝一夕で培った考えじゃなく、何かによって、彼の言動は支えられているような気がする。だから、女性に養われたいという言ってしまえば低俗な夢の話でも、途中で離席できずに最後まで聞いてしまった。

 ……ただ不快なだけの存在でいてくれたなら、こんなストレス抱えなくて済んだのに。

 私は、一条の揺らがない決意だけで、動かなきゃいけないはずなのに……。

「おっ、あったあった!」「これで五問目だよな? ナイスナイス」

 中央広場に着くと、他の受験者の人らが手分けして問題を探している様子が見えた。

 ……これだけ思ってなんだけれど、私の悩みの種は、獅隈君だけじゃない。

 問題──そう、問題だ。

 乱暴に言うと、私たち受験生に与えられた課題は問題を探して、それを解いて、名目上の資産を稼ぐだけ。実際のお金を扱うわけでもなければ、専門的な知識を問われているわけでもない。部分部分を切り取れば、ポイント集めゲームをやっているようなもの。

 このプログラムで、学園事務局側は、受験者のどんな能力を測っているんだろう。

 意図的に、受験者側の金銭感覚をちょうじゃばら学園へとフィットさせようとしてる?

 ……それなら、別にこんな手段じゃなくていいはず。

 お金を扱ううえで最低限の教養は必要だから、それを見極めようとしてる?

 ……なら、学力考査だけで充分。第一、それにしては例題が簡単すぎるし。

 とにかく、このプログラムの本質がどこにあるのかが解せなくて、たかつかさ先輩から聞いていた学園の教育方針と、いまいち噛み合っていないような気すらしてしまって……。

「──本当に、こんなところにあるんだ」

 何気なくベンチ裏を覗くと、カードが貼り付けられていた。剥がし、確認すると──プラスチック製のそれには問題文や問題番号、正答報酬金の額の情報が記されている。

『№204・以下の条件の時、△ABC≡△ABDを証明せよ・正答報酬金:150万円』

 内容は、数学の証明問題だった。中学までの知識だけで解決する、その程度の問題。

 ……回収だけして、後でまとめて解答するのが楽だし、効率的ではあるけれど。

 でも、獅隈君との勝負がある以上は正答報酬金を計上する必要があるし、何より、一つの問題に対して隠されている問題カードが一枚だけという保証も無い。複数枚以上隠されているケースを考えても、解けると即座に判断できたなら、解いてしまうべき。

 それで……Q.E.D.へと至るまでの過程が、なんとなく安心する。

 そうだ。始まった以上、余計なことを考える暇は無いはず。

 私はただ誠実に、ルールに則ったうえで、プログラムへ向き合えば良い。

 どんな時も全力を注ぐ。ボードゲームにおける最適解を選ぶように、正答し続ける。

 そうすれば、獅隈君はおろか──他の誰にも頼る必要なんて、無いのだから。

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