第13話 彼の無事を願う

 



「おお、お前がナナか。会いたかったぞ」


「誰……?」


 今でも鮮明に思い出せる。

 中学生に上がったばかりの頃、突然父親から同じ年頃の男の子を紹介された。その男の子は白髪で顔もイケていたけど、何故かナナは嬉しくなかった。


 この男の子は危険な存在だと、本能的なものが訴えかけていたからだ。


「この指輪をナナに預ける。次に儂と会うまで、肌身離さず身に着けておくのじゃぞ」


 突然そう言われて、一方的に男の子から指輪を預けられた。まさか、あの指輪が婚約指輪だなんて思いもしないだろう。

 男の子と会ったのはそれっきりで、今まで存在自体忘れかけていたぐらいだ。


 だけどつい先日、父親から唐突にこう告げられた。


「ナナ、前に会った白髪の男の子を覚えているか?」


「うん、なんとなく」


「お前は近々、あの男の子と一緒にいることになる。覚悟はしておけ」


 覚悟って何だ、なんの覚悟だと怖くなった。

 詳しく聞こうとしても父親はそれ以上話してくれなくて、段々怖くなって夜もろくに眠れなかった。


 ついに男の子と会う日が決まってしまい、ナナは逃げ出した。

 買い物に行くと言って、帰り際にボディーガードの監視を掻い潜って脱走したのだ。


 ボディーガードから逃げている途中、道角で誰かとぶつかってしまう。

 その相手がおじさん――津積比呂だったのだ。



「助けておじさん、あの人達に追われてるの!!」



 ボディーガードに追いつかれたナナは咄嗟に比呂に助けを求め、比呂は断ることなく助けてくれた。



「ふふ……あの時のおじさんは頼りなかったなぁ」


 あの時のことを思い出して、少しだけ瞳の輝きを取り戻したナナ。


 俺に任せろと言わんばかりのやる気だったのに、普通に殴り飛ばされてしまったのだ。あっこれは助けを求める相手を間違えちゃった……と残念な気持ちを抱いた気がする。


 だけど比呂は、その後にボディーガードを倒してくれて、後からやってきた兄も追い払った。自分を渡すだけで百万円を手に入れられたのにもかかわらず、兄を殴って札束を叩き返したのだ。


 それを側で見ていたナナは、比呂を信用することにした。

 この人なら、私を助けてくれるかもしれないと。だから勇気を振り絞ってお願いしたのだ。



「私のボディーガードになって」


「なんやて?」



 比呂はなんだかんだ言いながらお自分のお願いを聞き入れてくれて、一晩家に泊めてもらえることになった。初めて男の部屋に入る時はドキドキしたけど、余りにも汚くて乙女の純情は一瞬で砕かれた。


 それからお風呂を借りて――ユニットバスだったのは驚いたけど――、初めてカップラーメンを食べてから、改めて自己紹介をすることに。


 比呂は仕事もしておらず、服の山に埋もれているスーツはボロボロのしわくちゃで、就活する気もないようだった。


 赤の他人がそれ以上とやかく言うこともないとナナはこれ以上追及せず、今度は自分のことを話した。改めてボディーガードを頼んだのだが断られてしまう。


 寝ることになりベッドを譲ってもらえたけど、比呂のことが気になって眠れない。自分がどうして家出したのか気にならないのかと尋ねたら、興味ないと一蹴されてしまった。


 そんなもんかと気が楽になってからは、すぐに眠れた。それも、今までにないぐらいぐっすり眠れて、気持ちの良い朝を迎えられたのだ。



「ただの食パンだったのに、すっごく美味しかったなぁ」



 朝食には焼いた食パンとたまごとハムが出てきた。当然サラダはない。

 食パンが凄く美味しかったからどこのパン屋で買ったのか尋ねてみれば、スーパーでどこでも帰る安いパンだと教えられる。



「親の愛情が詰まった手作り料理とか、誰かと一緒に食べるご飯とか、理由なんてそんなもんだ」



 比呂にそう言われてはっとした。

 ナナは母親から弁当を作ってもらったことは一度もない。それどころか、家族とろくに食事したことさえなかった。


 家では広い部屋の中に一人きりで食べ、学校では同級生と食べていたが、西園寺家に取り入りたいのが目当てなのがあからさまで、全然楽しくもないしご飯も美味しくなかった。


 どんな高級料理よりも、比呂と食べるカップラーメンやスーパーの食パンの方がずっと美味しい。


 誰かと一緒に食べる食事がこんなにも楽しくて美味しいなんて知らなかった。

 そんな楽しい朝食を終えて、もう帰れと言われたナナは比呂にお願いする。



「ねぇおじさん、私とデートしない?」


「やだよ面倒臭ぇ」


「ねぇお願い、一生のお願いだから! 私、男の子とデートするのが夢だったの!」



 ナナは幼少の頃から徹底的に男を遠ざけられてきた。

 学校はずっと女学院。どこに行こうもボディーガードがついてきて、男と接触しないように見張られる。


 ナナだって年頃の女の子だ。男の子とデートの一つや二つもしてみたいものだろう。だがその夢は西園寺家の事情で叶わなかった。


 どうして男の子と会っちゃ駄目なのか父に聞いても、理由も教えてくれず突っぱねられてしまう。その代わり服でも何でも好きな物を買っていいと言われたが、一度だけでもいいからデートをしてみたかった。



「だったら他に相応しい奴がいるだろ。こんな三十でダサい中年よりも、もっと若くてイケメンの男の子とデートしておけって。夢だってんなら尚更な、後で後悔しても知らねえぞ」


「う~ん、私もそうしたいのは山々なんだけど、この際だからおじさんで妥協してあげる」



 デート相手に選んだ比呂は男の子って歳でもなくおじさんだったが、信用できる彼ならば構わない。何より、比呂とのデートは楽しそうだった。


 いやいやながらも比呂はデートを承諾してくれて、人生で初めてのデートがスタートする。



「おじさんが食べさせて」


「えぇ~」


「いいじゃん、デートっぽいことしようよ! お願い、一生のお願いだから!」



 比呂とのデートは、今まで生きてきた中で一番楽しい時間だった。


 初めて電車に乗って、六本木で比呂の髪をスタイルしつつ自分もオシャレにしてもらって。


 お互いに洋服選びをして、竹下通りでクレープを食べたり食べさせ合ったり、二人でプリクラを撮った。

 ゲームセンターでユーフォ―キャッチャーして、カラオケで歌って、ボウリングだってした。


 ナナが男の子とのデートでやってみたかったことや想像していたことを全部できたし、想像以上に楽しかった。


 このままずっと、時間ときが止まってくれればいいのにって心の底から思った。


 だけど、楽しい時間ほどあっという間に過ぎ去ってしまうのが世の常である。



「本当はね、こうしてデートしたり、自由に色々な所に行ってみたい。海外とかにも興味があるんだ」


「行きたきゃ行っちまえばいいじゃねぇか。海外だろうが宇宙だろうがよ」


「そうしたいけど、そういう訳にはいかないんだ……」



 ナナには自由がない。

 行けたとしても都心部周辺までだし、毎回ボディーガードがついてくる。日本全国を旅してみたいし、海外にも行ってみたい。

 だけどナナは、一人で自由に動くことを父から制限されている。


 どこへだって行きたいのに、どこにも行けないのだ。



「ところで、この後はどうすんだよ。これでデートは終わりか?」


「最後にもう一か所だけ付き合ってもらっていい?」



 そう言って、ナナは比呂を連れて六本木のスーツ店を訪れた。

 自分の我儘に付き合ってくれて、楽しい時間デートを与えてくれた比呂にせめてもの恩返しがしたかったのだ。


 いじけた顔で頑なにスーツを受け取らない比呂に、ナナはこう告げた。



「おじさんがどうして無職なのか、働こうとしないのか私にはわからないし、聞く気もないよ。でもねおじさん、今のままじゃダメなんだよ」


「……」


「腐るのは簡単だよ。でもね、大切なのはそこから一歩踏み出す勇気だよ」



 意を決してボディーガードから逃げたように、比呂にも一歩踏み出してほしかった。

 だってあの時、一歩踏み出せたからこそ比呂と出会えたし、今までの人生で一番素敵な時間を過ごせたのだから。



「辛いこともあるだろうし、理不尽なこともあるだろうけど、おじさんなら大丈夫だよ。今日おじさんとデートしたこの私が保証する。絶対上手くいくから」



 比呂にもナナには理解からない辛さがあるのだろう

 ボロボロでしわくちゃなスーツを見れば、彼が努力した形跡は窺がえる。それでも上手くいかなかったのだから未だに無職なのだろう。


 でも、比呂には諦めないで欲しかった。

 だって比呂は困っている人を助けられる良い人で、やればできるカッコいい男だとナナは知ったから。


 だから彼にこう言うのだ。



「だからいつまでもいじけてないで、頑張れおじさん!」



 お尻を叩きながらそう応援すると、比呂は突然大きな声で笑った。

 スーツのお礼だと言って指輪をくれたのも嬉しかったし、指輪を交換したのも結婚みたいで嬉しかった。


 だが、夢のような時間は終わりを告げてしまう。



「やっと見つけたぞ、ナナ」



 居場所がバレてしまったのか、兄が現れた。

 年貢の納め時という訳ではないけれど、もうこれ以上我儘は言えない。しかし兄のもとへ行こうとしても身体は震えて足が動かず、無意識のうちに比呂の服の裾を握っていた。


 すると比呂が、自分を守るように前に出てこう言ってくれたのだ。



「悪いけどよ、ナナには“今日一日デートに付き合う”って約束してんだ。だからまだ帰す訳にはいかねぇ。明日にでも出直してきな」


「おじさん……」



 嬉しかった。

 比呂が自分を庇ってくれるのが凄く嬉しかった。


 しかし、そう言われた兄も引き返す訳もなく、唐突にサツキが現れた。

 サツキは西園寺家に仕えるメイドで、ナナも子供の頃からよくしてもらっている。ほったらかしの家族に比べて、唯一親身になってくれた人だ。


 そんなサツキが比呂と格闘漫画みたいなバトルを繰り広げた時は驚いたが、刀を出した時はもっと驚いた。


 その上、比呂が五階から突き落とされた時は心臓が飛び出そうになる。



「おじさん!」



 ナナはその場から駆け出し、急いで階段を降る。転んでもすぐに立ち上がって、比呂のもとへ向かった。


 比呂は無事だった。

 五階から落ちたのになんともないような顔で、呑気に「大丈夫か?」と聞いてくる。それを言いたいのはこっちの台詞だが、比呂が無事ならもうそれでいいやと考えるのをやめた。


 比呂も頼りになるし、今日だけでも一緒にいられるかもしれないと淡い希望を抱いたその時。


 希望をいとも簡単にぶち壊すように、あいつが現れた。



「おやおや、手を込まねいているようだのぉ」


「「――っ!?」」



 白髪の男の子だった。

 数年前に会ったあの日から、見た目が一切変わっていない。やっぱりあの男の子は普通じゃない。



「ハジメや、儂のナナをかどわかした者はあの者か?」


「は……はい、そうです」


「そうかそうか。ではあの者には罰として死んでもらうとしようかのぉ」



 それから、ヌシ様による暴力が始まった。

 あんなに強くて頼りがいがある比呂が、手も足も出ず一方的に打ちのめされてしまう。


 このままじゃ自分のせいで死んでしまう。

 居ても立っても居られず、ナナは飛び出した。



「待って! もうやめて!」


「ナ……ナ……」


「お願いだから、言う事を聞くから……おじさんを殺さないで」


「ふむ、よかろう。ナナがもう儂から逃げんと言うのなら、その者を生かしてやってもよいぞ」


「うん、約束する」


「馬鹿……野郎っ。俺のことなんか気にすんじゃねぇ。約束……しただろ、今日一日お前のデートに付き合うってよ」



 こんなにボロボロになってまで自分を守ろうとしてくれるのが嬉しくて……申し訳なくて涙が出てくる。

 せめて笑顔でお別れしようと、ナナは無理矢理にでも笑顔を浮かべた。



「ありがと、おじさん。おじさんのお蔭で夢が叶ったよ。私なら平気だから、おじさんも元気でね。それから最後に、これだけは言わせて」


「おい、待て……最後ってなんだよ」


「いつまでも無職じゃ駄目だからね。ちゃんと就活して、しっかり働くんだよ」


「待てって言ってんだろ!」


「バイバイ、おじさん」



 こうして、ナナの二日間に及ぶ家出は幕を閉じた。



「おじさん……大丈夫だよね? 生きてるよね?」


 心配だ。いくら五階から落ちても平気なぐらい頑丈でも、あんなにボロボロになって大丈夫な訳がない。血だって見たことないぐらい出ていたし。


「あっこれ……」


 比呂を慮るナナは、ポケットの中身からある物を取り出す。

 それは比呂と一緒に撮ったプリクラだった。プリクラには可愛くピースしているナナと、ぎこちなくピースしている比呂が映っている。


 そして二人の上には、ナナが書いた『初めてのデート』。


「うっ……おじさん……」


 ポロポロと涙を流すナナは、比呂と撮ったプリクラを抱えて彼の無事を願うのだった。

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