臨愛

ふみその礼

第1話  はじまり

 

                  1


 美山サナミは、メイク用品の会社の経営企画部でマーケティングリサーチ室に配属されて半年が経つ。配属されてほどなく直属の室長の里崎光司のユニークな行動が気になるようになった。

里崎は、誰かに何か頼みたいことがあると、椅子に掛けたまま声を出すのではなく、まず、すっくと立ちあげる。そして、それぞれのデスクでパソコンに向かっている皆の顔を見る。部屋に10人ほどいるスタッフ。全員がそれに気づくけど、顔を上げて里崎を見るのは、ほとんど女子社員。男性社員はチラっと目を向ければいい方。気づいても無視してる奴もいる。

 サナミは、すべての動作を止め、まっすぐに里崎を見る。だから自然里崎の視線はサナミに止まる。里崎はそこで少し首をかしげる。それも彼の癖の一つだ。

「ウチのベースメイクブラシとフェイスブラシ、3年前くらいから売り上げの変化をグラフに出してみて」

「3年も前からですか?でも、どうして?」

「広島県のふるさと返礼品に、ベースメイクブラシ出てるんだけど、それがね…」

 里崎はサナミの横まで来て自分のスマホを見せる。

「ほら…」

「ほんと、ウチのブラシにそっくりだ…」

「だろ?値段はかなり違うけどね。売上、数字だけでも出ない?」

「ああ……確かに、急に上がってる時ありますね」

「あっちがいつ出たのかも調べなきゃいけないけど、たぶん、間違いなく、返礼品の影響はあると思う」

 里崎は、サナミの頬の横でスマホの画像を繰りながら続ける。

「返礼品のカタログでこれを見る。使ってみたいと思う。本物は高いけど、売り場には、同じに見えるけど安いものがある。とりあえず買ってみるよな…」

「それ、有りですね」

「だろ?」

「乗っかり商法ですね」

「ウチが乗っかったんじゃない。消費者が乗っかったんだ」


 里崎は、室長として非の打ち所がない。とサナミは思っている。およそハラスメントの類には縁がない。誰にでも平等に誠実に接する。ただ、その分、強力な統率力に欠けるかもしれない。室内で室長に物足りなさを感じ、自分の方が上じゃないかと思っているスタッフが男性で2人、女性で1人いる。でも、サナミにとっては最高の上司だ。ここでの仕事にやりがいと幸せを感じている。

 里崎は外見も悪くない。背も高いしイケメンだと思う。ただメガネをかけている。

この点について、サナミのランチ仲間、橋口ユキと意見が分かれる。ユキはメガネの男性に恐さを感じるという。サナミは真逆で、メガネの奥に優しさを見てしまう。

 女性スタッフ5人の中で唯一の既婚者丸山の情報によると、里崎は独身であるらしい。女性スタッフ2人は交際相手がいる。ユキはタイプじゃないらしい。ということで、室内で誰に遠慮することもなく里崎に恋心を抱けるのはサナミだけなのだ。


                 2


 コロナのおかげで、忘年会、新年会などという社内の無益なイベントは消滅した。

だからサナミの場合オフの付き合いはほとんどない。職場の橋口ユキとも微妙に感性のずれがあり、ランチ以外に外で会うような友達感覚はない。友人と言えるのは、学生時代からの腐れ縁仲間だけだ。そいつらも、それぞれの生活があり、だんだん疎遠になってきてる。もともと人付き合いは疲れるし、これでいいや、自由が一番、とサナミは思っている。

 5月の連休が過ぎて、人々が落ち着きを取り戻してきた、ある日曜日だった。サナミは一人繁華街で夏服の買い物をして、喫茶店のテラスで足を休ませていた。

まだ湿度が低いので、街路樹をそよがせる風が気持ちよい。夏は何処か行きたいなあと思いつつ、古い友の顔を思い浮かべるが、どの顔にも△マークがつく。誘われれば行くけど、自分からは誘えない。サナミはそういうタイプなのだ。

 自然、あの人…里崎のことが頭に浮かぶ。「こんな日曜日、今頃何してるんだろう…」何も想像できない。趣味とか聞いたことないし。仕事の話以外したことない。

独身であれば、彼女さんはいるのだろう。あんな優しいタイプだし……。

「ええい!やめた!」サナミは自分の気持ちにフタをするのは早い。足元の紙袋を束ねて持ち、喫茶店を出て最寄りの駅に向かった。


 地下鉄の乗っていると、一つの吊り広告に目がとまった。新装したプラネタリウムの広告だった。プラネタリウム…小学校の時以来行ってない。

「プラネタリウム」というワードは日常目に入ってるはずだけど、心にとまったことがない。でも、その日は、何か「今日は、気持ちのいい思いをして帰りたい」という部分につながった。

次の駅で降りて、ロッカーに荷物を置き、スマホで場所を確かめてプラネタリウムに向かった。

 銀色の巨大な球形が目立つプラネタリウム。入場券を買って時間を確かめると、次の開演まで15分ほどある。サナミはうす暗い待合室に入って行った。


                 3


 待合室は3列の横並びの椅子がある。二人連れがいる。親子もいる。空いている空間を探して歩を進める。そこで…………足が止まった。

な、何⁉…………え?…………里崎さん?

列の一番前で足を伸ばし、腕を組み椅子にもたれて目を閉じている男性。間違いない。室長の里崎だ。うつむいてスマホをいじってる人が多い中、この姿勢が、すでに目立つ。何をしてる?いや、そりゃ、開演を待っているだけだろう。いや、あれだよね。きっと彼女さんがお手洗いから返ってくるのを待ってるんだ。そうに違いない。すぐ離れなきゃ、見つかる前に。二人の後ろの方でこっそりプラネタリウム見て帰ればいいんだから。

で、でも……………………わたしの、足が動かないのは、何故?

里崎さん、自分の世界に入ってる感じ。女の勘だけど、今の、この里崎には、女の影が見えない。サナミはただ立ちつくしていた。飼い主が目を開けるのを、かしこまって待っている犬みたいに。

逃げるなら今…すべてを諦めるなら今…人生を決めるのは、今この時かも…それはちょっと考えすぎか………。でも………でも、この出会いは、ひょっとしたら、何かのお導きかも………。

 サナミはスマホを出し、起動して時間を確かめた。スマホを閉じ目を上げた時……

げ!!………………里崎が目を開けてこちらを見ている。久々に聞いた。自分の耳に届くほどの胸の鼓動。

「あれ?美山さんじゃない………」

「しっちょう~」職場モードで応える。それしかない。

「何してんの?っていうか、プラネタリウムだよな………でも、お連れさんは?一人じゃないんだろ?」

「いえ、私一人ですよ。こういうのは一人で見るタイプです。しっちょうこそ、お連れさんいらっしゃるんでしょ?」

「いやあ、僕も一人だよ。気づかいなく楽しみたいんでね。でも、ふう~ん……美山さんにこんな趣味があると思わなかった」

「合いますねえ………」

「合うねえ………」

今さら、小学校以来プラネタリウム見てないなんて言えない。自分から「合う」なんて言って。しかも、もうきっちり隣に坐ってる。ノリで生きているサナミだ。

「新装なんですよね。このプラネタリウム」

「うん、投影機が新しくなったんだ。ずっと来たかったんだけど、やっと来られた」


 開演時間が来て上映室に入る。当然隣に坐る。恋人みたいに。ちょっと緊張する。

ゆっくりした夕焼けから始まって、宵の明星の解説があり、やがて春から夏への星空が広がり始める。自分の記憶にあるよりずっと美しい。「これは東京近郊の星空、これが奥多摩辺りに行って、もし人口の光がないとしたら、さあ、行きますよ……」

解説者の言葉の後、一瞬にして満天の星、銀河が広がる。二人は一緒に「わあ…」と感嘆の声を上げる。心の琴線が触れあった感じがする。来てよかった。なんて偶然なんだろう…ここで一緒に星空を見られるなんて。何か…不思議な、はかり知れない何かが動き出してるような気がする。

 こと座のベガ、わし座のアルタイル、白鳥座のデネブが描き出す夏の大三角が見える。織女星ベガからはデネブの方が近く、彦星アルタイルは離れている。しかも二人の間には大きく深い銀河の流れが。困難な恋であるほど恋は燃え上がる。そんな妄想に浸りつつ、美しい星空を見上げ、楽しい解説を聞いている内にプラネタリウムの上映は終わった。途中一度だけ、里崎がメガネを外した。メガネを取った里崎を見たことないので、サナミは「あっ…取った」と思い横目で見た。里崎はハンカチで目元を拭くような仕草を見せ、すぐにメガネをかけてしまった。素顔は見れなかった。


                  4


 外に出ると、うっすらと夕暮れがせまっている。里崎がさりげなく問う。

「この後予定は?」「いえ、別に…」「じゃあ、食事していこうか…」

「いいですけど、あっ…あの…」「何?」「駅のロッカーに荷物が…」

「ああ…パーキングもそっちの方だから、一緒に行こう」

「車なんですか?」「うん…」

 地下パーキングに着くと、鈍い光を放つ黒い車が待っていた。丸が四つ並ぶマーク。車に詳しくないサナミにも、それが外車であることは分かる。助手席に坐ると、なんか匂いが違う。皮の匂いかな…それにフカフカ感が…柔らかすぎず、包み込む感じ。実家の車とは全然違う。変な物置いてないし。ボタンを押すと一瞬で暗闇にインジケーターの光が浮かぶ。「御主人様、お待ちしておりました」感がある。

「すてきな車ですね…」

「いやあ…僕は、あまり車にこだわりなくて。車は所詮道具だから…」

 前照灯が駐車場の隅々まで明るく照らし出し、車は何の音もなく滑るように動き出した。


 車内では、やっぱり今見てきたプラネタリウムの話になる。サナミは、小学校以来見ていないというボロが出ないように聞き役に回る。

「僕が星好きになったのは、お祖父さんが、那須に別荘を持っててね…」

べ、別荘⁉…サナミの中では、お金持ちカテゴリーの言葉だ。

「そこで、小さい時に見た、降るような星空が忘れられなくてね…」

「そうなんですね…」

「地上に光がない、そういう本当に暗い星空は、不思議なんだけど、見てるうちに、空がだんだん明るくなってくるんだ。自分が星に近づいて、それと一体になるような、そんな感じするんだよね…」

「ああ…なんか分かるような気がします」

「天体望遠鏡も使ってたけど、それ覗くのは初めのうちだけで、いつも、最後は草の上に寝そべって、ただ、星を見上げてた。星空と、自分が、一緒に動いているのを、体で感じながらね…」

「……………………」

「地球上のほとんどの地域は、満天の星空が見えてるんだよ。でも、なぜか人間は、人口の光で星が見えないわずかな地域に好き好んで住んでるんだ…」

「……………………」

「おかしいよね……」

「そうですね………」


                  5


 車は、商業施設も入った大きなタワーマンションの地下駐車場へ入って行った。駐車場内をくるくる回ったのに、里崎は、降りた場所から何の迷いもなくエレベーターホールに向かう。来なれてる感じだ。15階のボタンを押す。目の前で、外の夜景が下へ遠ざかっていく。

エレベーターの扉が開き、降りたその場所にあったのは『王鶴楼』という店名を掲げた高級中華料理店の玄関ホールだけ。自動ドアの前に立つと、すぐに入口の陰から、蝶ネクタイをした支配人らしき人が飛び出してきた。

「里崎様!ようこそ、お久しぶりです」

「様」って言ったよね。何様なの?でも、かしこまってなくて、すごく親しみのある言い方だった。

「えっ?ついこの間来たと思ったけど…」

「いいえ、今年初めてですよ」

「そうだったかな…」

「どうぞ、奥の部屋空けてあります。お待ちしておりました」

 入った「奥の部屋」はとても広い。なのにテーブルは一つ。そして夜景がすばらしい。サナミは夜景好きなので、すぐに窓際へ行きたかったけど、里崎が平然と夜景を背に坐り、振り返る気配もないので、気持ちを抑え、黙って里崎の前に坐った。

 だんだんサナミの中で、「思ってたんと違う」感が高まってきた。外で食事となると、焼き鳥や焼き肉のケムリが思い浮かぶサナミにとって、まったく予想外の展開。それに、さっきの「里崎様」は何?

 二人の女性スタッフが簡単にテーブルを整えている間、里崎は少し離れて立つ支配人と雑談をしている。サナミは緊張してるのに、里崎は、何か自分の家のように寛いでいる。そして、サナミに目を向けて言った。

「僕はもちろんノンアルだけど、美山さんはどうする?何でもあるよ…」

「あっ、私もノンアルで。全然飲めないので…(嘘だけど)」


 ノンアルコールビールが、若干不似合いな大きなワイン風グラスで運ばれてきた。特に言うこともないので、サナミが「お疲れです」と言って乾杯した。

「美山さんは、ほんとによく頑張ってくれて、いつも助けられてるよ。いつかお礼をしたいと思ってたから、こんな機会があってよかった…」

「いいえ、私なんか、全然お役に立ってません。ようやく慣れてきたところです」

 職場では、上司なのに不思議と気楽に話ができる空気を持っている人。でも、こうして向かい合うと、少し緊張する。最初から気になってることを聞いてみた。

「こちらは、お馴染みのお店なんですか?」

「ああ……」里崎は言いよどみ、一度頷いてから、テーブルを指でトントンする。

「ここね、この土地、僕のお祖父さんの土地だった…」

「へえ⁉……」

「それで、相続の時、土地は売却して、父親が、このテナント部分のオーナーになったんだ。会社が8件。お店が12かな。マンション部分は別会社。まあ、子供の時から来てるから、それでお馴染みになってるだけなんだ」

「ふう~ん………」

「後、駐車場とか、マンションいくつかあるんで、父親は、その不動産管理だけで、結構忙しくしてるよ」

 ちょっとサナミには想像の及ばない世界。ビールを飲む手も止まってしまった。


                  6


 コロナの影響なのか、中華料理だけど回転テーブルじゃない。そんなに多くない量の料理が一人前ずつ運ばれてくるので気遣いがいらない。なにより箸で食べられるのがうれしい。最初緊張してたけど、だんだんほぐれてきた。

「わたし、いつも思ってることがあるんですけど…」

「あっ、何?何でも言って」

「ウチの爪やすりですけど、もうちょっとやすり部分の幅があってもいいかな、と」

「ああ…そうだね、結構狭いかな…」

「わたしみたいに不器用だと、案外難しくて、肩がこっちゃう…」

「ははあ…なるほど」

「それに、やすりの目も、もっと細かくてもいいかなと…」

「ああ…」

「粗い方の面なんて使ったことないし、これで何を削るの?って思ってます」

 里崎は声を出さず笑った。

「それに、あのとんがりは何故あるのですか?いるのかなあ…」

「ああいうものは、プロの道具に引きずられてる部分があるかもね」

「手元しっかり見てなくても使えるような、ユルイのがいいですね。わたしなんか、形はマルでもいい」

「丸⁉」

「スマホ見ながらのんびり削ってても大丈夫な、ゆる~い奴が欲しいです。それなら、たとえば高齢者でも使えると思うし…」

「なるほどね…ゆる~いやすり、のんびりやすり…」

「うっとりやすり…」

「うっとりやすり、か……」

 里崎はスマホを出してメモしている。


                  7


 その夜は、こんな風に楽しく過ごせた。二人の距離は確実に縮まった、とサナミは思う。でも、それは同じ職場で働く者同士の絆が深まったというだけで、そこに恋愛感情が芽生えたのかというと、正直そこまでは行ってない。「恋」という、苦しみを伴う熱病の予感はまるでない。サナミ自身が、自分の気持ちをつかみ切れていない。

それは、何よりも、目の前の、里崎光司という人が、いまだにからだ。

そう……初めから感じていたこと。この人、里崎光司独特の「透きとおってる感」は何処からくるのだろう、と思う。アニメでいうと、主人公達の後ろに立っている脇役の一人という感じ。存在感が薄いわけじゃない。自分から存在を拒否してる感じの存在感なのだ。

 ただ、この夜一つだけ確かめられたことがあった。それは、里崎が自分を見つめる目の優しさだった。サナミが話すときに、ひと言も聞き漏らさないようにじっと見つめてくれる。この夜のそれは、職場ではないものだった。

自分のワンルームマンションに帰り、ベッドに倒れこんで、あらためて、里崎のその眼差しを思い出してみる。あんな風に、自分を見つめてくれた人はいない。あれは、何?あの人のなのか、それともなのか………。わからない。でも、今夜胸の中では、オレンジ色のダイヤモンドがくるくるコソコソしてる。くるくるコソコソの内はいい。それがじゅわあ…と溶け始めたらヤバイかも……。


                  8


 翌日出社する。スタッフはほぼ全員来てたけど、サナミは里崎の前に行くと、里崎がこちらを見てくれるのを待って、声は一切出さず、口の動きだけで「ユウベハ、ゴチソウサマデシタ」と言ってみた。里崎はメガネの奥からそれを注視すると、読み取ってくれたみたいで、優しい眼差しに変わり、両目をゆっくり閉じてくれた。サナミも両目ウインクでそれに応える。これは親しいネコちゃん同士の挨拶の仕方だ。やっとネコちゃんレベルになれた。さあ、どうなるのかな…。




 









 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る