第8話 ここは居酒屋か

□ □ □

 

「本物の温泉は湯あたりしやすいんだ。気を付けろ」

 私は、気づいた時は浴衣を着ていて、布団の上だった。


 黑鴑がうちわで私の身体を仰いでくれている。


「きもちい~」

 自然の風が心地よい。


「おまえ、調子に乗るなよ。あと襟を正せ」

「見なきゃいいじゃないですか」

「そうはいくか。目がいくのは本能だ」

「死んでるくせに」

「肉体がないだけで生きているのとかわりない」

「そうなんですか?」

「そうだ。まあ、生きているうちは知る由もないだろうがな」

「なんかこうやってのんびりするのもいいですね~」

「おまえ、前から思っていたが思考にまとまりがないよな」

「そうですかね? そういえば、サクマさんの着物の色って黒ですよね?」

「そういうところだよ……」

 黑鴑は呆れた顔をする。


「なんで急に佐久間が出てくる」

「黑鴑さんが色に厳しいから。あれって、何色だったのかなって、思って」

「吾輩が欲しい回答が得られていないが……まあ、教えてやる。あれは、射干玉色だ」


「じゃあ、サクマさんの瞳の色は?」

「あれは、赤だ」

「赤は、赤なんだ」

「色に、興味があるのか?」

 私はうなずく。


「前は、趣味でたまに絵を描いてたので。色の名前はそんなに知らなかったですけど」

「そうか。おまえは想いの力も強いし、箱夢師に向いているかもな」

「ほんとですか?」

 なんだか嬉しい。


「今度、箱夢、見せてください」

「見せるって、夢の中身なら何度も見ただろう」

「え、いつ」

「なにか願ってみろ」

「そんなこと急に言われても」

 黑鴑が、パチリと軽く指を鳴らす。


 すると、目の前に新政の『6』が出てきた。

「なんだこれは」


 黑鴑が呆れた顔をする横で、

「ナンバーシックス!?」

 私は飛び上がって、今現れた日本酒の一升瓶に抱き着く。


「え、これ飲めるんですか? 飲めるんですよね? 本物? 転売品じゃない?」

「いやまあ飲めるが。そんなに嬉しいか?」


「嬉しいですよ。新政酒造のナンバーシックスは私の大好きなシリーズなんですけど、製造量が少ないし、人気だしで、なかなか手に入らないんですよ~ラッキー」

 あれ、でも今黑鴑は私に箱夢を見せたんじゃないだろうか。そうすると、

「これは、夢?」

「まあそうだ。だが吾輩の箱夢は精巧である。飲めばわかる」


 私は言われて、旅館の湯飲みを拝借して『6』を注いだ。

 既にいい香り。

 口に含むと、フルーティーな香りがいっぱいに広がって、その中に生酛ならではの豊かな味わいが広がる。


「これ、本物ですよ! 黑鴑さんも飲んでみて」

 振り返ると、黑鴑が笑っていた。


 私は、思わずドキリとする。

 こんな優しい顔も、するんだ。


「いや、我輩は飲めない」

「え、どうしてですか? お酒好きでしょ?」

「好きと決めつけられる理由がわからんが、まあ、嫌いじゃない。だが、その酒は我輩が創った箱夢だからだ」

「どういうこと?」

「箱夢の創作者は、自分の創った箱夢には触れられぬのだ」

「そうなんだ。もし、触れてしまうと、どうなるの?」

「消える」

「消えるーー? って、箱夢が?」

「そうだ。触ってみようか?」

 黑鴑が一升瓶に手を伸ばすので、私は慌てて瓶を隠した。


「そんな身を挺して守らずとも、冗談だ」

 どうやら黑鴑にからかわれたようだ。慌てる私を、黑鴑は「愉快愉快」と笑っている。


 悔しいけど、その顔がかわいくて憎めない。無駄に顔だけは良い。


「気に入ってもらって良かった。箱夢はこういうものを組み合わせて、一つの物語を創るんだよ」


「物語――というと、絵っていうより、小説に近いんですか?」


 私はまだ箱夢というものがイメージできていない。


「どうだろうな、映画とかのほうが近いんじゃないか? その人の望みを具現化するものだ。それはほとんど現実のような感覚を持ち、魂には実際に経験として刻まれる。それが、おまえの感覚で何に近いかは、吾輩にもよくわからん」


「でも、その箱夢って、誰が買うんですか?」

「あやかしとか、人とか」

「人がどうやって買いにくるんですか? 私、箱夢なんてものがあるなんて全然知らなかった。知っていたら、もっと早く箱夢のお世話になりたかったです」

「あまり宣伝していないからな。創れる量には限りがあるし」

「そういう物量の問題なんですか」

「そうだろ。吾輩が一人で創っているんだから」

「そうじゃなくて、どこへ行けば買えるのかとか、そのへんが気になるんですけど」

「吾輩の店、だ」

「それはどこに」

「幽現界だが」

「そこって、私も働けるんですか?」

「それは可能だが」

「じゃあ、よろしくお願いします」

「????は?」

 戸惑う黑鴑に、私はさっき温泉でナツメからもらった紙を広げて見せた。


「な」

 黑鴑はうちわを放り投げ、その紙をむしりとった。


「おまえ、どこでこれを」

「あなたの獏さんがくれたんです」

「ナツメが? おまえ、余計なことを」


 黑鴑が話しかけると、布団の傍らにナツメの姿が現れる。短パンで寝転がってマンガを読んでいる姿は、金髪であることをのぞいてその辺の小学生にしか見えない。


「だって、黑鴑さん従業員募集のチラシ持ち歩いているだけなんですもん。どっかに貼ったり配ったりしなくちゃ募集は来ませんよ」

「来なくていいんだ。募集は取りやめだ」

「それじゃあ約束がちがうじゃないですかっ。もう一人従業員を雇う約束だったでしょう。ぼく一人じゃ無理なんですよ。わかってます? 悪夢が出ればぼくが食べるしかないんですから、そのうえ夢の具を作って、箱夢の配達までなんて、とてもとても手が回りませんよ。最近は注文も増えてますし。それとも黑鴑さん自分で受注と配達しますか?」

「なにを言っている。吾輩にそんなことできるわけないだろう?」


 黑駑はそんなことは自分の仕事じゃない、とばかりにそっぽを向く。


「じゃあ、あめさん雇いましょ。きまりで」

 黑鴑はナツメに論破されたらしく、「ぐぐぐ」と何も言えずにいる。


 そんなことで、私は傲慢で横暴にして偏屈な箱夢師の元で働くことになった。でも、きっと今までよりは楽しい生活になる。そんな予感がする。


 そうなれば、俄然やる気が出てくる。

「それじゃ、黑鴑さんも飲めるお酒、頼みましょう。せっかく旅館にいますし」

 私が言うと、黑鴑が狼狽えた。


「は。おい、待て。この部屋は現界にある。飲み食いすれば料金が発生する」

「いいじゃないですか。私が奢りますよ」


 そう言う私に、黑鴑はムッとする。


「いいや、我輩が払う。女性に支払いをさせるほど、我輩は落ちぶれておらぬ」

「男尊女卑。昭和っぽ」

「んなっーー」

「あーそれ黑鴑さんが一番気にしているやつ。現界に関わる以上、ご時世に疎いのはいけないといつもこんこんと言ってますもんね」

「五月蝿い!」


 黑鴑とナツメのやりとりが面白くて笑ってしまう。

「じゃあ、喜んでご馳走になりますね」


 私は早速フロントに電話して、地酒と地物のおつまみセットを頼む。ナツメにはお子様ランチだ。


「えっと、それから〜唐揚げと、ノドグロの塩焼き。あ、串焼きもあるよ。じゃあ、ハツとカシラ、ねぎま、あとなにがいい? わかった。じゃあ、つくねも追加で。あ、全部塩で。はい、三本ずつ。あと、生ってありますか? 黑鴑ものむ? じゃあ、ふたつで。それからオレンジジュースと、あ、野菜がないよね。じゃあ、料理長おすすめの地物サラダで。とりあえず以上で。はあい、お願いします」


 振り返ると、黑鴑が呆れた顔をしていた。

「ここは居酒屋かーー」






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