第24話
ようやく家に着いた私は、ふらふらしながらコートのままリビングのソファーに横たわった。どうやらこの小一時間で急激に熱が上がってしまったらしい。顔は熱いし息も苦しい。経験からいってこの感じだと下手したら38度を超えているかもしれない。
薬を飲みたいけど今の私には薬箱を棚の上から下ろす力はなく、家族はまだ誰も帰ってきていないから誰かに頼むことも出来ない。
成す術もなく、いつのまにか私はそのまま眠ってしまった。
突然、おでこに冷たい感触を感じてハッとして目を覚ました。
「なっ、何すんの!?」
すぐ目の前にいたツグミを犯人と決めつけ、責めるように言った。
「熱あるんでしょ?」
おでこに手を当てると、指先にわずかに弾力のある布のような手ざわりを感じた。
ツグミは私のおでこに冷却シートを貼っていたようだ。少しばつが悪かったけど、お礼は言わなかった。
「なんで分かったの?」
「雨が部屋に入らないでそのままソファーに横になる時は、ピークに具合悪い時だから。最近調子悪そうだったし。ほらコレ…」
ツグミはローテーブルに置いていた風邪薬とグラスの水を差し出した。私はそれにもお礼を言わずに上半身を起こして薬を飲むと、また元の位置へと横たわった。
冷却シートの貼られたおでこに手を当て天井を見ていたら、昔のことを思い出した。
まだ私が幼稚園の頃、ツグミは多分小学校1年生だったと思う。ツグミが友だちと公園に遊びに行くのに、勝手について行ったことがあった。
ツグミたちに混じって一緒に遊んでもらっていると、しばらくしてその公園に5人くらいの男の子たちのグループがやって来た。
その子たちはツグミと同じクラスの男子らしく、ツグミと同じ顔をした私に気がつくと、新しいおもちゃを見つけたようにからかい始めた。
「なんだそいつ!お前のオマケみたいだな!」
突っかかってきたリーダーらしき子はとてもツグミと同じ歳とは思えない体の大きさで、小さい私には野生の熊のように見えた。
そんな熊をギンと睨み、ツグミは一人、男の子たちに歯向かった。
「雨はオマケなんかじゃない!雨はツグミの妹なんだから!」
「おんなじ顔してんだからオマケだろ!たぶん電池で動いてんだ!」
「おねえちゃん……」
私は恐くなってツグミのシャツの裾をきつく掴んだ。すると、熊はひるまずに笑いながらこっちに近づいてきた。
「ほら!たぶんここがスイッチだぞ!」
その時、突然素早い動きをして、ツグミの後ろに隠れていた私のおでこを熊がぺんっと平手で叩いた。
その瞬間、ツグミは熊を両手で突き飛ばし、背中から倒れた熊にまたがると殴りかかった。
完全に体勢が不利な熊だったけど、ダメージのほとんどないようなツグミのパンチを体に数発受けた後、圧倒的な体の差と力の差を見せつけるように、ツグミを簡単に突き飛ばし返した。
ツグミはボールみたいに転がって土だらけになった。私は恐くてただただ泣いていた。
ツグミの仲間の女の子たちも、熊の下っぱの男の子たちも、あわあわするだけで何の役にも立たなかった。
「オマケだって認めたら許してやるよ」
ゆっくり立ち上がって憎たらしくそう言った熊を、ツグミはまだ下から睨みつけていた。
私はツグミが怪我をすると思って、もう熊の言うことを聞けばいいと思った。
「おねえちゃんっ!!」
幼い私はその気持ちを言葉で伝えられず、ただツグミを呼ぶことで伝えようとした。
すると、ツグミは私の方を一度見てからすっと立ち上がり、体当たりするかのごとく全速力で熊に向かって走っていった。
止まる気なんて微塵もなさそうなツグミの様子に、熊は慌てて太い腕でクロスをし構えた。
ぶつかる…!!そう思った時、ツグミはふっと体勢を低くして熊の
「痛ってえぇーー!!」
あまりの痛さに熊は
「キャーー!!」
女の子たちが見ていられず目をつぶって悲鳴を上げた。
「…雨は妹だから、オマケじゃない」
ツグミは降ろした拳をギリギリで止めて熊にそう言った。
「わ、分かったからどけよ」
男の子たちが土の上に倒れる熊に群がる中、駆け寄ってきた女の子たちを無視して
「雨、行くよ」
と、ツグミは私の手を引き家に帰った。
ツグミがあんなに怒りの感情を表に出したのを見たのはあの時だけだ。
家に帰ったツグミは、服を汚したことをお母さんにひどく怒られていた。
顔にも肘にもかすり傷があって、何があったのかとしつこく聞かれていたけど、ツグミが口を開くことはなかった。
ツグミは悪くない、そう知っていたのに、私はそれを自分からお母さんに話すことが出来なかった。
お風呂に向かったツグミを追いかけ、脱衣所の扉を開けて浴室の中へ声をかけようとした時、赤ちゃんみたいなツグミの泣き声が聞こえた。
本当は熊がすごく恐かったんだろうか、お母さんに怒られたのが悲しかったんだろうか、ツグミが泣いている
しばらくしてお風呂から出てきたツグミは、もういつものツグミだった。
私は、ありがとうもごめんなさいも言えなくて、代わりに冷蔵庫からツグミの大好きなアイスを取ってきて渡した。
「ありがと」
ツグミはテレビを見ながらそれを黙々と食べていた。
「おねえちゃん、今日一緒に寝よう」
私がそう言うと、
「本は読んであげないからね」
意地悪を言いながら、ツグミはなぜか嬉しそうにしていた。
そうだ……
ツグミはいつも私の憧れだったんだ。
小さい頃からずっと。
変わらない私のヒーローだった。
ツグミみたいになりたい。
そう思って、私はツグミの真似ばかりしていた。
ツグミの髪を真似して、
ツグミの服を真似して、
ツグミの持ってるものは何でも欲しがった。
そうすれば、
ツグミになれると思っていた。
でも私は、ツグミにはなれなかった。
そしていつの頃か、私はツグミを邪魔者扱いし始めたんだ。
ツグミがいるからツグミになれない。私が劣って見えるのはツグミのせいだ。そう考えるようになった。
やがて私が生意気な態度をとるようになったり、呼び捨てをするようになったりし、かわいくない妹になりさがっても、ツグミは何も変わらなかった。
きっとツグミはあの日から何も変わらず、出来の悪い妹をずっと想ってくれてたんだ。
今まで私は、ツグミに色んなものを
奪われてきたと思っていたけど、それは違った。
ツグミはいつでも自分を犠牲にして、私を守ってくれてた。奪ってきたのは私の方だ……
用がないなら自分の部屋に戻ればいいのに、この寒いのにまたアイスを食べながらツグミは私の横たわるソファーによっかかっている。
その姿を見ていたら視界がどんどんぼやけてきた。我慢しきれず鼻をすすった音に気づいて、ツグミがこっちを向いた。
「何泣いてんの?」
「……ツグミに関係ないじゃん」
ツグミの冷たい聞き方が、無性に温かかった。
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