№19 初戦

 それからも、ふたりは城下町へ出かけるたびに手を繋ぎ、『エディ』『マリアローゼ嬢』と呼び合って、食事や買い物を楽しんだ。最初はぎこちないふたりだったが、その内傍から見れば恋人同士と思われてもおかしくないように振る舞うことができた。


 しかし、なにも毎日遊び歩いているわけではない。


 とうとう王国のチャンピオントーナメントの予選が開催される。当然ながら、この予選を突破しなければ本戦には進めない。


 しかし、ふたりの中に不安はなかった。


 予選で消えるようなトレーニングはしてきていない。今まで積み重ねてきた日々ゆえの自信、根拠のある確信だった。


「……殿下、いかがでしたか?」


 予選を戦いトレーニングルームに帰ってきたエディオネルを、マリアローゼが落ち着いた様子で迎える。


 エディオネルは傷ひとつない顔でにこっと笑い、


「もちろん、勝ってきましたよ!」


「よかった!」


 確信があったからといっても、もしも、ということもありうる。その数パーセントが今、塵となって消えた。


「予選落ちでは格好がつきませんからね」


「わたくしも、それでは師匠失格ですものね」


 笑いあいながら握った大きなこぶしをぶつけ合うふたり。


「これから先はもっと厳しくなりますよ。こころしてかかりましょう」


「はい!」


「本戦は三日後です。それまでに戦術のおさらいと、からだを作っていきましょう」


「わかりました!」


 トーナメント表が発表されるのは明日。本線の最初の相手が決まるのだ。


 どんな相手だろうと、今のエディオネルならば勝てる。


 そう思っていたマリアローゼだったが……


 


 やってきた初戦。


 ロッカールームにはボクシングパンツを身に着け、グローブとヘッドギアを装着したエディオネルと、マリアローゼが隣り合ってベンチに座っていた。


「……まさか、こんなことになるとは……」


 頭を痛めているようにこめかみに指を当てるマリアローゼに、エディオネルはことさら元気を主張するように、


「大丈夫です、師匠! たとえ対戦相手が前回大会準優勝者でも!」


 ……そう。


 なんとも数奇なめぐりあわせで、初戦の相手は前回の準優勝者だった。いきなりの大きな壁に、さすがの『近距離パワー型令嬢』も狼狽した。


 しかし、いずれは越えなければならない壁だ。それが遅いか早いかの違いでしかない。そう考えると、エディオネルの元気もそう的外れなものではなかった。


「……殿下、調子はいかがですか?」


 マリアローゼがコンディションを尋ねると、エディオネルは真剣な顔でうなずき返し、


「万全です」


「勝てますね?」


「もちろんです」


 メンタルを『勝ち』に持っていくためのやり取りをしてから、ふたりはロッカールームを後にした。


 メインリングは青空の元に据えられており、その周りにたくさんの観衆が詰めかけている。喝采を浴びながら登場したエディオネルは、観客席に笑顔で手を振った。


 リングサイドに立つと、からだをあたためるようにシャドウボクシングをする。ふ、ふ、と呼吸を整え、同時に精神を整える。


 対戦者がリングに上ると、エディオネルもまたガウンを脱ぎ捨てた。


「……いってきます、師匠」


「いってらっしゃい、殿下」


 そして、決戦の舞台へと向かっていく。


 対戦相手は、さすがの前回大会準優勝者だけあって、からだのつくりも居立ち振る舞いも洗練されている。圧倒的な強者のそれだ。


 しかし、エディオネルも負けてはいない。眼光鋭く相手の挙動を観察し、どう攻めるかを考えていた。


 試合前にグローブをぶつけ、あいさつとする。


 そして、ゴングが鳴った。


 互いにフットワークを駆使して隙を探り、最初に仕掛けたのは対戦者だった。踏み込んだ足が、きゅ、と鳴り、猛烈な右フックが叩き込まれる。


 冷静にそのパンチを読み、紙一重で交わしたエディオネルは、伸びきった腕の内側に入ってボディブローを放とうとする。


 が、対戦者もそれを読んでいたのか、スウェーでそれを回避した。再び間合いを取り合って、リング上でにらみ合う。


 先ほどの交錯で、リングサイドのマリアローゼには理解できた。


 たしかに、強い。前回準優勝者だけのことはある。スピードもパワーも充分、駆け引きをするだけの冷静さもある。厄介な相手だ。


 そうしているうちに、再び打ち合いが始まった。


 急速に間合いを詰めた対戦者が、右のアッパーであごを狙う。そのスピードをとらえそこね、エディオネルのあごをわずかにパンチがかすった。しかし、それだけで充分だ。


 足元がふらつく。脳震盪でも起こしているのだろうか。その隙を、対戦者は逃さなかった。


 左フック、右ストレート。ワンツーを打ち込んでくる。それをなんとかガードしたエディオネルは、一旦スウェーで引こうとする。


 が、それを逃す対戦者ではない。追いすがるようにまた間合いを詰め、決定的なボディブローをエディオネルの腹に叩き込んだ。


 がくり、エディオネルが膝を落とし、両手をリングについた。スリーカウントが始まる。


「……殿下」


 聞こえているか聞こえていないのか。いや、きっと聞こえている。


 静かで揺るがないいわおのような声で、マリアローゼはエディオネルに、声援でも罵声でもない言葉を放った。


「立ってください、殿下」


 その声に、スリーカウントまで取られていたエディオネルが目を覚ます。


 そして、よろけながらも立ち上がった。ヘッドギアに守られた頭を振り、かすむ意識をはっきりさせる。


 レフェリーによって引き離されていたエディオネルと対戦者だったが、再び試合が始まった。


 エディオネルにもわかったはずだ。対戦者は速攻タイプだと。今すぐにでも勝利を決めたいに違いない。それほどに、こちらの攻撃をおそれている。


 そんな相手の怯えにつけ入らない手はない。


 立ち上がったエディオネルのからだが一瞬、一回り大きく膨らんだ気がした。そして、猛攻が始まる。ジャブで相手をけん制しつつ、右ストレート、左アッパーのワンツー。さらに右フック、ジャブを挟んでボディブロー。


 かろうじてその攻撃をしのいでいた対戦者だったが、明らかにその勢いにひるんでいる。スウェーで間合いを取ろうとるするが、それは決定的な隙になった。


 ぐ、とエディオネルが踏み込み、超加速を得た右フックが追尾するように対戦者の肝臓に叩き込まれる。


 対戦者はそのままリングロープまで吹っ飛ばされ、しばらくもがいていたが、やがて動かなくなった。


 カンカンカン!とゴングが鳴る。一発KOだった。


 かなり危うい戦いで、リングサイドのマリアローゼもはらはらしていたが、エディオネルは見事対戦者をリングに沈めた。


 一斉に湧き上がる観衆にこぶしを掲げて見せてから、リングから下りてきたエディオネルを、笑顔のマリアローゼがタオルを持って迎え入れる。


「お見事です、殿下!」


「ええ、なんとか。師匠のご指導のおかげです!」


 汗まみれのからだをタオルで拭きながら、エディオネルはグラブとヘッドギアを外して晴れやかに微笑んだ。


「しかし、まだまだこれからです!」


「ええ、この調子でどんどん勝ち上がっていきましょう!」


「はい!」


 興奮冷めやらぬふたりは、高い位置でハイタッチを交わすと、そのままクールダウンのためにロッカールームへ戻っていった。

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