第二十話 日は過ぎて
それからもエドゥアルトとよるの二人三脚は続いた。公務をこなしつつよるを応援するエドゥアルト、お作法やダンスを習いながら石鹸作りに勤しむよる。お互いにできることのベストを尽くしていた。もちろんラインはそんな二人に危害が及ばないよう、そっと見守っていた。
だが、タイムリミットはあっという間だった。いよいよよるのお披露目の日が来てしまったのだ。
「よる、君は今まで誰よりも真面目に勉強してきた。今までやってきたことが必ず役に立ってくれる。俺を信じて。」
緊張でガチゴチになっているよるを、エドゥアルトは少しでも解そうと声をかける。よるが最初に選んだペールグリーンのドレスは、やっぱりよるによく似合っていた。
「エ、エド。気遣ってくれるのは嬉しいけど、緊張するなって言っているならそれは無理があるよ。」
よるはできるだけ普段通りに振る舞おうと思っていたが、ドレスを着て、髪を結ってもらうと自分が自分でなくなったように感じてしまい、どうしても緊張が抜けないのだった。
「大丈夫、よるはよるだし、ましてや今日のよるは格段に美しい。もっと自分に自信を持ったらいいのに。」
生来自信というものとは縁遠い世界で生きてきたよるにとって、そんなことを言われてもたちまち自信というものがニョキニョキ生えてくる訳でなし、よるはだいぶナーバスになっていたと言える。
もし何か粗相があったら。もし何か失敗してしまったら。よるの思考はだいぶマイナスに傾いていた。
どうやっても緊張が取れないよるを見て、エドゥアルトはよるをそっと抱き寄せる。
「今はせっかくのお化粧が乱れるから、キスはおねだりしないでおくね。でも、俺はいつでもよるの為ならなんだってするよ。それだけは忘れないで。」
そしてあれよあれよという間に刻限となり、ついに王と王妃の前に出なければならなくなった。
よるの心臓はバクバクと脈打ち、今にも破裂しそうだった。
(口から心臓飛び出そうって、こういう時に使うのかな…。)
まだ隣にエドゥアルトがいてくれるから、よるはなんとか堪えていられるが、一人にされたら瞬間的に回れ右をしてダッシュで帰れると思っていたほどだ。
そんなよるを今日はヒールの靴が許してくれないが。
ダンスレッスンは同じ靴で受けてきたから、なんとなく安心できるが、ヒールの不安定な靴で全力ダッシュは流石に厳しい。絶対こける。
長い長いホールの真ん中の通路を歩いている間、よるは心ここにあらずでそんな思考に没頭していたため、気づいたらもう玉座の真ん前まで来ていた。エドゥアルトに横からつんつんされてようやく我に返る。
エドゥアルトと共に、王と王妃に深々とお辞儀をする。
顔を上げることを許され、よるは初めてエドゥアルトの父母と対面した。
エドゥアルトの父は、威厳漂う風格のある人物で、よるをまじまじと観察しているようだった。そんな中、ウェーブのかかったしなやかな黒髪を揺らし、赤いドレスに身を包んだ母エリーザベトは、よるを見て若干含みのある微笑みを返した、気がした。あまりに妖艶なその笑みに、よるは思わずドキッとしてしまう。
「国王陛下、そして妃殿下。今宵このような催しを開いて頂き、誠にありがとうございます。ここにいる聖女よるも、この日の為に異世界という稀有な文化から来たにも関わらず、この世界に馴染むべく、研鑽を積んでまいりました。その成果をご覧頂きたく存じます。」
まずエドゥアルトが口上を述べる。続いてよるの番だ。
「い、異世界からまいりました、よると申します。この度はこのような貴重な機会を頂き、誠にありがとうございます。聖女と呼ばれるに相応しい存在となれるよう、社会に貢献してまいりたく存じます。」
事前に練習していた流れとはいえ、よるは緊張を隠せない。そしてそのよるの口上を聞いていた周りから、疑念とも嘲笑ともとれる、ざわめきが起こる。これも想定内で、気にするなとは言われていたけども、よるはますます緊張の度合いを高めてしまっていた。
「鎮まれ。」
国王の決して声を大にしたわけではないが威厳のこもったその一言で、周りの貴族たちはいとも簡単に黙ってしまった。
「うふふ。異世界とは信じ難いけれど、あのラインでさえ証拠品を見たと言っているわ。どんな世界だったのかゆっくり聞きたいけれど、それは追い追い、ね?今日は楽しんでいってくれると嬉しいわ。」
王妃エリーザベトの声を初めて聞いたよるは、その芯の強さのようなものを感じ取った。
その後、王の合図で宴が始まると、エドゥアルトはよるを伴っていったんバルコニーへと出る。
「よる、大丈夫か?緊張していたようだが、ちゃんと言えていたから安心していい。ダンスが始まるまでにはまだ少し時間がある。休憩も兼ねて、何か飲み物を用意させよう。少し待っておいで。」
よるはバルコニーの隅に隠れるようにして、エドゥアルトの帰還を待った。
しかし、それでも嗅ぎ付けてくる輩はいるのだ。
「おやおや?噂の聖女様がこんなところでお一人だぞ?」
カーテンの影からのぞいていたペールグリーンのドレスの裾が見つかったらしい。
輩はどこからか、わらわらと三人、四人と集まってくる。
「本当だ。お一人とは、どうされたのかな?これは俺たちが慰めて差し上げないといけないんじゃないか?」
ニヤニヤと気持ちの悪い笑いを浮かべながら、輩どもはにじり寄ってくる。
最初によるを見つけた輩が、よるの腕を掴もうと手を伸ばした時だった。
バシャッ
輩に掴まれるのではという恐怖から、目を瞑っていたよるは、恐る恐る目を開く。するとそこには、脳天から液体を浴びせられた輩が呆然としていた。
「すまない。手が滑った。俺のよるに何か用か?」
明らかに殺気のこもった声でグラスをひっくり返しているのは、間違いなくエドゥアルトだった。
「あと数秒遅かったら、その腕は飛んでいるところだったな。よるに触れていないからこのくらいで済ませてやる俺の慈悲に、深く感謝してもいいんだぞ?」
そうエドゥアルトが発している間に、後ろの三人はそそくさと去っていく。こういう時の仲間意識のなさもさすがである。
エドゥアルトは、飲み物をひっくり返した相手がこれ以上の反撃はしてこないと確信すると、グラスを宙に放り出し、さっとよるを回収した。放り出されたグラスはというと、ラインが見事にキャッチしており、更にいくつかの飲み物を持って待機している。
「ごめんね、よる。怖かったろう?でも俺の目の届く範囲で不届者の好き勝手にはさせないからね。」
先程までとは打って変わってにこやかにエドゥアルトはよるに告げる。よるはあまりのギャップにこくこくと頷くことしかできずにいた。ラインの持っていた飲み物を受け取り、よるはようやく一息つく。ラインと一緒にいると、周囲の女子たちが色めき立つので、ラインはある程度離れると、いつものように気配と姿を消した。
「流石だな、ラインは。ああいう手合いも慣れているからしばらくの間注意を引いてくれるだろう。その間によるは少しリラックスしないと。」
二人で飲み物が入ったグラスを傾け、カチンと鳴らすと、エドゥアルトとよるは束の間の休息を取った。
「おー。聖女サマも、衣装を整えればそれなりじゃねーの。ま、うちの妹には遠く及ばねーけどな。」
遠く双眼鏡でバルコニーの様子を観察しているのはいつも情報収集をしているアルフレッドである。
「ま、今回はあえて俺が邪魔しなくても、敵は多そうだし、静観させてもらうとするか。」
そう言うとアルフレッドは、念の為に手下を手配し終えてから、しばらく様子見の為に横になって休み始めた。
それを知ってか知らずか、運命の歯車は回り始める。
やや音程の狂った音楽隊の演奏を皮切りに。
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