第十六話 よる、奮闘する。

 よるは少年から事情を聞いて驚きを隠せなかった。彼らは生活排水のような水で生活しているということや、食料どころか、寝るところも満足に保証されていないと言う。現代日本にもない話ではないが、最低限の水はあると思う。

「そうだったんだ、本当に考えなしでごめんね。ところで、妹さんたちはどういう状況なのかな?よかったら、私に教えてくれないかな。」

 よるは少年に優しく語りかける。少年はとても素直に応じ、妹たちの置かれている状況などをポツポツと話し始めた。

「妹たちは、高熱が出て、意識もはっきりしないんだ。でも薬は高くて買えないし…。でも、でも妹たちが衰弱していくのを見てるだけなのは嫌で、金が欲しくて悪さをしてたんだ。」

 よるは少年の思いを感じ取り、一瞬言葉を失う。

(周りに他に頼れる人がいないってことだよね…。私も周りの大人はみんな敵だったし、この子の気持ちもわかるなあ。)

 よるはひとまず、妹たちだと言った三人の様子を見せてもらうことにする。

「栄養が足りてない中で、つまり免疫が落ちた状態で傷を負って、悪化させちゃったみたいだね。敗血症の症状に見えるけど、私は医師ではないから、診断はできないな…。早くお医者さんに…。」

 よるがそう言った瞬間だった。少年が激烈な拒否反応を見せる。

「医者はダメだッッッ!!!」

 少年は堪え切れない感情が溢れている。フーッフーッと息を荒らげ、必死に何かを噛み殺していた。と、そのままへたり込んでしまう。

「ごめん、ねえちゃん、取り乱して。でも、医者はダメなんだ。」

 顔を覆って色々な葛藤と戦っているらしい少年の目線に合わせたよるが、冷静にそして優しく問いかける。

「辛い思いしたんだね。ごめんね。なんでお医者さんはダメなのか、教えてくれる?」

 見れば少年はぐしゃぐしゃに泣いていた。

「…一回だけ、ダメ元で医者へ行ったんだ。そしたら、あいつなんて言ったと思う?」

 よるは少年から放たれる辛い過去を遮らずに、その先の言葉を待つ。

「まだ若いから、良い臓器が取れるって。貴族に売れば今の生活から脱却できるって。」

 よるは凄惨な少年の過去に今度こそ絶句した。つまりその医者の言ったことは、妹を解体して売れば、自分が楽になるという悪魔の囁きだ。

 少年は、恐ろしくなり、妹たちを連れて一目散にその場を後にしたという。

「エド。私、そのお医者さん探してくる。」

 怒りに打ち震えながら、よるはそう口を開いた。

「だそうだ、ライン。できるな?」

 エドゥアルトは当然のようにラインに仕事を振る。ラインは何も言わずに部屋から出ていった。

「よるはこの子たちを診ないといけないだろう。そういう仕事はラインが得意だ。」

 そういうとエドゥアルトは少年に目線を合わせて謝罪を口にした。

「すまない、少年。我が国にそんな不届きものがいたという事実に謝罪する。その医者と癒着しているであろう貴族にも罰を与える。辛い思いをさせてしまった。」

 王子であるエドゥアルトからも謝罪された少年は驚きを隠せない様子だった。

「なんだ、この国に生まれて不幸だと思ってたけど、俺が大人になる頃には、もうちっとマシになるのかな。そしたら、妹たちも安心して暮らせるようになればいい。」

 まだ涙は収まらないが、無理矢理に笑顔を作り、エドゥアルトにそう言った。

「えーと。私はよる。あなたと妹さんたちのお名前は?」

 よるは少年に寄り添おうと、まず基本的な情報を集める。

「俺はジノ。妹たちは、大きい順にエマ、フローラ、クララ。」

 よるは、ありがとう、と言うと、

「改めてよろしく、ジノくん。妹さんたちは、はっきり言って状態が良くないの。私では悪化させてしまう可能性があるから、このお城の信頼できる医師に知恵を借りたいと思うの。それでも良いかな?」

 それを聞いたジノは、そうするしかないのなら、と渋々ではあるが納得してくれたようだった。

「ジノくんの手当ては、私でもできるから一緒にするね。まず、傷は舐めないこと。清潔な水がなかった場合でも、口の中の雑菌が入るからだめ。良い?」

 ジノは素直に従った。そして用意された清潔な水と布で手当てを受ける。その様子を眺めているエドゥアルトは、よるの熱心さに改めて惚れ直していたところだ。

(どんな境遇の人間にも決して差別することなく接する。よるは大したことなどしていないというが、それがどんなに大変なことなのか、そろそろ自覚しても良いのにな…。)

 そんなことを考えているうちに、到着した医師に妹たちを診察してもらうという話になったが、ジノは安心できないらしく、そわそわしている。

「ジノくん、不安なら診察してもらうところに立ち会わせてもらう?」

 こくりと頷いたジノを見て、よるは医師に事の経緯を説明する。医師から了解をもらったところで、妹たちを診察してもらう。

 体の中に毒が溜まっていると言われ、しばらく殺菌の薬湯を飲ませながら、様子を見ることになった。原因になっていると思われた、化膿した傷も処置してもらった。

「ありがとう、よる様。あんたが聖女様だって話、俺は本当に信じるよ。妹たちにも良くなったら、よる様がどれだけ優しいか教えてやるんだ!あと、王子様も、冷徹だって聞いてたけど、そんなことなかった。人の噂がどんだけいい加減か、よくわかった。」

 ジノたちにはよくなるまで経過観察ということで、城に滞在してもらうことになった。

(けど、ジノくんたちのことも、たまたま私たちが通りかかったから発覚しただけで、もっと苦しんでる人が裏に大勢いる気がする。)

 よるは難しい顔をして考え込んでしまう。ジノたちが滞在する部屋を後にして、中庭に差し掛かる廊下で一人月光を浴びながら考えていると、そこへそっと寄り添うのは当然エドゥアルトだった。

「よる、何考えてるの?いや、大体わかってるけど。無茶だけはしないでくれよ?君を失ったら、俺が存在できなくなってしまう。まあ、ラインが追っている闇医者からある程度吐かせればいい。あとは環境改善などを父上に進言して、隊を組織してもらうなどは俺の仕事だ。よるは安心して眠っていいよ。俺がついてる。」

 そっとよるの頬にキスを落とすと、エドゥアルトはそのままよるを抱きしめた。

「ありがとう、エド。どこへ行っても、みんな平等に暮らせないのはわかってる。でもね、ジノくんの体験はあんまりだよ。何より、命を救うはずの医者という立場の人が、あんなことを言ってしまうなんて。そんな人が医者を名乗れるなんて。」

 よるは怒りのあまり、エドゥアルトに抱きしめられながら、拳を握っていた。

「ごめん、よる。そんな人間がこの国に存在することは我々の恥だ。君の怒りも最もだ。でもね、今はそんなにもあの少年やこの国の未来を案じて憤ってくれる君が何より愛おしい。」

 そんなエドゥアルトの言葉に、よるの怒りは少しだけ解けて、

「エドは変わらないね。いつも守ってくれてありがとう。」

 と、告げた。少しいい雰囲気になったところで、そのまま夜は更ける。かと思いきや、よるは思い出したようにエドゥアルトに宣言するのである。

「エド、私ね。高校の実験でやったことを思い出したの。それでね、みんなの衛生環境向上のために、石鹸を作ろうと思う!」

 エドゥアルトはせっかくの良い雰囲気に肩透かしを食らい、少しだけガックリとする。

(やれやれ、よるはまた何を思いついたんだか。)

「石鹸か。それならあるぞ。割と高価だが。」

 それを聞いたよるは、ますます目を輝かせながらエドゥアルトに熱弁した。

「高価なのじゃなくていいの。街の人々が気軽に使える石鹸を開発します!」

 街の人々が気軽に使える石鹸。それは良いかもしれないとエドゥアルトは考える。

「待て、開発って何をする気なんだ、よる?」

 よるは腕まくりを開始している。こうなるとテコでも動かない。

「街のどこにでもある材料で作れる石鹸を作るんだよ?そしたら高価にならないでしょ?」

 よるの言いたいことはわかる。だが、そんなことが可能なのだろうか。

「ジノくんたちを見て思いついたの、時間はかかるけど、多分できそうだから安心して!」

 やる気に漲るよるだったが、そのまま放っておくと徹夜してしまうのではないかという勢いなので、エドゥアルトは突っ込んだ。

「よる、今日はもう遅いから明日からにしようね?あと、ドレスとお作法とダンスも待っているから程々にね?」

 しまった、という顔をしたよるに、エドゥアルトは可愛さのあまりキスをした。

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