第5話 風紀の守護者たち(後編)

「実のところ、共学になって我々風紀委員がもっとも気にしているのはラビュ嬢のことなんだ。より正確に言うと、彼女を取り巻く人間関係の変化を注視している。あんなに可愛らしいラビュ嬢がいままで穏やかに暮らせたのは、ここが女学校だったから、という要因が大きい」


「男子生徒が加わると、違ってきますか?」


「それはまあ、高校生活に恋愛を求める生徒が、今までと比較にならないほど増えるでしょうしね」


 明星あけぼし先輩が頬に手を当て憂鬱ゆううつそうにつぶやくと、涼月すずつき委員長も黒髪を揺らしながら応じる。


「私はラビュ嬢ほど可愛らしい少女には会ったことがない。それこそ絵本で見たお姫様のような可憐さで、極端な話、今年入学したすべての男子生徒がラビュ嬢のとりこになったとしてもおかしくないと思う。そしてそうなると他の女子生徒としては当然面白くないわけだ。今までラビュ嬢を可愛い可愛いと褒めそやしていた女子連中も、一斉に手のひらを返すかもしれん」


「ああ……」


 ようやく委員長の懸念が理解できた。


 あの天使のように愛らしく、そして人懐っこいラビューニャ・ハラスメントが、恋のライバルに変わる可能性がある。

 それは多くの女子生徒にとって悪夢だろう。


「揉めそうですね、それは」


「まあ、実のところ色恋沙汰は我々の管轄外だから好きにやってくれとしか言いようがないがな。だから風紀委員としては、ストーカーや盗撮あたりが気になるところだ。ラビュ嬢の盗撮写真が生徒間で売買される、なんてことはじゅうぶんあり得ると思う」


 嫌な想定だが、確かに否定はできなかった。


「この学園はスマホの持ち込みが自由ですからね」


「節度を持って使え、というやつだな。生徒の立場だとその放任主義はありがたいが、風紀委員としては頭が痛いよ」


 ため息をつく風紀委員長を見つつ、俺は首を傾げた。


「ですが盗撮犯の処罰も、風紀委員の管轄外じゃないんですか?」


 だってどう考えても生徒の手には余る問題だ。

 警察か、最低でも教師が対応するのが筋ではないだろうか。


 だが、彼女は首を振っている。


「そうだ、と言いたいところだが、必ずしもそうではない。変態管理委員の発足も間近だからな。再来月には変態管理官が視察に来るという話すらある。そうなると、変態の対処を先生に任せきりというわけにもいかないだろう?」


「……!」


 ――変態管理官の視察。

 その言葉を聞いて、俺の背筋が思わず伸びた。


「……たしかに正式な変態管理官になれば、ストーカーや盗撮犯も相手にしますからね。学生のうちからその資質も測られるわけですか」


「そういうことだ。なかなかのスパルタぶりだとは思うが、変態管理官の仕事の厳しさを考えれば、適性の無い者に早めに引導を渡すのも優しさといえるかもしれん」


 涼月委員長の表情は暗く沈んでいる。

 自分が引導を渡される可能性について考えているのだろうか。

 芯が強そうに見えて、意外とナイーブなところがある人のようだ。


 と。


「おふたりとも気にしすぎです」


 呆れたように首を振りながら、明星先輩が銀色のトレーを手にこちらに近づいてきた。

 そしてガラステーブルの机に、ティーカップをことりと置く。

 甘い香りが漂う中で、彼女は優しく微笑んでいた。


「あくまでも我々は生徒なんですから、できることをコツコツやればいいんですよ」


「ふふふ」


 気遣いが嬉しかったのか、あっという間に涼月委員長の表情が緩む。


「ありがとう。たしかに瑠理香るりかの言うとおりだ」


 そして優雅にティーカップに口をつけて、ほっと吐息を漏らした。


「……相変わらず美味いな。瑠理香が入れる紅茶は絶品だ」


「あら、涼月家のご令嬢に褒めていただけるとは光栄ですね」


 明星先輩はからかうように言いながら、委員長のすぐ隣に腰かけた。


 そんな彼女を見つつ俺も試しに飲んでみたが……たしかにこれは飲みやすいな。

 紅茶には苦手意識があったが、口に合わない物ばかり飲んでいただけなのかもしれない。

 それくらい、俺の好みに合う紅茶だった。


「たしかにこの紅茶、すごく美味しいですよ。お世辞抜きに、今まで飲んだ紅茶の中で一番好きです」


「そうですか」


 明星先輩はにこにことしている。


「本当は連城さんにはコーヒーをお出しするべきだったんでしょうけど、残念なことにちょうど切らしていたんです。紅茶がお口に合ったのなら、なによりですね」


「うん? 光太郎はコーヒーが好きなのか?」


「ええまあ。でも紅茶もコーヒーと同じくらい好きかもしれないと今気づいたところです」


「ふふっ。そうなんですね」


 明星先輩は頬を上気させながら、ティーカップに口をつけていた。

 紅茶好きが増えたことが嬉しかったようだ。


「しかし光太郎がコーヒー好きだとよく知っていたな、瑠理香。理事長から聞いたのか?」


「……!?」


 なぜかその質問に驚きの表情を見せた明星先輩は、動揺したかのようにティーカップをカタカタ揺らす。


「ま、まあそんなところです。とととところで話を戻しますが、ラビュちゃんの動きはたしかに気になりますね。旧校舎をひとりでうろうろするのは、ちょっと不安です」


「それはたしかにな」


 話を戻すというより話を逸らすという雰囲気ではあったが、涼月委員長は気にした様子もなく頷いていた。

 きっとよくあることなのだろう。


「とはいえ旧校舎は用事があって行くような場所ではない。単なる探索目的だろうから、今後はそうそううろついたりしないんじゃないか」


 委員長のその言葉を聞いて、ふと疑問が思い浮かんだ。

 金髪少女は俺と別れたあと本校舎に戻ったわけではなく、階段を駆け上がっていったのだ。

 なにか目的があって動いているように見えたが……。


「旧校舎って、部室とかは存在しないんですよね? あのあと例のラビューニャ・ハラスメントが階段を上がって行ったんで追いかけたんですけど、すぐ見失ったんです。てっきりどこかの部屋に入ったんだろうと思ったんですが……」

 

「ふむ。私の知る限り、旧校舎に部室は存在しない。部室の使用届も特に出てなかったはずだし、それにラビュ嬢の入部届も出ていなかった。……旧校舎で出会う前に、本校舎の渡り廊下ですれ違ったと言ったか?」


「はい、文化棟から本棟へ向かっていました」


「うーん」


 涼月委員長は腕を組み天井を見上げ考え込む。

 だがすぐに諦めたようで、ため息をついていた。


「やはり分からん。ナギサ君がいれば良かったのだがな。彼女はラビュ嬢とも仲がいいし、旧校舎にいた理由を知っていたかもしれん」


 ナギサ君?

 その名前にひっかかるものがあった。

 最近どこかでその名を聞いた気がしたのだ。


「あの……ナギサ君というのはどなたですか?」


「ああ、光太郎はまだ会ったことがなかったか。我々と同じ2年の風紀委員だ。今日は大事な用事があって不在で……まあ不在の理由については、本人から聞いてくれ。当事者ではないのに、あまり適当なことを言ってもな」


「はあ」


 ずいぶん歯切れが悪い反応だ。


 とはいえなんの話かは見当がつく。

 クマさん情報を信じるのなら、そのナギサ君とやらが例の『変態管理官見習いに抜擢された風紀委員』なのだろう。


 しかしその人物が変態管理官見習いだとすると、ラビューニャ・ハラスメントと仲が良いというのも、額面がくめんどおり受け取っていいか分からないな。


 彼女を危険人物として監視しているだけ。そんな可能性も普通にあると思う。


「ラビュさんに関してなのですが……」


 明星先輩の声で、俺は現実に引き戻された。

 彼女はこちらをジッと見ている。


「もしかするとこれから部活を新設するつもりなのかもしれないですね。部室にしても、旧校舎なら見取みどり。下見のつもりだったのかも」


「部活の新設? ラビュ嬢が? 特にそんな話は聞いていないが……」


「はい、私も同じくです。でも申請前なら、我々に話が下りてくることはありませんから」


「まあ、それはたしかに……」


「あっ」


 ふたりの会話を聞いていて、思い出したことがあった。


「そういえば彼女、奇妙なことを口走ってました。たしか……らぶこめがどうとか」


「ラブコメ? ふむ。そういえばラビュ嬢はたしか、マンガを描くのが趣味だったな。マンガ研究会でも作るつもりだろうか」


「どうでしょう? あのラビュちゃんが、そんな穏当なことを考えるとは思えないですけど……」


 ラビューニャ・ハラスメント。


 もし彼女が部活を新設するというのなら……これは俺にとってもチャンスなのでは?

 同じ部活に入れば、彼女との接点を作ることができる。


 涼月委員長が言っていたように、あの少女はあっという間に学園の人気者になるだろう。

 お近づきになろうとする男子生徒に囲まれ、会話すら難しい状況になるのが目に見えている。


 彼女と親密になりたいのならば今すぐ動くべきだ。

 なにより、変態管理局とつながりのあるナギサ君とやらにおくれを取るわけにはいかない。


 俺は決意を胸に顔を上げた。


「あの、涼月委員長。提案があるのですが」


「うん?」


「俺が、ラビューニャ・ハラスメントと同じ部活に入りましょうか? そうすれば、彼女の動向が分かりますし、いざというときには彼女をストーカーや盗撮犯から守るボディーガードにだってなれます」


「……」

 

 意気込む俺の言葉に返ってきたのは、きょとんとした反応だった。

 たしかによくよく考えてみると、あまりにも突拍子のない提案だったかもしれない。


 とはいえ俺の熱意が伝わったのか、涼月委員長は明星先輩にちらりと視線を向けたあと、真面目な表情で頷いてくれた。


「まあそのあたりの判断は君に任せよう。彼女が部活を作ろうとしていて、それに入りたいと思うなら、別に入ってもらっても構わない。委員会と部活動の兼任は禁止されていないからな」


「ですね。では、残りの報告もパパッと終わらせましょうか。連城さんは、ラビュちゃんに会いに行きたくてうずうずしてるみたいですから」


 そう言って俺を見ながら、うふふと笑っている明星先輩。


 どうもラビューニャ・ハラスメントに対して恋愛感情を持ってると思われたらしい。

 言うまでもなく誤解だが……とはいえそのほうがかえって動きやすいかもしれない。


 ラビューニャ・ハラスメント――彼女は逸材だ。


 なんとしても変態パラダイス村の仲間に誘いたい!

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