第24話 買い物

「マジで曇ってんな」


 昼過ぎになってもリビングでだらだらとしていた俺だったが、テレビの天気予報でこれから雨になると知り、慌てて晩御飯の買い出しに出かけることにした。


 頭上には予報通りのどんよりとした曇り空が一面に広がっている。


「でもまだ平気そうだよ。パパっと選んでササっと帰れば間に合うんじゃない」


 普段ならめんどくさがるのに、今回の買い物には珍しくみなもも一緒だ。

 ひとりで留守番が寂しかったのかもしれない。


「パパっと選ぶねえ……。みなもは食べたい物とかあるか?」


「え? 別におにいちゃんが作るものならなんでもいいけど」


「いやいやいや。朝も昼もみなもの要望に応えて俺が手作りしただろ。夜はお弁当とか総菜とか、そういうのを想定してたんだが」


「でもせっかくのお休みだし、おにいちゃんの手料理が良い」


「……ふむ」


 それは彼女らしく俺の負担を考えていない甘ったれた言葉だったが、それはそれとして手料理を求められて悪い気はしない。


 休みといっても予定があるわけでもなく、身体を鍛えるくらいしかやることがないのだから、料理に時間を使ってもいいだろう。


「しょうがない、晩御飯も俺がつくるか。その代わりメニューに文句は言うなよ」


「はーい」


 そうしてたどり着いたのは、駅前にあるちょっとお高めのスーパーマーケット。


 もしかすると、ちょっとどころではなく高級だったりするのかもしれないが、俺はスーパーと言えばここしか知らないので、正直よく分かっていない。

 叔母さんから食料品はここで買うように言われたので、素直に従っているだけだ。


「とりあえず、みなもには肉を食わせないといけないし、牛肉を買おう。あとは……豚肉と鳥肉でいいか」


 肉ばかり買い物かごに入れて行く俺に、みなもは文句も言わずついてくる。

 普段肉を食べないみなもは、藤井さんが作っても全力で拒否する(そしてなだめすかされてイヤイヤ食べる)のだが、俺が作ると普通に食べてくれるんだよな。

 

 まあ、俺が強制的に口につっこむせいもあるだろうけど。

 叔母さんに求められている俺の役割がそれなのだから、みなもも諦めているのかもしれない。


「……なんていうか、ギリギリだな。今にも降り出しそうだ」


 買い物を終え、食材でパンパンになった袋を両手に持ちつつ空を見上げると、雲の色が黒々としていた。


 大雨待ったなしといった雰囲気だ。


 俺の隣でスマホを眺めていたみなもが、ぽつりとつぶやく。


「もしかしたら、一番悪いタイミングで買い物に来ちゃったかも」


「え?」


「なんか通り雨の予報みたい。今から降って、すぐやむって」


「まじかよ……」


 わざわざ買い物の予定を早めて家を出たというのに、それが裏目に出るとは……。


「だが、雨が降る前に家にたどり着けばなんの問題もない」


 そう言って駅前の大通りを足早に歩きだした俺たち。

 すると――。 


「こぉぉぉぉ……!」


「ん?」


 どこか遠くのほうから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

 ラビュだ。

 間違いなくラビュの遠吠えだ。 


 まさか彼女にそんな野生動物じみた習性があるとは知らなかったが、けれどなんだか納得感もある。


 でもどこにいるんだ?


 俺の変態レーダーによると、彼女は前方にいる。

 それは確かだ。

 なのに、あの目立つ金髪がまるで目に入ってこない。


「たぁぁぁ……!」


 そんな中、彼女の声だけがだんだん俺に近づいてくる。


 そこでようやく俺の視線が、こちらに駆けよってくる帽子をかぶった小柄な人物を捉え――。


「――ろうっ!」


「うおっ!?」


 その人物に、真正面から抱き着かれた。


 地面に落下する帽子と、俺の視界をさらさらと流れていく金髪。

 予想通り声の主はラビュだった。


 しかし、帽子をかぶっただけで誰か分からなくなるとは、俺の観察力も大したことがない。


「……だれこの子? なんでおにいちゃんにくっついてるの?」


 人見知りなみなもは突如あらわれた金髪の美少女に驚きながらも、俺の上着の裾をぎゅっと握り、引きはがそうとぐいぐい引っ張ってくる。


「コータローコータローコータロー! 外で会えるとは、すっごいキグー!」


「お、おい。俺の胸に顔をこすりつけてくるな。犬じゃないんだから」


 一方のラビュは俺に異常なまでにすり寄ってきていた。

 あまり全身を密着されると、ぶっちゃけ困る。


「えぇ~? ラビュはどっちかっていうとニャンコだから」


「いやいやどちらかというと、これはワンコの愛情表現じゃないか?」


「あ、愛情表現って……。もーコータローってば、いくらラビュでもそうはっきり言われると、照れちゃうよー」


 そんなことを言いながらも、再び俺の胸に顔をこすりつけてくるラビュ。

 よほどこの仕草が気に入ったらしい。


「ラビュ……? にゃんこ……? も、もしかしてあなた、ラビュにゃんこ先生のファンなの?」


「は?」


 突如わけの分からないことを言い出したみなもに驚いていると、ラビュが俺の胸元から顔を離し不思議そうに首を傾げる。


「もしかして『ラビュにゃんこ』のこと知ってるの?」


「し、知ってる。ネットにマンガを上げてる人でしょ? チョー好き。絵が可愛いし、お話もおもしろいし……」


「へー、そっかぁ」


 ラビュはニヤニヤと笑い出した。

 そして俺からゆっくりと離れると、その場でグッと胸を張った。


「ち・な・み・に! 私がその『ラビュにゃんこ』だよ! ファンっていうか、作者本人だからね!」


「え!? う、うそ……こんな可愛い子が!?」


「ふふーん!」


「あんなアホみたいな物語を作ってるの!?」


「ふふーん……」


「お、おいこら! ラビュが落ち込んじゃっただろ。あまり失礼なことをいうな!」


「ご、ごめんなさい。でもまさか、あんな精神異常者の見る白昼夢みたいな物語をラブコメと言い張る奇人漫画家が、こんなお人形さんみたいに可愛い子だとは思いもしなくって」


「なんでこの子、ものすごい勢いでラビュのことけなしてくるの……?」


「い、いやいや違うって。いまのは褒め言葉だから! な! そうだよな、みなも!」


「もちろん褒め言葉だよ。奇想天外で、すっごく面白くて……ただあれってラブコメじゃないよね?」


「ラブコメじゃ……ない……?」


「お、おい。ラビュが起動停止してるだろ。よく分からんが、そこがラビュにとって一番のこだわりポイントっぽいし、ラブコメだって言ってやれよ」


「でもラブコメじゃないよ?」


「いやいやいや」


 落ち込んでいるラビュを見ていると、ここは是が非でもフォローを入れたいところだが、彼女のマンガを読んだことの無い俺なのでなんとも言い難い。


 そもそもラブコメとそれ以外のマンガの違いも、俺にはよく分からないし……。


「ラビュが描いてるの……ラブコメだよね……?」


 ラビュの目から完全に光が消えてしまっていた。

 こんなに弱々しいラビュ、初めて見たな。


「まったく」


 そんなとき、呆れたように首を振りながら、ゆっくりこちらに歩み寄ってきた一人の少女の姿が見えた。


 黒髪で落ち着いた眼差し、そしてやたらと丈の長いスカート。


 ナギサ先輩だ。


 良かった、彼女が一緒ならこのカオスな状況に収拾がつきそうだ。


「いきなり走り出すから、何事かと思っただろう。あと、ラビュ。こんなに人通りが多いところであまり騒がないでほしいよ。周囲の視線を集めてる」


「今日は、ラビュとお出かけですか?」


 俺が尋ねると、先輩はこちらに視線を向け、軽く微笑んでくれた。


「うん、急に連絡が来て、無理やり連れだされてしまったんだ。それにしてもこんなところで会えるとは、奇遇だね」


「そうですね」


 相槌を打ちつつ、俺の視線は先輩の胸元に向かった。

 彼女はブックカバーの掛けられた本を抱え込んでいる。


「先輩たちは本屋が目当てですか?」


「まあ、それだけでもないけどね。とりあえずこの辺りまで来たら、ここの本屋には寄るようにしてるんだ。かなり大きな書店だから」


 そう言ってから先輩は空を見上げた。


「ところでそろそろ会話を打ち切ってもいいだろうか。このあとゲリラ豪雨の予報になっていたから、喫茶店で雨宿りでもしようと話していたんだ。できれば降り出す前に移動したい」


「あ、それならウチに来ます?」


 みなもは、落ち込むラビュの頭をナデナデして慰めていたのだが、不意に顔を上げるとそんな提案をしていた。


「おまえ、勝手なことを……」


「いいじゃん。今日はあたしたちしかいないんだし」


「まあそうだけども」


「ラビュにゃんこ先生ともっとお話ししたいし、それにその人って同じ学校の先輩さんなんでしょ? おにいちゃんの学校での様子とか聞きたい。そういうの、全然教えてくれないもん」


「言うわけないだろ、そんなこと」


「まあ、私でよければそのくらいお安い御用だが……家は近いのかな。だいぶ雲がどす黒くなってる」


「ちょっと歩くんですけど、でもいまならまだ間に合うと思います」


「ふむ、せっかくだしお呼ばれしようか。ラビュ、キミはどうする?」


「らぶ……こめ……らぶ……こめ……」


 ラビュは、うつむいたまま、奇妙な鳴き声しか発さなくなってしまった。

 よほどショックだったようだ。


 そんな彼女の前にしゃがみ込みんだみなもは、頭を撫でながらゆっくりと語り掛ける。


「ラビュにゃんこ先生。私のお家に来てくれませんか? そしたらおにいちゃんのアルバムとか見せてあげますよ」


「え、コータローの子どもの頃の写真が見れるの! みたいみたい!」


「即座に復活したね。キミの妹さんはラビュの扱い方をよく分かっている。そうだ、目の前にニンジンをぶら下げると、わき目もふらず全力で走り出す生き物、それがラビュなんだ」


「ナギーのその言い方、なんだかラビュのことバカにしてない?」


「してない。むしろ褒めてる」


「そっかぁ、にひひっ、それならいいよ」


 俺としても、バカにしているようにしか聞こえなかったが、ラビュが嬉しそうにしているところをみると、ナギサ先輩の言葉を額面通りに受け取ったらしい。


 とはいえここでこれ以上揉めても面倒なだけだし、今はその素直さがありがたい。


「じゃあ話もまとまったみたいだし、さっさと帰るか。グダグダしてると、本当に降ってきそうだ」


「そだね。じゃあ、みんな、ラビュについてきて!」


「なぜラビュが先導を……?」


 首を傾げつつ、俺たちはマンションに向けて移動を開始した。

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