第22話 同居の少女、みなもちゃん

「じゃあ光太郎、行ってくるから。悪いけどあの子が起きてきたら、ちゃんとご飯を食べさせてあげて」


「分かってる」


 土曜日の早朝、まだ外は薄暗いというのに、叔母さんは今日もせわしない。

 黒いスーツに身を包み、髪をきっちりセットして、すでに外出の準備はバッチリのようだ。

 

 しかし、娘の心配をする気持ちは分かるが、自身の食事はどうなっているのやら。


 食器も食材も使った形跡が無かったから、きっと部屋に大量にある保存食に手を出したんだろうが……。


「ダイエットとかふざけたことを言い出したら、口に無理やり詰め込んでいいからね」


「はいはい。それよりさっさと行った方が良いんじゃない?」


「そ、そうね! ごめんなさい、あとはよろしく!」


 そう言って慌ただしく家を出る叔母さんを、俺はため息混じりに見送った。

 今日は学園ではなく、変態管理局の仕事で丸一日留守にするらしい。


 普段ならこういう時は、藤井ふじいさんというお手伝いさんに来てもらっているのだが、今回は急な呼び出しのため都合がつかなかったそうだ。

 まあ、ちょっとした料理くらいなら自分で作ったほうが気楽だし、いつもお世話になっている藤井さんには悪いが、休みの日くらい他人がいないほうがありがたい。


「ふわぁ」


 ……とりあえず、みなもが起きてくるまでのんびりしておくか。

 

 そんなことを考えつつリビングに戻ると――。


「マミーはもう出かけた?」


「…………」


 いた。


 俺がだらけようと思っていたソファに、堂々とだらけて寝転がっている下着姿の少女――桜川さくらがわみなも。

 叔母さんのひとり娘で、俺より一歳年下の中学三年生。

 いわゆるモデル体型とでもいうのか手足が長くスラリとした彼女は、ただ横になっているだけなのにやたらと様になって見える。


 しかし部屋で寝ているとばかり思っていたが、すでにリビングに来ていたとは……。


「なにがマミーだ。お前、いつから起きてた?」


「けっこう前から。なんか休みの日って、やたらと早く目が覚めるよね」


 スマホに夢中なようで、画面を見つめたまま、うわの空で答えてくる。


「……起きてたんなら見送りにこいよ。叔母さん、みなものこと心配してたぞ」


「い・や」


 やけにはっきりと拒絶してから、呆れたように首を振っている。


「マザコンじゃあるまいし、ただ仕事に行くだけのマミーをわざわざ見送りなんて馬鹿じゃない?」


 マミーって呼び方もだいぶバカっぽい気がするが、それを指摘すると激怒したみなもが俺のお腹をアホみたいに小突き回してくるだろうからやめておこう。

 彼女はいま反抗期の真っ最中なのだ。


「……見送りのことはまあいい。それより、みなも。きちんと服を着なさい」


「着てんじゃーん」 


「着てないだろ」


「はぁ?」


 ようやくスマホから目を離し、こちらを見てくれたみなもだが、おもいっきり不愉快そうに顔をしかめていた。


「着てるっての。もしかして全裸村の人って、下着の存在を知らないわけ? ほら、これ。このふりふりがついてて可愛いのが下着。似合うっしょ?」


 そういって彼女は、自身が着ている水色の下着を見せつけてくる。


 ……ちなみに当然ではあるが、彼女は俺の出身地を知っている。

 

 だから俺が、下着姿の女性に興奮しないことも理解しているわけだ。


 とはいえ自分の部屋ならともかく、皆の共用エリアであるリビングで下着姿で過ごすというのは、彼女の教育上よろしくないことだと思う。

 だからこそ俺は人生の先輩として、みなもに対して毅然きぜんとした態度を取らなければならない。


「……それは人前に出る格好じゃないだろ。リビングに出てくるときは、きちんと洋服を着なさい」


「なんで?」


「なんでって、はしたないだろ」


「はしたないぃ?」


 みなもは、俺をあざわらうかのように口を歪ませている。


はだかんぼ村で暮らしてたおにいちゃんがそれを言うの? あのさ、あたしはおにいちゃんと違って、今もきちんと下着は着けてるわけ。それをはしたないとかよく言えたよね」


「今は俺の話は関係ないだろ。変なくせがついて、人前で下着姿でうろつくようになっても知らんぞ」


「んなことやるわけないじゃん。おにいちゃんじゃあるまいし」


 そういって、けらけらと笑っている。


「俺はそんなことしない。あとおにいちゃんでもない」


「まあ、たしかに最近はおにいちゃんも裸で部屋から出てこなくなったよね。せいぜい週に1回くらい?」


「……月に一回くらいです。ごめんなさい」


 これに関してははっきりと俺が悪いので、きちんと謝った。


 5年くらい前までは全裸暮らしだったせいか、俺はいまだに洋服を着ることに馴染めていなかったりする。


 休みの日は気が緩むのか特にその傾向が強い。

 夜中に寝ぼけて洋服を脱いでいるらしく、朝起きて部屋から出ると、たいてい全裸状態でみなもと出くわすのだ。


 みなもはなんだかんだで優しいので「しょーがないなぁ、おにいちゃんは」とため息まじりに許してもらえてはいるが、世間一般ではセクハラ扱いされてもおかしくない行動なので、俺は猛省しないといけない。


 とはいえ、だ。


 俺がどれほど迂闊な行動を取っていたとしても、それを理由に彼女の振る舞いを許すわけにはいかない。

 教育する立場とはつらいもので、時に厚顔無恥さが求められるのだ。


 だから俺はキッと眉を上げ、怖い顔を作る。


「だがそれとこれとは話が別だ。さっさと洋服を着ろ。そろそろカーテンをあけるからな」


「それがなに?」


「きっと今日も記者さんがたくさんいるだろう。その格好の写真を撮られるぞ」


「ふーん」


「……カーテン、開けるぞ」


「したければすれば?」


 できるわけがないとたかをくくっているのか、彼女は再びスマホに目を落としている。


「……ほんとにあけるぞ」


「だから、したければしろって言ってるじゃん、うるさいな」


「……はぁ」


 俺はカーテンから手を離し、ため息をつく。

 彼女が見透かした通り、この状態でカーテンを開けるなんてできるわけがなかった。

 

 もちろん本当に記者連中が外にいるのかは分からないし、そもそも地上から室内の撮影が可能とも思えないが、でもどんな手段を使ってでもそれをやろうとする人間がいてもおかしくはないのだ。


 だってこの家の主人は、いまをときめく変態管理局の外部理事。

 そのうえ美人でスタイルも良い、『変態パラダイス村』出身の才女。

 叔母さんは良くも悪くも注目の的で、その一挙手一投足をマスコミが注視していた。

 

「頼むから洋服を着てくれ。俺が落ち着かないんだ。頼む」


 俺は最終的に、泣き落とし作戦に出ることにした。

 情けないが、でもこれが一番勝率が高いことを今までの経験で分かっていたのだ。


「本気で言ってる? 女の人の全裸を見慣れてるおにいちゃんが、下着姿のあたしと一緒にいて落ち着かない? そんなわけないじゃん」


「頼む」


 俺はただその言葉を繰り返す。

 すると。


「はぁ……」


 今度はみなもがため息をついていた。

 泣き落としがうまくいったというより、俺のあまりのしつこさに相手をするのが面倒になったのだろう。


「ったく、しょーがないなぁ、おにいちゃんは」


 ぶつくさ言いながら立ち上がったみなもは、廊下の奥へと消えていく。

 良かった。

 なんとか着替える気になってくれたようだ。

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