058 咲家研究室

「先に結論から言いますと、師匠のそれは絶対に恋ではありません」

「知ってら、そんなこと」


 約束通り咲家さきけの鬼子に会わせてくれると言うので、夜中に皇宮に侵入している。勿論、先導を務めるのはコリンだ。


「これがばれたら退学ではすみませんから、静かになさってくださいね」


 難しいことを言う。


「皇女様にどうにかしてもらえよ」

「馬鹿ですか、師匠は。あの人をそういった目的で頼るのはひどく下劣です」


 宗教みたいだなあ――皇女様信仰と言ったところか。


「師匠はどうもユーリ君――師匠の言うところの『咲家の鬼子』のことを好ましく思ってはいないようですね」

「言わなかったか? その男は僕の師匠を――リゼを殺したんだ」

「そのリゼさんと言う方に会ったことはありませんが、師匠の師匠ということは、きっとおかしなお方なんでしょうね」

「そうなんだろうよ。僕はあの人のことを大して知らないうちに別れてしまったけれど」

「師匠もその方のように、僕を守って死んでくれたりなさるんですか?」

「さあな」


 するかもしれないな。

 僕は気まぐれだから。


「では、こちらです。万一のことがあっては困りますから、僕も同席させていただきますよ」

「万一ってなんだ」

「師匠が彼を殺してしまうこと――または、その反対ですかね」

「そうかい。信用されてないもんだね」


 『彼』か。あの時はわからなかったけれど、あの幼子は男だったのだな。


「入りますよ、ユーリ君」


 中から不愛想な承諾が聞こえて、コリンはにっこりと笑いながらドアを押した。最もコリンの表情は変化しないので、その描写は何の意味も持たないのだけれど。


「こんばんは、殺人鬼くん」


 皮肉のつもりで、ドアをすり抜けざまにそう言ってみた。


 やや暗いな、と目を細める。部屋の中には、火の回りに燃えにくい素材か、または燃えない加工をされた布の笠がかかっているタイプの灯りが設置されているのみで、人影の顔はよく見えない。

 あのタイプの灯り、なんて言うんだろ。


「初めまして、幸谷ゆきや殺羅さら


 どうやら彼は敬語を使えないタイプの人間らしい。それはそれでいいけれど。


「コリン、僕が何を言ってもお前は口を挟むなよ。もしも何か気に障るようなことを言えば、お前でも容赦はしない」

「承知しております」


 胸の前に左手を置いて壁際に控えたコリンを目の隅にとらえつつ、こちらをまっすぐに見つめている(そうであろう)少年に向き直る。


「君の名前は何だっけ」

「ユーリ・クライツと言う」


 ……へえ。こいつは驚いた。


「クライツ社、か。貴族でもないというのに、この国の財政をほぼ操っているとかいないとか」

「過大評価をするな。この国の財務大臣はベイリー卿⦅家⦆だろう」


 確か、数年前に養子にとられたんだっけな。しかし、それがこいつとは知らなかった。全く、御当主様も酔狂なことをする。殺人鬼を自らの家に入れるなんて、常人の考えることではない。


「君は何歳だっけ」

「今年で十五になった」

「君は年のわりに成長が遅いようだね」

「見たところあなたもそのように見受けられるが」

「僕のこれは遺伝だよ。でも、君のそれはそうじゃない」

「じゃあ何だと」

「罪における罰だ。咲家さきけ研究室けんきゅうしつの奴らが人体を好き勝手にいじくりまわしたのが君なんだからさ。そのツケが回ってこないわけがないだろ」

「咲家研究室? 何の話だ」

「おや、驚いた。誰も何も説明してくれていないのかい」

「聞いたことはない」

「無感情に、不愛想に、無表情に。何も感じることなく人間を殺す人間を、最も合理的に、本能的に人間を殺す人間をすることを目的とした組織。あまりにも非人道的な実験内容がゆえに、僕らのような暗殺屋にさえ敬遠されていた。組織が作り出したの数は千を超える――その最後の遺物がお前だよ」


 幼いあの時の様子を見れば、その実験は成功したかのように思うが。


「俺は人じゃない、と言いたいのか」

「違うよ。人工的に作られた人だと言いたいんだ」

「そうか」


 驚いたことに、少年に驚いた様子はあまりなかった。


「別にそれでもいい」

「……」

「俺は自分の役目を果たす」

「皇女様の護衛だって?」

「そうだ」

「人を殺すために作られたが人を守るために生きるなんてな、ほろ苦いものだ」


 もしも任命した人間がどこかにいるとしたら。その人間はずいぶん茶目っ気にあふれる人間なのだろう。


「じゃあ、もう一つ訊こうか」


 お前、人を殺した数を憶えているか?


 僕が訊くと、茶髪の少年は俯いた。数を数えてでもいるのだろうか。しかし、不気味な子供だ。さっきから少しも表情が変わらないどころか、口調にすら動揺が見受けられない。自分の出自という、かなりハードなはずの事実を聞いても、まったく物怖じした様子が見受けられないというのも怖い。


「数えられない」


 少し考えて、出す結論はそれかい。


「君は僕の師匠を殺したんだよ。実は今日、それで君を殺そうかと思ったんだ」

「――ッ」


 コリンが動こうとしたのを、人差し指で止める。あいつも一応同業者だ。ここで動けば死ぬことくらいわかるだろう。


「気が変わった」


 生かしておいてやろう。

 今のうちは。

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