045 皇子

 なんだいこの牢獄。ポンコツじゃないか。


 結局壁には穴を開けず(目立つから)、天井裏に上がって散歩していたのだけど……。

 誰もいやしない。


 三個分くらい牢屋を通ったのだけれど、誰かがいる気配は全くしなかった。


「僕が第一号……なのかな?」


 だとすればヘマをしたもんだ。やれやれ、歴史に残ってしまう。


「ん」


 おかしいな。

 この部屋だけ、やけに広い。


「ぶち抜いてみっか」


 ――裁縫絶技さいほうぜつぎ、第五番。開運見日かいうんけんじつ来福光明らいふくこうみょう


「失礼しま……」


 視線。


 部屋に降り立とうとした瞬間、ばっちりと目があった。

 十歳かそこら、コリンと同じくらいの歳の少年。


 紺碧の目が、僕を見上げていた。


「こんにちは」


 白髪の少年は、そう口を動かした。


 王国の言葉で。


「ごきげんよう」


 僕はそう答えてみた。


「僕はセント・ルカ・フィアー・ザクスベルト。皇国の皇子です」


 両手を後ろ手に鎖に繋がれたまま、少年は笑顔を浮かべた。その顔が――その顔に、奴と同じものを感じる。コリンと同じものを。


「僕はエリスという」


 思わず名前の方を名乗ってしまった。


「知っていますよ。お聞きしました」

「誰からだ」

「王宮の侍女からです」


 改めて、皇子の顔を見つめる。ふん、なかなかの美少年だ。


「あなたも奇麗でいらっしゃいますよ」


 見透かされたかのような発言。


「僕のこの容姿は、なかなか若いお姉さんに人気なようでして。重宝しております」


 にこり、とこちらへ微笑みやがる。


「いつからここにいるんだ」


 その時、皇子は目を伏せた。憂いを帯びた表情というのか、何やら微妙な顔をする。


「気味悪がらないでいただけますか?」

「もう十分気持ち悪いさ」


 この部屋に入った時点で、少年の手錠には、幾度も糸をかけている。にも関わらず、全く手錠は壊れる様子がない。怖いったらありゃしないぜ。


「三十年前からです」

「なんだ、年上かい」


 歳の割に円熟していると思った。その理屈でいうとコリンなんかは人外なんだろうけどさ。


「あまり驚かれませんね」

「まあな。どうせその手錠にも魔法がかかってんだろ?」

「魔法じゃありません、魔術です。――ですが、そうですね。呪いが。この鎖には、呪いがかかっています。『変われない』という呪いが」

「変われない? 『成長しない』じゃなくて?」

「はい。退化することも許されません」

「幾つの時に呪われたんだ?」

「十二です」

「見方によってはいいんじゃないか? 常に最高レベルの頭脳でいられるんだろ?」

「何も良くありません。蓄積されないんですよ?」

「何がだい」

「記憶です」

「は? お前は今きちんと覚えているじゃないか」

「それは儂じゃ」


 突然足元から声がした。


「ふん。驚いているようじゃの、血濡れの娘御よ」


 オレンジのドリルツインテール、深い紺色の学ランを着崩した、齢七歳程度の女の子。そいつが僕を見上げていた。


「我が主様、これは誰じゃ」

「エリスさんという方だよ。近くの牢に、今日入られたみたいでね」

「さようか。わしの名前はオランジュじゃ。我が主様の従僕じゃな」


 へえ、これが。噂には聞いていたけど、見るのは初めてだなぁ。


使役獣しえきじゅう伝霊でんれいなんてふうにも言うんだっけ?」

「そうですね。主人の魂から切り離され、獣の姿をして主人を助ける。それが彼女たちです」

「僕にはどうも獣には見えないが」

「彼女は鷹の獣人です」

「そうかい」


 皇族たるもの、従える相手も特別でなければいけないというわけか。獣人を従えるなど、なかなか聞かない。


「しかし奇妙な話し方をする娘じゃな。まるで、あらゆる人間の口調をごった混ぜに煮込んで、それをさらにバラバラにしたかのようじゃ。およそ人がする喋りかのう。人というよりは、儂ら――獣に近いような生き方をしておるのじゃな」


 ふん、と再び幼女は鼻で笑った。痛いところを突かれたような気がして、目を逸らして皇子様の方へ向く。


「皇子様」

「何ですか」

「牢獄を出たくはないのかい」


 皇子様は随分と考え込んでいるようだった。


「出たいとは思いますよ」

「では何だい」

「今はまだその時ではありません」

「何か計画があるのか」

「はい。三十年ほど前から、腹案が。あなたのような方が加わって下さると、随分捗るのですが」

「聞かせてみろ」


 承知いたしました、と皇子は微笑んだ。



♰♰♰リゼのノートより♰♰♰

絶技ぜつぎ五番:開運見日かいうんけんじつ来福光明らいふくこうみょう

 通称「穴開け」。糸を空ける穴の外周に取り付け、細かい振動で空洞を作る。脱出などに役立つ。空いた穴から光が見えるためこのような名前になった。針を使って円を描いてから穴を空ける場合がほとんど。

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