015 狂気

 囲みが崩れて、ばらばらになった男たちが散り散りに逃げていく。


 僕はその様子をただ眺めてた。



 ***

 男は走っていた。

「はア、は、が、ァ!」

 かなり走った。もうあいつからは見えないはずだ。膝に手を当て、一つ息を吸う。

「あと少し」


 あと少しで、逃げられる。


[逃げられないよぉ?]

 幸谷双糸の声が聞こえた気がした。

「ひ」

 右足が、何かに捕まれている。

「な、何なにナニナニなにな何なになににぁなにニナなに」

 口がもつれる。地面に膝をついた男のそばをたくさんの惑い人が追い越す。

「見えない見えない僕には何も絡まって何から。ナニカラまって助けて走るボクハニゲル」

 後ろから走ってきた、狂牛のような群れが男の背中に膝を落として追い越していく。

「がは」

 口から息が漏れて、それをふさいだ手に緋が舞う。

「えエ」

 僕は死なないはずなのに。


「死なない人間なんていないんだよ?」

 恐怖に縮んだ目で振り向いた。

「初めまして。幸谷双糸だよ」

 男は何も喋れない。どころか何も聞こえていない。前の相手が殺すべき相手だと気づいていない。

「罠に引っかかったの?」

 女神みたいだ、と思った。男は女を美しいと思った。

「た、タス……タスケテ」

「ふふ」

 女は美しかった。

「どーしよっかなぁ」

 男の右足付近に手をやる。男は目に泪をうかべて、笑った。

「ありがとう」

「生きたい?」

 女が手を引いた。

「ヤ・・・…ヤメテヤメテイカナイデイッテヤメナイデヤメテ」

「うーん。僕には君が何を言っているのかわからないや」

 男は裏返った声で続ける。

「タスケテコロサナイデズットソバニイテボクハシニタクナイ」


「うふ」


 顔いっぱいを泪でびっしょりと濡らして、男は女のマフラーを掴んだ。

 女はにっこりと笑った。

「死ーね☆」

 それから、嗤った。

***



 リゼが

「残った奴らの処理に行ってくるねー」

 と言って森の奥の方に行ってから、僕は暇だった。

 リゼが散らした試験管の硝子を光に反射させて見ていた。

 暫くして、近くに何かがいるのに気づいた。

「誰かいるの?」

 リゼではないな、と分かった。リゼならば、話しかけてくるし、そもそも木の影になんかいない。

「やった……やったやった、こいつを殺せば幸谷の糸は死ぬシヌクルウいなくなるソシテオレノカチ」

 うーん。よくわからないけれど、頭がヘンなのかな。

「チビ!」

 姿を隠す気もなくなっちゃったみたいに、それはこっちに来た。ふらりふらりと体を揺らめかせながら、蒼い顔をこっちに近づける。

「はははあははハハハハははははあははははハアハハオレカツ」

「……よく知らないけど、カツは揚げ物だよ」

「シッテルチガウオレガヤルノハオマエヲコロスコト」

 わあ。ロボットみたい。不覚にも僕は少し面白くなってしまった。

「だから死ねええええ!」

 男は重そうにぶら下げていた右手をぐるりと振り上げる。関節がもう外れているみたいで、鞭のように腕がしなる。

 その右手には、右手に握られていたのは、マイナスドライバー、そして僕は——

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