空気を『読む』

青甘(あおあま)

第1話

 空気を読む…場の雰囲気から状況を推察する。特に、その場で自分が何をすべきか、すべきでないかや、または相手にしてほしいかを憶測して判断する。


 それは誰だって一度は聞いたことがある言葉だろう。日常生活においても自然とそれができる人もいれば苦手とする人もいる、何とも難しい存在。少し前にはKY(空気が読めない)が流行するなど空気に対して誰もが敏感になっている。



 そんな世の中だからこそ、僕は空気を『読む』ことで無難に日々を送れているといっても過言ではないのかもしれない。




 そう、文字通り空気を『読む』のだ。





 僕には誰かと話をするときに文字が見える。それは『それ以上その話はするな』とか『~の話題を出す』など様々だ。けれどその言葉通りにすると誰も不快な思いをせずむしろ良好な関係を築けた。その場の空気を教えてくれていると考え、それからもその言葉通りの選択をしてきた。








 …あの日までは










「初めまして、この度転校してきた甘陽菜 奈留あまひな なるです。こんな時期の転校となりましたが、仲良くしてください!」


 転校生がやってきた。


 転校生を一言で表すなら明るいだろう。身長はそれほど高くはないが、それ以上の存在感がある。笑顔がまぶしく誰が見ても好印象を与える人柄だ。



 自己紹介を終えた甘陽菜さんの周りには人が集まる。ちなみに彼女の席は僕の隣だった。幸ととるか不幸ととるか。普通を求める僕からしたら、一部の男子から反感を買うようなことはしたくないため無論後者だ。




「これからよろしくね」

 彼女の周りに集まる彼らは周りの空気を読まなくてよい、空気をような人たち。周りを気にしていないためその音量も上がってくる。




「それじゃあ、甘陽菜さんは親の転勤で転校してきたんだ」

 ずけずけと彼女のことを聞いているが、いやな顔一つせず応じる。

 見ているこちらの方がひやひやする。彼女の周りには『それ以上聞くな』という文字がありありと見えるのだ。



 むろん見えているからといって、僕にはそれ以上は聞かないよう忠言することもできない。誰もが彼女のことを知りたいなかそんな空気の読めない発言をしたら浮くだけだ。






 …僕には見ていることしかできない。







「あの、そこ私の席……なんですけど」

 消え入りそうな声が聞こえてくる。どうやら甘陽菜さんを囲むような形になっているため席を離れていた彼女の前の女子が座れなくなっていた。

 話をしていた人たちはめんどくさそうに、身体を縮こませる彼女を見る。

「あのさ、転校してきたばかりでわからないことが多いと思うから今教えてんの」

「えっ、でも…」

 なおも引かない彼女には敬意を表したいがそれは悪手だ。

「いい加減空気読んでよ」

 『移動しろ』と読めるが彼女には見えるはずもない。何とかしたいがこの空気を乱したくはない。はあ、こうするしかないか。


「今から図書室に行こうと思ってるしよかったら僕の席使ってよ」


「さすが高月。よくわかってんじゃん」

 話し声は大きかったため僕が名乗り出たことに違和感を持つことなくすぐに機嫌よくこちらに移動する。

「はは…」

 乾いた笑みを浮かべながら廊下へと歩く。わかるも何も見えてるからな。



 せっかくだし本当に図書室行くか。





 久しぶりに訪れたが案外悪くなかった。あまり人もおらず、静かな時間が流れる。

 そろそろ戻っても大丈夫だろうと判断し、席を立つ。時刻はすでに授業開始の五分前になっていた。



「ねえ、さっきはどうして あんなこと言ったの?」

 席を立とうとすると、突然話しかけられた。話しかけられた人物に驚く。

 甘陽菜さんだ。彼女はまっすぐこちらに向かうと僕の前に座りじっとこちらを見ている。


 彼女を見ると『あんなこと=席を譲ったこと』という文字が出てくる。さすがにそれは話の流れから読まなくてもわかるが…。

「図書室にちょうど行こうと思ってたからね」

「ふ~ん」

 なんだろう。質問に答えたにもかかわらず信じていないようだった。



「そ、それよりどうして甘陽菜さんは図書室に来たの?結構楽しそうに話してたように見えたけど」

「少し、君のことが気になって抜け出してきちゃった」

「っ!」

 予想外の言葉に目を見開く。

「ま、半分冗談だけど」

 何も言えずにいるとしれっと悪びれる様子もなく口を開く。思っていた人と違うな。

「そ、そっか。冗談か」

 思わず苦笑すると『自己紹介する』という文字が目に入る。そういえば自己紹介もまだだったな。

「それで君の名前は?」

 口を開こうとすると先に言われた。

「高月 陽太こうつき ようた。席隣だから何かわからないことあったらなんでも聞いて」

「高月くんか。よろしく」

 甘陽菜さんはニコッと人当たりのいい笑みを浮かべる。

「抜け出して大丈夫?」

「お手洗いに行くって言ったから大丈夫よ。それにほんのちょっと嫌なこと聞かれて戻りたくないのよね」

「ああ…」

「何のことかわかるの?」

「転校理由聞かれたことだよね」

「へ~よくわかったね」



 彼女は驚いたように顔を近づける。正直近い。僕は少し椅子を引きながら答える。

「話の流れからかな」

 まあ僕の場合『それ以上聞くな』というのが見えたからだけど。



 予鈴が鳴り始める。

「そろそろ戻ろうか。さすがに転校初日に授業に遅れるのはまずいしね」

「そうね」

「じゃあ先に甘陽菜さん戻ってもらえる?僕は少ししたら行くから」

「一緒に教室に行けばいいじゃない」

 その顔には疑問の表情が浮かんでいる。

「一緒に教室に入ったら変に勘繰られるから」

「そんなの気にしないよ」

「僕が気にするんだ」

 そんなことをすればみんなの標的になってしまう。意図を察したのか甘陽菜さんはそれ以上何も言うことなく先に図書室を出るのだった。




 今日も退屈な一日が終わったな。一つ違うことを上げるとするならなんだか隣から一日中視線を感じるが気のせいだろう。


「ねえ、高月君ていつもそんな感じなの?」

 甘陽菜さんが声をかけてきた。

「そんな感じって?」

「うーん、何て言うかな。その周りをよく見てるっていうかうまく立ち回っているっていうか…」

「いつもこんな感じかな」

 うまく立ち回るか。言い得て妙だな。

「それって学校生活楽しいの?」


「楽しいに決まってるよ」

「ほんとに?」

 彼女は僕の瞳をのぞき込むようにじっと見る。僕はその瞳から逸らすことができない。まるで心をのぞき込んでいるようだ。

「…」

 何も答えられない。



「甘陽菜さん明日予定開いてる?よかったら歓迎会を開こうと思って」

「うん、大丈夫!ありがとうね」

 先ほど話していたうちの一人がやってきたことで甘陽菜さんはそちらと話を始めた。


 楽しい、か…。

 彼女の一言がずっと反芻していた。




 最悪の目覚めだ。甘陽菜さんの一言が頭から離れずあまり眠れなかったのだ。


 まあ気にしてもしょうがないか。僕は急いで身支度をし、家を出る。


 あれ?なんかいつもと違うな。違和感を覚えるも寝不足のためか頭が働かない。

 まあいいか。




「おはよう、高月くん」

「甘陽菜さん、おはよう」

「今日は楽しみだね。まだ引っ越したばかりだから行ったことないのよね」

 昨日の提案により、甘朝比奈さんの歓迎会をすることになった。場所は近くの大型ショッピングモールだ。

「珍しいね。結構有名だから一度は行ったことがあると思ったのに」

「…ええ」


 甘陽菜さんが意外そうにこちらを見た。何かおかしなことでも言ってしまったか?僕はいつもの通り、空気を読むため彼女の近くをみる。

 しかしそこにはいつもは見えるはずの空気がない。




 あれ?



 何度確認しても何も変化しない。昨日まであったはずの空気が見えなくなっていた。一体どういうことだ?

「どうしたの?顔色悪いよ」

 顔に出ていたのか心配そうにこちらの顔色をうかがう。

「だ、大丈夫。昨日寝不足だったからかも」

 大丈夫。なんで見えなくなったのかわからないが今まで通りに過ごせば問題ないはずだ。









 結論から言おう。問題ありまくりだった。いつもは空気を読んで行動していたためか何も見えないとどう反応すればいいのか全く分からない。そして思ったように反応したら微妙な返しが来る。最悪だ…

 授業が終わりを告げあっという間に放課後になる。

 僕は重たい足取りでショッピングモールへと向かうのだった。



「よし、それじゃあ行こうか」

 全員が集まったことを確認し、移動する。やっぱり今からでも遠慮しようかな。でもここまで来てそうすると浮くしな…。



 そんな葛藤をしながら歩いているとみんながある一点を見ていることに気づいた。そこには女の子が右往左往していた。その目には涙がたまっている。迷子だろう。

「あの子迷子かな」

「ぽいね」

 近くからもそんな声が上がっている。声だけでもかけるか。少女の方へ向かおうとすると、

「誰かが助けてくれるし大丈夫でしょ」

「うん、そうだね」

「警備員も見回りしてるしね」

 一人のクラスで大きい存在の男子が言うと空気が一変した。心配する空気から事なかれ主義の空気へ。ここで名乗り上げたら悪目立ちする。その思いが僕の出かけていた足もそこで止めてしまう。




 すると一人の女子が声を上げる。

「私が声かけてくるね」

 甘陽菜さんだ。その表情はそれがさも当然のようだ。

「甘陽菜さんが行く必要ないよ、誰かが助けてくれる」

「そうそう」

 誰もが同調する。



「誰かっていつ来るの?」

「それは…わからないけど」

「なら今声をかけれる人が行ったらいいじゃない」

 甘陽菜さんは食い下がる。

「何も甘陽菜さんがいく必要ないよ。今日の主役なんだし代わりにほかの人に行ってもらおうよ」

 そう言った彼女は一人の女子を見る。それは昨日の学校で席を取られていた子だった。クラスメートの視線が彼女に集まる。まるで早く行けと言わんばかりに…。その子は視線に耐えれなくなり小さく手を挙げる。

「あ…あの…わ、わたしが」





「なにそれ」

 それは甘陽菜さんの呟きだった。先ほどまでと違いその声には怒気が含んでるように感じられた。クラスメートも感じ取ったのか甘陽菜さんを一斉に向く。

「さっきまでみんな心配してたじゃない。それなのにまるで自分は関係ないみたいに他人に押し付けて…」

「甘陽菜さん?」

 恐る恐る声をかけるもキッとこちらをにらむ。

「もういい!私が行くわ」

  甘陽菜さんはずんずんと歩いていく。そのあまりの彼女の変化に誰もが驚き動けずにいた。一方で僕の足は先ほどの動かなくなっていたのが嘘のように甘陽菜さんについていった。



「もう大丈夫よ」

 甘陽菜さんに追いつくと先ほどとは変わりとてもやさしい口調で女の子を励ましている。どうやら本当に迷子だったらしく、今親が向かってきているらしい。


 僕は何をするでもなく彼女の隣で様子をじっと見ていた。


 数分もしないうちに女の子の両親が現れ、何度も感謝しながらその場を後にした。甘陽菜さんは女の子の姿が見えなくなるまで見ていた。





「ねえ、高月くん」

「なに?」

「さっきはあんな空気にしてごめんね。ああやって誰かに押し付けるところまで見てたらついカッとなっちゃって」

 申し訳なさそうに甘陽菜さんはうつむく。

「謝ることなんてないよ。むしろこっちが謝りたいくらいだ。彼ら、いや僕たちはなにも行動することができなかった。本当にごめん」

 僕は頭を下げる。甘陽菜さんは慌てたように手を振る。

「でも高月くんは動こうとしてたじゃない」

「気づいてたのか。でも僕はあの空気の中、動き続けることはとても怖くてできなかった」

 あの空気で動いたら本当に空気の読めないやつだとクラスで浮いていたのかもしれない。そう思うと身体が動かなかった。



「まあ、普通はそう思うよね」

 甘陽菜さんはまるでそう答えるのが分かっていたように、苦笑しながら答える。

「甘陽菜さんはどうして動けたの?あんな空気の中で」

「私はね、空気を読むことが絶対に悪いというわけじゃないとは思ってる。そのおかげで良好な関係が築けるもの。だから私も基本はほかの人の様子をうかがいながら空気を読んでるわ。でも、それでも譲れないときはどんな空気だろうと読まない」


 力強く言葉をつなげる。甘陽菜さんの瞳には信念にも思える確固とした決意があるよう見えた。


「今回がそうだったの?」

 甘陽菜さんが頷く。

「譲れないことを譲ってしまったら自分が自分でいられなくなると思う。だから、私はその結果どうなろうと気にしないわ」

「!」

 

 言葉が出ない。

 僕は甘陽菜さんを誤解していたのかもしれない。彼女は空気が読むのがうまいからあんなにも堂々としているのかと思ったがそうじゃない。芯が通っているからだ。


 僕にはない…。

「うらやましいな…」

 僕は小さくつぶやく。


「あら、私からしたら高月くんの方がうらやましいわ」

 どうやら甘陽菜さんに聞こえていたらしく僕の言葉に驚きの表情を浮かべる。

「僕なんか甘陽菜さんがうらやましく思うところなんかないと思うけど」


「そんなことないわ。高月くんは私にはないものを持ってるもの」

「甘陽菜さんが持ってないもの?」


「昨日私の周りにクラスメートたちが集まって困ってた子のために席を譲ってあげていたでしょう」

「それは…」

 今なら思う。甘陽菜さんでもやっていただろう。

「確かに私も似た行動はとるかもしれない」

 甘陽菜さんは言葉を続ける。

「でも、高月くんは空気を悪くすることもなくその問題を解決した。私にはできそうにない。それを見てあなたに興味がわいた。だから少しでもあなたがどうしてそんなことができるか知りたくてお話しするために図書室に行ったのよ?」

「そうだったんだ…」

 知らなかった。甘陽菜さんの図書室での言葉を思い出す。



 ―『少し、君のことが気になって抜け出してきちゃった』

『っ!』

『ま、半分冗談だけど』


 半分冗談って言うのはそういうことか。



 そうか、甘陽菜さんは僕を認めてくれているのか。僕なんかでも誰かにうらやましがられる人になれるのか。

 思わず涙が出そうだ。



「甘陽菜さん」

「どうしたの?」

「僕は君にとってはうらやましいのかもしれない。でも僕は、甘陽菜さんみたいにななりたいんだ。君みたいな芯のある人に」

「なら高月くんは癖を直さないといけないわね」

「癖?」

「高月くん、昨日ずっと見てたけど空気読みすぎよ。まるでそれが当たり前かのようにね。あんなに読んでたら疲れるだけ」

「うぐっ」






 確かにその通りだ。僕は今まで空気が読むこそが一番の方法だと思っていた。

「どうしたらいい?」

「ふふん、それは簡単よ。なにせ空気は基本読まないわ。だって吸うものですもの」

 ドヤ顔で甘陽菜さんが言う。


「はは、なんだそれ」

 僕は彼女の発言が面白可笑しくて笑いがこみあげてくる。



「はあ」

「そこまで笑うことないでしょう」

 僕の反応に甘陽菜さんはムッと唇を尖らせた。

「ごめん、悪気はなかった」





 空気は読まなくて吸うもの、か。なんだか妙に納得できた気がした。

「甘陽菜さん、ありがとう」

「どういたしまして」





 僕と甘陽菜さんはクラスメートたちのところへもどることにした。




「そういえば」

 甘陽菜さんは思い出したかのように口を開く。

「まだ高月くんに答えてもらってなかったわね。学校生活は楽しい?」




 今までの僕だったら空気を読んで答えは楽しい、だっただろう。でも今は違う。






「そこまでだったかな。でも、これからの学校生活は楽しそうだ」

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