光なき明日へと

凪野 織永

第1話

ただ一度人を呪えるのなら、あなたは誰を呪いますか。


「クロカミサマ、クロカミサマ、どうか私の無念をお晴らしください」

 一つに緩く結った、腰に届くほどの長さの黒髪。よく手入れがされて、闇夜の中で光り輝くネオンに艶めいている。しかし、その髪の持ち主である少女は一片の躊躇もなくそれを手に持ったナイフで切り落とした。

 一体であった頃は意識なんてしていなかったというのに、いざ自分から切り離してみれば、髪の束は案外重い。数年間、いくら煩わしくても伸ばし続けた髪だ。その重さは怨嗟と同義で、掌にずしりと伝わるそれは「これで本当に終わりなのだ」と実感させる。寂寥感と満足感が同居した、奇妙な感情を少女は抱いた。

 静かに天を仰ぐと、灰色がかった黒い天球。街の中で比較的高いビルの屋上で、月が出ていない上に曇っている空だ。曇っていなくとも、夜の明かりが眩しすぎて星なんて元より見えないのだが。

 少女は嘆息すると、これで最後だとばかりに髪の束を握りしめる。そしてそれを、思いっきり空へと放り投げた。髪は放物線を描き、真っ黒な空に吸い込まれて消えていく。

 いいや、それは多分錯覚だ。吸われたように見えただけで、あの髪は実際は地面に落ちてタンパク質として分解されるのだろう。もしかしたら、コンクリートの上に落ちるだろうからそれすら叶わないかもしれない。まぁ、いずれにせよ少女にはもう関係のない事だった。

 ひどい無常感に襲われて、少女はその場に佇む。それがどれほどの時間かは、わからない。時計は持っていなかったし、スマートフォンは家に置いてきた。時間を予測する事も、月が見えないので無理だ。

 数分。数十分。数時間。

 虚無なひと時を屋上の風に吹かれながら、少女は流れる車の光を眺めていた。

 もういいか。少女は口の中で諦めの言葉を転がす。

 変に切り落としたせいで斜めになった毛先が風に靡いて、ざんばら髪のようにゆらめく。

 街の輝かしいネオンが、ひどく目障りだった。


 今日わたしは、この街を血で汚す。


 これはきっと、悪い事。だからわたしは、きっとあの世で罰を受けるだろう。

 痛いのは怖い。けれど、死ぬのは怖くない。

 この高さだ。きっとすぐ死ねる。痛いのは一瞬だ。その一瞬の痛みを、我慢すればいい。

 あとは、もうどうにでもなる。一度死んでしまえば、地獄の苦しみなんて屁でもない。

 現世という地獄から解放されるなら、あとはもうどうでもいい。

 胸の前で手を組む。祈りのように、しかしそんな神聖な想いとは真逆の感情を渦巻かせながら。


「……わたしの無念を、お晴らしください」


 そうして、その身を投げ出し、宙に踊らせた。

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