あるホテルスタッフの潮干山町見聞記

三谷銀屋

一日目 夕涼み

「潮干山町の観光マップの作成、ユメ君にお願いできますかねぇ」

 ホテルトコヨの支配人・イガタさんにそう告げられたのは今朝のことだった。私の反応を伺うように、イガタさんの細い眼の奥で琥珀色の瞳が光っていた。

「私が……ですか?」

 咄嗟に私はおそるおそる聞き返していた。イガタさんは私に向かって話しているので、観光マップを作れと言われているのは当然私なワケだけども、イガタさんの言葉の意図が充分に掴めなかったのだ。第一、私はこのホテルに勤め出してようやく一年になるただの客室係に過ぎない。観光マップなんて、いきなり言われてもどうすればよいのか正直ちんぷんかんぷんだ。

「せっかく当ホテルに泊られたからには、お客様方に周辺の街歩きも楽しんでほしいですからね。私も、カイエダ君も、それにミヤマも、長くこの街に住んでいます。あまりにも長くいて、かえって慣れ親しみすぎてこの街の見どころというと、正直ピンときません。その点、人間であるユメ君なら、現世から来られたお客様の視点で、珍しい、面白いと思うスポットを再発見できるのではないかと考えたんですよ。どうですか?」

「そういう事でしたら……お役には立てるかと思います」

 イガタさんが私に求める事がだんだんと分かってきて、私はようやくはっきりとした返答を口にできた。

「この潮干山町は現世と異界とのあわいに位置する世界でも珍しい街です。私がこのホテルに来て一年間、妖怪であるイガタさん達には当たり前のことでも、人間の私にとっては毎日心からびっくりすることばかりでした。その新鮮な驚きをお客様にも共有していただけるのは嬉しいですし、やりがいのある仕事だと思います」

 イガタさんは私の言葉に満足そうに微笑み、頷いた。細いまなこがますます細く……糸のようになる。

「引き受けてくださりありがとうございます。ですが、まぁ、そう難しく考えなくても良いでしょう。そうですね……どうでしょう? 手始めにまずは日記でもつけてみては?」

「日記?」

「ユメ君が珍しいと思ったり面白いと思ったモノを何でもよいから書き留めておくのですよ。つまり、ネタ帳のようなものですね。あ、ちなみに私は別に提出を求めたりはしませんから自由に書いていただいて結構ですよ」

 ……というイガタさんの提案がきっかけで、今、私はまっさらなノートの第一ページ目にこの文章を書き込んでいる。

 けれど、一体何を書けば良いのやら……。

 そうだ。日記といえども、備忘録なので、とりあえずはまずは私の勤めるホテルトコヨの概要でも書き込んでおこうか。


 ここ……ホテルトコヨの住所は、千葉県盾山市潮干山町4-13。潮干山町は、生者の生きる世界(いわゆる「この世」)と妖怪や死者が棲む世界(いわゆる「あの世」)の両方からアクセス可能な珍しい土地。

 但し、街に入れる者は限られている。この土地に宿る精霊が選んだモノだけが潮干山町に足を踏み入れることが可能なのだ。逆に精霊に選ばれなかった者は、潮干山町の入り口に立つ「大樹門」がどこにあるかさえ分からないし、見ることもできない。

 そして、ホテルトコヨは、海に面して建つ、三階建てのペンション風のリゾートホテル。客室数は全部で六室。可愛らしい青い瓦屋根が外観をエキゾチックに彩っている。

 人間も妖怪も死者も泊まりにくるので宿泊客は多種多様だ。

 ホテルスタッフは現在四名。支配人のイガタさん、イガタさんの補佐役にして客室係も雑用も何でもこなすカイエダさん、料理担当のミヤマさん……そして、客室係にして紅一点の私・ユメ。

 イガタさんは冷静沈着で物腰丁寧だけど、どこか掴みどころが無い、ちょっと不気味な謎の人。見た目は上品な雰囲気の中年男性。しかし、本性は齢数百年の狐の妖怪。

 カイエダさんは、おっとりとして穏やかで優しく、右も左も分からない状態で特殊なこの街に住み始めた私にとっては兄のように頼れる存在だ。もっとも、普段は二十代前半の好青年で、見た目は私よりもいくらか若そうだけど、変身が解けるとぬいぐるみみたいに可愛い狸妖怪の本性を表す。本当の年齢は不明。

 ミヤマさんは身長二メートル近い巨漢の料理人。無口で、しゃべっているところは稀にしか見たことはない。彼が黙々と創り出す料理はどれも絶品で、とても美味しい。ミヤマさんも妖怪らしいけれど、私はその本性は見た事がない。

 一方、私は……ただの人間の女。潮干山町に来る前の記憶は全く無い。この街にいるからには実はもう死んでるのかもしれないし、生きていて現世から迷い込んできたのかもしれない。それすらも分からない。年齢ももちろん分からないけど、二十代後半か……三十は超えてないんじゃないかな(多分)。自分の事すら分からない事だらけだけど、この街もホテルトコヨも気に入っていて居心地がいいので、なんとなく居着いてしまっている。


 さて、話を潮干山町観光マップに戻そう。

 最終的にマップに載せるかは分からないけど、ホテルの近くには私のお気に入りの場所がある。

 ホテルトコヨは海に面した岬の突端に建っていて、岬の下の方には海岸に沿って遊歩道が設けられている。

 その遊歩道から見る夕暮れの景色が私は好きなのだ。

 夏の日暮れ時、波に洗われるゴツゴツした岩達の黒い影。夕陽の朱を溶け込ませた海の色を背景に、岩の輪郭は複雑な切り絵模様を描く。

 夕刻のひんやりとした風に吹かれながら、その荒々しくも美しい景色を眺めているうちに、誰しもふと気がつくことがあるだろう。

 

 ……ごそごそ……がたがた……ごとごと……。

 

 波と風の音に紛れて、硬いものが擦れ合うような気配が伝わってくる。

 そうしたらよく目を凝らしてほしい。

 岩が微かに……ほんの微かだが確かに震えているのだ。

 

 ……がたがたがた……ごそごそ……ごとごと……。

 

 初めて見た人は不思議に思う。そして、自分の見間違い、聞き間違いであろうと考える。

 だが、次の日の朝にまた遊歩道を訪れてみれば、それが幻覚でも幻聴でもなかったことはすぐに分かるだろう。

 朝日の中で眩しく輝く砂浜……岩なんて本当はどこにも無いのだ。


 この現象は主に夏に多い。

 私が思うに、あれらは海の異界からやってきた「何か」で、岩に擬態しつつ、涼しい潮風に体を晒して夕涼みでもしているのだろう。

 私にとってもそろそろ見慣れた光景になりつつあるが、やはり人間のお客様にとっては大変珍しく、興味をそそられる風物となり得るかもしれない。

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