15:00 台所の時計
「台所の時計が証言に出てくるのは二回。一つ目は大井さん殺害に関してです。あの時、俺たちが警察へ向かうためにここを出たのは、八時十分頃でした。その後、神谷さんは大井さんが千雨を探しに居間を出たと言っています。それから間もなく木野さんと亜坂さんも出ていき、倉本さんと巧人先輩は台所へ寄ってから部屋へ戻ったそうですね。二人が台所を出たのは二十三分だということですが、実際は十八分だったでしょう」
一同が静かに話を聞いていてくれるのがありがたかった。妨げがないことで、千晴は落ち着いた調子で話を続けることができた。
「俺たちが戻ってきたのは八時三十五分でした。すぐに円東さんがタバコを取りに部屋へ戻っており、第一発見者である巧人先輩は知らせに行く途中で円東さんと会っています。円東さんは階段を上がって三階へ向かい、巧人先輩は一階へ下りました。それがだいたい四十分頃だったでしょうか。居間へ入ってきた時の第一声、今にして思うと怪しかったですね」
気がついた万桜は平静に五十嵐を見つめた。
「そういえば、五十嵐さんは神谷さんではなく、お兄ちゃんの名前を呼んでました」
妹の援護を受けて千晴はこくりとうなずいた。
「その前に円東さんと会っていたから俺が戻っていることを知っていた、というだけかもしれません。でも、もしかしたら俺たちが戻ってくることを事前に知っていた可能性もあります。だから時間がなかった。大井さんを殺すには俺たちが戻る前に終わらせる必要があった」
ここからが肝心だ。論理的であるように努め、推理を言語化していく。
「そこで重要になるのが時間です。ただでさえ限られた時間を、台所の時計を早めることでさらに時間がないように見せかけた。ずれはたったの五分ですが、あるとないとでは大きく印象が変わります。
最初は巧人先輩に犯行を行う時間があったようには思えませんでした。二十三分に台所を出たとして、四十分に俺たちのところへ来ていますから、その間わずか十七分。階段の上り下りを考慮すれば、十五分前後といったところでしょう。
ですが、シュシュの罠と時計のずれを計算に含めると、犯行に使える時間は二十分前後となります。大井さんは絞殺ですから、実際に犯行にかかる時間は一分。自殺に見せかけて部屋を密室にするのを含めても、十分から十五分あればできたでしょう」
五十嵐は黙って下を見つめていた。かまわずに千晴は次の説明へ移る。
「二つ目は神谷さん殺害に関してです。木野さんにお聞きしたいのですが、神谷さんたちが台所から出て行ったのは何時何分でしたか?」
「えっと……一時十五分」
「では、次に倉本さんにお聞きします。木野さんが一人になって台所を探していたのをご存知ですね?」
「ああ、もちろんだ」
「それから彼女が出て行くまで、どれくらいの時間だったか覚えていますか? 体感でかまいませんので教えてください」
倉本は首をかしげて「けっこう長かったと思う。少なくとも十分以上はいたはずだ」と証言した。
「ありがとうございます。神谷さんたちが出て行ったのは一時十五分でしたね。本当は十分だったとすると、俺たちが食事を終えたのが二十分過ぎだったので辻褄が合うんですよ。それより前から本館内は静かになっていましたし、神谷さんたちの気配はありませんでしたから」
亜坂が納得するように黙ってうなずく。
「それから木野さんの悲鳴を聞いて離れへ駆けつけたのが、一時二十四分か二十五分くらいでしょう。木野さんの証言に則って考えると、犯行が行われたのは十分くらいとなり、円東さんが殺害した直後のように思われます。でも実際は五分早く設定されていたので十五分あった。巧人先輩が犯行を行ったとすれば、円東さんの証言の方に信憑性があることになります。離れへ入ってから巧人先輩が十分くらい出てこなかった、という部分です」
千晴は今さらになって緊張を覚えた。唇をなめて湿らせ、冷静を保てるようあらためて心がける。
「円東さんにお聞きします。十分というのはたしかなんですね?」
「ああ、タバコを二本吸った。一本吸うのにかかる時間は大体五分だから、それで十分くらいだと言ったんだ」
「ちなみにその吸い殻はどうしましたか?」
「悪いとは思ったんだが、地面に捨てたよ」
「それでは、後ほど確認すれば事実をたしかめられますね。ありがとうございます」
証拠を残してくれたことを心からありがたく思う。おかげで推理の確実性も高まった。
「となると、やはり円東さんの証言はおかしいですね。もし犯人であれば、自分に有利になるような証言をするはずです。しかし巧人先輩が十分も出てこなかったとすると、その後にすぐ犯行を行ったことになる。すると木野さんが言う通りになってしまい、これでは犯人だと自白するようなものです。
一方で巧人先輩が犯人だとすると、十五分あったところを十分に見せかけることで、円東さんを犯人に仕立てることに成功していると言えます。たとえそこまで計算していなかったとしても、時計が五分ずれていて有利になるのは巧人先輩です」
五十嵐は無反応だった。
「離れの窓が開いていたのは、外へ出るための口実でしょう。鍵はかかっていませんでしたから、外からでも開けることができます。だから巧人先輩は外に出たわけです。他の誰かが遺体を発見した時、自分は外にいたと証言するために。
というのも、窓を開けることができたのは巧人先輩か神谷さん、二人しかいないんです。しかも神谷さんは亡くなっている。どんな会話がされていたのか、捏造することは容易です」
「うーん、円東さんにも窓を開けることはできそうだけど、それで有利になることはないもんね。まったく無意味な行動ってことになる」
万桜の言葉に千晴は確信を深め、さらに追い詰める。
「そういえば、巧人先輩の小道具にトートバッグがありましたよね。あの中にジャミング装置が入っているんじゃないでしょうか? 今はオフになっているはずです。
それとスマートフォンの入った箱ですが、あれは多目的室に隠していたんですね。先ほど先輩たちを呼びに行く前、多目的室に寄って宇原さんの遺体を動かしてみました。あのソファは座面がふたになっていて、中に収納スペースがあるんです」
そのことには昨夜の時点で気づいていたのに、見逃してしまったことを悔やむ。
「思った通り、あの箱が入っていました。桁山さんから取り上げたであろう鍵もです。それと大井さんのスマートフォンを盗んだのも先輩だったんですね。それも一緒に入っていましたよ。探しても見つからないのは当然だったわけです」
遺体の首を後ろ側へ回したのは口に粘着テープを貼るためだけではなく、もう一つの意図があった。
「神谷さんも言っていましたが、遺体に触るのは気味が悪くて嫌なものです。しかも他殺ですから、近づきたいと思わないのが普通でしょう。そうした心理を利用して、宇原さんの頭をソファへ置いたんですね。そうしておけば誰もソファへ近づかないし、中を見ようだなんて思わないからです」
もしかすると神谷もそのことに思い当たっていた可能性がある。しかし彼のそばには犯人がいたため、確認したくてもできなかったのではないか。
「それと粘着テープですが、服の中に隠してますよね? 巧人先輩がおしゃれなのは知っていますが、ギャラリーの扉を蹴破る時、本気を出していませんでしたね。中に隠したテープが落ちないようにするためでしょう? だから結果的に何度も蹴らなければならなかった。
さらに言うと、車を運転するのに長いスカートは危険です。わざわざそんな服を着るのは、中に隠せるスペースを確保したかったからです」
五十嵐は何も言おうとせず、見かねた千晴は神妙な顔つきになる。
「だんまりですか、巧人先輩。別にかまいませんけど、千雨を一人で探しに行こうとしたことがありましたね。神谷さんに止められて断念しましたが、あの時、もし千雨を見つけたらどうするつもりだったんですか? やはり殺すつもりだったんでしょうか?」
あの時の五十嵐の様子は明らかにおかしかった。その後の告白により無理もないかと納得させられたが、本心ではどうだったのだろうか。
すると千雨がはっきりとたずねた。
「万桜ちゃんのノートに書いてありましたね。五十嵐さん、あたしのことがずっと好きだったそうじゃないですか」
ぴくりと五十嵐の肩が揺れる。
「どこまで本当か分からないので返事はしません。ですが、昨日の開演前に五十嵐さんは『最悪だ』って、つぶやいてましたよね」
万桜がその時のことを思い出すようにはっとする。
「あれはもしかして、ここですべてを終わりにするつもりだったからじゃないですか? あたしに恋人がいないと知って、一瞬でも未来を想像したのでは? だけど犯行を中止するわけにはいかなかった。そうした葛藤から出た言葉だったんじゃないでしょうか?」
沈黙は肯定したも同然だったが、犯行を認めたことにはならない。千晴はやむを得ず一つ息をついた。
「分かりました。それじゃあ、もっと決定的な証拠についてお話しましょう」
ぱたりとノートを閉じてまっすぐに五十嵐を見る。
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