奴隷少女、『人形遣い』になる ~賢者に作られた最強の『魔導人形』の主になりました~
笹塔五郎
第1話 『少女』
「はっ、はっ――」
呼吸を荒くしながら、一人の少女が森の中を駆けていた。
ぼろい布切れを一枚だけ肌着のように身に着け、首には華奢な少女には似つかわしくない鋼鉄の首輪が着けられている。
もちろん、いずれも彼女が望んで身に着けているわけではない。
足は泥で汚れ、裸足のままに森を駆けたためか、一歩踏み出すたびに痛みが走る。
それでも、少女は足を止めることはなかった。
少女の名はリーシェ・マールス。
彼女はほんの数週間前までは、どこにでもいる普通の少女であった。
小さな村で生まれ、そこで両親と共に暮らしていた。
決して裕福とは言えない生活ではあったが、リーシェにとってはそれが全てであり、少なくとも両親との生活は幸せであった。
ずっと、そんな生活が続くのだと、リーシェは思っていた。
――母が病に倒れるまでは。
小さな村の診療所では手の施しようがなく、母の治療にはお金が必要であった。
父の稼ぎだけで賄えるモノではなく、母の治療費を工面するためには、選択は一つしかなかった。
――リーシェを『売る』という、選択である。
父は『必ず買い戻す』とリーシェに誓っていたが、まだ十歳になったばかりのリーシェが、奴隷として売られるという事実を簡単に受け入れられるはずもなかった。
だが、奴隷の証として外すことのできない首輪を無理やり付けられて、リーシェは村から遥か遠い『炭鉱』へと送られることになった。
そこは奴隷堕ちさせられた犯罪者達が、強制的な労働をさせられているような場所で、およそリーシェのような少女が数日だろうと生きていられる環境ではない。
――リーシェは同じ奴隷に襲われかけたことで、炭鉱から逃げ出す道を選んだ。否、それを選ぶ他なかったのだ。
初めに、奴隷が逃げ出すことは重罪であると教えられた。
もしもそんなことをすれば――命を奪われたって不思議ではない、と。
だが、どのみちリーシェに選択肢はなく、逃げるしかなかった彼女は、もうすでに後戻りのできない状況に立たされている。
「はっ、はっ……」
肩で息をしながら、リーシェは後ろを振り返る。
追手の姿は見えないが、炭鉱を出る際に飼われていた番犬の吠える声が聞こえた。
すでに、リーシェが炭鉱を逃げ出したことは分かっているだろう。
ひょっとしたら、その番犬を使って、リーシェのことを追いかけてきているかもしれない。
番犬達は魔物であり、非常に鼻が利く。
雨でも降っていれば、まだリーシェの匂いが消える可能性もあったが、今は月明かりがリーシェの姿を照らしてくれるくらいだ。
きょろきょろと、リーシェは周囲を見渡した。
ここが、一体どこなのかも分からない。森を抜ける方法も分からず、リーシェはようやく自分が置かれている状況に気付く。
果たしてこのまま走っているだけで、リーシェは逃げ切ることができるだろうか。
リーシェよりも体格のいい男達が、あの炭鉱から逃げ出さない理由は、非常に単純だった。
――あそこから、逃げ切ることができないと分かっているのだ。
逃げ出すリスクを踏まえれば、与えられた仕事をこなす方がずっとマシであるという事実に、気付いている。
だが、リーシェにそんなことが分かるはずもない。
どのみち、留まっていれば命の危険に晒され続けることになるのだが。
「うっ、うぅ……」
リーシェはついに、目に涙を溜めて泣き出しそうになってしまう。
暗い森の中にたった一人。
行く宛てもなく、リーシェの心には恐怖しかなかった。
それでも、リーシェは森の中を進む選択をした。
ただ道順に進むのではなく、一先ずは身を隠せる場所を探そう、と。
リーシェが森の中を進むと、視線の先に――一軒の木造の家が建っているのが見えた。
「こんなところに、家が……?」
リーシェは困惑したが、すぐに助けを求めるために駆け出した。
――奴隷であるリーシェを、そもそも家主が助けてくれるかどうか分からない。
それでも、リーシェにとっては唯一の希望であり、そのわずかな希望に縋る以外に道はなかったのだ。
だが、その希望もすぐに砕かれることになる。
「これって……」
リーシェにも、一目見るだけで分かってしまった。
朽ちてボロボロになった壁。
扉もほぼ外れかけており、かろうじて家の原型を保っているに過ぎない。
人の気配などまるで感じられなかった。
「でも、ここなら、隠れられるかも……」
人はいなかったが、身を隠すことができそうな場所ではある。
リーシェは意を決し、家の中へと足を踏み入れた。
ギシッと床が軋む音が響く。
テーブルや戸棚などの家具はそのままだが、やはり朽ち始めている。
一体、いつから人が住んでいないのだろうか。
奥にもう一つ部屋があり、汚れてはいるがベッドが一つあった。
間違いなく、ここに人が住んでいたという事実の証明だろう。
汚れていても、ベッドがあるというだけで、リーシェにとってはありがたかった。
ようやく、休める場所を見つけることができたのだから。
リーシェはベッドに近づいていき、そこでようやく『先客』がいることに気付く。
「ひっ――」
リーシェは声にならない悲鳴を上げた。
ベッドに横たわるのは、白骨化した人間の遺体であった。
突然、そんなものを見つけてしまって、叫ばなかっただけでも褒められるべきなのかもしれない。驚きのあまり、声が出せなかったのだが。
リーシェはその場に尻餅をつく――同時に、バキリッと大きな音を立てて、リーシェの身体がふわりと浮いた。
「……え?」
床が抜けたのだと気付いたのは、落下してすぐのことである。
身体に走る衝撃と共に、リーシェはその場にうずくまった。
「あっ、ぐ、ぅ……」
それほどの高さがなかったのは不幸中の幸いと言えるだろう。
呻き声をあげながら、リーシェはゆっくりと身体を起こす。
「なんで、こんな……」
ようやく見つけた家には人が住んでおらず、さらにはベッドには白骨化した遺体――リーシェの精神は、もはや限界であった。
どうして自分ばかり、こんな目に遭わなければならないのか。
けれど、運命を呪ったところで、今の状況を解決できるわけではない。
そんな彼女の前に、またしても信じられない光景が広がることになる。
「え……?」
リーシェが顔を上げると、そこにいたのは『少女』であった。
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