第二章

第19話 疎ましい子ども



 幼少期、自分をコントロールできない俺がどんなに手を煩わせても、両親が俺を邪険に扱ったことは無かった。




 小さい頃の記憶が一般的にどのくらい詳細なのかは知らないけど、俺の脳に残るそれらのほとんどは、高解像度の子どもの瞳が捉えた、たった一つの何かだった。


 それは蝶だったり、ピカピカの消防車だったり、まだ一粒も飛び立っていないまんまるのたんぽぽの綿毛だったりする。

 それらは今でもあの時と同じ鮮明さで思い出すことができる。そのものの手触りや、辺りに漂う匂い、肌に纏わりつく空気中の湿度。ただ、不思議と音の記憶はない。

 一体何がそれほどまでに俺の興味を引いたのかは思い出せないけど、鮮明なそれらの全てが、恐らく過集中というものが作り出した映像だということは分かっている。

 記憶というよりも記録だ。そこにはそれ以外は何もない。俺さえもただの観測者で、その時の自分の感情は一切記録されていない。何も感じていなかったということはないと思うけど、それも今となっては分からない。



 しばしば興味に支配され、大切な注意や、やるべきことを聞き逃す俺を両親は辛抱強く教育した。

 俺が何をやらかしても、そこに悪意が無いことを確認して許してくれた。

 学校で出会った先生たちも、両親と同じように俺という人間と向き合ってくれた。

 俺はきちんと守られて、周りの子たちよりもたくさん足踏みをして、周囲の人たちに迷惑を掛けながら成長していった。

 次第に想像力は鍛えられ、周りのことも少しずつ見えるようになった。

 点のようだった視界が広がっていき、自分が地球という惑星に生きる社会性を持った人間という生物なんだと理解していった。

 けれどその時にはすでに同級生たちの眼差しは、俺を彼らの社会性の足を引っ張る疎ましい存在として捉えていた。



 親は決して俺の前で俺についての謝罪をしたりはしなかったけど、自分と同じように落ち着きのないクラスメイトの親が頭を下げているのを見れば、自分の親も見えないところでそうしているんだと想像がついた。

 特に自分と違って手の掛からない弟を見ていると、自然と比較してしまった。

 親は俺に兄としての責任を負わせなかった。お兄ちゃんなんだから、というあれだ。

 おかげで俺は一度も、『先に生まれたから』という理由で我慢を強いられたことはなかった。それは感謝すべきことなのに、自分が人よりも手のかかる子どもだと自覚し始めていた俺は、親がそうしないのは、自分に兄としての責任を負わせられないからなんじゃないかと考えた。

 実際、俺に弟の模範となれるような部分は一つも見当たらなかった。

 弟は俺が何度も同じ注意を受けるのを見て育ったためか、大抵のことは言われる前にできていた。

 俺よりもずっと早いうちから周囲に興味を向け、人の表情を読んで、タイミングを間違わなかった。

 子どもらしい小賢しさを大人たちは笑ったけど、俺は怖かった。もちろんそれが普通なんだということが怖かった。

 そうして俺は、消極的で無口な子どもになっていった。

 自分の言動に自信が持てなかった。たくさん周りを見て確信してからでないと、どんなことも踏み出せなかった。

 弟はそんな俺を頼りにすることなく、まごつく俺をあっさりと置いて行った。そうされてホッとした。

 できるのかできないのか、いつできるのか、まだできないのか。そんな視線を後ろから受けることは恐ろしかった。

 成長は人それぞれスピードが違うもの、そう大人たちは俺を励ました。だから俺は、少なくとも弟との年の差分の三年ほどは周りよりも遅れているんだろうと判断した。そう思うことで気持ちは随分楽になった。

 自分を取り巻く社会は関わり合う人たちの気遣いを基に平和を保っている。俺のできる気遣いは、誰の手も煩わせないこと。

 気が付くと、なにをするにも人のいない方を選ぶようになっていた。

 一人でいることが気楽で、かつ安心できる状態になりつつあった。

 そんな俺を引き留めたのは、サッカーだった。




 母さんと関田のお母さんは、俺たちが幼児期にどこかのタイミングで出会ったらしい。

 自分の興味に集中しがちな俺とマイペースな関田が仲良く遊んでいたとは思えないけど、その代わり揉めることもなかったんだと思う。

 ただ一緒に置かれているだけの俺たちをよそに、母親たちは仲を深めた。

 そして小学三年生になったある日、関田がサッカーを始めると聞いたうちの母さんが、「一緒に始めてみたら?」と俺にも話を寄こした。

 俺と関田は相変わらず友達と呼び合えるような関係ではなかったけど、関田は俺がそばにいても一度も迷惑そうにしたことがなく、一緒にいて安心できる数少ない同級生ではあった。

 それに正直なことを言えば、サッカーという集団でボールを追いかける遊びに興味があった。ほとんど誘われたことはなかったけど。

 俺は関田を友人と位置付けることにして、母さんの提案を受け入れた。

 母さんは嬉しそうにして、早速靴を見に行こうと俺を連れ出した。



 大抵のスポーツチームに入れられる男児は(もちろん全員ではないけど)、 元気が有り余っている子どもが多い。

 その溢れる体力を削るため、または活かすために親たちは運動を始めさせるが、お陰で彼らの体力はますます底なしになっていく。

 彼らは俺とは別の理由であまり大人たちの話を聞かない。待てないのだ。その点で俺は、これまで関わってくれた大人たちの努力の甲斐あって、人の言うことをよく聞いた。さらに周りをよく見ることも癖付いていたから、上手い人を見付けてすぐに動きを真似した。

 早く上達しなければ周りの迷惑になるんじゃないかと思い、俺は真剣だった。

 チームの大人たちは、言うことを聞き、素直に指導についてくる俺をたくさん褒めてくれた。そしてすぐに自由も与えてくれるようになった。


 子どもにとっては大きなフィールドで、俺は必死に周りを見て、集団競技に必要不可欠な協調性を損なわないよう手を抜かず全力で走り続けた。

 けれども運動をしてこなかった俺の体力には底があった。かなり浅いところに。

 心拍が上がり、大量の汗が全身を濡らし、ゼイゼイと呼吸を荒くしながら、だんだんと思考が散漫になっていった。

 体温が耳をこもらせ、疲労が視野を狭くして、ついに俺は、過集中の時のような状態になった。

 そうして現れた本来の俺が、敵も味方も置き去りにした。


 勝利に必要不可欠なゴールという目的のためには、協力も必要だけど特異さも必要だった。

 俺は特異で、シュートがよく決まった。

 俺がゴールするたびに、チームメイトが、コーチが、両親が飛び上がって喜んだ。見知らぬ大人たちに賞賛され、一緒に汗だくで走り回っていたみんなからハイタッチを受けた。人生初のハイタッチだ。

 弟の藍にまで、「蓮が一番かっこよかった!」と言ってもらえた。人生初のお兄ちゃんかっこいい! だ。

「僕も蓮と一緒にサッカーする!」と大騒ぎする藍は可愛かった。

 あんなにたくさんの人の笑顔が自分に向いたのは生まれて初めてだった。今まで良く頑張ったねと、不器用ながらも生きてきた人生が報われるような心地でさえあった。

 気付けばチームメイトとも仲良くなっていた。自然と、いつの間にかだ。

 今までは気がつくと距離を置かれていた。物心がついてからずうっと地を這っていた人と関わることへの自信が、サッカーを始めてたった数か月で上向きに突き抜けていった。





 五年生になって膝に違和感が出始めたとき、ある代表の選手も脚の故障で所属する海外チームのスタメンから離脱していた。

 リハビリ中のその人がスポーツ番組でインタビューを受けているのを俺はたまたま父さんと一緒に見ていた。


「不安ですよ、サッカーがなくなった俺なんか、社会経験の乏しいただの負けず嫌いですから」


 それはインタビュアーが笑える自虐のトーンだった。

 日本代表で海外経験もあれば、たとえ今選手生命が終わってしまったって身の振り先は幾らでもある。

 もちろん表には出さない苦悩があることは俺にも想像ができたし、実際には子どもの想像は及ばないだろう。それでも選手はこう続けた。


「自分の代りはたくさんいます。代表復帰を心待ちにしてもらえるのは嬉しいですけど、若い世代に追い抜いてもらわないと代表が成長していることにはならない。サポーターのみなさんには期待を持って今の代表を応援してもらいたいです」


 かっこいいなあと父さんは感心していたが、俺の心中は違った。

 膝に違和感があった。軽い痛みだ。きっと成長痛とかいうやつだろうと思っていた。

 冷やしたりして痛みが引けばホッとして、それでも妙な引っ掛かりを感じると心臓がドキドキした。

 親におかしいとなかなか言い出せなかった。その時はなぜか分からなかったけど、今思えば、事実の発覚を先延ばしにしたかったんだと思う。それが成長痛じゃないとなんとなく察していた。


 サッカーができなくなったら自分は取り柄のないただの無口な子どもに戻ってしまう。俺の代りはいくらでもいるなんて、本当にいくらでもいる側の人間からしたら恐怖でしかない。

 ようやく学校でもボール遊びに混ぜてもらえるようになったのに。得意なことの欄に、『サッカー』と書くことができるようになったのに。


 また蓮かよ。なんで座ってられないの?

 さっき言われたじゃん、聞いてなかったの?

 もー、ちゃんとやってよ!


 低学年時に散々言われた言葉が脳内で響いて、俺の口はますます堅く閉じた。

 サッカーがなくなったら、俺には身の振り先がない。少し痛いくらいなんだ。ゴールを決めた瞬間のあの感動に比べたらなんてことない。

 みんなが俺を祝福してくれるんだ。大声を上げて駆け寄って来て、よくやったと揉みくちゃにしてくれる。

 距離を置かれないことは、社会性のある生き物である俺にとって、やっぱり嬉しいことだった。


 子どもの考えることは浅はかだ。特に俺は。

 結局先延ばしが原因で炎症がひどくなり、六年生に上がる頃には練習にも出られなくなって、最終的には手術になった。


「いつから痛かった?」

 病院の先生に聞かれても俺は黙っていた。

 監督に聞かれても、母さんに聞かれても、俺はいつもはぐらかしていた。

 けれど、膝が痛み始めてからずっと言いたいことがあった。


 サッカーができなくなっても友達でいてくれる?

 かっこいいって言ってもらえる?

 頑張れって期待を掛けてくれる?

 心配そうな目じゃなくて、前向きな気持ちを持って俺を見てくれる?

 

 口にはだせなかった。でも口に出さないことで、結局事態は悪化した。




 手術をした日の夜、藍が熱を出した。そのときはおばあちゃんも軽く風邪を引いていて、心配そうにする母さんに、「帰ってもいいよ」と声を掛けた。

「病院にはお医者さんも看護師さんもいるし、俺はもう小六だから」

 そう言った時は、自分がなんだか立派な男にでもなったような気持ちでいた。手術も乗り切ったし、痛み止めも効いていた。

 ところが母さんが帰って消灯時間が過ぎた辺りから空模様が怪しくなり、ぽつぽつと雨音が窓を叩きだしたのをきっかけに、その夜は一晩中暴風雨が降り続けた。



 強い風に煽られた雨が激しく窓を打ち、出し抜けに心臓を驚かす稲光。間を置かずに空を割るような雷鳴が一人きりの病室に響き渡って、さらには遠くから近付いてくる救急車の音が気持ちをますます不安にした。


 心臓がバクバクと鳴って、呼吸が震えた。

 両目を固く閉じて、手で耳を塞いだ。いつも家でするみたいにまん丸く縮こまりたかったけど、術後の脚は動かせなくて、俺は磔にされたような絶望的な気持ちになった。

 一人きりなんだと心の中で呟くと、ずっと考えないようにしていたサッカーがなくなってしまうこれからの日々のことを考えた。


 サッカーを始めて三年経っても、ボールを蹴っていないときの俺は変わらず無口な子どもだった。勝手な行動がなくなったお陰で一人ぼっちになることはなかったけど、余計なことを言わないように丁度いい距離感を保った。友達というよりもクラスメイト。

 俺が気を抜いていられるのは関田といる時くらいだった。まあ、相変わらず一緒に居るだけだったけど。

 無害なクラスメイト、それが俺の精一杯。


 あのサッカー選手はチームに合流し、代表にも復帰した。

「サッカーが俺の仕事なので。それに、やっぱりサッカーが好きです!」

 日に焼けた笑顔が眩しかった。

 俺はサッカーが好きだけど、それはみんなが喜んでくれるからだ。みんなが俺を好きになってくれたような気がするからだ。迷惑ばかりかける自分にも存在する意味があるような気がするからだ。そんな気持ちになれるなら、サッカーじゃなくったって構わない。

 こんな考えだからサッカーが終わってしまうのかな。


 雨も稲光も雷鳴も、どれも俺を怒っているようだった。怯える自分を幼児のように感じた。

 明日からの長期休みは術後の処置で潰れ、しばらくはリハビリにも通わなければいけない。

 十代に入っても俺はまだ両親の手を煩わせている。

 これからもずっとそうなのかもしれない。

 ぞっとした身体を稲光が照らした。


 その夜、サッカーで培ったなけなしの自己肯定感を一晩の雷雨が溶かしつくした。






 退院した俺にチームメイトがお祝いをくれた。

 お小遣いを出し合って用意してくれたそれは、大きな水色のリボンが付いたプレゼント袋で、中には普段うちでは買わないような市販のお菓子がたくさん入っていた。

 お菓子一つ一つにメモが付けられていて、このお菓子のどこが好きかとか、どんなところがおすすめかとか、推しポイントが書かれていた。

 母さんはそれを見て嬉しそうに目を細め、「せっかく貰ったんだから食べなさい」と、弟に見せないようにと注意して、食べることを許可してくれた。

 俺はその甘かったりすっぱかったりパチパチしたりするお菓子を大切に少しずつ食べた。

 どれも驚くほど美味しくて、俺はそれからお小遣いをこっそりとお菓子に費やした。



 六年生の引退試合が終わり、打ち上げのパーティーには行かなかった。記念品を届けてくれた関田とだけ写真を撮った。

 貰ったアルバムは見もせず棚にしまい、お菓子袋は弟に見せないようにまたこっそりと一人で食べた。


 想像していた通り俺には何もなくなった。なんの取り柄もない小学六年生。

 無口、特技なし、甘いもの好き。

 春が来ればこのまま中学生になる。リハビリは順調だったけど、またサッカーがしたいとは思えなかった。どうしてかは分からない。自分をポジティブにする要素はサッカーしかなかったのに、また始めることはできるのに、気持ちが向かなかった。


 中学に上がっても同じチームに居たやつらは俺を部活に誘わなかった。詳しい状況を知らなかったから気を遣ってくれたんだと思う。実際は運動を始めても構わないと言われていたけど、俺は誰にもそれを言わなかった。

 静かになった俺を思春期だと思った両親は、どの親もするようにそっとしておいた。そして小学生の弟に構った。

 もちろんそれは正解だった。俺は思春期だったんだと思う。





 中学生になってすぐのゴールデンウィーク、快晴。

 両親と藍は予定通り、藍の友達家族と一緒に朝一番でキャンプに出掛けた。

 自分も友達のところに泊まりに行くとおばあちゃんに伝えると、「久しぶりに静かな夜になるわね、なーにしよう」と、のんびり笑った。

 おばあちゃんはまだまだ元気で体調の心配もなかったけど、一応近所の人に、「明日の夕方まで留守にする」と、両親の帰宅までおばあちゃんを気にかけてもらえるよう話をしてから自分も家を出た。

 駅のロッカーに隠しておいた荷物を担いで電車で空港まで向かい、その日初めて一人で飛行機に乗った。

 緊張する身体で重力を感じ、耳を詰まらせながら、心のどこかではこのまま帰れなくなってもいいような気がしていた。

 はっきりとした自暴自棄な願望があったわけじゃなくて、問題なくゴールにたどり着けば帰るつもりだったけど、もしも途中で悪い結果になるのだとしても、そういう運命なんだろうと考えていた。

 自分を試したかった。

 これから先の人生を今の自分でやっていけるのか、自信が欲しかったんだと思う。今思えば、だけど。

 結果はどうだったのかな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る