第3話

 夜の繁華街を歩く青嵐。視界の端に入った路地裏の方で女性のものらしき声と数人の男性達の声を耳にした。人混みに流されるようにしながら移動し、路地裏の奥へ足音を立てずに歩いていく。

 開けた場所へと出て、彼は目撃する。予想通りの光景が広がっていた。


「随分と食い散らかしちゃってまぁー……食べるんなら食い残すなよ」

『なんだ、お前は……』

「術者だよ。国に所属していないフリーの風術士さ」


 飄々とした態度で青嵐は答えた。目の前には血塗れになって倒れ伏す男達と返り血を浴びて白のワンピースを真紅に染めている白髪の美女————邪霊がいるというのに。

 その凹凸の激しい体からは蛇のような尾が生え、少しずつ変化していく。最終的には塒を巻いた大蛇となり、鎌首をもたげて青嵐を威嚇した。その咆哮は強力であり、暴風が巻き起こるほどだった。

 だが、誰一人駆けつける者は現れない。食欲に呑まれていた邪霊はその事に何ら疑念を抱かず、目の前の馳走に涎を垂らす。

 その涎は強力な酸らしく、触れた地面が黒ずんで溶けていった。


『ソウカ……ナラ、クラッテヤル。キサマノヨウナツヨイジュツシャヲタベレバ、スコシハコノウエモミタサレルニチガイナイ!!!!』

「やめとけよ。俺なんかを食っちまったら、腹壊すぜ?」


 青嵐の忠告に大人しく従うはずもない。相手は邪霊。人間の言葉など戯言よりも価値が低い。みっともない命乞いも、醜い欲望も曝け出さずに立つ男の発言に耳を傾けることなく、口を開いて大蛇は突撃してきた。首を引っ込め、反動をつけたことで叩き出された速さはレーシングカーが最高速度で突っ込んでくるに等しい。それが蛇の完治能力の高さを発揮し、暗闇の中を疾走するのだ。術者といえど、生半可な覚悟で挑めば致命の一撃となり得るだろう。


「よっと」


 青嵐は軽い掛け声と共に右後方へ飛び退く。ギリギリまで引きつけられ、紙一重で躱されたせいで思うように方向転換はいかない。同時に青嵐に集中するあまり、周囲への警戒を怠ってしまった。

 大蛇の頭上へ不可視の一撃が叩き落とされる。無理やり口を閉じさせられ、呻き声が上がった。苦痛の声を漏らす邪霊を見て、愉しそうに嗤う青嵐は悪魔よりも恐ろしく映るだろう。


「頭上注意だ、爬虫類もどき」


 空気を砲弾のように圧縮し、加速させて落下させることで下方にいる邪霊を叩き潰す攻撃。その一撃の威力は周囲に広がった被害を見れば一目瞭然。

 邪霊に直撃したことで発生した衝撃波は地面を走り、近くの建物にまでそのエネルギーは及ぶ……はずだった。


(妙な手応えだな……完全に仕留めたはずなんだが、なーんか胸騒ぎがするんだよなー)


 ぴくりとも動かない邪霊を見下ろし、青嵐は風術での探査能力を駆使して索敵する。予想は的中した。

 が、行動に移すよりも先に相手の捕食の方が僅かに速かった。


『ユダンシタナ? ソレハヌケガラダッ!』


 地面から飛び出し、彼の背後から迫る邪霊。底なし沼のような口は見事に青嵐を丸呑みにし、現実世界から永久に追放した。このまま深い闇の中へと沈んでいき、跡形もなく消化されるのがオチだと邪霊は愚かにも確信していた。


『グッ……ナンダ、コレハ……! バカナ、ソンナバカナ……ッ!?』


 術者を平らげ、潤沢な力を我が物にしようとした瞬間、邪霊は目を見開く。そして、そのままのたうち回り、もがき苦しみ始めた。


『マサカ、マダ、イキテルトイウノカ……!?』


 その一言をきっかけにし、邪霊は断末魔の声を上げる。直後、その腹部が膨張し、中から傷一つない青嵐が飛び出してきた。返り血の一滴すら浴びておらず、苦し紛れに振り回した邪霊の尾も難なく薙ぎ払った。羽毛でも落としたような軽やかな着地を決め、存在を保つのがやっとの邪霊を彼は嘲笑う。


「人の警告を無碍にするからそうなる。言ったろ? 俺なんかを食っちまったら腹を壊すってさ」

『ギ、ギザマァァァア゛ア゛ア゛ア゛!!!!』


 女性のものらしき声の面影は何処にもない。ただの化物としての絶叫が夜空を劈く。溢れ出す圧は大型とはいえ、その辺の邪霊が数十体集まったとしても再現出来ないほどに強烈だった。しかし、青嵐は微塵も動じない。術者の力は意思の力。その意思が強固であればあるほど、その意思に従う力も強力なものとなるのだ。

 邪霊に引導を渡すべく、青嵐は顎を僅かに引く。

 その動きを引き金にして放たれた空間をも切断する真空刃によって邪霊は膾切りにされた。


「ったく、手間取らせやがって……お、仏さんがぐちゃぐちゃになってんなー」


 視線を壁際へと動かすと、転がっていた死体が壁にぶち当たったせいで潰れたトマトのように変形してしまっている。ただでさえ損壊具合が酷かったというのに、原型を留めてさえいなかった。


「ま、いっか。自業自得だしなー」


 青嵐は気にせず踵を返す。人間としての情がない、わけではない。彼らのことはつい最近交番でよく見かける張り紙に載っている人物で間違いなかったからだ。

 今夜ターゲットに選んだ相手が偶然あの邪霊だっただけ。むしろ卑劣な犯行の連鎖が止まって万々歳とも言える。決して癒えない傷を心に負わせられたが、ここから先同じ目に遭う者が増えることはないと考えれば少しはマシになるだろう。

 因果応報という言葉が相応しい結末だった。

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