第10話・少年が見た星団

 直弟子の共同寮へと足を踏み入れるには巨体すぎるがゆえに、巨鳥たちの直弟子への講義は寮の屋外で行なわれるのが常である。その際には、食事においても用いる折り畳み式のテーブルや椅子を地面へと展開する。


「レフ、諦めないで挑戦してみて」


 テーブルの上に広げたノートへ大粒の涙をこぼしながら俯くレフに対して、ゴールデンサウンドが優しい声色で窘めた。フェリーチェを含めた直弟子たちは、その様子を椅子に座って無言で見つめている。


 約3年前の当時、魔法化学の座学において、直弟子の中で最もそれを不得意としていたのがレフだった。この頃からレフの前髪は長く、生まれ持った金髪のそれに阻まれ、目元は見て取れない。十分に伸びた後ろ髪を、事あるごとにジェイドから編み込みの練習台にされるようになるのは、それから約1年後である。


 レフの手前までサウンドが近づいた。体高約1.8メートルである大ハチドリは威圧感を与えない為か、レフと同じ目線へと体をかがめた。当時は15歳であったにも関わらず、現在でも直弟子の中で最も背が高いンシアは、直立状態では彼女のそれとほぼ同等だった。サウンドの体高は寮の天井よりも低いが、その内部は彼女といえど翼を広げるには狭すぎる。加えて、一般的なハチドリがそうであったという記録が残っているのと同様に、サウンドの足は筋力に恵まれていない。


 サウンドがレフの顔を覗き込んだ。レフは逃げるように、歯を食いしばった顔を逸らした。


「今のレフは、『どうしてみんなは自分よりも上手いんだろう? 自分にはみんなみたいな才能なんてない』って思ってる? だけど、それは間違いだわ。レフがまだ12歳って事もあるし、そもそも最初からなんでも上手な人間も巨鳥もいないって事もあるわ」


 レフはサウンドと顔を合わせようとしない。それでも彼女は続ける。


「人間だった頃から、私だって苦手な事がたくさんあったし、大魔術師として巨鳥になった今でもそれは残ってる。今はどこで何をしてるか分からないけど、昔の私はテーラーに色々な事で負けていたわ。あの暴走お嬢様に。レフも知ってると思うけど、私は負けず嫌いなの。だからテーラーに隠れて、今のレフみたいにいつもボロボロ大泣きしてた」

「だけど…………サウンド師匠…………今は劇団の歌姫で……この間だって……ついに師匠に勝ったし……」


 絞り出すように、レフが反論を口にした。巨鳥となった魔術師でも、定期的に戦闘や魔法の訓練が催されている。この日より数日ほど遡った先日、「黒い大クマタカであるエターナルキャリバーと大ハヤブサであるミモザコートの急降下攻撃を避け続ける」という鍛錬において彼女は見事、それを最も得意とするアズールスピードよりも長く空に舞い踊り続けた。


 あの時は、一同の前でアズールが「言い訳の一つも出てこない。俺の完敗だ」と、サウンドを讃えたのが印象的であった。その際もレフは同様に涙を流しながら悔しがり、彼の直接の師匠であるアズールは「ごめんな、レフ。あんなに応援してくれたのに。次はお前の為にも絶対勝つ」と言いながら、翼で弟子を抱き寄せた。


 そして、レフを翼で包むアズールに対して、「これで貴様が『追う立場』になったな! まあ、どちらが上だろうが俺様の敵じゃないがな!」と、キャリバーは高笑いを向けた。我慢の限界を超えたであろうアズールが、「俺がそう言われるのは構いません……しかし……あなたも巨鳥であるなら……少しは直弟子の気持ちを慮って頂きたい……!」と静かな怒りを見せた。


 「なんだと!?」と激昂するキャリバーへ、アズールが「フリッシュ師匠なら……こんな事絶対に言いません……!」と告げると、左目を金色の眼帯で覆った毛並みが黒一色の大クマタカは一変して黙り、大カモメを睨みつけるだけだった。その後、アズールにいかなる罰も与えられなかった事から察するに、クレールがアズールに味方したか、キャリバー自身の反省があったのだろう。


「レフには悪いけど、いつまでもアズール兄さんに負け続けたくなかったの。だから、諦めなかったわ。ちょっと前に、フォーゲル様やクレセント兄さんが累卵楼を留守にする事が多かったでしょ? 実はあれ、私の練習に付き合ってもらっていたの。まあ、練習そのものよりも、タオシャンに食べられた骨つきフライの残骸ごっこをしてるクレセント兄さんの心を現実に呼び戻す方が苦労したけど」

「えー!? お師匠さまそんな事してたのー!?」


 椅子から立ち上がったタオシャンの驚愕と同時に、直弟子たちから笑いが起こった。それでもレフは笑わず、フェリーチェも無言で見つめている。直弟子たちの失笑はすぐさま止み、サウンドが右の翼をレフの頭へ伸ばし、風切羽で撫でた。


「ちょっと話が逸れちゃったけど、私が言いたいのは、諦めずに努力すれば必ず上達するって事。それには才能が必要だけど、レフたち直弟子は、才能があるから直弟子に選ばれたの。だから、レフの努力は絶対報われるわ。だから、もう一回やってみて? どんなに時間がかかっても大丈夫。絶対みんな待っててくれるから。そうでしょ、みんな?」


 振り返ったサウンドが直弟子たちを見渡した。


「レフくん……私も苦手だから……一緒に頑張ろう……」


 はにかみながら彼を励ましたのはジェイドであった。


「レフー! がんばれー!」


 そう声援を送ったのは、両手の拳を天に掲げたタオシャンであった。


「……僕の部屋に、レフの参考になりそうな本があったはずだから持ってくる」

「その優しさは素晴らしいが、今は見守るべきだ」


 珍しく累卵楼に戻ってきていたオスカーの隣に座っているンシアが、彼の肩を押さえて椅子に留めた。サウンドがレフに顔を戻す。


「ね? みんな待ってくれているでしょ? だから頑張ってみて」


 彼女がそう言った瞬間、レフが大声を上げて泣きながら、サウンドの体に抱きついた。レフとサウンドの顔が交差する。


「ごめんなさい……! サウンド師匠……! 俺……俺……! みんなが解ける問題ができない俺が……悔しくて……!」

「レフが少し自分に厳しくなってしまったのは分かってるわ。大丈夫。思いっきり泣いて、それからまた挑戦してみよう」

「サウンドお師匠さまー、首の後ろにレフの鼻水が垂れたよー?」


 タオシャンの言葉に対して、サウンドが微笑みながら何度か静かに頷いた。


「全然構わないわ。だって、私が人間だった頃に、今のレフみたいにクレール様のお腹を涙と鼻水でグシャグシャにした事があるから。だから、私をあの時、不器用な言葉だったけど一生懸命慰めてくれたクレール様の気持ちが分かって嬉しいわ」

「サウンド師匠にもそのような時期があったんですね」


 デリックの言葉に対して、サウンドの微笑みが若干の苦笑に変わった。


「実は、負けず嫌いって誰よりも泣き虫なの。この間もフォーゲル様に慰めてもらったばかり」


 サウンドの告白で、一同はまたもや笑いに包まれた。



 ****



 対峙するゴールデンサウンドへとコンクリートの床を蹴って勢いよく距離を詰めたプレアデスに対して、ゴールデンサウンドはプレアデスから飛び退いて距離を作る事を選んだ。何度かの羽ばたきだけで闘技場外周の柵付近まで後退したサウンドは、それに沿って旋回を始める。プレアデスが魔法を放つ事はなく、両手を構えたまま闘技場の中心に立ち、サウンドの動きに合わせ体の向きを変えている。


 その光景を見つめるフェリーチェの視線は鋭さを浮かべている。フリッシュの直弟子は観客に配慮して、魔法を控えているのだろうか。あるいは、サウンドの出方を窺っているのか、ある種の挑発か。


 いずれにせよ、民衆の身の安全は保障されている。最前列に陣取る巨鳥たちは、大魔術師であるがゆえの特権だけでそれを得たわけではない。ふたりが相手へ当て損なった攻撃魔法を防ぐ防御魔法を展開し続ける役割も兼ねている。そもそも、この腕試しは殺傷を目的としていない。フリッシュとプレアデスはそれに同意している。


 さらに、この闘技場の隣には、翼正会が医療兵団との契約により雇った医療兵士の詰め所が存在している。医療兵士、延いては医療兵団そのものが「前世界の医療技術の発見と管理と防衛」と「現世界の魔法医療の研究と開発」を目的とした、一般的な医療者ではなくれっきとした技術者系戦闘集団であるが、金銭をともなう契約は絶対だ。特に、数年前に責任者として出向してきた現任の医療准尉は、刃物を使っていて作ってしまった小さな切り傷にさえ惜しげもなく薬を出すほど面倒見がいい。


 旋回を続ける大ハチドリが、漆黒のハルクエンジンの少年に向かって稲妻を放つ。こういった電撃魔法は攻撃系の中でも初歩的なものだ。しかし、巨鳥の魔法は、直弟子や一門弟子が唱える同じものよりも威力が倍以上にも達する。プレアデスは動じる事なく、自身を包んでいる表面がかすかに揺らぐ透明に近い膜で全て防いだ。それに電撃が衝突し、球状の魔法の輪郭が明確にあらわとなったのちに、すぐさまもとの色に戻った。


「『CCTA』……まさか実現していたなんて……」


 交戦が始まってから絶句していたミチビキが、絞り出すように呟いた。フェリーチェには聞き慣れない単語であったが、アンドロイドには覚えがあるようだ。


「ミチビキ少年、それはプレアデス少年を包むあの膜の事か? サウンドの魔法を防ぐあれが、どういう原理か知っているのか?」


 赤いカナリアの疑問を代弁するかのように、プリズンロックが問う。ミチビキは彼へ頷いたのち、再度プレアデスに険しい視線を向けながら、それの説明を始めた。時折魔法を放ちながら旋回を続けるサウンドの顔には困惑が見て取れるが、それを完全に防ぐプレアデスの表情は穏やかそのものだ。どちらが優勢で、どちらに余裕があるのか、専門的な知識や経験を持たない観衆たちの目にも明らかだろう。


「ハルクエンジン、延いてはジェネレーターが搭載された機械、あるいは銃や大砲火器において、冷却は最も大きな課題の一つです。人間や馬が一般的な動物の中で屈指の持久力を持っているのは、発汗による体温調整に優れているおかげです。しかし、機械の場合は体温とは桁違いの高温が発生します。機械としての全体的な性能を上げる為に、より多くのエネルギーを扱う為に、冷却効率や排熱効率を上げる。それが前世界から続く、機械の基本構造です」

「なるほど、それで?」


 大ツルがフェリーチェへと目配せしながら相槌を打った。赤いカナリアはそれに小さな頷きで返答した。ここまでの説明は全て理解できる。


「その画期的なアプローチとして前世界で実験されていたのがCCTA、『冷却系変換熱力装甲クーリングコンバーテッドサーマルアーマー』です。動力源で生まれた熱エネルギーを変換し、ああいった防御フィールドを展開する機構です。つまり、冷却性能と防御性能を同時に高める手法です。欠点として構造的複雑化にともなう重量増加や物理的防御性能の低下、つまり、動きが鈍くなり、本体そのものは打たれ弱くなってしまいます。さらに、一般的な冷却機構よりも整備性が悪化します。しかし、その本体から独立したエネルギーの障壁は、それを補うほどの防御力があります。さらに、CCTAは本体の動きと連動同期しているので、相手の攻撃は防ぎ、自分の攻撃は透過するという非対称性があります。前世界では大型機動兵器での実験段階だった時点で前世界崩壊が起こったという記録を読んだ事がありますが、現世界の魔法科学で実用化と小型化まで実現したようです」


 ミチビキは淀みなく、あの防御膜、つまりはCCTAの出発点と特徴を説明した。なんらかの理由によりミチビキは、サタンズクローから自身の過去について取り上げられている。しかし、己に関する事柄でないなら、彼には積極的に前世界の技術知識やそれに準ずるものが与えられている。クローの背中に乗ってMRCへと赴く際にも同様だろう。


「ミチビキ少年、MRCはCCTAを製造できるか?」


 プリズンロックが、ミチビキへと再度尋ねる。その言葉には、言葉通りの意味が含まれていない。「フリッシュとプレアデスが『その気』を起こした場合、MRCを通じて彼らと同じ力を持つ事ができるか」という「可能性への備え」を問われているのだ。アンドロイドが大ツルへ視線を向けずのまま答えた。


「MRCに、過去の簡単な記録資料以上の、CCTAに関するノウハウは存在しないはずです。しかし、僕が今この目で見ているので、その機械的構造や機能的構造はある程度予測できます。サタンズクロー師匠も同じです。それらがあれば、MRCでもCCTAを、あるいはそれに類似した防御機構を製造できるかもしれません。ですが、MRCにはCCTAに関するライン、一貫した製造設備がありません。なので、仮に現段階で実際に製造するとなると、特注品として造る事になります」

「つまり?」

「やろうと思えばできますが、莫大な費用を覚悟する必要があります。羊毛を得る為に羊を育てるところから始めて、服を全身一式仕立てるようなものですから」

「なるほど、フリッシュはそれを受け入れたというわけか」


 そこでふたりは会話を打ち切り、サウンドとプレアデスの戦闘に集中した。フェリーチェは、言外からその理由を察した。


 時に、眼前に突きつけられた事実は言葉よりも雄弁に物事を語る。プレアデスのハルクエンジンにCCTAが搭載された際たる理由、それはフリッシュの覚悟だ。MRCから離反したと思われる技術組織においても、あの防御機構は特注品扱いだろう。あれが量産されているなら、目ざとい他勢力がそれを欲しがらない理由はない。しかし、フェリーチェが知る限りでは、ハルクエンジンを愛用している騎士団の「乗馬従者」も医療兵団の長期実地調査隊も、CCTAを持ち合わせている様子はない。


 つまり、プレアデスのハルクエンジンにCCTAが搭載されている理由は、師であるフリッシュの彼に対する期待の表れだ。フェリーチェには具体的な製造費用を想像できないあの機構を、他の師弟と比べ、弟子として迎え入れてさほど間もないであろう少年に与えるほどの。


「フリッシュ様! あなたほどの巨鳥が、ご自身の直弟子にあんなものを着させて何をさせるおつもりですか!?」


 旋回を続けるサウンドが、闘技場の隅に佇む「死を招く黒い鳥」に対して叫ぶ。その疑問は、フェリーチェが脳裏に浮かべているものと同じだ。大ハチドリへ返答する大ミサゴの言葉は、返答ではなかった。


「サウンド。やはりお前がテーラーに勝っているのは、翼正会での序列だけだ。まさに籠の中の鳥、卵の中の雛だな。テーラーはお前よりも随分前を飛んでいる」


 それを耳にしたジェイドの目から大粒の涙がこぼれ、己の顔を両手で覆った。魔法で施した化粧が簡単に崩れる事はないが、彼女の胸中はその言葉で大きく掻き乱されているだろう。他にも、怒りや動揺を隠せない直弟子の姿が見受けられる。


「ひどい……」


 フェリーチェを指に乗せたミチビキが、短く漏らした。ゴールデンサウンドは巨鳥の魔術師の中でも直弟子たちから特に慕われている一羽であり、ミチビキをはじめとした弟子たちの反応は当然だ。


 そして、その挑発は、サウンドとテーラーの関係を知っているからこそ口にしたのだろう。彼の口振りから察するに、フリッシュは現在のアディクトテーラーを知っているようだ。あるいは、累卵楼を出た巨鳥同士で協力関係にあるのかもしれない。


 赤いカナリアの予想とは裏腹に、サウンドは不敵に笑った。フリッシュに顔を向けたまま放った大ハチドリの冷凍魔法を、漆黒のハルクエンジンの少年はまたもや魔法科学の膜で防いだ。


「そのような安っぽい言葉に乗るほど、私は雛鳥ではありません!」


 直弟子がそうであるように、巨鳥もまた日々鍛錬を続けている。サウンド自身はおろか、フェリーチェから見ても彼女が拙くか弱い雛鳥だとは思わない。しかし、大ミサゴの狙いは別にあったようだ。


「だから雛と言った。どこを見ている。お前と戦っているのは僕ではない」


 闘技場の柵の周囲を回っていたサウンドは、咄嗟に翼をはためかせ、上方へと素早く回避した。その判断は正解だったと言える。


 いつの間にか、プレアデスのハルクエンジンの随所が変形していた。鋼の鎧の肩当てや、腿、脛の横や裏、背の中心、胸当ての左右の端、腰などに大小様々な円錐状の構造が露出している。


「これで決めるつもりだったのにい! やっぱり強いねえ!」


 フェリーチェは閉じた瞳で目を見張った。強大な機械鎧を纏っているとはいえ、人間が「あれ」の力を携えているなど考えもしなかった。赤いカナリアには「あれ」に見覚えがある。「あれ」はアイゼンフォーゲルの尾翼の下に備え付けられたノズルに似ている。間違いなく、フォーゲルの三段モード可変ジェットエンジンと同様に、推進装置ブースターだ。


 闘技場の床へと向けられたノズルがまたもや閃光と爆音を噴き、プレアデスの体をさらに上へと押し上げた。今度は横に向けられたそれらが再度働き、その速度に乗りながらフリッシュの弟子は右の拳を繰り出した。サウンドは身を捩ってそれを躱し、魔法によって輝く嘴をプレアデスの胸へと突き出す。しかし、大ハチドリの反撃はCCTAによって阻まれた。胸のノズルの輝きによって、プレアデスの体は後退と降下を同時に行なう。その速度で生じる慣性に体が押し潰されないのは、プレアデス自身かハルクエンジンで増幅させた常在型魔法の恩恵だろう。


 着地の直前に作動したノズルによって、プレアデスは闘技場のコンクリート製の床へ軽やかに両足を着けた。彼から見て15メートルほどの高さで旋回するサウンドは、またもや電撃の魔法を唱える。不規則な軌道を描いて自身へと迫るそれらを、プレアデスは推力の手助けを受けながら手早く避け続ける。まるで雷のごとき疾走だ。大ハチドリは何度も呪文を唱える。まるで雷そのものの濁流だ。しかし、大ミサゴの直弟子を捉える事は叶わない。仮にそれが実現できたとしても、彼の体を包むCCTAが直撃を拒むだろう。サウンドの猛攻を掻い潜るプレアデスの鎧のノズルが、光の吐き方を変えた。断片的ではなく、持続的な加速として。


 それによって、翼を持たないプレアデスは翼を持たずとも飛んだ。サウンドが光の槍を何本も繰り出す。しかし、それはプレアデスよりも遅かった。彼が通った宙を切り裂く魔法は、観衆の最前列に佇む巨鳥たちの防御魔法によって弾かれ、泡立つような音を出して霧散した。サウンドへと肉薄したプレアデスが左足で蹴りを放つが、彼女はそれを間一髪で回避した。大ハチドリは漆黒の鎧の背に光の槍を放つが、瞬時に光を吐き出すノズルによって体の前後を反転させ彼女へと向き合ったプレアデスの防御膜によって消失した。推力に乗ってプレアデスが再度サウンドへと迫る。しかし、サウンドはそれを迎え撃とうとはせず、彼に背を向け翼をはためかせた。あのサウンドですら、プレアデスとの接近戦は分が悪いと判断したのだろう。


「『CTHB』……しかも瞬発ラピッド巡航クルーズを使い分けられる……」


 怒りにも似ている厳しい瞳のミチビキが呟く。眼鏡の奥からサウンドとプレアデスを追っていたプリズンロックが、彼へと視線を変えた。


「ミチビキ少年、『CT』がつくという事は、あれもCCTAと似たような機構か?」


 大ツルからの問いに、アンドロイドはため息を一ついたあとに答えた。その呆れた態度を向ける相手は、「待ってよお!」と朗らかに叫びながらサウンドを追うプレアデスで間違いない。


「はい、プリズンロック師匠……『変換熱力混合推進装置コンバーテッドサーモハイブリッドブースター』……CTHBは、ジェネレーターからの出力の他に熱エネルギーも推力に変換した推進装置です。あれも、前世界では実験段階だったそうです。CTHBとCCTAを併用できるのは、ツインジェネレーター式による膨大な熱エネルギーと出力によるものでしょう……それでも、やはり『息継ぎ』が必要なようですが……」


 ミチビキの言葉通り、プレアデスのハルクエンジンは、二つの動力を持ち合わせていても常時エネルギーを賄いきれないようだ。ブースターを噴いて空中でサウンドを追っていたプレアデスが、それを止めて鋼鉄の両足で着地した。コンクリートの床に亀裂が走る。


 間合いが生まれた事で攻守逆転となった。サウンドが変則的な軌道を描きながら、電撃の魔法を続けざまに放つ。しかし、それは例よってプレアデスを包むCCTAによって阻まれた。決して稚拙ではない、むしろ一般的な魔術師のそれよりも強大な大ハチドリの魔法を防ぎきっている。その様子から、少なくとも今はハルクエンジンの設定を、移動よりも防御を優先して割り振りしているのだろう。巨鳥が相手ならば当然といえる。


 それでも、腕相撲で拮抗すれば体力を消耗した末に力尽きるのと同様に、CCTAで永続的に防ぎ続ける事はできないようだ。ブースターで瞬発的な加速を何度も繰り返し、大ハチドリの攻撃からの回避を始める。地上から彼女へと迫るプレアデスは、サウンドの真下からCTHBの推力で勢いよく跳ぶ。またもや攻守逆転だ。空中で前転するかのごとき動きで、サウンドがプレアデスの拳を寸前のところで避けた。プレアデスのそれと異なり、瞬間的な魔法障壁に身を包んだサウンドが、彼の攻撃が己に達するのを遅らせたのだ。


 サウンドは体を丸めたまま落下を始めた。プレアデスは推力を使ってそれを追うが、ブースターが輝いたその瞬間に、サウンドがその体勢のまま真横へとすぐさま跳躍した。彼女自身の魔法によるフェイント惑わしだ。まるで投げられたボールのようだった。サウンドが再び翼を広げると、闘技場の床に拳を突き立てたプレアデスを睨みつけながら旋回する。それを目で追うフリッシュの直弟子の顔には、余裕の表れであろう微笑みが浮かんでいた。


 あの風貌から想像できないが、フリッシュはある種のロマンチスト甘美主義者なのだろうか。「プレアデス」とは、夜空で輝く星々の集まりの名前だ。フェリーチェはあの日の事を思い出す。


『僕の中に初期設定プリセットされたロサンゼルスの夜空とあまり変わっていなくて、こう言ってはなんですけど、少しだけ安心します』


 ミチビキが製造された時代において占星術はオカルト妄言だったらしいが、現世界ではいかなる魔法流派でも基礎教養の一つだ。累卵楼屋上で定期的に行なわれるローゼンクレセントからの講義へ当時のミチビキが初めて出席した時に、フェリーチェの隣で彼が呟いた。


 あの時、わずかに寂しげな顔つきを浮かべたミチビキを抱きしめればよかったのだろうか。そうすれば、彼は安らぎを得たのだろうか。フェリーチェには分からない。


『フェリーチェさんは、どの星が一番好きなんですか? 僕はもっと、フェリーチェさんの事が知りたいです』


 あの時の、ミチビキへの返答は今でも覚えている。そして、自分が今後、占星術においてプレアデス星団に頼る事はないだろう。


 それは、ミチビキが険しい眼差しを向け続ける、星々のごとき輝きを纏った漆黒の鎧の者の名になった。

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