2 記憶の整理をいたします

 小さく呟いたルディアに、誰もが緊張の視線を向けた。


 自分たちに敵意を向けたり危害を加えたりして来るのは、苦しい気持ちもあるがまだ受け入れることが出来る。

 けれども、パニックで自分を傷つけるようなことをするのではないか、また気を失ってしまうのではないか、世の中を憎み恨んでしまうのではないか、もしくは生きる気力を失ってしまうのではないか。


 咄嗟の時はすぐに行動できるようにと、誰もがルディアの次の行動に注視する。


(そう、あの時。はあの時、階段の途中で突き飛ばされて、落ちて……死んだのね)


 ゴチャゴチャと混ざり合っている記憶が前世のもので、ここにいる自分はのものだと切り替えれば、すっと頭の中の記憶が仕分けされていくのがわかる。


(そして、わたくし・・・・はお母様が目の前で刺されたショックで倒れて、こうして前世を思い出してしまいましたのね)


 フィディスに抱きしめられたまま、ルディアは何度もゆっくりと深い呼吸を繰り返す。


 長い時間をかけて、前世と今世の記憶を仕分けしていくのを、誰もがじっと息を殺して見守る。

 わかっているのだ、この状態のルディアの邪魔をするようなことをしてはいけないと。


 好ましくない最期を迎えた可能性が高い前世の記憶、幼いとはいえ公爵令嬢として生きてきた今世の記憶。

 前世がどのような人生だったのか、当人以外はわからないが、死んだ記憶を五歳の幼子・・・・・が処理をするのは、心身ともに相当の負荷かかっているはずなのだ。


 ゴチャゴチャと混ざり合い、散らばっている記憶が整理されていく途中、ふと気になった記憶にルディアの体がピクリと動き、部屋の中の緊張が一気に高まる。


「りゅでぃア……わたくし、りゅでぃア!?」

「ルディ!?」


 唐突に腕の中で声を上げ、飛び上がらんばかりの力が入ったことを感じ取ったフィディスは、咄嗟にルディアを抑え込むように力を込めて名前を呼ぶ。


(ルディア=ヴェヌ=ウィンタークって、『夜明けの聖女~空の果ての約束の大地~』の序盤に登場する悪役令嬢の名前じゃない!? ———ちゃんが嵌ってた、ライトノベルの!)


 名前は思い出せないが、前世の兄の娘、つまり姪がド嵌りして、そのライトノベルをはじめ関連したグッズを購入するためだけに勉強を頑張ったという、あの!? とルディアは顔が引きつってしまう。


 そのライトノベルは、悪役令嬢と婚約破棄をした王子とヒロインが結ばれてめでたしめでたし。とはならない。

 婚約破棄を突き付けられたことで、悪役令嬢は失意のあまり自殺。

 そのことで怒髪天となったのは、ほかでもない国王と前国王。そして他の公爵家だった。

 国王と前国王は、可愛がっているルディアの死を受けて。

 公爵家の者たちは理不尽な命令による・・・・・・・・・血族の死・・・・を受けて、婚約破棄を言い渡した王子を許さなかった。

 ルディアの自殺を止められなかった罰として、ルディアとヒロインの父親は処刑され、王子は王籍を抜かれた上で島流し・・・となった。


 この島流し、海に囲まれた島流されるのではない。

 文字通りの島から・・流されるのだ。


「ぇ、ここ……そらの上?」


 ピタリと動きを止めてそう呟いたルディアに、フィディスはなるべく刺激をしないように頷く。


「その通りだ。この世界の全ては浮島・・で構築されている」

「うきしま……。本当にしょーせつの世界」



 頭の中に前世で見せてもらった小説の挿絵、果ての見えない空に浮かぶ大小様々な無数の浮島のイラストが思い浮かび、そのイラストが次第に知っている現実風景リアルへと変わっていく。


 グラデーションを作る紺碧を、さらに鮮やかに魅せる白い雲。

 空に浮かぶ島々の間を飛ぶ船。

 慣れ親しんだ大地が次第に遠のき、別の大地が近づいてくる。

 何度見ても・・・・・その光景に胸の高鳴りを感じた。


 中央にあるフラウム。東にあるカルレム。西にあるレウコン。南にあるエトロン。北にあるメイラン。

 この五つの浮島を主島として、様々な島々がまとめられディヌス王国となる。


 島流しを受けた王子とヒロインは、行く当てのない船に乗り世界を旅し、苦難を乗り越え最後は世界から・・・・聖女と認められ・・・・・・・、約束の大地に仲間とともに辿り着く。


(いいえ、そんなことはどうでもいいの。つまり、わたくしは物語序盤で自殺する悪役令嬢に転生してしまったということですの? また、惨めで辛い思いをして、しかも今回はそれを悔やんで死にますの?)


 そこまで考えてから、ルディアはふっと表情を消した。


「ルディ?」


 強張っていたからだから急に力が抜けたことを感じ取り、フィディスが刺激しないように静かに声をかける。


「……り、……すわ」

「ん?」


 静かなこの部屋の中であっても聞き取れない小さな声。

 思わず聞き返したフィディスに対し、ルディアは顔を向けるとにっこりと笑みを浮かべる。


「そんなもの、おことわりですわ」

「………………うん?」


 とても世の中を憎んでいるとは思えない、子供らしいような、それでいてどこか達観したようなもの。

 どこか深淵の一部を見てしまったような錯覚すら起こさせる笑みに、フィディスはつられて笑みを浮かべ、コテリと首を傾げた。


 部屋に微妙な沈黙が訪れたのは言うまでもなく、フィディスすら首を傾げたまま戻すことも出来ずにルディアを見つめている。

 そんな中、ルディアはさらに笑みを深めた。


「おにい様、わたくしはこのままいくと、自さつしてしまいますの」

「は!?」


 ゴキンッと音がしたのではないかと思えるほどの勢いで首を元に戻したフィディスは、少しだけ力を抜き距離を離していたルディアをきつく抱きしめた。


「ダメだ。ルディは絶対に死なせない!」

「くっ、お、にい様、くるしっ……っ」

「っ! ああ、すまないルディ!」


 肺がつぶれたような声に、慌てて腕の力をわずかに緩めたが、フィディスがルディアを離すことはない。

 そこには先ほど宣言したように絶対に死なせないという意思がこもっているのだろう。


「ふぅ。あのね、おにい様。自さつするといっても今ではありませんの。えっと……十年ご? うん、そうです。十年ごに自さつしますの」

「なぜ……」


 それはどうして自殺するのかと聞いたのか、それともどうしてそんなことが分かるのかと聞いたのか、尋ねたフィディスにもわかっていないのかもしれない。


「ん~、恋にやぶれて?」


 どうして自殺するのかと聞かれたと思ったルディアは、抱きしめられているせいで動けないため、唇を尖らせ、その理由は不服であると主張したのだが、フィディスは目を見開きルディアの肩を掴んだ。


「ルディは誰かに恋をしているのか!?」

「してませんっ!」


 あまりの気迫に必死に首を横に振って否定の言葉を即答したが、フィディスの目は見開いたままルディアを見つめている。


(ひぇんっ。美少年のガンギマリこっわいですわ)


「なら、私以外の誰に恋をすると!? 挙句に恋に破れる?! 私のルディが!?」

「おにっさっまっおちっ――」

「若君! 落ち着いてください!」


 ガクガクと激しく揺さぶるわけではないが、それでもしっかりと肩を掴んだ腕を前後に動かしたため、ルディアの上半身が揺れ脳みそが揺さぶられる感覚に思わず意識が遠のきそうになったところで、医師がフィディスを声がけだけでなく、しっかり押さえこんで止めた。


 止められたことでハッとしたフィディスはすぐさまルディアに謝罪をしたが、流れるように「それで、私に殺されたい愚か者は誰だ?」と目を見開いて顔を近づけた。


(お兄様、シスコンでしたのね。うん、知っていましたわ)


 元より周囲から仲がいいと言われている兄妹だ。

 しかもフィディスはルディアが母親の子宮に居るころから、「この子は僕の光であり、運命の人」と公言していた。

 そして生まれてからは、母親と祖父以外はドン引きする過保護ぶりに、ルディアの・・・・・・・将来を思わず心配せずにはいられないほどだった。

 そんな兄の愛情を一身に受けて育ったルディアは、これまでそれを当然だと受け入れていたが、前世の記憶が戻った今は理解できる。

 フィディスのルディアに向ける愛情は度を越している。

 せめてもの救いは、祖父と母の尽力もありフィディスがルディアを溺愛しながらも、叱るべきところは叱り、ダメなものはダメだと言っていたことだろう。


 小説の中では、祖父が亡くなった後のルディアは兄であるフィディスに依存し、そのフィディスも流行り病で亡くなってからは婚約者であるウィクトルに依存して執着した。

 それが自殺の原因だったとしても、自分を愛さない父親とそんな父親に愛される異母妹と共に暮らすルディアは、それしか自分の居場所が残っていないと思ったのかもしれない。

 もちろん、小説内でルディアの死後に国王や他の公爵家が動いている事から、ルディアは十分に愛され大切にされているのだが、祖父の死後に家を乗っ取るようになった父親と異母妹によって視野が狭くなっていたのかもしれない。


 それでなくとも、ずっと兄の愛情を受けていた身だ。

 父親命令による留学で引き離された状態は精神的に不安定になってもおかしくないし、その上、離れた土地で兄が亡くなったとなれば心が弱くなったのもわかる、とルディアは思いながらも、目の前で目を大きく見開いたまま瞬きをしないフィディスに何と言えばいいのか考える。


 考えた末に——と言っても一秒もかかっていないが、とても可愛らしい笑顔を浮かべてこう言ってのける。


「おかあ様がこんなことになったげーいんの一つの、うぃくとるでんかですわ」

「よし、今すぐ処分しよう。お爺様に言えばすぐにお許しくださるよ」


 可愛らしい笑顔のルディアを見て、フィディスは表情こそ通常の笑みに戻ったが、その笑みのまま王族を処分するとあっさりと言ってのけた。


「物騒な話をしているな」


 不意に部屋の扉の方から声が聞こえ、そちらを見れば、ルディアとの血の繋がりを感じさせる黒と青のグラデーションの髪を持つ壮年期と思われる男性が、困ったような笑みを浮かべている。


「お爺様」

「やあ、フィス。僕の分までルディの傍にいてくれてありがとう。ルディも目が覚めたようでなによりだよ」


 そこで言葉を切り、近づいてきた男性、ルディアとフィディスの祖父であるアーストン=ヴェヌ=ウィンタークは「それで」と笑みを深めた。


「我が娘、ヴィアの死の原因とはどういう意味かな? そして、どうしてそんなことをルディが知っているのかな?」


 言い逃れも誤魔化しも一切許されない。そう感じ取れる、目が笑っていない綺麗な笑みを向けられてたが、ルディアも負けじとかわいらしい笑みを返した。

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