第11話

 鈴の葬儀が済んで幾日か経った頃、源助は同心の高木の元へと出向いていた。

 いつもの寄り付き場ではなく高木家の仏間に通された源助は、仏壇に手を合わせる高木の後ろで、同じように手を合わせた。

 高木が仏間に源助を通す時は、何か大きなことがある時だった。

 最初に高木の下で働くことを決めた時や、大きな事件が起こった時などにこうして手を合わせてきた。

 普段は玄関先にある寄り付きの部屋で顔を合せ、飯をもらい、情報を交換して来た。今日は鈴の葬儀の後、初めて高木の元へと赴いたためのことだと思っていた。自分の配下である者の身内の死。それに対しての報告だろうと考えていた。

 源助はどう口火を切るか迷っていたが、最初に口を開いたのは高木の方だった。


「覚悟は決まったんか?」


 ああ、この人は最初から全てお見通しなのだと、源助は膝の上に置いた手を握りしめた。何を言っても、いや言わずとも、もう答えは決まっていると知っているのだと。


「へえ。あいつの葬式にも影で尽力してくださったそうで、ありがとうごぜえやす。俺はこの歳なっても何もできなかった。後で高木様の助けがあったと聞きやした。奥様にもお手間を取らせちまったようで、お礼のしようもありません。

本当にありがとうございました」


 畳に額を付けるほどに深く頭を下げる源助に、高木は「よせやい。他ならぬおめえの妹だからやったまでだ」と、礼を受け取らぬつもりだった。


「半端な荒くれ者だった俺を、この世界に引きずりあげてくださったのは他でもねえ、高木様だ。あんたがいたから俺は真っ当になれたんだ」


「いや、ちげえな。おめえを堅気の道に戻したのはおめえの妹だ。あの子がいたから、おめえは正気に戻れたんだ。そうだろう?」


 高木の瞳は優しく、あたたかい。そんな眼差しで源助を見つめる。

 そこには目の前の源助だけではなく、鈴の幼い頃の姿をも浮かばせているのだろう。高木の言葉に源助も微笑み、大きく頷いた。


「そうかもしれやせん。鈴を育てるのに必死でしたから。途中からはあいつの為に生きているようなもんでした」



 四十路近くになる源助と鈴は、親子ほどに歳が離れている。

 源助の父親は女房を何度も変えるような男で、その度に子を増やしていた。

 源助を筆頭に弟妹の数は多く、知らぬ間に産み落とされた子も入れれば、両手で足りないかもしれない。

 そんな父親だったから、源助も母も距離を置き関わらないようにしていた。

 ある日のこと。源助の元に子を抱いた女が現れ、何を言うかと思えば「あんたの父親の子だよ」と、物を渡すように差し出され、気が付けば乳飲み子の鈴を腕に抱かされていた。


「この子がいたんじゃ、仕事もできやしない。探したけどあんたの父親、行方がわからなくなったから代わりにあんたが育ててよ」


 女は言いたいことだけ言うと、勝手にいなくなってしまった。

 呆気にとられた源助は、すやすやと眠る赤子を腕に抱きながら困り果てた。

 そうして、悪事に手を染め始めてから顔を見ることもなくなった母親の元を訪ねた。いくら自分の子ではないにしても、自分を生み育てた母親だ。子の育て方は知っているはずだと。

 だが、かつて住んでいた長屋に行くと、知らぬものがすでに住んでおり、母親の姿がない。同じ長屋の者に聞けば、とうの昔に死んだという。

 道を踏み外した息子の事も、女癖の悪い元の亭主のことも頼らずに、最後は孤独に死んでいったそうだ。

 思えば十二で丁稚に出させられ、そこから逃げ出した源助は転々と職を変え過ごしてきた。自分の母親のことなど、赤子を預けられるまで思い出しもせず、まさか死んでいるとは夢にも思わなかった。


 それからというもの、源助は一人赤子のために奔走し続けた。

 同じ長屋の者や自らの子分たちに頭を下げ、乳を恵んでくれる人を捜した。

 荒くれ者の源助を怖がり最初は見ないふりをしていた者も、毎日、毎晩、泣き続ける乳飲み子の泣き声を聞くうちに情も湧き、ついには声をかけてくれる者がでてきてくれた。

 それからは乳だけではなくおしめの用意など、なにかにつけ気にかけてくれはじめ、ようやっと形になっていったのだった。

 初めて笑った時も、歩いた時も、いつでも源助はそばにいた。

 鈴と名付けたのも源助で、親子のような兄妹の姿がそこにあった。


 本当は気が付いていた。鈴は血を分けた本当の妹ではないと。

 鈴を連れて来た女が父と関係があったことは確かなのだろう。だが、似ても似つかないその赤子を見て、違うと感じてしまった。そして、その勘は外れていないだろうことも確信があった。

 今はもうどこにいるのかも知れない父親を、捜すつもりは毛頭ない。

 源助は初めて見て、その腕に抱いた瞬間に、自分が守ると誓いを立てた。それはまるで、自分のような荒くれ者たちを子分にする時に、最後まで面倒を見ようと覚悟を決めたそれに近いのかもしれなかった。

 




「鈴のかたきを取りてえと思いやす」


 二人きりの仏間では線香の煙がゆらめき、締め切った部屋には匂いが充満していた。線香など高価なものは町人には手が出ない。鈴の葬式では安物の線香に火を付けていた。匂いも何もない、ただ煙だけが立ち上るだけの粗悪品。

 それでも無いよりはずっといい。

 ここ高木の家ではずっと高級な線香を使っているのだろう。亡き鈴の話を、この匂いの中で出来ることが弔いになると、源助はそんな風に感じた。


「そう言うと思ったよ」

「……、すいやせん」


「いや。俺がおめえの立場なら、同じことを思ったはずだ。気持ちはわかるさ」

「本当にすいやせん。ご迷惑をかけることになってしまって」


「こればっかりは仕方ねえさ。俺に手伝えることがあれば何でも言ってくれ。

 おめえの今までの働き分の足しにもならねえかも知れねえが、少しくれえは役に立つこともあるだろう。」

「そんな……。俺を拾ってくれた御恩は返しても貸し切れねえのに。本当に感謝してます」


「昔の荒れた生き様は、確かに褒められたもんじゃねえ。だが、妹を迎えてからのおめえは、人が変わったようにまともになった。それは確かだ。

 血の繋がりなんか無くったって、長い間一緒にいりゃあ家族みてえになるってもんだ、俺たちみたいにさ。な?」


 口角を上げ、目を細めて見つめる高木の視線は穏やかであった。

 源助は一瞬頭の中が白くなり、「え? あ……」と、言葉を無くしてしまった。

 自分のことを家族のように思ってくれていたことも嬉しいが、それよりも鈴と血が繋がっていないことを知っていたことも驚きだった。


「たぶん、町のもんは皆知ってるさ。おめえたちに血の繋がりがねえことは。

 きっと、妹さんもわかってただろうな。ちっとも似てない顔つきだ。それに、お節介風吹かしていらぬことを耳に入れる馬鹿はどこにでもいるしな」


 源助は思いもよらなかった。自分だけでなく、町の者皆が同じことを思っていたことを。ならず者の手に預けられた幼い命を案じ、どうにか救おうと思った者もいたのかもしれない。それでも、いつしか周りの者に助けられ、兄妹は一緒に生きて来たのだ。


 こんなにありがたいことは無い。

 自分は町を、町人を守っていたつもりだったが、とんだ勘違いだ。

 守られていたのは自分たちの方だったと思い知り、源助は高木の前で声を殺してむせび泣くのだった。



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