第9話

 銀次の寝床は与市の店の裏手の方にある、小さな家だった。

 家と呼べるかどうかも怪しいような、小屋のような家。

 畳敷きの小上がりと小さな流し場。与市たちが用意してくれた布団と火鉢があるだけだが、銀次にとっては上等な寝床だ。

 そこから銀次は髪結いの師匠の元へと通い、夜になれば与市の飯屋に行き腹を満たしていた。頃合いを見ては仲間が集まり、次の仕事の段取りを相談し合う。

 そんな生活にも慣れてきて、少しずつ物も増え始めた時にさらに増えてしまったそれは、小さな幼女だった。


 後先考えずに連れて来てしまった。

目先の事にしか目が行かないのは、その日を凌ぐことしか考えられなかった子供の頃の影響だろうか。

 未来など想像もできなかった日々の中で、目の前の事を処理するしか出来ないようになってしまったのかもしれない。

 目の前にずぶ濡れの幼女がいた。しかもそれは、今しがた自分が強盗として押し入った家の子どもだと思う。

 咄嗟に頭に浮かんだのは太一の言葉だった。「顔を見られた」と。

 考え無しに声をかけた自分も悪いが、ずぶ濡れになり震えるその子は、かつて同じように寒さと飢えに震えた自分だった。あの場でその子を見過ごすほどに、冷淡な人間にはなり切れなかったのだ。

 そして浮かんだ太一の言葉で、気が付いたら抱き上げ走り出していた。


 貧しいなりにも、かろうじて人が暮らすにぎりぎりの状態の家に幼女を連れ帰ると、その子を小上がりの上に下ろした。

 ずぶ濡れのまま、ガタガタと震えている。それが寒さのためなのか、恐怖のためなのか、銀次にはわからない。

 だが子供の頃、同じように親を亡くした子供だけで寄り添うように暮らしていた時があった。その中には自分よりも幼い者もいた。

 皆で盗んだ物を分け合い、なんとか命を繋ぎ止める日々。

 その時に命の灯を消した子もいた。飢えと寒さで震え続け、次第に動かなくなっていく。その子と、目の前の少女が重なってしまう。

 自分が拾った命だ。なんとか、なんとかしなければと、それだけを一心に思い、自分もずぶ濡れになりながら幼女の面倒を見た。

 濡れた体を拭く物など無い。幼女の頭に被せてあった布巾を取り、絞るがびしょ濡れのまま。たまに銭湯に行くための布巾を流しから取り、幼女の体を拭いてやった。

 着替えなども当然無く、持っている着物は夏物と冬物が一枚ずつだけ。

 少女の浴衣を脱がすと、冬物の自分の着物を着せてやった。それでも震えは止まらず、風邪などひかなきゃいいがと思っていたら、案の定幼女の体が熱を帯び始めていった。

 銀次自身まともな子守りなど経験はないが、それでも懸命に目の前の命を守るために甲斐甲斐しく世話をするのだった。

 世話をする間、与市の言われた通りに身を隠すことになり丁度良かったのかもしれない。

 

 町の中が、どんなことになっているかもわからないまま。






 『おかめ盗賊』が峰屋を襲った翌日、町中に瓦版が飛ぶように売れ、町人の口々から噂話が飛び交っていた。


「おかめ盗賊もついに人に手をかけたらしい」

「まだ若い女中らしいじゃねえか」

「よりにもよって若いもんに手え出すなんざ、呆れるぜ」

「しかも、峰屋の一人娘も行方知れずとか」

「おかめ盗賊も地に落ちたもんだなぁ」


「きっと、何かわけがあったんだよ。やむにやまれぬ事情がね」

「なんでも岡っ引きの妹だとか?」

「そりゃ、あれだ。兄貴に憧れて自分の手で盗賊捕まえようとか、そんな大それたこと考えちまったんじゃねえのか?」

「おかめなんざ、黙って大人しくしてりゃあ命までは取らんのになあ」

「まったくだ。無駄死にとは、このこった」

「ちょいと待っとくれよ。おかめたちが手をかけたとは限らないだろう。下手人は他にいるかもしれないじゃないか」


 町人にとってみれば暇を潰せる話題が増えたと、好き放題の言われようだった。だが、それも仕方がないだろう。いくら町人の命が軽いといっても、矛先が自分に向かうかもしれないと思えば、人は嫌悪感を抱くものだろうから。

 



―・―・―



「高木様、うちの娘はまだみつからないのでございましょうか?」


 事件後、毎日のように現場に訪れる町同心の高木に向かい、すがる思いで峰屋の主人が声をかける。


「我々も全力で探しておるが、何分目撃者がおらんでな。もうしばらくまってくれ」

「そうはいいましても、もう三日も経っております。娘はまだ四つ。

 聞き分けは良い方でしたが、それでも連れ歩くには邪魔でしょうに。

 どこかで捨てられでもしたら、娘は生きてはいけません……」


 峰屋の主人は人目も気にせず、むせび泣いた。一粒種の我が子を奪われたのだ、無理もない。


「連れ去られたのか、それすらもまだわからぬ。

自分の意思で、あるいは誰かの手によって逃がされた可能性もある。それがわからぬうちは捜しようもないのだ」


 峰屋の主人は、町同心、高木の言葉に納得がいくはずもないが、役人に盾を突くほどの馬鹿ではなかった。どんなに金を持っていても、どんなに名声があっても、それでも役人には敵わない。いくら大店の店主とはいえ、所詮は町人。

 町人の命など、拭けば飛ぶような軽い扱いのものでしかない。

 ましてや今回の件は、裏で金を握らせて解決できる問題ではないのだから。

 人手を頼んで捜したところで、どこかに隠され、埋められていれば見つけることは難しい。

 峰屋の夫人は娘が行方知れずになった後、心労で寝込んでしまっている。

 おかめ盗賊に入られた後は、どの店も繁盛するはずだったのに、今回ばかりはそれも難しいだろう。


 嵐の晩に草履のまま歩き回られた家は、どこもかしこも泥だらけになっている。現場を調べるのには都合が良い。家人も、使用人にも聞き取りは進む。

 元々、おかめ盗賊を捕まえるつもりなど町奉行所には毛頭なかった。

 江戸から遠く離れた土地での事件だ。

 さして大きな事件もなく、小競り合い程度の喧嘩や人探しくらいが関の山。

 そんな地でおきた強盗事件に、町人はおろか役人までもが浮足立っていた。

 転々と流れるように爪痕を残すおかめ盗賊は、稼いだ後、ふらりと姿を消してしまう。だからこそ、これまでに捕まえることが出来なかったのだ。


 そして今回の事件で大きな問題がもう一つ。

 今までのおかめ盗賊になかった、死人が転がっていたことだった。

 この死人がまた厄介な相手で、町同心の高木は頭をかきながらポツリとつぶやいた。


「面倒なことになっちまったなぁ」


  今頃、死人を前に悔しい思いをしているであろう、源助を思い出していた。

今回のおかめ盗賊が押し入った後に転がっていた死人は、高木が身銭を切って雇っている岡っ引きの源助の妹だった。

 岡っ引きとは同心が自ら雇っている、いわば私的な探偵のようなもので、その岡っ引きが情報を集めたりといった雑用をこなす。

 元々源助は地元では名の売れた悪人だった。だが、親分肌の強い男で、若い頃から子分を従えつつその面倒を見ていた。

 同心の高木に、何度も手間をかけさせた過去を持つ。


 そんな男にも転機が訪れた。年の離れた妹の面倒を見ることになったのだ。

 それを機に役人の犬となって仕えるようになり、そんな源助に呆れ離れていった者も多い。だが彼の決意が揺るぐことはなく、それから長い間、同心である高木の犬として動いていた。

 岡っ引きをやりながら地元の用心棒のような事もこなし、源助の子分たちもおのずと同じように生活を改めていっ た。

 一度懐に入れた者は最後まで面倒見る。源助の男気に心酔する者も多い。

 そんな源助だからこそ、岡っ引きとしての仕事は十分過ぎるほど身に合っており、高木も源助を十分に買っていた。

 そんな源助のことを思うと、高木の胸も痛む。だが、それ以上にこれからのことを案じつつもあった。

 きっとあの男の事だ。妹の仇を討つために犯人捜しをするだろうことは容易に想像ができる。そうなると、岡っ引きの仕事も辞めるに違いない。

 源助はこの地で顔が利く。それは町人も商人に対しても同じだった。

 時間のある時には町を歩き目を光らせていてくれたおかげで、この町には大きな犯罪が起きなかったのだと高木は思っていた。

 妹を亡くし、仏様となったその身に張り付いている現在、街のあちこちで小さないざこざが現に起き始めているのだ。

 いかに彼の力が働いていたのかを思い知らされるようだった。

 そんな源助をいいように使いまわしていたツケが、ここに来て出てしまった。

 彼の後釜はいない。それほどに今の源助は、この町にとって無くてはならない人間になってしまっていた。


 これから先、この町の行く末を考えると、高木は嫌気がさすのだった。


「俺の楽隠居は夢に終わっちまったなぁ」


 十手を肩に置きながら、峰屋の縁側から仏さんが横たわっていた場所を見つめる。そして、その視線を空に向けると、大きくため息をついた。

 空は晴れ渡り、あの嵐の晩が嘘のように眩しく、目を細めるのだった。



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