30 ずっと好きだった人
己花さんに言われて桜公園へ向かった。
昨日の私は何て事をしてしまったんだろう。
考えている間、無意識に自らが着ているブラウスの胸元を掴んでいた。
どうしよう。まさか私が「彼」と話さないといけないなんて。私は音芽ちゃんや己花さんみたいに自然な雰囲気で喋れない。緊張してしまうと思う。特に「彼」は……ずっと好きだった人だし。
今日はライトブルーのスカートと紫陽花が思い浮かぶような色味のパーカーを着用している。フードの付いたパーカーは羽織っているだけなのでブラウスの前面にあるフリル等のデザインを隠さず可愛さを損なわない。むしろ存分に役割を果たしていた。ふんわりしたシルエットのスカートと丸襟の白いブラウスというガーリーなコーディネートにパーカーを組み合わせる事で甘過ぎる印象を抑えている。
それなのにどうした事か。パーカーを羽織った時の方が可愛さが増しているように感じる。スカートとパーカーを同じくらいの淡い色調で合わせ、間にブラウスの白があるのも爽やかでまとまった印象に思える。襟元のリボンはスカートと同じライトブルーだ。
自室で出掛ける準備をしていた際、己花さんが選んでくれた。『わたくしは服を組み合わせるのが得意ではありません。いつも音芽に任せていますの。変だったらごめんなさいね』と言っていたけれど。とてもありがたく感じた。涙が出てしまう程、嬉しかった。
しかし。実際に着る時になって尻込みした。心の深い所に積もった……醜いと感じ目を背けたものたちに浸かっていた身としては「可愛い」服をまとう状況に喜びよりも恐怖が勝った。己花さんにも『この服、私が着てもいいんですか?』と尋ねてしまった。私がこの可愛い服を身に付けても大丈夫なんだろうか……周囲の人たちから浮いているように見られてしまうんじゃないかと心配になった。
だけど「彼」の言葉を思い出した。「明るい色の服も似合ってる」と言っていた。
私じゃなくて音芽ちゃんへの賛辞だと分かっていた。小学生だった頃は暗い色の服や小物を選びがちだった。何となく……私には明るい色は似合わないんじゃないかと考えていた。でも……。
「彼がいいと思うのなら私もなるべく明るい色を選ぼう」とこっそり決意して服に手を伸ばした。
桜公園のベンチには既に「彼」が座っていた。私は近付きながら慎重に様子を窺う。今日は白いTシャツに大きめな黒いズボン姿で、肩上くらいまで長さのある金髪と揺れる金色の耳飾りはいつもの通りだ。
私に気付いてこちらへ走って来る。ううっ……。どうしよう。ドキドキして目を合わせられないよ。立ち止まり俯いてしまった。黒いサンダルを履いた足が視界に入って止まった。
「昨日はごめん」
謝られてハッとした。
そうだった。昨夜、私は彼に告白して……慌て過ぎて逃げ出してしまったんだ。
「私の方こそごめんなさい」と言おうとしていた。勇気を振り絞って顔を上げかけた時、彼が言った。
「音芽?」
そうだ。ちゃんと話さないと。胸の前でブラウスの布を握り締めた。
「ちが……います」
「ん? 何て言った? もう一度言って」
私の声が小さ過ぎて聞き返されてしまった。息を吸い込んだ後、顔を上げ彼を見た。
「違います」
しっかりした声が出てくれてよかった。言い切る。
「私は音芽ちゃんじゃありません。己花さんでもない。……己音です」
少し驚いたような表情を返された。
ここへ来る前に己花さんと交代した時から音芽ちゃんの気配を薄らと感じている。代わりに己花さんの気配を感じ取れなくなった。どういうメカニズムなのか分からないけど、脳内で会話できるのは二人までなのかもしれない。
昨日、音芽ちゃんと私は立場を交代した。彼女は私の為に居場所を譲ってくれたのだ。私は「外」に慣れていないし、うまく立ち回れそうにない。多分このままだと音芽ちゃんのイメージを悪いものにしてしまう。それに、きっと音芽ちゃんだってこれからも「彼」に会いたい筈。一刻も早く音芽ちゃんに「外」へ戻ってもらうべきだ。
それなのに。私は我儘だ。昨日の夜、思わず告白してしまった時もそうだ。「彼」があの時の……小学生だった頃にこの公園で本を貸してくれた男の子だと、やっと気付いた。
もう何もかもどうなってもいいから知ってほしかった。「私」の気持ちを。
音芽ちゃんは本気で「外」に戻らないつもりなのだろうか。彼は落胆するに違いない。考えて気分が重くなった。
私たちの側を数人の子供たちが走って通り過ぎて行く。小学生くらいの男の子と女の子の三人組で、公園の端の方には彼らの親御さんらしき大人が数人たむろしている。
「場所を変えよう。ここ暑いし」
提案され言われるまま彼に続いて公園を出た。坂の上の方へ進んで行く背中を追い掛ける。気になって尋ねた。
「どこに行くんですか?」
彼は歩みを止めないまま視線を向けてきた。
「オレんち。今日は弟いないから。親も出掛けてるし」
思わず立ち止まってしまう。以前、沼からぼーっと見ていた光景を思い出す。彼の家に行った日の出来事を。己花さんと「彼ら」のやり取りも聞いていた。己花さんと「彼」はグルだ。音芽ちゃんは「彼」に騙されていた。「彼」はきっと――。
私に合わせ足を止めた彼が振り向く。正面から見下ろしてくる。見つめ返した。彼の目は怖いくらいに真剣だった。
「もう二度といなくなるなよ」
抑えられた鈍い響きが鼓膜を震わせる。祈りのように聴こえた。
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