17 出会った日(蒼視点)


 俺の頭を撫でてくる。涙目で微笑みを浮かべる女の子を見ていた。一つ結びにした短めの黒髪、濃い茶色の瞳、一見どこにでもいそうな普通の容姿のように思える。でも俺にとっては世界中の誰よりも綺麗で大切な存在だった。


 抱きしめて目を閉じた。ずっと偽りの姿を演じていた。彼女の心を手に入れたくて。だから本当の自分を見せるのが怖かった。自分の狡さや彼女を騙している愚かさに耐えられなくなった。


 今日、彼女に救われた。過去の苦しみも心の醜さも想いの歪さも抱えたままの自分を、ここにいていいよと受け入れてもらえた気がした。


 この日を知る為に彼女と出会ったのかもしれない。


 思考し抱きしめる腕に力を込めた。






 初めて会ったのは多分小学生の頃……十一歳だった。


 近所の公園でブランコに座っていた。両親は仕事で家にいない。放課後は家で勉強をしておくように言われていたけど、毎日そればかりだと詰まらない。弟も言い付けを守らず友達の家に出掛けていた。


 母が再婚し新しい父ができた。だから最近この町に引っ越して来た。転校した為、当然今まで仲のよかった友達とも離れ離れになった。家は何となく居心地が悪かった。いきなり家族になった父に慣れなかった。あの頃は家族の誰ともギスギスしていたように思う。


 四月の公園にはまだ桜が咲いていた。風が吹くと花弁が散って地面に舞い落ちていく。その様をぼうっと眺めていた。


 目線の先に誰かが立った。紺色のワンピースを着た同い年くらいの女の子だ。肩の上で切り揃えられた黒髪と感情の読めないどこか暗さを宿した眼が印象的だった。桜の降る向こう側にいる。


 歩いてこっちへ向かってくるので「何だろう俺に用事かな」とどぎまぎしていた。彼女は公園の真ん中辺りでしゃがんで何か見ている。


 気になって近付いた。


「何を見てるの?」


 尋ねるとその子が言った。


「これ……」


 彼女が拾ってこちらへ見せてくれたのは本だった。花弁に埋もれていたからなのか落ちているのに全然気付かなかった。厚い表紙の本で後ろに黒マジックで大きめに名前が書いてあった。思わず声が出る。


「あっ! これ、多分うちの下の階に住んでる人のだ」


 一つ年下の女の子がいたのを思い出す。学校に行く時、何度か見掛けた事がある。何でこんな所に本を落としてるんだ?


「拾ってくれてありがとう。俺が返しておくよ」


 ワンピースの女の子に笑い掛けて手を差し出した。本を受け取ろうとしていたけど彼女が本から手を離さない。手に力を込めて引いてもびくともしない。


「え……?」


 呆然と呟いて相手に目を向ける。


「もしかして……この本を読みたいって思ってる?」


 恐る恐る尋ねる。女の子はこくんと頷いた。頭を抱えたくなる。


「えええ。困ったなぁ。人の物を勝手に読んでいいのかなぁ。……あっ! ちょっと待って!」


 ある事に気付いて掴んでいた本を女の子の腕ごとひっくり返した。……やっぱり。


「何だ。じゃあちょっとここで待ってて! 絶対いなくならないでよ!」


 言い置いて自宅のあるマンションへ走った。



 十分くらい掛かったと思う。公園へ戻った時、彼女がまだいてくれたのでホッとした。本を膝の上に置いてベンチに腰掛けている。彼女の頭上に花弁が舞ってとても綺麗なのに、本人は桜には目を向けず本の表紙に視線を落としていた。


 彼女の目の前に立つ。


「はい」


 持ってきた本を差し出した。


「これ、うちにあるやつ。それと同じ本だと思う。貸すから読んでいいよ」


 俺を見上げていたぼうっとした瞳に何か光のようなものが見えた気がした。


「ありがとう」


 ロボットみたいにぎこちない声で言われた。彼女は人と喋るのが苦手なのかもしれないと感じていた。それでも精一杯伝えてくれたんだと分かった。何だか照れる。


 暫く並んでベンチに座っていた。女の子は熱心に本を読んでいた。俺はそんな彼女の隣で久しぶりに悩みを忘れ、穏やかな気分で景色を眺めていた。




 後日、その子と公園で会った。本を返してもらったり、別の本を貸したりした。


 最初は口数も少なかったけど、三回目に会った時には大分俺にも慣れてくれたみたいだった。本の力って凄いなと思った。


 彼女は異世界の話が好きだった。悪役令嬢になりたいとさえ零した。


「誰より強い悪役に。そしたらほかの人を許せる気がする。自分が一番悪いって知ってるから」


 そんな事を言っていた。


 暗くなるまで読んでいた日は、さすがに俺も注意した。もう帰ったほうがいいぞと。彼女は俺と同じで家に帰りたくなさそうな雰囲気があった。



 トゲトゲした気分も、本に夢中な彼女の姿を思い出すと落ち着けられた。彼女の為に本を貸していると思っていたけど違った。俺が彼女に助けられていた。








 ある日を境に、彼女が公園に来なくなった。「どうしたんだろう。俺、何か気に入らない事を言ったかな?」と心配した。


 寝ても覚めても頭の片隅で考え続けていた。そしてやっと気付いた。


「俺、あの子が好きだったんだ」


 その時にはもう遅かったけど。





 再会したくて捜した。友達に相談したり公園の近所の人に尋ねたりした。でも彼女の名前も聞いていなかったんだと今更思い至った。また会えるからと先延ばしにしていた過去の自分を恨んだ。手掛かりもなく時間が過ぎた。


 高校生になった。まだ彼女の事を諦めきれない自分に呆れ、少し笑った。




 そんな時――たまたま入った喫茶店で彼女を見付けた。




 目にした瞬間「彼女だ!」と感じた。相手は俺の事を忘れている様子だった。それでもいい。再会できた喜びを噛み締める。


 喫茶店でバイトをしているらしい彼女は、あの頃よりも全然明るい表情をしていた。


 席へ案内された。笑顔を見せてくれる。それは店員として客に向けられたものだと理解していたが胸がざわついた。

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