9 背信へのカウントダウン


「店員さん」


 呼ばれて再び顔を上げた。お客さんは楽しそうにニッと笑んだ。


「……って呼ぶのも変だと思うんだ。名前を呼んでいい?」


 尋ねられて頷いた。


「音芽です」


「俺は蒼。よろしく音芽ちゃん」


「よろしく。蒼君」



『己花さん、ごめん』


 胸中で先程の件を謝るけど返事はなかった。


 さっき歩道にいたのは……銀河君だった。彼が走り去った方へぼうっと目を向けていた。


「あいつが気になる?」


 言われて蒼君へ視線を戻した。肩を引き寄せられた。耳元で小さく秘密を囁かれる。


「銀河も君を好きだよ」





 色々衝撃的過ぎて。今朝の蒼君とのやり取りがぐるぐる思考を巡っていた。彼は何で、あんな事を言ったの?


 連絡先を交換した後、蒼君は傘を取りに家へ戻ると言って公園を去った。私も我に返って学校へ行こうと公園を出た。いないと分かっていても銀河君が向かった方をもう一度見た。


 歩道の端に何か落ちているのに気付いた。紺色の傘だった。さっき物が落ちるような音を聞いたけど、銀河君がこの傘を落とした音だったんだ。腑に落ちた。


 傘を渡したくても……あんなところを見られたので気まずい。

 蒼君に渡してもらおう。そう思考に結論を付けて己花さんにも確認した。


『己花さん。己花さん大丈夫?』


 少し経ってから返事があった。


『……生きていますわ。何ですの、あの兄弟はっ!』


 己花さんが怒りたくなる気持ちも分かる。


『あのね、蒼君が言ってた銀河君が好きなのって己花さんの事だと思うの』


『音芽の事ですわ』


『何でそう思うの?』


 断言されたので驚いて聞き返した。


『わたくしは気が強いですし、話し方も場にそぐわないという自覚があります。音芽の方が可愛いですし、素直ですし、優しいです。嫌いになれる要素なんてありません』


『己花さん。ありがとう。家族の欲目でも嬉しいよ』


『欲目ではありません』


『己花さんも強くてかっこよくて美人で優しいよ』


『何で同じ外見で美人なんて言えるんですの』


『己花さんも可愛いって言ったよね?』


「ふふっ」


 授業中なのに一人笑ってしまって口を押さえた。黒板前にいた年嵩の先生がチラッとこっちを見たけど何も言われなかった。ほかの生徒たちは授業に集中している様子でこちらを振り向く人はいなかった。ノートを取っている子が多い。


 女子の制服は白地に襟や袖に水色のラインの入ったセーラー服でスカートは紺色。男子の制服は白いシャツと紺色のズボンだ。


 窓際の席だったので授業の合間に外を眺めた。三階に位置するこの教室からは校庭や校門が見える。


 蒼君の着ていた制服で通っている学校におおよその見当が付いた。山の上の方にある学校かもしれない。結構遠いから、きっとバス通学なんだろうな。


 頬杖をついてそんな事を考えていた。



『……わたくしに遠慮しなくてもいいんですのよ? 音芽は音芽の思うように生きて』


 己花さんの申し出に息を呑んだ。


『でもそれじゃ己花さんは……?』


『わっ、わたくしっ? わたくしは別にあんなちゃらんぽらんしてそうな男、弟みたいにしか思っていませんわ。オホホ……』


 意地っ張りだなぁ、己花さん。ツンデレなのかな。微笑ましく思うけど本当の気持ちを知りたい。


『でも助けてもらってかっこいいって思ってるよね? 気になってるよね? 遠慮してほしくない』


 考えていた事を宣告する。


『私は私の好きにする。己花さんは己花さんの好きにしていいから。どちらがどうなっても恨みっこなしだからね!』




 そんな脳内会議を済ませていた。


 平日の夕方、桜公園で待ち合わせて蒼君と会った。傘を直接、銀河君に返したい旨を前以てメッセージで伝えていた。


「助けてもらったお礼も言いたくて。それから、銀河君の本当の気持ちを確認したい。もしかしたら蒼君の誤解かもしれないし。もし本当に蒼君の言う通りだったら謝りたい。私は蒼君が好きだから」


 蒼君は神妙な表情で頷いてくれた。


「……分かった」




 わたくしは察してしまいました。これは音芽がわたくしの為に機会を作ってくれたのだと。本当に銀河様に気持ちがあるのなら、悔いの残らぬよう振る舞えと……。


 そしてきっと……このチャンスを逃したら二度と銀河様に想いを伝える時は来ないのだろうという事にも気付いていました。


 音芽には蒼様がいます。わたくしの為に二人の仲を壊したくありません。


 音芽は蒼様に嫌われる危険があるのに、わたくしの気持ちを掬い上げてくれたのだと感じました。


 わたくしはどのように行動すべきなのでしょうか。







 わたくしが音芽に真実を隠してしまうまでのカウントダウンは既に始まっていました。まさか……彼とあんな秘密を持ってしまうなんて。


 けれど、この時のわたくしは知る由もありませんでした。

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