憑神遊戯
樹希柳唯
ep001.『Now loading...』
憑神には願いがある。
他者を殺してでも叶えたい願いが。
何に代えても叶えたい願いが。
姉の命を嘆いた彼女の"願い"は、きっと綺麗なものだったのだろう。
数多の願いを下し、時には憑神以外を殺してその"願い"に手を伸ばしたのだろう。
俺も同じだ。
俺にも"願い"がある。
そのためならどんな事でもしよう。
例え、罪なき人を手にかけようとも。
例え、どれだけ崇高な願いを踏みにじろうとも。
例え、自らの命が尽きようとも。
すべては――、
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
――勘弁してくれ。
少年のメンタルは地に落ちた。
東京某所。
枝分かれした複雑な路地、その先のギリギリ二人通れるかといった細い道を抜けた先にある、二十メートル四方の袋小路。
この辺の建物は大抵倉庫に使われているか非合法な飲み屋で、日中は無人である事が多い。
手入れのされていない建物が密集した路地裏は、日当たりが悪く、日中にも関わらずカーテンを閉め切った部屋のように薄暗い。それだけでも憂鬱な気分になるというのに――、
「ちょいとそこの兄ちゃん。それコスプレってやつかい?」
少年は今、女子高生に会うために路地裏に来て、ホームレスの中年に話しかけられている。
同じ目的なら少年じゃなくても気が滅入るだろう。
同じ目的の者がいるかは置いておくとして、だってそうだろう。
『この路地裏に行けば、お眼鏡にかなう女子高生に会える』
そう聞いてたどり着いた路地裏で見た光景は――、
段ボールとブルーシートで作られた簡素な小屋。
そこかしこに転がる空の酒瓶と缶。
一目で着たきりだとわかる、薄汚れた服を着た酔っぱらいの中年。
これで気を落とすなと言う方が無理な話だ。
高い情報料と妹の身を犠牲にしてまで手に入れた情報を元に、藁にも縋る思いで来た路地裏には――、
女子高生とは程遠い存在が寝転がっていた。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
――面倒なことになった。
一瞬、情報屋に騙されたかとも思ったが、アレはこういう質だったと思い出す。
若い男性という以外は全てが謎に包まれた人物。
その言葉に従えば必ず目的を達成できるとまで言われるほどの情報屋。
ただし、頭に"最後には"という枕詞が付く。
恐らくこの路地裏に来ることが目的の女子高生に会うための最初の一歩なのだろう。
――何をするのが正解か……。
正直、この後どうするかは全くわからない。
直接情報を聞いたのは妹だ。
その妹も、詳しいことは伝えられていないということらしい。
“言われたことさえ守れば良い”
逆に言えば、言われたこと以外はアドリブで良いことになる。
それで本当に大丈夫かという不安は消えないが、どの道それしかないので好きにするとしよう。
――出来の良すぎる妹にも、午後までに目的地に着けば後は好きにして良いと言われたしな。
「おーい、聞こえてるかい兄ちゃん」
寝ころびながら声を上げる中年。
中年ホームレスと仲良くする趣味はない。
もちろん中年とホームレス、どちらか片方の特性だけだったとしても願い下げだ。
だが、午後まで少し猶予がある以上ここで待つしかない。
――ここはアレでやり過ごすか。
少し距離を置いた場所で壁にもたれて腕を組む。
頭は俯き気味にして足も組む。
最後に関わるなオーラを全開に醸し出す。
妹にアドバイスをもらった鉄壁の構え。
こうすれば老若男女問わず話しかけられないのはもちろんのこと、酔っぱらいはおろか、動物すら近寄らない。
これで事が起きるまで時間を稼げ――
「いやぁよくできてるねぇ〜。その衣装、陰陽師かな?」
――なかった。
起き上がってわざわざ歩いてきたかと思えば、じろじろと無遠慮に少年の外見を観察する中年。
思わず顔をしかめたくなる臭いが少年の鼻に届き、やはりと言うか見たまんま、恐らく体を洗っていない中年が近づいてくる不快感に殺意すら湧いてくる。
――失念していた。
こんな路地裏で昼間から飲んだくれている酔っ払い以下の宿なし中年が、他人の気持ちを汲み取れるほど賢いはずがない。
頼みの綱も、特上馬鹿の飲んだくれ相手では効果がなかった。
「にしても黒色はダメだ。そのパーカーもな。ファッションのつもりかもしれんが、バチが当たるってもんだ。やっぱ陰陽師は白くないとな!」
――黙れハゲ豚饅頭。
贈り物のパーカーを貶された気がして少々ムッとしたが、仕方のない事だと割り切り心を落ち着かせる。
時間になったら何が起きるかわからないのだ。
こんな事で気を逸らして、もしもの事があったら目も当てられない。
少年の装いは白のパーカーに黒い陰陽装束だ。
あまつさえ、襟からフードが飛び出している。
陰陽師と神職を混同しがちな人からすれば、思うところがあるのだろう。
それに、
この程度で一々目くじらを立てているようでは、この先のことなど夢のまた夢だ。
――こうなればアレだ……ガン無視だ。
その後も『何しに来た?』だの『どこから来た?』だの、こちらの態度などお構いなしに無用な詮索をしてくるハゲ豚饅頭。
他にもアレやコレやと質問してくるが存在丸ごとすべてを無視する。
それでもガン無視に屈することなく執拗に話しかけてくるハゲ豚饅頭。
ここまで相手にされず、よくもまぁ諦めずに話かけるもんだと変な関心を持ってしまうほどだ。
少年がそう思うのも仕方ないが、中年が諦めないのも当然の話だった。
「無視しなくてもいいだろぅ?」
この路地裏には酔っぱらいの中年しかいない。
路地裏の住人になって二十数年、まともに人が来たことなど一度しかない。
それもイレギュラーがあってのことだ。
大抵の奴らは中年を見るなり元来た道を引き返して行く。
それが普通だ。
路地裏に求めるのは人気のなさであって小汚い中年ではない。
なので、無視されても失礼だとは思わない。
こうして声を掛けること自体、中年にはまたとない楽しみなのだから。
「なぁ、あんた何モンだい? ヒック……」
もちろん、そんな中年の思いなど知る気もない少年は無視を決め込む。
少年の用も例に漏れず、どちらかと言えばこの路地裏の方であって中年の方ではない。
説明したところで、このハゲ豚饅頭が話しかけるのを止めるとは思えないし、ここぞとばかりにどうでもいい話を続けるに違いない。
――まぁ、仮に説明したとしても、このハゲ豚饅頭には理解できないだろうしな。
「もしかして兄ちゃん、
沈黙が続く。
「そんなわきゃないよな! えっへっへっ! まぁ兄ちゃんも飲めや! 最後の一本だがググっといってくれ!」
無反応を貫く少年に普通に話しかけるのは無理だと悟ったのか、灰汁の強い笑い声を上げながら少年の手を取り無理やり缶ビールを持たせる。
――いや、未成年なんだが……。
あまりの奔放さに内心でツッコミを入れてしまう。
表に出してないとはいえ意識を向けさせるとは、侮れないダル絡みだなどと、またしてもよくわからない関心を抱く少年を置き去りにして会話は続く。
「知ってるかい? 憑神。すげぇよなぁ。なんたって恩恵っつぅ超能力が使えるようになるってんだからよ。けどその代わり呪いに蝕まれちまうらしい。まぁ世の中そんなうまい話はないってことだな。それがわからなかったから女房に逃げられてこんなところで酒飲んでるって話だもんな! えっへっへ!」
――厄介すぎる……仮に俺が人見知りしないタイプだったとして、そんな重い話しで会話が弾むかはまた別の話だろうに。というか逃げられた理由は、その強引さと空気の読めさも原因だろう。
どうやらハゲ豚饅頭は対話は諦めて方針を切り替えたらしい。
遂に一方的な会話のドッジボールが始まった。
「なあ、あんたならどんな能力が欲しい? 俺はスーパーパワーだな! 悪党とか災害から市民を守るんだよ! そんで嫁と寄り戻して、娘からパパかっこいいって尊敬されんだよ!! いいねぇ! 夢がある! 呪いは〜そうだなぁ……一日一時間とかどうだ!」
――何を言っているんだ、こいつは……?
そもそも、力を行使した結果が望むものになると思い込んでるのが救えない。
次に、悪党を倒しても法律上、捕まるのはお前だ。最後に、そんな何の所縁もない呪いがある訳ないだろ。
呪いはお前にとって都合のいい設定でも何でもない。
「けど憑代を何にするかだよなぁ……あっ憑代ってのは、能力を使うための"物"だ。時計とか物なら何でもいいらしい……まぁおっさんにはこの酒瓶以外に何もないからーこれでいいよな!」
――知らん。俺に聞くな。
無視しながらもつい心の中で返答してしまう。
そうでもして己の中の不快感を発散しなければ、このハゲ散らかした饅頭の餡を路地裏にぶちまけることになりそうだ。
「それにしても、憑神って奴らは羨ましいよなぁ。そんなスーパーマン見てぇな力で好き放題できるんだからよ? 透視とかできたら毎日楽しいだろうなぁ。非日常っちゅうの? かぁ~たまんねぇなぁおい! おじさんも味わいたいねぇ〜非日常! えっーへっへっ!」
――まだ続くのか……。
「おぅ? なんでこんな詳しいかって?」
――聞いてない。
「会ったことあんだよ。憑神に」
決まらないドヤ顔を晒すハゲ豚饅頭。やはりお粗末と言わざるを得ない。
普通の人間は憑神などと言う都市伝説を本気にしない。
子供がするならばまだしも、中年のおっさんにドヤ顔で語られて抱く感想は”こんな大人にはなりたくない”だ。
それにしても"会ったことがある"か。
ふむ。そうか。
――手遅れだったか。
「お・じ・さ・ん」
声の主は路地裏にいる中年には不釣り合いな美女。どう見ても女子高生じゃない大人の女性だ。
服装は丈の短いオフショルにレザーのミニスカート。季節的には寒そうだが、どちらかというと相手を意識した服装なのだろう。
ウェーブのかかった明るいダークブロンドの髪を露出した肩の後ろで揺らしながらこちらに歩いてくる。
薄っすらと浮かべた微笑みは、犯しがたい高嶺の花を思わせる。が、この薄暗い路地で見るそれは、いっそ背徳的な妖艶さを滲ませていた。
「おお! 兄ちゃん! この娘が俺が会った憑――」
女性のほうに駆け寄る中年。
少年の方を向きながら女性に手を向け、出会ったというその憑神を少年に紹介する。
普通は中年が向けている手の位置で止まるはずだが、女性は止まらず中年の背中にそっと左手を添えた。
「ありがとおじさん」
紹介するような振る舞いをしている男性を無視し背中に触れる。
触れた位置はちょうど心臓の裏側。
人通りなど皆無に等しい路地裏で会ったことがある"憑神"。
これだけの情報があれば結果は想像がつく。
「――神で……えっ? ゴプッ」
口から血を溢し倒れる中年。
――やはりか。
眼前に広がる異様な光景。
突然血を吐き倒れる中年も異様と言えばその通りだが、それは些細な問題だ。
中年は、倒れるときに背中から何かを抜き取られていた。その背中は円状にくり抜かれたような痕がある。
では何が抜き取られたのだろうか?
壁にもたれるのを止めて女に向き直る。
軽くなった手の感触と、抜き取られた円柱上のシルエット。
そして、推測が正解か答え合わせをする。
どこか勝ち誇ったような笑みを浮かべる女。
その手には、少年が先ほどまで持っていた缶ビールが掴まれていた。
――なるほど。それがお前の"恩恵"か。
美女は少年など気にもしていないかのように悠然と歩を進める。まるで少年が動かないと知っているかのように。
そのまま進み、倒れた中年の前でしゃがむと、朦朧としてすでに意識を手放しそうな中年の顔の前で冷めたように呟いた。
「馬鹿ね。恩恵も呪いも自分で決められるものじゃない。"物"に応じて与えられるの。選ばれた人にだけ、ね」
そう言って、血に染まった指先で中年の目を閉じる。
女の言葉が届いたかはわからない。
届いたとしてもその意味を理解することもないだろう。
――お前が思い描いた"非日常"は見れたか?
閉じた瞼に問いかける。
答えるものなど誰もいない、心の中の独り言。
声に出したところで、答える相手はもういない。
――残念だがこれが現実だ。
美女が立ち上がり少年を見据える。
先ほどの冷めたような表情の面影など微塵もない。
「さて、部外者には消えてもらったことだし。ここで始めましょうか」
そこにあるのは、罠にかかった動物を見下す密猟者のような暗い笑みだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます