第肆話 豊衣の正体

豊衣ほうい殿のこと、知りたいんだろう?」


 含みのある笑みを浮かべて言う翠琅すいろうに、琳瑶りんようはハッとする。

 すると翠琅はますます笑みを深める。


「いいよ、教えてあげる。

 どうせもう後宮にはいないだろうしね」


 先日も同じことを言っていた翠琅は、そもそも豊衣は付いていない人だと話していた。

 琳瑶にはなにが付いていないのかさっぱりわからなかったのだが、職を辞し、もう後宮にはいないだろうとも話していた。

 しかも豊衣は後宮を出る前に、わざわざ翠琅を探し出して琳瑶の居場所を言い残したという。


 いったいどういうことなのか?


じょう豊衣ほうい、名前は本名みたいだね。

 今回のような役目で本名を使うなんて、迂闊すぎて呆れるよ」

「役目?」

「おかげですぐに調べがついたけれど」


 豊衣の迂闊さに呆れた様子を見せた翠琅だが、すぐに表情を改めて琳瑶を見上げる。


「簡潔に言うとね、豊衣殿は茶家さかから遣わされた泰嬪たいひんのお目付役とでも言ったところかな?

 少しも役に立っていなかったけれど」

「茶家?

 ……確か艶麗えんれい様のご実家の?」


 琳瑶の異母姉である泰嬪こと蘭花らんかの実母・艶麗。

 茶家はその艶麗の実家である。

 豊衣はその茶家から、蘭花がおかしなことをしないようにと遣わされたお目付役だったというのである。


「どうして茶家が?

 関係な……あるんですか?」

「大ありでしょう。

 今回の、この……冷宮だっけ?

 部屋移り程度のことならともかく、もっと大きなことをしでかして投獄にでもなれば、母親の実家である茶家にも累が及びかねないからね」


 翠琅はそこまでを言ってすぐ 「ああ」 と声を上げる。


「あなたを身代わりにして後宮を勝手に出て行ってるから手遅れだね。

 入宮して間もないし、みかどのお手つきでもないから投獄は免れるかもしれないけれど、ただでは済まないだろうね」

「……え……?」


 琳瑶は血の気が引いてゆくのを覚える。

 実際に顔色が悪い。


「あの……お父様も……」

「もちろんたい大人たいじんも連座でただでは済まないだろうね」

「そ……な」

「おそらく豊衣殿から報告を受けて、今頃泰嬪の母君は泰大人たいじんと離縁して実家に戻っているのではないかな?

 茶家が巻き添えを回避するにはそうするしかないからね。

 この点は豊衣殿の手柄だけど、この事態を回避出来なかったことは責められているかもしれない」

「……わたしも、お母様のところに行けば大丈夫?」

「もちろん。

 帝もほとんどの貴族も、れい大人たいじんを敵に回したくはないからね」


 艶麗が実家である茶家に戻るだけで、実子である蘭花のやらかしから無罪放免になるのなら、茶家よりもずっとずっと名門の黎家に累が及ぶことはないはず。

 もう泰家に戻るつもりのなかった琳瑶はそう聞いて安堵するが、想定外の事態が起っていることに驚きすぎて、翠琅が琳瑶の正体を知っていることには気づかない。

 そもそもこの会話自体、翠琅が琳瑶の正体を知っているからこそのものなのだが、翠琅もあえてそこには触れず、琳瑶の顔色がやや持ち直したのを見て話を続ける。


「驚かせてしまったね。

 子どものあなたには辛いかもしれないけれど、せめて誰の命も奪われぬようにわたしも尽力してみよう。

 そもそもこの冷宮とやらが問題なのだし」

「そうなのですか?

 そういえば翠琅様……」


 再会した時からずっと翠琅が 「冷宮」 という言葉にこだわっていたことを思い出す琳瑶に、翠琅は小さく頷いてから説明する。


「後宮に冷宮という名の宮はないし、そもそも記録によれば、この建物はすでに取り壊されていることになっている。

 それがなぜ残っているのか?

 取り壊しに使われたはずの費用はどこに行ったのか?

 ……まぁこれは想像がつくけれど……」

「宮官長の懐?」


 琳瑶の問い掛けに、苦笑いを浮かべた翠琅は黙って頷く。

 ただ彼が調べた記録によると、在任中の宮官長就任以前のことである。

 つまり尹宮官長は側室たちに自分の権威を示すため、そのまま残されている冷宮を利用しているに過ぎない。


 本来ならば冷宮の存在を知った時点で報告するべきだったのだが、就任以前のこととはいえ、このことが露呈すれば当然在任中の尹宮官長が責を問われる。

 かといって内々に取り壊そうにも予算がない。

 尹宮官長にしても苦しいところではある。

 だからといって後宮の管理者として、その権威を示すために冷宮を使って側室たちを抑圧したことは許されない。

 なにかしらの罰は免れないだろう。


「……すっかり話が逸れてしまったが、豊衣殿のことだったね。

 今回のことがなくても、茶家に戻ったところで苦しい立場であることにかわりはないけれど」

「どういった方なのですか?」

「豊衣殿の母君は、泰嬪の実母の異母姉妹に当たる方でね……姉だったかな?

 大人たいじんの側室が産んだ方だったんだが、この方はもう亡くなっていて、茶家の使用人に嫁いで今は母子ともに使用人の扱いらしい」


 貴族の家ではよくある話である。

 しかもここで琳瑶が初めて知った事実はほかにもあり、豊衣が男ではないということである。


「女の人?

 豊衣様がっ?」

「だから言ったでしょ?

 豊衣殿ははじめから付いていないって」

「付いて……」


(そういうことっ?!

 しかも豊衣様はお姉様の従姉妹……)


 ようやく意味がわかった琳瑶は顔を真っ赤にする。

 その様子を見て翠琅は楽しそうに笑う。


「かわいいねぇ」

「……か、宦官って……そういうこと、ですか?」

「うん、そういうこと」

「じゃあ翠琅様も、その……ないんですか?」

「大胆なことを訊くね。

 見る?」


 そう言って翠琅はわざとらしく帯に手を掛けてみせる。

 驚きと恥ずかしさで飛び退きそうになる琳瑶だが、少し離れているところで、今日ものんびりと煙草をふかしている老宦官に気づいて慌てる。


 気づかれる!


 そう思ったのだが、驚き慌てふためく琳瑶の様子が見えていないというわけではないはずの老宦官だが、まるで反応を示さない。

 どうやらまた虫でも見つけたと思ったらしい。

 わざとらしく悲鳴を上げてそれらしく振る舞おうかとも思った琳瑶だが、もう遅いと気づいてやめておく。


「あの宦官も……はじめからああだったのか、ここに配属されてああなったのか。

 いずれにせよ、もう用なしだね」

「翠琅様?」


 どうやら無意識のうちに呟いていたらしい。

 琳瑶に呼ばれた翠琅は 「うん?」 と応えたかと思ったら、すぐに思い出したように言葉を継ぐ。


「ああ、見るんだっけ?」


 先程は帯に手を掛けるだけだった翠琅だが、今度は両手を添えて帯を解こうとして先程以上に琳瑶を慌てふためかせる。


「すっ……」

「興味のある年頃かと思ったけれど、まだまだお子様だったね。

 ではやめておいてあげるよ」


 そう言ってクスクスと笑う翠琅に、琳瑶は少し落ち着くのを待って改めて尋ねる。


「あの、お……あ、えっと、泰嬪は豊衣様のことを知っていたのですか?」

「親族だってこと?」

「はい」

「従姉妹に当たることまではわからないけれど、茶家の人間だってことは知っていたみたいだね」

「じゃあ泰嬪が豊衣様をよく呼びつけていたのって……」

「まぁそういうことだね」


 そう言って翠琅はまたクスクスと笑う。


「ずいぶん人使いの荒い人だったみたいだね」

「あの、宮官長はそのことを……」

「知らないんじゃない?

 だからいい歳してマジギレしてこんなことしちゃったわけだし?

 みっともない話だよねぇ~」

「はぁ……」


 だが豊衣が女性だったことすら知らなかったのだから、ある意味、尹宮官長も弄ばれたような気もする琳瑶だが、あまりにも翠琅が楽しそうなので気の抜けた相槌を打つに留めておく。


「そんなわけだから、今夜こそちゃんと話そうか」

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