第弐話 冷宮の謎


「だからね、その冷宮ってなに?」


 琳瑶りんようはその存在や名称を先輩下女たちに聞いて知った。

 だから後宮では誰もが知っていると思っていた。

 だが翠琅すいろうは知らないという。

 しかも先程の宦官とは思えない大男。

 そこから琳瑶が導き出したのは……


「……翠琅様、本当に宦官ですか?」

「そんな風に真っ直ぐに訊かれると困るんだけど、どうしようかなぁ?」

「翠琅様!」


 明らかに琳瑶をからかっている様子の翠琅に、琳瑶は声を荒らげる。

 だが翠琅は慌てることもなければ怒り返すこともない。

 楽しそうに笑いながら、止まっている琳瑶の掃除をする手を指さす。


「ほら、お掃除お掃除。

 それと、もう少し静かにね。

 そろそろあの宦官も戻ってきそうだし」

「ここにいるのを知られて困るのは翠琅様だけでは?」


 どうやら図星だったらしく、翠琅は、ようやくのことで少しだけ困った顔を見せる。


「……頭のよい子だね。

 まぁここにいる宦官や侍女にはなにも出来ないだろうけど」


 あの三人にはなにも出来ないとわかっていながらも翠琅は庭石の陰に身を隠している。

 つまり、やはりここにいることが知られるのはよくないのだろう。


「翠琅様はあの人たちを知ってるんですか?」

「全然。

 宦官はともかく、あんな高齢の侍女が後宮に留まっているなんて、初めて知ったよ」

「普通はいないんですか?」

「そもそも誰かの侍女として後宮に上がってるわけだから、主人が後宮を退しりぞけば一緒に出て行くものだよ。

 ここ数日様子を見ていたけれど、あの侍女たちには主人が居ないようだ。

 そもそもこの周辺に部屋を置いている側室はいない。

 それなのにあの侍女たちはここにいて、なぜかおチビちゃんの世話をしている。

 おかしな話だね」


 老侍女たちが琳瑶の世話をしていると言ってもいいのか、甚だ疑問ではあるが、そこはたいした問題ではない。

 訊きたいことは沢山あるのだが、その中でも琳瑶が一番に訊きたいのは、たった今の翠琅が言った言葉の中にある。


「……様子を見ていた?

 どういうことですか?」

「どうもこうもないよ、探していたって言っただろう?」

「はい」

「最初は泰嬪たいひんの侍女をしていると聞いていた・・・・・のに、それらしい侍女がいなくて探していたら実は下女をしていて、やっと見つけたと思ったら下女からも姿を消して、それで探していたんだよ。

 そうしたら豊衣ほうい殿があなたは冷宮にいるって言うんだけど、わたしは冷宮なんて聞いたこともなくて。

 ようやくこの廃屋みたいな宮が冷宮と呼ばれていると知って来てみれば、あの宦官たちが監視しているようだったから、あなたの生活リズムっていうの?

 そういうのを調べて、こうやって話し掛ける機会を窺っていたんだよ」


 冷宮の場所を調べているうちに、どうやらその冷宮には 「泰嬪」 がいるとわかった翠琅だが、実際に冷宮と呼ばれるこの場所に来てみれば琳瑶が 「泰嬪」 として捕らわれていた。

 ますますわけがわからなくなって様子を見ていたという。


 そして琳瑶が午後からは外で掃除をしていることが多いとわかり、今日あたりこの辺を掃除するだろうと待ち受けていたのだが、悲鳴を上げたと思ったらムカデと戦い始めてなかなか近くにやってこない。

 だが迂闊に姿を見せるわけにもいかない。

 そこで老宦官が席を外した隙に、あの大男に近くまで連れて来させたと、翠琅はやや愚痴混じりに説明する。

 どうやらムカデを退治してくれたのはあの大男の独断と善意らしい。


「おかげで無駄に時間を費やしてしまったよ」


 なんとも非効率なやり方だったと愚痴が止まらない翠琅に、琳瑶は話の中に出て来た思わぬ名前に食いつく。


「翠琅様、豊衣様と会ったんですか?」

「会ったよ」

「あの……」


 思い余って手紙のことを訊こうとした琳瑶だが、知られてはいけないことである。

 慌てて喉まで出掛かった言葉を飲み込む。

 すると翠琅のほうから尋ねてくる。


「豊衣殿がどうかしたのかい?」

「あの……豊衣様に訊きたいことがあって」


 もちろん手紙の行方である。

 もし豊衣がちゃんと届けていてくれたら、とっくに薔薇そうびから返事があってもいい頃である。

 だが今の琳瑶には届けられないから、豊衣がそのまま預かってくれているのかもしれない。

 なんとかその手紙を受け取りたいと考えたのだが、翠琅に手紙のことを話すわけにはいかない。

 どう伝えたものかと考えていると、翠琅のほうから豊衣について話し出す。


「豊衣殿もなかなか大変なようだね。

 もう後宮を引き払った頃じゃないかな?」

「引き払った?」

「宦官は年季奉公とは違うからね。

 一応官だから、役職を辞して後宮から出ることが出来るんだよ。

 知らなかった?」

「……知りませんでした」


 薔薇の手紙には書いていなかったことである。


「宦官は後宮を辞しても働く場所を見つけるのが大変だからね。

 宦官だったことを隠して働き口を探す者も多いらしいけれど、なんだかんだで結局ばれるらしい。

 本当か嘘かは知らないけど。

 だから後宮で稼げるだけ稼いで老後の蓄えにするんだよ。

 聞いたことない?

 宦官は金にがめついって」

「……あります」

「そういう理由だよ」


 まるで他人事のように話すところを見ても、やはり翠琅は宦官ではないのだろう。


「でも豊衣殿は元々付いてない人だし」

「付いてない?」

「男の大事な物。

 あなたと同じ、豊衣殿も生まれつき付いてない人だからね」


 意味がわからず首を傾げる琳瑶を見て翠琅は楽しそうに笑う。


「豊衣殿について知りたいみたいだけど、残念ながら時間切れ」

「え?」


 驚く琳瑶に翠琅は続ける。


「わたしもそう暇ではないのだよ。

 だから続きは夜、話してあげる」

「夜?」

「眠いだろうけれど、今夜は少し夜更かしをしてもらうよ。

 ただあの宦官たちを騙すため、灯りを消して眠ったふりをしておいで」

「あの……」

「豊衣殿のことを訊きたいんだろう?

 わたしも冷宮のことなど、訊きたいこともあるしね」


 ここまでを話して琳瑶の返事を待つように黙る翠琅だが、考え込んでいる様子の琳瑶はとんでもないことを言い出す。


「……それって、夜這いですか?」

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