~思春の夕べに八頭(おろち)を観た日(ひ)に~(『夢時代』より)

天川裕司

~思春の夕べに八頭(おろち)を観た日(ひ)に~(『夢時代』より)

~思春の夕べに八頭(おろち)を観た日(ひ)に~

 何時(いつ)まで経っても抜けない八頭(おろち)が愚問の扉(かべ)から真面に跳び立ち、明日(あす)の旧巣(ふるす)へどんどん体形(かたち)を成長させ行く鼓動の生憶(きおく)を残影(かげ)に産ませた。現代人(ひと)の翳りが一宙(そら)へ遣られる身憶(みおく)の遊戯は楽(らく)を識(し)り抜き、幻想(ゆめ)の哀れを事始(こと)に挟める私闘の哀れは真っ向勝負に奇怪を揺さ振り、孤憶(こおく)の人影(かげ)から無機を射止める何等の隠語(ヒント)も見得ない儘にて、幻(ゆめ)の回路へ螺旋を敷き生く一人(ひと)の刹那を虚構(ドラマ)に観て居た。自己(おのれ)の感覚(いしき)が〝都会〟に廃れる無言の気勢に苛まれて活き、拙い信者が後光(ひかり)を撮らせる自然(あるじ)の宿舎で昼寝をしながら、併せた信仰(めいろ)で〝儀式〟を観て居る「二人・遊戯(ふたりゆうぎ)」を具(つぶさ)に模写して、明日(あす)の孤独を地蔵に向け得る〝幻想(ゆめ)の信途(しんと)〟の孤奏(こそう)を問うた。明日(あす)の目的(さかな)を提灯(あかり)へ投げ込む自己(おのれ)の感覚(いしき)は未想(みそう)を衒わず、旧い俗世(このよ)と天地の間(あいだ)を夢魔(むま)へ寄り添い体裁(かたち)を仕上げる〝快活気取り〟を文句(ことば)に書いた。昨日から観た今日(きょう)の流行(ながれ)は路頭へ詰め込む〝儀式〟の頭上(うえ)にて後戻りの無い身寒い神話に虚(うそ)を吐(つ)けない孤奏(こそう)を見定め、明日(あす)の朝から昼から夜迄、自己(おのれ)の延命(いのち)をすっと仰げる事始(こと)の未完(みじゅく)を無難に苛む…。自己(おのれ)の気色に孤独を看破(みやぶ)り旧い神秘(ふしぎ)に後光(ひかり)に尽きない概(おお)くの上辺(うわべ)を充分詠み取り、明日(あす)が差し込む拙い〝夕べ〟は孤業(こぎょう)に際して〝果実〟を食べた。一幻(ゆめ)に頬張る〝孤憶(こおく)の果実〟は無駄に運べる試算を丸めて、昨日の劣化を怒(いか)りで呼び込む苦労の感覚(いしき)に充満され活き、現代人(ひと)の人影(かげ)から感覚(いしき)の総てを孤独に見棄てて蹂躙して行く強靭(つよ)い遊戯に確実さえ観た。―――、自体(おのれ)の勝手を感覚(いしき)に詠み取る無段の仮想(ドラマ)は宙夜(ちゅうや)を仰ぎ見、自己(おのれ)の居場所を明然(はっき)り報せる無法の感覚(いしき)にその「場(ば)」を読み取り、孤独の感覚(いしき)を一宙(そら)に運べる苦労の四方夜(よもや)は自体(おのれ)の環境(まわり)で暫く富んだ。幻想(ゆめ)の白亜(しろ)さに奇想を観ながら気高い自主(あるじ)は路頭を想わす「事始(こと)の未完(みじゅく)」にその芽を這い出せ、「明日(あす)に自主(あるじ)…」の未想(みそう)に呟く孤憶(こおく)の信仰(めいろ)を堪能して居る。分厚(あつ)い経過が宙(ちゅう)を詠むとき幻(ゆめ)の呼笛(あいず)は自体(おのれ)を培う幸先豊かな思想を読み上げ、個人(ひと)の記録に無知を侍らす事始(こと)の無欲を通感(つうかん)した後(のち)、海と山との遠(とお)の違いを事始(こと)の有利に改竄して居る…。無造の孕みを充分気忘(きわす)れ独自の裁縫(からみ)で女性(おんな)を娶るは孤独の情緒に反復しながら、俺の孤独に憂慮を気遣う拙い文言(ことば)は未(いま)の暗転(まろび)に頂戴した儘、一女(おんな)の体裁(かたち)に独我(どくが)を齎す白亜(しろ)い小鳥に宙(そら)を与(あず)けた。一男(おとこ)の生憶(きおく)を寝耳に灯すと女性(おんな)の体裁(かたち)が宙(そら)へ筒抜け、幻想(ゆめ)の間(ま)に間(ま)に一夏(なつ)へ透れる羽虫(むし)の健気を序調(じょちょう)に宿し、明日(あす)の幻(ゆめ)から今日の幻(ゆめ)まで、感覚(いしき)の欠伸を孤独に挙げた。白亜(しろ)い気色に紋黄(もんき)を置くうち明日(あす)の〝襖〟を上手(じょうず)に手で開(あ)け、気憶(きおく)違いの細小(ちいさ)な空間(すきま)を一幻(ゆめ)の一通(とおり)へ自慢に掲げて、端正(きれい)な感覚(いしき)に今日を過ぎない〝向日・上手(むこうじょうず)〟の試算の片(かた)では、分厚(あつ)い途切(とぎ)りが純度を講じる孤高の記憶に慢心させ得る。幻見心地(ゆめみごこち)の女性(おんな)の体裁(からだ)は一幻(ゆめ)に溺れる内実(なかみ)を振り上げ、一男(おとこ)の前方(まえ)では何にも活きない無機の極みを保(も)って居ながら、一宙(そら)の寝床へ幻(ゆめ)を引かせる「退場して行く一局(ひとつ)の勇者」は、俗世(このよ)に生き得て生きない女性(おんな)を奈落の奥底(そこ)へと葬り過ぎた。一女(おんな)の一肢(からだ)は生憶(きおく)を保(も)たずに旧い棲家へその実(み)を侍らせ〝向こうの地獄〟へ俗世(このよ)を見送る「向日・上手(むこうじょうず)」のクリスチャンから淡い体裁(かたち)を上手(じょうず)に据え保(も)ち幻想(ゆめ)の進化へ何時(いつ)も観て生く昨日の小敗地(アジト)に孤独を観たのは、現世(このよ)に活きない「古い型(かたち)」の白壁(かべ)に覗ける幻想術師(シャーマン)だった。白紙(こころ)の傷から身嵩(みかさ)が跳び出て五月蠅(あわ)い孤独が一女(おんな)を葬り、幻想(げんそう)紛いの酔狂(くる)える真夜(しんや)は一女(おんな)の孤独も艶(はで)に着飾り、宙(そら)へ蔓延る支柱の描写は女性(おんな)の人煙(けむり)を後光(ひかり)へ引き寄せ初春(はる)の息吹に情緒(こころ)を棄て置く一男(おとこ)の孤独に女性(おんな)は崩れて、旧い軒夜(のきよ)の澄ました憂慮は微塵も残らず空野(くうや)に退(の)いた…。分厚(あつ)い揺蕩(ゆらぎ)が白雲(くも)から〝温度〟が失(き)え行く解凍上手の初春(はる)の息吹は手許の狂わぬ浅い感覚(いしき)を人間(ひと)へ突き出し仄々顕れ、自体(じぶん)の大児(こども)を孤高に見送る空気(しとね)へ浮べた虚無の許容(うち)から、明日(あす)の旧巣(ふるす)に人間(ひと)を発狂(くる)わす自由の逆行(もどり)を安全にも観る…。明日(あす)に棚引く至当(しとう)の上気が憤悶(ふんもん)ばかりを空気(しとね)に飛び越え、柔い軒夜(のきよ)の未有(みゆう)の「勇者」を思春(はる)の孤独に蹂躙するのは孤独に感けた処罪人(モンク)の狡さに悠々伝わる思想に相成(あいな)り、白夜の寝床を矛盾に配(はい)した臆病ばかりの人生(じんせい)でもある。幻夢(ゆめ)の許容(うち)から思想が二重(かさ)なる茶色い日蓋(ひぶた)は真逆(まさか)に戯れ、明日(あす)へ続ける経過の分厚(あつ)さに私欲を彩(と)られた我欲が三重(かさ)なり、旧い軒端へ現代人(ひと)の狡猾(ずる)さを延々観るのは、〝旧峠(むかしとうげ)〟に散々名高い足場を失くせる夢遊の実(み)である。夢の白亜(はくあ)に拙い白壁(かべ)から活力(ちから)が湧き出し人間(ひと)の孤独を幻想(ゆめ)に認(みと)める不毛の自主(あるじ)は嘲笑(わら)って在るが、如何(どう)にも斯うにも現代人(ひと)の渦中(むれ)では肢(からだ)の自由が魚籠とも利かない旧い定律(おきて)へその実(み)を遣られて、俺の精神(こころ)は宙(そら)に幻見(ゆめみ)る孤独の盲者(もうじゃ)と対峙して居る。一女(おんな)の全肢(からだ)が宙(ちゅう)へ撒かれて総身(すべて)の活気を暗黙(やみ)へ詠む頃、空気(しとね)に豊かの気憶(きおく)の界(かぎり)は概(おお)くの気色を蹂躙し始め、手厚(あつ)い環境(かんご)でその掌(て)を揺さ振る功徳の憂茂(ゆうも)は散々崩され、宙(そら)に浮べる生憶(きおく)の便りは無頼を着飾り暗茂(やみ)へと堕ちた。一男(おとこ)の性(せい)から生気が外(はず)れて旧い用句(ようく)へその実(み)を発(た)たされ、飽きるばかりの現代人(ひと)の孤独に杭を差し込み固定した儘、人間(ひと)の孤独が宙(そら)へ遠退き詰らぬ文言(ことば)で翻(かえ)って来るのを、百足の柄(え)に似た不安の生糧(かて)には不報(ふほう)と偽り自然(あるじ)を割いた。

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 ワン、トゥー、スリィー、フォウー、ワン、トゥー、スリィー、フォウー、ワン、トゥー、スリィー、フォウー、ワン、トゥー、スリィー、フォウー、ワン、トゥー、スリィー、フォウー、ワン、トゥー、スリィー、フォウー、ワン、トゥー、スリィー、フォウー、…

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 旧い手品に蛙(かえる)が飛び込み幻(ゆめ)の浅きを精神(こころ)に留(と)め置く一男(おとこ)の優雅は女性(おんな)に知られず、女性(おんな)の主観(あるじ)は「何時(いつ)も、何時(いつ)も」と、日常平和の無頼の正義に過去を忘れて総身(からだ)を仰け反り、旧い男児の目前(まえ)を独歩(ある)かぬ無機の小躍(ダンス)を講じて居ながら、詰らぬ感情(こころ)に艶(あで)を費やす罪の孤憶(こおく)を踏襲して居る…。延々延々、幻想(ゆめ)の調子が一向進まず、独歩(あゆ)む合図を人生(みち)に傾け奇想を捥ぎ取り、手当り気取りで芝居を始める艶(はで)を呈(しめ)せる無重の小躍(ダンス)は、俗世(このよ)の正義を駆逐して活き俗世(このよ)の誰もに推奨され得る疲労識(し)らずの無言と成った。女性(おんな)の阿漕(あこぎ)は駆逐に纏わる嫉妬を儲けて、白亜(しろ)い孤独に終りを付け行く現世(このよ)の有機と堂々独歩(ある)けて、明日(あす)へ独裁(ドグマ)を放り投げ生く〝正義の使者〟へとその身を染めた。明日(あす)の叫(たけ)びへ自由を費やす波(わた)り上手の女性(おんな)の自活(かて)には、舞踏場(リング)の傍(そば)から男気(だんき)を装う無効の気色が商売さえして、幻(ゆめ)を偽る孤独の景色は舞踏場(リング)を奏でて男性(おとこ)を酔狂(くる)わす一身豊穣(ひとみゆたか)な振舞いから成る…。苦労を好(よしな)に「無効」を呈(てい)せる真剣ばかりの女性(おんな)の質(たち)には、幻夢(ゆめ)に蔓延る我欲の活気が自然(あるじ)を費やす目算など立ち、明日(あす)へ繋がる微動の孤独に男性(おとこ)の憂慮は分(ふん)とも経たず、悪しき罠より一女(おんな)が出るのを概(おお)きい眼(まなこ)で仔細(こま)かく見送る、空気(しとね)に分れた男女(だんじょ)の生器(せいき)は旧い惑(わく)から気分に逸(そ)れた。白亜(しろ)い遊戯に〝微塵〟を感じぬ「門渡(とわた)り上手(じょうず)」の一女(おんな)の要(かなめ)は、精神(こころ)の音頭へ充分満たない分厚(あつ)い経過(とき)から一男(おとこ)を見送り、幻想(ゆめ)の側(そば)から見直す伝手には故郷の臣人(おみと)が窮境(けしき)を見渡し、分厚(あつ)い気憶(きおく)をその眼(め)に観て行く「昨日仕立て」の要塞等には、幻想(ゆめ)の孤憶(こおく)にすっぽり包(くる)まる無断の生気を充満させ得た…。文言(ことば)限りの孤憶(こおく)の音色(ねいろ)は一幻(ゆめ)に群がる「文学」さえ識(し)り、分厚(あつ)い経過を文体(からだ)へ通せる拙い葦から修学して活き、記憶に奏(そう)じた逆生(もどり)の生果は未来へ彩る感覚(いしき)を追い立て、素早い動作で不問に賭し行く無頼を見送る景色の要局(かなめ)は、分厚(あつ)い篝(かがり)に気走(きばし)りして行く孤高の自然(あるじ)の奇想に立った。夢魔(むま)の脚色(いろ)から沈殿して生く奇行へ寄り付く無名の晴嵐(あらし)は、孤独ばかりに気色が名高い分厚(あつ)い温度の「勇者」に講じて、気狂い始めた無頓(むとん)の鬼畜を怒涛に起せる無謀を振り撒き、一人(ひと)の気色が不応(ふおう)に活き生く白亜(しろ)い結果の逆灯(もどりび)等には、仙人(ひと)の家畜が傀儡(どうぐ)を創れる旧い定型(さだめ)の奇憶(きおく)さえ立つ。明日(あす)の灯(あか)りが邪教を留(とど)めて幻想(ゆめ)の裁きを通感(つうかん)する後(のち)、孤独を変じて孤高へ阿る利口の自主(あるじ)は分(ぶん)を識(し)り貫(ぬ)き、旧い四肢(てあし)に桎梏(かせ)を見上げた幻(ゆめ)の定律(さだめ)へ配慮した儘、規則正しいmonkの歪曲(ゆがみ)は〝故郷〟を翻(かえ)して堂々嘲笑(わら)う…。女性(おんな)の目下(ふもと)に感覚(いしき)を失くせる旧い男児(おとこ)がとことこ現れ、幻夢(ゆめ)の無知から乾ける長閑(のどか)を一人(ひと)の生憶(きおく)へ追随させ活き、しどろもどろの灰の「天女」は俗世(このよ)に愛(いと)われ相対(そうたい)され行く。賢い男性(おとこ)が奇妙を掌(て)にして〝向かい合わせ〟で俗世(このよ)を観る時、ふらふら翻(かえ)れる四季(きせつ)の垂(たる)みは淡い真夏を延々崇める最期の自覚(かくご)を堪能して居た…。暑い四季(きせつ)に真夏が零れる旧い猛火の流行(ながれ)の跡(あと)には、無重を見知らぬ「白詰(しらつめ)」如きが自由を視(め)にて一肢(からだ)を揺さ振り、古い四季(しき)から未有(みゆう)を手招く五月蠅(あわ)い輪廻(ロンド)の技量を識(し)り貫(ぬ)き、俗世(このよ)の総実(すべて)を過去(けしき)へ追い込む拙い遊戯に感けて在った。疲労に疲れぬ一女(おんな)の雄姿は雄々しい儘にて「自由」を見限り、男性(おとこ)の孤憶(こおく)を規則へ埋め込む「盥(たらい)を廻せる遊戯」へ改変して活き、拙い気楼(きろう)に男性(おとこ)が突っ立つ欲を見せない二性(ふたつ)の正義は、「現人神」から自由を培う正義の信理(しんり)へ邁踊(まいとう)して居る…。純白(しろ)い孤独が幻想(ゆめ)へと顕れ自己(おのれ)の未完(みじゅく)と無為の四季(きせつ)を牢屋の内から眺めた後では、拙い讃美が頭上に輝く「現人神(ひと)」の刹那を非常に褒めた…。…姑息な途切りに酔狂(くるい)を識(し)るうち幻想(ゆめ)の身重はかたかた遠退き、明日(あす)の後光(ひかり)が跳躍(ジャンプ)して生く旧い〝身重〟を通底(そこ)へ見定め、厚い界(かぎり)を人間(ひと)へ観る内しどろもどろの『伝記』が降(お)り立ち、幻想(ゆめ)の目下(ふもと)で胡坐を搔き生く人間(ひと)の純心(こころ)の流行(ながれ)の自主(あるじ)は、人生(みち)の道上(うえ)での所々で女性(おんな)の気色が自在に自滅(ほろ)べる浮き世の主観(あるじ)を凡人にも観た。身寒(さむ)い四季(きせつ)が凡庸(ふつう)に降り立ち幻(ゆめ)の網羅が進む時期(ころ)には、現人神から凡人(ひと)へ翻(かえ)れる暗黙(やみ)の定律(ルール)にその実(み)を任せて、旧い安堵を自前に出せたが幻覚(ゆめ)の驕りは非情に朗(あか)るく、分厚(あつ)い「併鏡(かがみ)」に自由を観るのは産婦の如くに見様(みよう)を重ねて、幻(ゆめ)の主観(あるじ)へ活力(ちから)を宿せる私様(しよう)の気色は〝幻(ゆめ)〟を観るのに体裁(かたち)を足せた…。孤独好きから安堵好きまで人間(ひと)の気色は異様に二重(かさ)ねる幻覚(ゆめ)の相(そう)から脱出させられ、五月蠅(あわ)い感覚(いしき)にその実(み)が休まる四角(しかく)の重度は布散(ふさん)に安(やす)まれ、幻(ゆめ)の気色へ見送る純情(なさけ)は一人(ひと)の記憶へ大して遺らず、遠(とお)の旧然(むかし)に片付けられ行く旧い〝案山子の一生〟等には、孤憶(こおく)の人陰(かげ)から幻視(ゆめ)が募らす不死の基調が頭(こうべ)を挙げた。不死を脚色取(いろど)る七つ道具の傀儡達には浅き安眠(ねむり)が嗣業に凭れて、幻夢(ゆめ)の廃路(はいろ)が姑息に失(き)え生く無地の景色と双身(そうみ)が二重(かさ)なり、五月蠅(あわ)い簾に透る発音(おと)には女性(おんな)の息吹が滅茶に朗(あか)るく、幻想(ゆめ)の空気(しとね)へ溢れる〝相(あい)〟には脆差(もろさ)に潰れる合気(あいき)が三重(かさ)なり、分厚(あつ)い孤独にふらふら問うのは初夏(なつ)の感覚(いしき)に暗黙(やみ)を透せる、旧い独白(かたり)の〝故郷〟の末(すえ)から耄碌して居た原人だった。

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 また呼笛(もとしょくば)に戻り、夜勤をして居たようである。呼笛(よびぶえ)の様(よう)なのだが、久し振りだからか、何か丸きり違う部署(しょくば)に見えて、丸きり新人の俺に、担当者として病気持ちの肉男のような先輩職員が付いて居たようである。その職員は夜間何時までか分らぬが付いて居り、一晩中か途中で帰ったのかは分らなかった。

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 あぶらかたぶら…、未来(みらい)の記憶に蝶を観る程、俺の生憶(きおく)は固まり始めて、幻想(ゆめ)の盲歌(もうか)へ賛嘆極まる自主(あるじ)の行為を惜しく思うが、幻想(ゆめ)の白天(そら)から奇妙が二重(かさ)なる鬼畜盲者(きちくもうじゃ)の孤独の哀れは、如何(いか)に淋しい孤独の所以(ありか)も白亜(しろ)い焚火へ浸透して行く。心頭(あたま)の最後に尾鰭が付き出し女性(おんな)の胸部を自由に拝める無欲(よく)の信理(しんり)は無残に散れども、狭い主観(あるじ)の股間の辺りで旧い生気が辛気(しんき)を観るのは、幻(ゆめ)の無残にその身を安める所々の襲来だった。その日ばかりの文言(ことば)を認(したた)め速い〝即記(そっき)〟に嗣業を遣り抜き、感情任せに司業(しぎょう)を二重(かさ)ねる一重(ひとつ)の孤独を悶絶し得たが、孤高の記憶に自在を見送る旧い長者は難儀を識(し)り得ず、「黄色い双魚(さかな)」に架空を想わす無垢の自然(あるじ)を自由に割いた…。無己(むこ)の気色が通り過ぎ生く旧い四肢(てあし)の武装の記憶は、無理を屍(かばね)に揚々観て生く鬼畜の高度にその身を引き上げ、渋い表情(かお)して御茶(おちゃ)を呑んでる幻想(ゆめ)の住人(あるじ)の不装(ふそう)に倣えど、一幻(ゆめ)の心理の矮小(ちいさ)な空間(すきま)は白亜(しろ)さを見飽きず四肢(てあし)を拡げる…。活き生く労苦に悶絶して行く旧い記憶は夏の生茂(しげみ)に、一女(おんな)の行李と共に降(お)り生く祇園精舎の接吻迄へと低く身構え黄土を相(あい)し、分厚(あつ)い〝旧(ふる)き〟に藪を差すのは、人間(ひと)の気色へ富んで生(い)けない人物(もの)の白亜へ相当して行く。精神(こころ)の正理(せいり)を正しく詠むうち漆黒(くろ)い自覚(かくご)は「円(えん)」を識(し)らずに、慌て過ぎ生く〝水面(みなも)の生気〟を正気に画して冒険するのが、無垢を養い無己(むこ)を配(あやつ)る夢幻(むげん)を宿した行李の一(いち)にて、厚い〝奈落〟へ堕ち生くその実(み)をいとも容易く正意(せいい)に観るのは、疲れ果てない未完(みじゅく)の傍(そば)にて延々々々律儀に呼吸(いき)する「一幻(ゆめ)の井蛙」の冒観(ぼうかん)だった。一幻(ゆめ)に彩る幻夢(ゆめ)の記憶を文言(ことば)の波にて滑稽(おかし)く辿れば、一夏(なつ)の孤憶(こおく)に自由極まる坊主の堕落へその実(み)を至らせ、初夏(なつ)の白球(たま)から未刻(みこく)を迷わす幸先(さき)を読み取る口力(ちから)の災(わざ)には、これまで人類(ひと)には全く識(し)れない器様(きよう)の孤独が分満(ぶんまん)して居た。万(よろず)の長(ちょう)から蝶々が飛び出し未完(みじゅく)の者から悪魔が飛び出す無告(むこく)の信者に幻(ゆめ)が騒げど、分厚(あつ)い起死には身重が世に咲く朗(あか)るい景色が不純に漲り、事始(こと)を仕上げる退屈(ひま)の遊戯に未覚(みかく)を費やし盲走(もうそう)して行く。苦労の孤独が一(いち)に吠えれど分厚(あつ)い独義(ドグマ)は取りも直せず、不動の生憶(きおく)に寝起きして生く不生(ふせい)の自然(あるじ)と共に幻見(ゆめみ)て、在る事無い事不審の身辺(あたり)を孤独に見立てて憶えて生く等、辛(つら)い経過(とき)から孤独を詠み取る旧来(むかし)比べの誤算が立った。

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 俺は東京で見知ったようなとても膨大な駅構内を足早(あしばや)に歩いて居り、出口を見付け目的地を見付けようとしながら、一生懸命に成って歩いて居た。何か、四番出口から行けば三校舎に一番近い、と書かれて在り、四番出口に向かった。それまでに三校舎への行き先が何処(どこ)に在るのか、又、自分の本当の行き先を聞く為に結構散々校舎の駅係員の居るサービスカウンターへ出向いたが「判らない」或いは当り前に退屈な事を火吹(ほざ)いて居たため残念で、がっかりして居た。結局俺は又ろくでもない気持ちを以て、四番出口へ行く事にし、三校舎へ行く事に決めて居た。三校舎で、何か余り楽しそうにない行事(もよおし)が行われそうだった。その行事に参加する為に俺は行った様(よう)だった。

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 通り縋りの習風記(アンソロジー)、幾つか見知れる京(きょう)の幻(ゆめ)にて俺の心身(からだ)は無信(むしん)を吠え出し、独歩(ある)き疲れた野暮の未来(さき)には運命(さだめ)が待ち生く独創(こごと)を呈して、人間(ひと)が競歩(ある)ける何処(どこ)ぞの未来(さき)から運好く見付けた幻(ゆめ)の躰に、俺の純心(こころ)は未完(みじゅく)を気にして遅々と這い活き、起死の目的(さかな)に夢想(ゆめ)を配(はい)する鼓動の嘆きを共感して居た。行く行く拡がる宙(そら)の孤独は人間(ひと)の胸から未来(さき)を託され、旧い夜路(よみち)に概(おお)きく悩める「曖昧見たさ」を思中(しちゅう)に絡めて低い調子に大器(うつわ)を盛ったが、純白(しろ)い孤独が幻(ゆめ)の気色を私用に問うのは事始(こと)の記憶の上手(じょうず)であって、孤人(ひと)の煩悶(なやみ)へ苦労を識(し)り貫(ぬ)く信仰(まよい)の仄かを併せて観るのが、事始(こと)のついでに私運(しうん)を統(たば)ねる「幻物(ゆめもの)見たさ」の始まりだった。孤独の層から暗転(まろみ)を打ち消す苦労の相(そう)には化火(ばけび)が仕上がり、小振(アドリブ)ばかりの思中(しちゅう)の文句に夢が限られ、旧い物から斬新(あらた)が問われる始闘(しとう)の歪曲(まがり)に御託を並べた「旋毛曲り」が未想(みそう)に頼まれ、明日(あす)の孤独を有頂へ失(け)し生く旧い遊戯は済し崩しと成り、「今日(きょう)」へ流離い「現行(いま)」を相(あい)する、無刻(とき)の音頭が発狂(くるい)を幻見(ゆめみ)る…。孤独の生糧(かて)から生業など漏れ、明日(あす)の遊路(ゆうろ)へ奮起を察する無動(むどう)の契機を充分見遣れば、旧い伝(こね)から明日(あす)を幻見(ゆめみ)る孤独の計算(あられ)が凡庸(ふつう)に成り立ち、安い仕種で煩悩(なやみ)を蹴散らす本能(ちから)の呼笛(あいず)は限られ始める。monkの白亜(しろ)から魂(こと)が零れて「在る事間近」の水の感覚(いしき)は一幻(ゆめ)に裂かれて埋没して活き、孤高の功徳に幻(ゆめ)を求める宙(そら)との合図は手軽に清めた悪戯さえ識(し)る「無用の晴嵐(あらし)」に楽器が盗まれ、幻想(ゆめ)の空転(まろび)に初潮を観るのは紅(あか)い夕日の昇りの時期(ころ)にて、幻(ゆめ)に凄める一女(おんな)の背後は男性(おとこ)の孤独へ忍従して行く旧い気色を垣間見出した…。犬の孤独が散々解る。明日(あす)の感覚(いしき)が良く良く途切れる…。幻(ゆめ)の四肢(てあし)が次第に縺れて「逢いたさ見たさ…」の孤独は破られ、旧い事始(はじめ)に美談を通せる過去の歪曲(ゆがみ)は滔々流行(なが)れる…。気取らず仕立ての旧さの哀れは一人(ひと)の精神(こころ)に上々纏わり、明日(あす)と同時に自己(おのれ)へ空転(ころ)がる幻(ゆめ)の盲理(もうり)は理解に及ばぬ…。事始(ことのはじめ)に感覚(いしき)が成り立ち旧(ふる)き御城(おしろ)の〝駆逐〟の術(すべ)には、幻(ゆめ)が蹴散らす現代人(ひと)の群像(むれ)から模図露(もどろ)の合図を怪しく灯らせ、明日(あす)の孤独を幻見(ゆめみ)て問うのは一人(ひとり)の男性(おとこ)へ任せ始めて、女性(おんな)の躯(からだ)は四季(しき)に零れる空しい交響(ひびき)を愚鈍に捥ぎ取り、暗い夜から「暗夜(あんや)」を仕上げる「時限担ぎの労途(ろうと)」を相(あい)する。旧い夜風(かぜ)へとその実(み)を蹴散らせ男性(おとこ)の目下(ふもと)は朗(あか)るく成り得ず、古い足元(ふもと)の誤算の成果でいとも容易くその芽を傾(かし)げて、幻(ゆめ)の端末(はずえ)をこよなく相(あい)する「無鈍担(むどんかつ)ぎ」の白亜(はくあ)の坊には、俺の心身(からだ)が涼風(かぜ)を愛する旧い理性(こどく)がそっと挙がった…。分厚(あつ)い途切(とぎ)りの青葉(あおば)が時雨(しぐれ)て幻(ゆめ)の歩先(ほさき)へまったり生くのは、極めて幼い旧い大児(こども)の大手に野晒(のさば)り、孤独の身重が夜半(よわ)へ呈せる旧い生憶(きおく)の柔軟等には、挨拶からして間延びを保(も)たない幻(ゆめ)の火口(くち)から律儀を吠え出し、幻想(ゆめ)の輪廻(ロンド)と孤高の輪廻(りんね)が永久(とわ)に名高い〝目下(ふもと)〟を訪れ、幻(ゆめ)の始めへ歩先(ほさき)を向け出す孤独の寡に生果を突いた。寡暮らしの白亜(しろ)の恋には苦痛に漲る青空(そら)が見得出し、分厚(あつ)い日蓋(ひぶた)を根削(ねこそ)ぎ奪(と)れ得る貴重の進化と融合させられ、発狂(くるい)が生じぬ微温(ぬる)い穂先は〝ペンの柄先(えさき)〟に程々似て居り、躊躇いながらに大口開(あ)けつつ旧い孤独へ波を打つのは、一幻(ゆめ)の一通(とおり)へ淡さを見せない古い縁(えにし)の始まりだった。事始(こと)の真紅に信仰(まよい)が生じる旧い定律(おきて)の群像(むれ)の許容(うち)では、現代人(ひと)の哀れが独歩を呈して身重と成り生く淡い儀式に調子が重なり、二度の感覚(いしき)が孤独へ念じてしどろもどろの屁泥(へどろ)を捩れた虚空の歪曲(ゆがみ)は併鏡(かがみ)を打ち立て、日々の生活(かて)へとその実(み)を歪める旧い労途の真紅の赤味(あかみ)は、生活(かて)の許容(なか)から表情(かお)を立て生く併鏡(あわせかがみ)の生気を観て居る…。

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 …俺は呼笛(もとしょくば)の夜勤をもう直ぐ終える直前に漸く一人に慣れて来たのか応用が利くように成り、呼笛の洗濯物の検索の仕方を覚えて、ぎりぎりで、呼笛の為に、洗濯物を取り込もうと努力して居た。がもう時間一杯で無駄に終った。夜勤途中では、何時(いつ)ものように、先輩職員、他職員の目を盗み、夜中の一時位にもう五時の記録をシートに書き込んで居り、書き込みは当日使って居た物よりも矢張り時の経過に新しく成ったのであろうモバイルであった。新機能を搭載していたからか、容易く書き込め、誰に見られても不備(ておち)の無いように記録表を仕上げる事が出来た。こんな職員に、そんな職員を仕立てた職場に二度と戻りたくない、と俺は誓いながらも、何か空中に漂い、自分さえも取り込もうとしている、密集した人への扇動を見て居た様(よう)だった。空気は確か、紫に映った時が在った。

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 孤独の仄かにその実(み)を遣るほど有頂の有無には生気が漲り、活気に費えた身重の遊具は幻(ゆめ)の空気(しとね)へその身を感けて、分厚(あつ)い孤憶(こおく)を委ねる三つの真偽は感覚(いしき)を吸い出し、孤独の白亜と一幻(ゆめ)の白亜を意味に安めて透明ともした。一女(おんな)の行為に裏切り等見て、安い活気が生気を見送る気楼(きろう)の生憶(きおく)は矛盾を報され、手厚い藪から自己(おのれ)を相(あい)する不動の〝親子〟は無残に気取られ、厚い孤憶(こおく)に幻(ゆめ)を観て生く人物(もの)の記憶の楼気(ろうき)の隅では、人間(ひと)の陽気が老いを識(し)り生く孤独の気色を翻(かえ)して在った。暗黙(やみ)の許容(うち)から無知が広がり遠方(とおく)の点では気楼が弄(あそ)べる文言(ことば)気取りの葦の揺蕩(ゆらぎ)に意味を解(かい)せず無言を知り貫(ぬ)き、一女(おんな)の背中へ感覚(いしき)を置くのは一男(おとこ)の孤独の哀れな棲家で、分厚(あつ)い小手先(さき)から未完(みじゅく)が問うのを青空(そら)の眼(まなこ)にすっかり見て居り、浅い希薄に現代人(ひと)を観るのは如何(いか)に愚かで愚物の事かと、脆弱(よわ)い浅瀬で不問を問い生く事始(ことのはじめ)をしっかり観て居た。感覚(いしき)の許容(うち)にて感覚(いしき)が燃え立ち、脆(よわ)り果て生く一女(おんな)の体内(すがた)を幻想(ゆめ)に表し無言を問い貫(ぬ)き、文言(ことば)の奥義(おく)から幻(ゆめ)に冷めない出来事(こと)の描苦(びょうく)を優しく問い掛け、旧(ふる)びた宙(そら)には〝感覚(いしき)〟が遠退く軒夜(のきよ)の一色(いろ)など程無く咲いた…。翌朝(あさ)の神秘(ふしぎ)をぎゅうぎゅう詰めては幻想(ゆめ)の庇護(まもり)に鉄壁さえ識(し)り、俺の躰は宙に浮くより身分の相異に先ず頷き始めた。分厚(あつ)い精神(こころ)へ傾(かしず)きながらも幻(ゆめ)の白亜は宙へ吊るされ、分厚(あつ)い暦(こよみ)が密かに成るのを鼓動の記憶に識(し)って居ながら、〝如何(どう)でも巡り〟の頃合い程好く…、「明日(あす)」の景色の表皮の上では〝しどろもどろ〟が尻に沈んだ…。事始(こと)の記憶が陰府(よみ)へ袈裟駆(けさが)け、明日(あす)の暦(こよみ)を柔(じゅう)にしてから、孤独の足音(おと)から生活音まで生憶(きおく)の背後へ浮べて落ち着き、不埒に流行(なが)れる二性(ふたつ)の孤独は活きる度ごと宙(ちゅう)を舞わされ、幻想(ゆめ)の記憶に呆(ぼ)んやり灯れる旧来独白(むかしがたり)の騒音等には、憎い信徒が孤高を二重(かさ)ねる分厚(あつ)い白衣(ころも)を傍観して居た。夢中の解(かい)から人間(ひと)が解(と)け出し闇雲紛いの信途(しんと)の許容(うち)から自己(おのれ)の生気が活気と奪われ、幻想(ゆめ)の遠さに辟易して居る軍人(ひと)の安眠(ねむり)は俺の芯から宙(そら)へと片付き、向日の晴嵐(あらし)が凡庸(ふつう)に映れる分厚(あつ)い途切(とぎ)りの夢中の成果(はて)には、堂々巡りの〝併鏡(あわせかがみ)〟が「自由」を逆手に放(ほう)って在った。漂白(しろ)い天衣(ころも)が大事に成るころ俺と幻想(ゆめ)の暗転(まろび)は神秘(ふしぎ)を掌(て)にして程好く冷たい〝苦労〟の盛(さか)りを頂上(うえ)に見始め、クノールスープを呑み干す態(てい)して、女性(おんな)の性器に染み付く白衣(ころも)を自由に舐め取り、自体(おのれのからだ)を構築するべく魔物の哀歌は呑み食い続ける…。端正(きれい)な御殿が宙(そら)に現れ、明日(あす)への孤独が宙(ちゅう)へ発(た)つうち俺の孤独は「魔物」を呼び出し、明日(あす)の幻(ゆめ)から記憶が遠退く神秘(ふしぎ)の所以(ありか)を凡滅(ぼんめつ)して居た。女性(おんな)の両脚(あし)には自由に萎え生く孤独が漲り、一男(おとこ)と性(せい)との斬新(あらた)な空間(すきま)を可細(かぼそ)い腕にて生長させ得て、不思議に見詰める滑稽(おかし)な仕草は仄(ほの)めく暴嵐(あらし)に充分気取られ、幻覚(ゆめ)の遠方(とおく)へ密(ひっそ)り輝く無知の嵐に冷(ひ)んやり咲いた。孤独に移るは魔除けの花だと、旧来独語(むかしがたり)の宙(そら)の空気は緊(きつ)く拡がり祝言(ことば)を吐き付け、〝併鏡(あわせかがみ)〟の仕様の許容(うち)へと物の見事に「性(せい)」を象る滑稽(おかし)な身内は分厚(あつ)い廊下にその実(み)を出されて、物憂い顔した〝宇宙人〟には俗世(このよ)の情事(こと)など何にも分らず、通り縋りの詩吟の内より二言三言を呟く儘にて、自己(おのれ)の気色も幻想(ゆめ)へ出せない物の色香(いろか)を許容(うち)へと引いた。男性(おとこ)と女性(おんな)で線引きされ行く無知の生憶(きおく)の飯事等には、旧来独語(むかしがたり)が鉄板(いた)の上にて「自由」に空転(ころ)がる景色を募らせ、〝女性(おんな)の自主(あるじ)を実(じつ)に蹴散らす遊山程度のお弄(あそ)びならば〟と、葦の棘から初春(はる)が小波(さざ)めく「旧峠(むかしとうげ)」の記憶が発(た)った。分厚(あつ)い行李が「自由」に感けて茶色い気色を寄添(よそ)って居るのは、「貸し切り峠」の微温(ぬる)い綾(あや)しの切先(さき)が尖れる気性(きしょう)の精(せい)にて、幻想(ゆめ)の大児(こども)を何処(どこ)か遠くで「俺の子供…」と綾(あや)して鳴くのは、短い岐路から夢限(むげん)を想わす幻想(ゆめ)の景色の暗転(まろび)であった。幻想(ゆめ)の孤独を自重に観ながら三寒四温を暮らして生くまで俺の正理(せいり)に正義が付さずの俗世(このよ)の活気は静まり返り、分厚(あつ)い夕日が一夏(なつ)に向くのを加減を識(し)りつつ無言で指すのは、一女(おんな)の孤憶(こおく)へ秘(ひっそ)り点(とも)れる〝旧来独語(むかしがたり)〟のよろめきでもある。明日(あす)の旧家へお邪魔するのに人間(ひと)の由(よし)から美貌を象(と)るのは仕来りばかりの無縁の長者を延々殺せる無精の身辺(あたり)で、俺の一滴(しずく)が精華(はな)を識(し)るまで見送る一幻(ゆめ)には、「未憶峠(みおくとうげ)」の拙い安眠(ねむり)が美知(びち)を仕留めて翻(かえ)って在った。暑い初夏(なつ)から美談が零れて幸先(さき)を識(し)らない不敵の微笑(わらい)は感覚(いしき)を据え立て一女(おんな)を舐め挙げ、漆黒(くろ)い縁(ふち)にて瞬きして生く魔物の所以(ありか)は少々分らず、未知も過去にも「明日(あす)」を識(し)れない人間(ひと)の生気は微塵に暮れ活き、通り相場の夜半(よわ)の一幻(ゆめ)には一女(おんな)の記憶が点(とも)って在った。無信(むしん)に識(し)れるは「女性(おんな)の恥…」等、旧(むかし)に幻見(ゆめみ)た宙(そら)の許容(うち)では「自由」が片付き無機を蹴破(けやぶ)り、自体(おのれ)の白亜と一幻(ゆめ)の白亜が白雲(くも)に跨り降(お)りて来る等、一女(おんな)の一片(かけら)を見渡す界(かぎり)は無残を見落す〝蕪(かぶら)〟を保(も)った。苦悩の一宮(みやこ)は手薬煉二重(てぐすねあわ)ねて一男(おとこ)を惹き込み、手厚(あつ)い夕べに遊戯を見送る事始(こと)の音頭に〝男性(おとこ)〟を注ぎ込み「悪(あく)」だと知って、分厚(あつ)い空間(すきま)を思春(はる)に看(み)て生く無想の朗(ほが)らを晴嵐(あらし)に知った。白雲(くも)の切れ間に一光(ひかり)が立ち込め、分厚(あつ)い身重に酔狂して生く旧い一夜(とばり)が未憶(みおく)を設けて、拙い〝音頭〟は拍(はく)を取らずに旧い八頭(あたま)で無難を気取り、幻想(ゆめ)の仄香(ほのか)へ匂う葦には幻(ゆめ)の草派(くさは)が枝分れをした。

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 夜勤を終える前から、申し送りは如何(どう)すれば良いのかを俺はずっと算段して居り、皆如何(どう)やってんのかを、洗濯物を探すついでに他の人・ユニットの記録から割り出し、探して居た。良く分らずに居たが、して居る内に思い出した。しかしはっきりとした要領は得なかった。天然娘の記録の事を思いながら夜勤が終り、俺は、「何や、案外簡単、簡単過ぎるやんけ。偉い楽やな。」とか心中で思いながらも要を得ないまま教室のような誰も居ないユニットを脱(ぬ)け出て、申し送り場所を探した。探し出せたのは、従来の特養の連(つら)なったあの部屋で、俺は一分(いっぷん)遅れて申し送りに行って居た様子で、その最初の大部屋に居た看護婦の前山(一番最近に辞めた職場に居た職員)に初っ端から怒られて居た。「遅い!何時やと思ってんの?もっと早く来てくれないと…!」と真顔で言い、俺は〝ええ!?そんなに遅いか!?〟と内心少し言われた事に対して怒って居り、現在(いま)の時間を、して居た腕時計を見せて前山に教えた。前山は〝ふーん…〟と言う感じに、何事も無かったかのように業務を続けて行った。

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 不審を画(かく)せぬ未来(みらい)の幻(ゆめ)には自己(おのれ)の無駄から気色が跳び立ち、細い両腕(うで)から気楼(きろう)が舐め行く身嵩(みかさ)の孤憶(こおく)が分散せられて、明日(あす)の朝から私用が伝わる「無機を寄らせぬ紅(あか)い夕日」が幻想(ゆめ)の自体(からだ)に死太(しぶと)く居座り、白亜(しろ)い毛色(けいろ)が遠方(とおく)へ退(の)き得る旧い果実の〝その名〟の実(み)を奪(と)り、四方(しほう)に傾く文言(ことば)の限りは一女(おんな)を追い駆け真面に散った。浅い安眠(ねむり)にその実(み)を潰され浅い自主(あるじ)へ妄想(おもい)を遣るのは精神(こころ)の煩悩(なやみ)を宙(ちゅう)へ踏まれる安い孤独を充分識(し)り貫(ぬ)き、幻(ゆめ)の白亜へ真白(ましろ)く成るのは精神(こころ)の記憶に不甲斐無いので、律技(りつぎ)に処引(しょっぴ)く浅い果実は旧(むかし)へ戻れる効果を識(し)った。若い一女(おんな)が全裸に成り生く短編紛いの時空の相(そう)から、幻(ゆめ)の小言が間広(まびろ)く延び得る「視線・盲者(しせんもうじゃ)」にその実(み)を翻(かえ)して駄々っ子に成り、未覚(みかく)の総てを美味しく束ねる若い気力の固定の成果(さき)には、何時(いつ)まで経っても気丈が保(も)たない旧い安堵が仰け反っても在る。気安い文句(ことば)で「自滅」を識(し)らねど、淡い生憶(きおく)が自重を生やせる不意の八頭(おろち)は不沈を即座に通して微笑み、翌朝(あさ)の気色を両掌(りょうて)に掬える独創(こごと)の八頭(おろち)は即陥(そっかん)して活き、分厚(あつ)い滾りの血統から観て、一女(おんな)の気色の模様等には即座の孤独が用意され得た。幻覚(ゆめ)の身重が久しく成るのを自己(おのれ)が囃せる孤憶(こおく)に振(ぶ)ら下げ、孤独の気色が幻想(ゆめ)の気色へ〝身分〟の相異を久しく語らい、自己(おのれ)の自主(あるじ)は到底貴(とうと)い景色を鵜呑みにした儘、縮小(ちい)さく統(たば)ねる六つの残骸(むくろ)を器量の気色に束ねた体(まま)にて、三つに成り生く孤独の態(てい)には若女(おんな)の未憶(みおく)が宿って在った。

 俺の躰が久しく流行(なが)れて浅い安眠(ねむり)に努々(つとつと)しながら若女(おんな)の「娼婦」を久しく幻見(ゆめみ)、分厚(あつ)い首(こうべ)に脂を注げる〝雪〟の景色に紋様(もよう)を見知れば、自体(おのれ)の気色へ具体を知り貫(ぬ)く黄泉の小敗地(アジト)で悶々して生く。旧(むかし)の〝奈落〟が殊に謳えど気力の流行(ながれ)は半減して活き、一体(からだ)の概句(おおく)を身憶(みおく)に知れねど未(いま)の際(きわ)から安味(やすみ)が絶えずに、何時(いつ)まで経っても「物憂い孤独」が殊に傾き造作を以て、俺の「谷(たに)」へと死力を灯せる無駄な生憶(きおく)を講じるのである。拙い暗(やみ)には未屈(みくつ)の仄かを…、端正(きれい)に割き得る理屈の総ては端正(きれい)に仕上げる「芸術論」等、「向日」の朝陽に夕日が届けば「そら見た事か!」と気丈が先行(さきゆ)き、明日(あす)の要(かなめ)に散る〝花弁(はなびら)〟には、旧来独語(むかしがたり)の反目ばかりが容易く並んで拍子を採った…。苦悩の寝床が分厚(あつ)い麻(あさ)からしどろもどろに剥がれて行っては、事毎(ことごと)「終り」の堂々巡りが宙(そら)へ目掛けて独走(はし)って入(い)って、空間(すきま)ばかりが拍子に名高い〝宙(ちゅう)の前夜〟に気取られ始めて、脆弱(よわ)い女性(おんな)に醜女(しこめ)を見て生く旧い一女(おんな)が首(こうべ)を垂れた。…―――垂れた乳房が不毛に膨らみ真白(しろ)い肌には男性(おとこ)が佇み、幻(ゆめ)の記憶へ微温味(ぬるみ)が漂う「明日(あす)の小敗地(アジト)」は段々遠退き、事始(こと)の幻見(ゆめみ)に段々調う経過(ながれ)の辺りは一体(からだ)が発狂(くる)える稲光を観て、醜女(おんな)の自主(あるじ)に不甲斐を見て生く孤憶(こおく)の調子に値踏みをするのは、古い門下に集(つど)った悪漢(おとこ)の気力の揺蕩(ゆらぎ)の随行だった。気憶(きおく)違いの屯の許容(うち)にて漂白(しろ)い両眼(まなこ)は純を知らずに、分厚(あつ)い扉へ白壁(かべ)を観て生く孕める醜女(おんな)の体裁から成り、一足(ひとつ)跳びする無数の眼(まなこ)は苦労を識(し)らずに快感だけ識(し)り、若い醜女(おんな)の悦楽等には一男(おとこ)の苦悶が不自由でもある…。記憶違いの懐等には一女(おんな)の手相が暗に平伏し、分厚(あつ)い行李(かご)から「生憶(きおく)」が漏れ行く未知の文句(ことば)が総立ちして在り、幻(ゆめ)の身重に奇怪を知らせる分厚(あつ)い小鳥の囀り等には、一男(おとこ)が要(よう)する千擦(せんず)り等とは誠に違(たが)える「淡い魅力」が開感(かいかん)して居た。女性(おんな)の一宮(みやこ)が小敗地(アジト)に現れ容易(やす)い身元にその芽を剥くのは小言を愛する男性(おとこ)の為にて、緊(きつ)い嬲りの〝身重〟の人陰(かげ)では手厚(あつ)い文句(もんく)がこの実(み)を惑わせ、幻想(ゆめ)の理性(はどめ)に概(おお)きく揺らげる奇怪を報せる無機な精徒(せいと)は、一女(おんな)の〝醜女(しこめ)〟を一途(いちず)に八つ裂く奇妙を相(あい)して草幻(そうげん)して居た…。或いは文言(ことば)に俺の孤独は形(すがた)を現し、分厚(あつ)い孤憶(こおく)を何気に読んでも幻想(ゆめ)の身重は完遂せぬ儘、翌朝(あさ)に概(おお)きな枕が立つのを無機の瞳(め)をして望遠(なが)めて居ながら、浅い感覚(いしき)に文句(ことば)が問うのは私欲(よく)の主観(あるじ)の常識だった。苦悩の心底(そこ)から律儀が跳び出し幸先(さき)を詠めない旧い未覚(みかく)は気楼の理屈を殊に云い出し、男性(おとこ)と女性(おんな)の労苦の可能(かぎり)を千に企む暗夜(あんや)に頬張り、舐めてばかりの現代人(ひと)の概(おお)くが真面目に成れない末路を得る時期(ころ)、向日の遠方(とおく)で無謀に絶えない旧い実りが生憶(きおく)を見て居た。一女(おんな)の気色が事始(こと)に構える柔(じゅう)の意識は、夜霧の概(おお)さに幻想(ゆめ)を振る舞う明日(あす)の廃れの開催して活き、孤独顔から感覚(いしき)が跳び出る分厚(あつ)い途切りの草木(くさき)の滾りは、一人(ひと)の一滴(しずく)が凡庸(ふつう)を抗う孤身(こしん)に見事な聖粋(せいすい)だった。夢の律儀が苦悩を識(し)るうち分厚(あつ)い孤憶(こおく)が不断に流行(なが)れて、煩悶(なやみ)の単調(リズム)に外(ず)れが生じる幻想(ゆめ)の論理が覆され活き、昨日の主観(あるじ)が概(おお)きく見紛う土地の感覚(いしき)を拙く詠むのは、一女(おんな)の生女(せいじょ)が無言を発する無敵ばかりの早退だった。分厚(あつ)い歪曲(ゆがみ)に生(せい)を観るうち旧い素描(すがお)は老気(ろうき)を貪り、自己(おのれ)の姿勢(すがた)に一宙(そら)を観て行く婆(おんな)の老苦(ろうく)を換算して活き、肌理細やかな「自由」の自主(あるじ)へその芽を摘むのは、旧い孤独が徳(とく)を貪る気弱の男児の取り巻きでもある。感覚(いしき)の許容(うち)にて美識を配(はい)せる〝自己伝夜(おのれづたよ)〟の無意識成れども、ことこと煮込める灰汁(スープ)の目下(もと)では男・女(だんじょ)の区別が創造付かずに、有難見たさの迷惑等には女性(おんな)の自覚(かくご)が雨散(うさん)を這い出し、一男(おとこ)の旨から相場を借り生く旧い記憶が散在して居る…。過去の物から斬新(あらた)の人物(もの)まで、自体(おのれのからだ)を凡滅(ぼんめつ)して行く無想の流行(ながれ)は殊に概(おお)きく払拭され活き、人間(ひと)の概(おお)くが噴散(ふんさん)され生く詩吟の概句(おおく)は無機に耐え行く死相を看破(みやぶ)り、幻(ゆめ)の自主(あるじ)と結託して生く旧い儀式の有茂(ゆうも)の純嵐(あらし)は、明日(あす)の孤独へ意識を突き刺す〝物見〟多くの通算だった。自重を酔わせる生茂(せいも)の身辺(あたり)が身寒い時期(ころ)には自己(おのれ)の孤独が結託して行く宙(そら)の自然(あるじ)と同調して活き、気楼の概句(おおく)が看破る身辺(あたり)に見様(みよう)の兆しが燦々照る頃、暑い兆しは晩夏(ばんか)を越え行く孤憶(こおく)の酒宴(うたげ)を純(うぶ)に取り去り、疲れた表情(かお)した目暗(めくら)の草子(そうし)は無機を冠した未完(みじゅく)を覚られ、分厚(あつ)い気取りを堕(おと)した頃には桜の吐息が一女(おんな)から漏れ、明日(あす)の生憶(きおく)を一幻(ゆめ)へ見送る夢想(むそう)の翳りを論破して居る…。貴重な〝手頃〟を浮(ふ)ら浮(ふ)ら垣間見、お道化(どけ)た記憶が一女(おんな)を呼ぶのは純白(しろ)い着物が従順過ぎ生く真白(しろ)い孤独を悪魔と叫び、幻(ゆめ)の途切りへ協調して生く女性(おんな)の〝斬新(あらた)〟は奇妙を繰り出し、男性(おとこ)の夕べを常時(いつも)見て来た神秘(ふしぎ)の一形(かたち)を塞ぎ込んでも「明日(あす)」を活き貫(ぬ)く未想(みそう)は高鳴り、苦しい貌(かお)した幻想(ゆめ)の盲者(もうじゃ)は一女(おんな)を追い駆け真っ平(たいら)に成る。―――自己(おのれ)の進理(しんり)に通感(つうかん)するうち幻想(ゆめ)の身嵩(みかさ)は肝を忘れて残像(かたち)を配せず、幻(ゆめ)の自主(あるじ)を光合(こうごう)して生く葉末の生命(いのち)は真っ平(たいら)に成り、通底して居た一幻(ゆめ)の幻句(げんく)は銅貨と同じに無頼を知り貫(ぬ)き、隠れながら有利を相(あい)する〝一人微温夜(ひとりぬるよ)〟の微吟(びぎん)の目前(まえ)では、幻(ゆめ)の理性(はどめ)が自由を漏らさぬ死闘の主(あるじ)を完遂させ行く…。

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 …俺は唯、申し送りの仕方を忘れて居たのか申し送りをする際に偉く緊張して居り、思い通りに言えず、疲れて居た。次の申し送り場所を探そうと廊下へ出たが、直ぐに分かるように行くべき場所は一連(ひとつら)なりに成って並んでいて、次の間(ま)はその横の部屋だった。そこには河豚女(ふぐおんな)と顔のパーツのでかい生意気な高校生の様(よう)な女が居て、自信の無い俺をぎょろ、っと見てから後(あと)また遣り掛けの(おそらく)おむつ交換をして居た。河豚女に対する時も、前山の時と同様だった。こんな簡単な事を言うのが如何(どう)してこんなに難しく感じた上でまた緊張するんだ?と俺は又不思議でもあった。

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 未開の園(その)より出て来る〝未活(みかつ)〟を気取った器用な若輩(やから)は、時折り講じた精神(こころ)の機微から無解(むかい)へ徹する余韻を舐め取り、後戻りの無い旧い〝家屋〟に純(じゅん)を観たまま呆(ほう)けて在った。真白(しろ)く掠める無屈(むくつ)の素顔は一夜(とばり)の感覚(いしき)が宙(ちゅう)へ発(た)つうち幻覚(ゆめ)を掌(て)にする未動(みどう)の若輩(やから)は無謀を掌(て)にして落胆して居り、純白(しろ)い一夜(とばり)が未完(みじゅく)を呈する夜半(よわ)の未来(さき)から空転(ころ)がり生くのは、一男(おとこ)の幻想(ゆめ)から行路(こうろ)が割けない時空の歪曲(ゆがみ)の悶絶(なやみ)であった。分厚(あつ)い晴嵐(あらし)の孤独の内(なか)には夜半(よわ)の一幻(ゆめ)から冒険(さき)が発(た)ち活き、〝モンテカルロ〟の疾駆へ蔓延る無造の巨躯から悪態など成り、白亜(しろ)い杜から音頭が挙がれる奇妙の空気に相対(そうたい)しながら、独り舞台に恐怖を吟味(あじ)わう無己(むこ)の静嵐(あらし)を気忙(きぜわ)に識(し)った…。自体(おのれ)の過去から未然が煌(かがや)く星の手数(かず)ほど柔らを識(し)るのは「純粋・無垢」への活歩(かつほ)の暗(やみ)から頂上(トップ)に揺らげる記憶の棲家で、一男(おとこ)の孤独と女性(おんな)の孤憶(こおく)が「器用」を目的(さかな)に充満して行く幻夜(そら)へは気楼が発(た)たずに、自体(おのれ)の歴史を過去に詠み取る神秘(ふしぎ)の所以(ありか)を捜す瞬間(ころ)には、幻想(ゆめ)の未完(みじゅく)を天賦に装う旧い情緒が散漫にも成る。首(くび)を温(ぬく)めるタオルを巻きつつ、俺の空気(しとね)は〝有難見たさ〟の音頭を囁き、苦労が絶えない俗世(このよ)の盲句(もうく)を概(おお)く吟味(あじ)わい目にしたけれども、現(うつつ)の人物(もの)から生死を問えずの無理な信仰(めいろ)が手工され得て、浅い記憶へ悶絶して生く「旧い王者」解体され活き、現代人(ひと)の邪気から憎悪が増し行く無頼の音頭が成立して居た。

 一幻(ゆめ)の孤独へ落ち着く未来(さき)では一人(ひと)の孤独が上手く出し抜く「孤独の身重」が結審され行き、明日(あす)の目的(さかな)に当てが無いのを傀儡(どうぐ)に識(し)らない〝威嚇の盲者(もうじゃ)〟は溝(どぶ)に棄て行く一命(いのち)を見限り一女(おんな)に問い生く旧い感覚(いしき)は宙(そら)へ返れず、旧(ふる)き軒夜(のきよ)の浅い安眠(ねむり)は女性(おんな)の儘には感覚(いしき)が通らず、温厚(あつ)い虚無から美識(びしき)を誘(さそ)える男性(おとこ)の信仰(めいろ)は孤独を謀り、手厚(あつ)い〝律儀〟の遊泳(およ)ぐ未来(さき)から気色の〝信仰(めいろ)〟へ荒んで入(い)った…。

 幻(ゆめ)の解(ほつ)れが感覚(いしき)に遠退く〝解体(からだ)〟の記憶へ遺(のこ)って在れども、自体(おのれのからだ)は宙(そら)へ止(と)まれぬ暗夜(やみよ)の感覚(いしき)と何ら変れぬ傀儡(どうぐ)を扱い、一女(おんな)の気色が一色(いろ)から脱(ぬ)け出る真白(しろ)い感覚(いしき)の可細(かぼそ)い果(さ)きには、「聖子者(テレサ)」の身重が俗世(このよ)へ遺せる唯一識(し)れない生派(せいは)の絵が在る。茶色い〝空間(すきま)〟が躰を相(あい)せる床夜(とこよ)の景色に八頭(おろち)が立つのは幻(ゆめ)の感覚(いしき)に牙が立たない幻想(ゆめ)の理性(はどめ)のあわよくばであり、一女(おんな)の孤独が曇天(そら)を幻見(ゆめみ)る淡い孤憶(こおく)を嗣業に遣る頃、無機を配(はい)せる社(やしろ)の奥義(おく)には一幻(ゆめ)の生気が冷め醒(ざ)め在った。温(ぬく)い幻想(ゆめ)から気奢(きしゃ)から輪廻(ロンド)が暗転(ころ)がり無視を眼(め)にする無識(いしき)が蔓延り、自己(おのれ)の自覚(かくご)へ通感(つうかん)して生く旧い孤憶(こおく)は気障を観る頃、天空(そら)の根本(ねもと)へ打ち発(た)つ蛻は人間(ひと)の病躯に後光(ひかり)を差し込み、大児(たいじ)の瞳(め)をした孤独の主観(あるじ)に不当の文句(もんく)を交配して居た。文言(ことば)送りの伝送から発(た)つ幻(ゆめ)の未完(みじゅく)の端正(きれい)な理性(はどめ)は、精神配(こころくば)りが精徒(せいと)に気付ける一幻(ゆめ)の宙(そら)へと育って居ながら、孤憶(こおく)の〝葦〟から孤渇(こかつ)に繋がる旧い軒端の女性(おんな)の両腿(あし)には、女肉(にょにく)の湯浴みが清閑(しずか)に翻(かえ)せる精(せい)の主観(あるじ)が想像して居る。速い歯車(くるま)に幻(ゆめ)の上昇(のぼり)は粉砕され生き人間(ひと)の鼓膜は一幻(ゆめ)を始めに孤島の自然(あるじ)を傍観して行く、孤独の自然(あるじ)が現世(このよ)を保(も)たせる気楼(きろう)の温(ぬく)みを忘れる頃には、明日(あす)の気色へ現代人(ひと)を看破る静嵐(あらし)の素描(すがお)が転倒して居た。無意識(いしき)の許容(うち)にて理性(はどめ)を制する無機の生憶(きおく)に幻(ゆめ)が二重(かさ)なり、茶色い家屋に孤高が野晒(のさば)る初春(はる)の景色は未有(みゆう)に連なり、漆黒(くろ)い一宙(そら)から未潤(みじゅん)に連なる孤独の文言(ことば)に狭筵(むしろ)が成るのは、一女(おんな)の明日(あす)から未屈(みくつ)が擡げる幻夢(ゆめ)の信途(しんと)の延長でもある。真白(しろ)い旧巣(ふるす)に賢者が野晒(のさば)り一幻(ゆめ)の空城(くるわ)が朝日に見得ても、夜半(よわ)の人陰(かげ)から信途(しんと)が揺られる旧い成果の利潤が燃え出し、分厚(あつ)い気色を古豪に三重(かさ)ねる未来(さき)の目下(ふもと)は有名ばかりで、独創(こごと)に関する独義(ドグマ)の気色は幻想(ゆめ)の無駄から乖離(はな)れて在った。透明色した女性(おんな)の躰が手厚(あつ)い舞台の女性(おんな)の温味(ぬくみ)に、一男(おとこ)の孤憶(こおく)に生果(さき)を詠み尽(き)る後光(ひかり)の感覚(いしき)は昨日を幻見(ゆめみ)て、独り上手の旧びた華から女性(おんな)の一体(からだ)は愚行(おろか)に透り、愚痴を零さぬ無名の自主(あるじ)は一幻(ゆめ)の気色に通感(つうかん)しながら、明日(あす)へ並べる旧びた感覚(いしき)を男性(おとこ)の気色へ隠散(いんさん)して居た。漆黒(くろ)い宙(そら)には一女(おんな)が羽ばたき〝独り微温夜(ぬるよ)〟の気勢を遮る無知の孤独は謳歌(うた)を唄わせ、独りでに咲く竜胆(あおいはな)には斑(むら)の記憶が充分成り立ち、外国ばかりに気憶(きおく)が向かない幻(ゆめ)の情緒は明日(あす)の側(そば)から雨天を観て居た。一女(おんな)の人陰(かげ)から輪廻(りんね)が脚色付(いろづ)き無機の四季(きせつ)を煽る内には、男性(おとこ)の肢体(からだ)が狂気に増し生く影人(ひと)の孤独へすんなり返され、旧い話に未知が咲くのは労苦の一端(はし)から自由と重なり、二重の自主(あるじ)が乱歩を測れる幻(ゆめ)の歩速(ほそく)を減退させ得た。中年肥(ちゅうねんぶと)りの団子の孕(はら)から女性(おんな)の気色が揚々紅(あか)らみ幻想(ゆめ)の記憶へ気色が零れる無想の自然(あるじ)に活気が漲り、練習ばかりで生(せい)を終え生く未然の自覚(かくご)は真面目を識(し)れずに、不真面目ばかりで流転して行く一女(おんな)の頭髪(かぶと)を扇(あお)いであった。精神(こころ)の素描(すがお)に腰を据えれば翌朝(あさ)に夕(ゆう)なに女性(おんな)が現れ、孤独に居座る男性(おとこ)の人陰(かげ)には朝の陽光(ひかり)が昇って差し込む。女性(おんな)の素顔に物憂いながら自分の人影(かげ)など気丈に幻見(ゆめみ)て、「気丈」の丈夫は宙(そら)に突き出る渡航の朝陽に追随し得たが、果して危うい生憶(きおく)の姿勢(すがた)は体裁(かたち)を失くして一女(おんな)に近付き〝有難見たさ〟の苦境の最期に物憂い朝日を有限にもした。人物(もの)の白亜で転々暗転(ころ)がる俗世(このよ)の正義に同情しながら、男性(おとこ)の素描(すがお)の活気を偽る漆黒(くろ)い一形(かたち)が地中に覆われ、力無き日に無能を相(あい)する一男(おとこ)の労苦を賛美して居る。俺の体は「一男(おとこ)」に肖る術(すべ)を得ながら俗世(このよ)の誰もに劣り始める無垢の清さに理性(はどめ)を掛けられ、白亜(しろ)い両眼(まなこ)に孤独を観るほど貴重の主観(あるじ)を宙(そら)に観て居る―――現行(いま)を突き出る無国(むこく)の自主(あるじ)が事始(こと)に身構(かま)えて天罰(ばつ)を仰ぎ見、仰ぐ成果(はて)には青い労苦が天を拵え大きく伸びした。紺(あお)い四季(きせつ)が紺碧色(こんぺきいろ)した夢遊へ訴え、人間(ひと)と個人(ひと)との五月蠅(あわ)い歌詞から幻(ゆめ)の未完(みじゅく)を優雅に拵え、天の身元へ従順(すなお)に還れる神秘(ふしぎ)を観ながら聡明にも成る。生気を失くした拙い唖鳥(かもめ)が自体(おのれ)の一体(からだ)を一つへ揃(なら)べる真白(しろ)い管(くだ)から天を仰ぎ見、海の端から宙(そら)の端まで何処(どこ)まで流行(なが)れて生茂(せいも)を識(し)るかを、個人(ひと)の個体(からだ)に概(おお)きく名付ける青春(はる)の活力(ちから)に倣って入(い)った。唖鳥(とり)の旧巣(ふるす)に残念(むねん)が発(た)つのは豪華の人から活気が零れる不変の自主(あるじ)に倣う賜物(もの)にて、現代人(ひと)の恵みは神の恵みと宙(そら)を見上げて孤独に就くのは、幻想(ゆめ)の無垢から夢幻(むげん)を呈する俺の愛撫の成果(なれのはて)にて、孤独を牛耳る現代人(ひと)の活気は生気を宿して煌々明るく、一人(ひと)の存在(かたち)は陰府(よみ)を通じて非常に重たい幻(ゆめ)の元理(げんり)へ真逆(まさか)に落ちた。

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 次は三年四組の教室であり、ここから急に恐らく高校のクラスへの巡りとなった。そこには顔の青白い田尻とゴジラのようなデブ男と、歯科から出て来たテクノの小男とむっつりすけべの塩が好きな男の声と雰囲気が、姿は見えない儘に何処(どこ)かで在った。誰が介護委員なのかを聞き、〝小男〟だと分ると何回か呼んでやっと小男と喋る事が出来、俺は申し送って居た。ふと青白い田尻を見て鶴崎有美(つるさきありみ)を探したが、鶴崎はそこに居なかった。

      *

 無断の経路に曖昧ばかりが、孤独と孤独が人間(ひと)を呼び寄せ宙(そら)を駆け行く生気を睨(ね)めたが、明日(あす)の用事を昨日に覚れる孤独の強靭(つよ)さは俺から現れ、極細(ほそ)い両腕(かいな)で男性(おとこ)を締め生く女性(おんな)の猟奇が噴散している。一つ処の空間(すきま)に在った。集う者らは未完(みじゅく)を儲ける夜半(よわ)の感覚(いしき)を通(とお)って居ながら、若い娘(おんな)の独特から観て一幻(ゆめ)の白亜を真逆(まさか)に捨て置き、自己(おのれ)の自覚(かくご)で憤悶して生く二性(ふたつ)の快楽(らく)への両刃は未(いま)でも、陽(よう)の住処を二性(ふたつ)へ裂き行く孤独の生果を大事に採れた…。幻(ゆめ)に纏わる孤高の白亜は陶磁の一色(いろ)した青磁を繕い、女性(おんな)の夜半(よわ)から身重を挙げ行く架空の人煙(のろし)を血染めに添え活き、一男(おとこ)と一女(おんな)の道化た自覚(かくご)を陰府(よみ)の永久(とわ)まで持参して生き、明日(あす)の一夜(よる)まで肢体(からだ)の奥から、発狂(くる)うばかりに酔狂(くる)い始めた自狂(じきょう)の総身(すべて)を呈上(ていじょう)して居た。三者(もの)の哀れに追悼して生く幻(ゆめ)の生茂(せいも)に旧巣を観るのは、孤独ばかりに温度が昂(たかま)る虚空の八頭(おろち)の新参ばかりで、退威露是(ノイローゼ)に在る無痛の悼みを男・女(だんじょ)の虚空(そら)へと概(おお)きく相(あい)して、厚い薫香(かおり)にその実(み)を縮める夢遊の色種(しょくしゅ)を傀儡(どうぐ)に採った。…無効に消え行く初歩(いろは)の数値は孤独の裾へと貌(かお)を寄せ得る端正(きれい)な瞳(め)をした乳母が現れ、孤独ばかりに孤独を相(あい)した一人(ひと)の可能(かぎり)を総じて観ながら、人群(むれ)の許容(うち)では孤独を恐れる不動の強靭(つよ)さが我慢して居る…。一人(ひと)の足から幸福ばかりが、宙(そら)に埋れて希少を観るのを、空気(もぬけ)の宙(そら)では小躍(ダンス)が詰らぬ両脚(あし)の歯止めに色土(ねんど)が抛られ、寝耳に名高い人の気色は権化を識(し)り貫(ぬ)き葦の要躯(ようく)を無残に知るのを、現代人(ひと)の活力(ちから)へ追従出来ない我の脚力(ちから)は非力を幻見(ゆめみ)て、無性(むしょう)の奥義に呈色(ていしょく)して居る。呈色(ていしょく)され得た脚色(いろ)を根差した色土(つち)の温度は、現代人(ひと)の体温(おんど)と延々三重(かさ)なる無刻(むこく)の気色に他成らない儘、一人(ひと)の孤独と温度の孤独は無業を呈して未完(みじゅく)を侍られ、思春(はる)を持ち出す無宿(むじゅく)の信仰(めいろ)と何ら変らず、常世(とこよ)に盛(さか)れる拙い名誉の無駄の頭上(うえ)にて活力(ちから)を得て居た…。

 行李の住処に「男・女(だんじょ)」が寝そべる無機の表情(かお)した滑稽(おかし)な独裁(ドグマ)は、真白(しろ)い焦がれを宙(ちゅう)へ安めた無力の安堵に男性(おとこ)を気取らせ、産みの両親(おや)から自然(あすじ)が零れる未信の眼(め)をした滑稽(おかし)な野望(のぞみ)は、稀有の小窓(まど)から稀有の信仰(めいろ)が恋を二重(かさ)ねて、人間(ひと)の孤独に無為を装う無謀の生憶(きおく)の感覚(いしき)を搔いた。自己(おのれ)の幻想(ゆめ)から不毛が齎す精神(こころ)の機微など静かに蹴上がり夢中の概句(おおく)が努々(つとつと)過ぎるは無想の戯言(ことば)に通底して居て、女性(おんな)の自覚(かくご)が一宙(そら)に駆けるは無垢の空間(あいだ)を転々(ころころ)通り、人間(ひとのあいだ)で幻想(ゆめ)を独語(かた)れる俺の八頭(おろち)は従順(すなお)の行くまま霧散(むさん)に失(き)えた。白亜(しろ)い気色に堂々巡れる憂き世の肢体(からだ)に概句(おおく)が挟まり、厚い無音(おと)から化相(けそう)が仕上がる雪の幻句(げんく)は揚々なれども、分厚(あつ)い人間(ひと)から独りが失(き)え行く幻想(ゆめ)の過程(さなか)の目的(あて)の数奇は、躰が萎え生く空気(しとね)の効果を俺の孤憶(こおく)にちょこんと暗転(ころ)がし、独創(こごと)を宙(そら)にて堂々図れる旧い神秘を初めから観た。一女(おんな)の孤独は男性(おとこ)に気付かず悶々して居て、幻(ゆめ)の白亜を堂々通れる孤狼(ころう)の化色(けしき)を重々努めて、幻(ゆめ)の概(おお)くに効(こう)して栄える一人(ひと)の肢体(からだ)を緞子に棚上げ、孤憶(こおく)の空間(すきま)に未知を植え込む未完(みじゅく)を要(よう)した紅(あか)い葦には、人生(ひとのみち)から段々外れた化相(けそう)の辛苦を上々幻見(ゆめみ)た。一女(おんな)の全肢(からだ)が柔裸(やわら)に解(と)け尽(き)る無数の孤独を私中(しちゅう)に観る内、幻想(ゆめ)の煩悩(なやみ)は刻み込まれる無垢の概句(おおく)を未算(みさん)に据え置き、明日(あす)の概句(ことば)を一幻(ゆめ)に詠むのを宙(そら)を観てから始めて置くのは、人間(ひと)の気色と自由の気色が無垢を揃えて無言に就き生く主従の歪曲(ゆがみ)の結末にも在る…。

      *

 …「寝たきりの人が風邪気味ではなく、流動食とか痰が喉に溜まって、それ故に風邪のように喉奥に粘長痰(ねんちょうたん)が溜まる。だから誤嚥に注意ですな」等と全ての申し送りの後(のち)に成って俺は小男をイメージの内に仕立てて自分の相手とし、比較的緊張せずに喋り、申し送って居た。

      *

 無難に過ぎ行く無垢の夢内、昼間の人陰(かげ)から無難が跳び出す孤高の用句を見直す内には、男・女(だんじょ)の仕事を孤独へ追い行く無想の局地へ浸透した儘、幻(ゆめ)を操る孤独の〟相(あい)〟にて独(どく)を呑まされ翻(かえ)され果てた。真白(しろ)い成果に幻(ゆめ)を据え置く無垢の生果は明日(あす)を幻見(ゆめみ)て、自体(おのれ)の無知から家屋の空虚を女性(おんな)の初歩(いろは)へ改算(かいざん)しながら、一幻(ゆめ)の空気(しとね)へ潜(ひっそ)り向くのは暗夜(やみよ)を設けた思春(はる)の気だった。安い揺蕩(ゆらぎ)を未憶(みおく)に見る頃尽きぬ理性(はどめ)は孤高を迷わせ、自体(おのれのからだ)へ自由を突き刺す未完(みじゅく)の天衣(ころも)を律儀に通せば、しどろもどろの俺の興味は転々(ころころ)暗転(ころ)がる童貞を見た。一女(おんな)の体裁(かたち)に感覚(いしき)が発(た)つうち白亜の水面(みなも)に宙(そら)が映るのは、幾らも幾らも恋して旅する独りばかりの一男(おとこ)の行儀で、これまで独歩(ある)いた自己(おのれ)の孤独は無暗矢鱈(むやみやたら)の闊歩で在って、幻想(ゆめ)の未完(みじゅく)に孤高が立ち生く独りの身寒(さむ)さを共有して居た。清閑(しずか)な間延びが白亜の宙(そら)にて感嘆極まる悦(えつ)を解(ほど)けば、単調ばかりが自分に飛び込む自然(あるじ)の強力(ちから)が揚々活き立ち、分厚(あつ)い経過に音頭が死に生く真っ向勝負の人体から観て、俺の一夜(とばり)は化粧さえせぬ単色主義(たんしょくいずむ)を踏まえて在った。一幻(ゆめ)の孤独に夕日が転がる無機の小敗地(アジト)が堂々在る内、安い盛(さか)りの宙(そら)の頭上(うえ)では奇妙な一光(あかり)が真赤(あか)く燃え過ぎ他(ひと)に対する妬みばかりが人間(ひとのうち)にて生長して活き、安堵に暗転(ころ)がる無難の幻想(ゆめ)には分厚(あつ)い日(ひ)の粉(こ)が真逆(まぎゃく)に咲いた…。

 一男(おとこ)と女性(おんな)の孤独の主義(リズム)は奇妙を報せる早朝(あさ)の向きにて、生気を保(も)たない幻想(ゆめ)の生憶(きおく)が明日(あす)に揃える勇気を毛嫌い、幻(ゆめ)の行李へ自慢して生く虚無と独りの無限の流行(ながれ)は、分厚(あつ)い毒牙に〝独我(どくが)〟を二重(かさ)ねる奇妙の公理(あかり)へ巣立って行った。男性(おとこ)と女性(おんな)の虚空の歪曲(ゆがみ)は自己(おのれ)の巨躯から静々(しずしず)挙がれる事始(こと)に対する諸行の無適(むてき)が自然(あるじ)の目に発(た)ち揚々膨らみ、一男(おとこ)の過去から拾った自活(かて)には女性(おんな)の孤憶(こおく)を次々孵せる二性(ふたつ)ばかりの生憶(きおく)であって、母親(おや)の生憶(きおく)であって、母親(おや)の生憶(きおく)に幻(ゆめ)が発(た)つのを俺の孤独は充分識(し)りつつ、分厚(あつ)い孤憶(こおく)に幻想(ゆめ)が向くのは、夜半(よわ)の過去から自己(おのれ)が挙がれる旧い生憶(きおく)の勇気であった。女性(おんな)の孤独が一男(おとこ)へ向くのは翌朝(あさ)の論理へ歯向かうからにて、真白(しろ)く納める二性(ふたつ)の質(たち)には幻(ゆめ)の生理に歯向かう為にて、自体(おのれ)の眩みに死地を詠むとき旧い過失は一女(おんな)を相(あい)さず不毛の「論理」へ培う自主(あるじ)は幻(ゆめ)の孤独へ蹂躙して行く拙い哀れの主従を採った。幻(ゆめ)の許容(うち)から現在(いま)が跳び出る狂句の哀れに人間(にんげん)など観て、事始(こと)の従順(すなお)へ一幻(ゆめ)を揮わす無覚(むかく)の罪には空気(しとね)へ透れる浅墓など識(し)り、分厚(あつ)い孤独は器用を逸する旧峠(むかしとうげ)の身重を織り成せ、現代人(ひと)へ見送る幻(ゆめ)の空転(まろび)は宙へ立ちつつ表情(かお)を歪めて、明日(あす)の死地へと孤独を介せる「去来の孤独」を充分識(し)った。

「書かねば成らぬは関(せき)の恥。」

 自分の理屈に数退(すうたい)して行く旧い記憶が孤独を見紛い、明日(あす)へ活き貫(ぬ)く幻想(ゆめ)の八頭(おろち)は無言に差し生く後光(ひかり)を眼(め)に付け、明日(あす)の迷いと今日の生憶(きおく)を数退(すうたい)しながら未屈(みくつ)を掘り出し、分厚(あつ)さに和らぐ現代(いま)の脆弱差(よわさ)が過去に活き得ぬ下らなさを識(し)り、一幻(ゆめ)の両腕(かいな)で関(せき)を発(た)つのは、孤独の旧さへ輪廻(ロンド)を想わす一幻(ゆめ)の未屈(みくつ)の葬式だった。白亜(しろ)い過去から自然(あるじ)が生き尽(き)る無根の小躍(おど)りは無適(むてき)に在らねど明日(あす)へ生き尽(き)る自体(おのれのからだ)は虚無に巻かれて天井を観て、真白(しろ)い小敗地(アジト)へ換算して生く拙い奥地に堕落を成すのは、我慢が成らない一人(ひと)の孤独の浮沈に活き尽(き)る常連だった…。

      *

 …夜勤に入った直後、俺は、おむつ交換をして居る際に手に触れそうに在り今にも匂って来そうな犬の糞(ふん)のような利用者の人糞に嫌気が差して、一度、それが元(もと)で介護の仕事を辞めようかとして居た。

      *

 孤独の寝間から親類染みた妄想(おもい)が先立ち、〝一人微温夜(ひとりぬるよ)〟の道化の仕種が鷹揚足るまま乾いて行くのを、孤業の向くまま気の向く儘にて、幻(ゆめ)の孤独を切(せつ)に吟味(あじ)わう無想の日蓋(ひぶた)を悶絶して居た。白亜(しろ)い豚から人間(ひと)が這い出し、自体(おのれ)の両腕(かいな)を自在に振る舞う悪しき勇気へ成長した後(のち)、幻想(ゆめ)の仄かへ生憶(きおく)を醒ませる有名無実を岐路へ返すは、幻(ゆめ)の自主(あるじ)を乞うて止まない独り上手の不断に在った。女性(おんな)の高貴が自由を取り次ぐ現世(このよ)と陰府(よみ)との相異の人陰(かげ)にて、薄暗差(くらさ)を拝する陰府(よみ)の家督が幻想(ゆめ)の八頭(おろち)を頬張り続けて、翌朝(あさ)の儀式へ自己(おのれ)を連れ添う見様(みよう)の自然(あるじ)に相当して来る…。厚い自覚(かくご)が一幻(ゆめ)の王佐へ悶絶して生く古豪の理知への概(おお)きな煩悶(なやみ)は、幻(ゆめ)の惑いに白亜を灯らす宙(そら)の高度を落して居ながら、孤高の目下(ふもと)へ一切活きない不毛の論理を企て出した。発狂(くる)う律儀に改竄して生く「旧い小敗地(アジト)」は一瞬遠退き、幻想(ゆめ)の輪廻(ロンド)で人身(ひとみ)を束ねる無要(むよう)の指輪(リング)は宙(そら)へ解(と)け活き、見様見真似の分厚(あつ)い〝経過(ながれ)〟は吐息の郊外(はずれ)へすっと零れて、翌朝(あさ)の勝手に自盲(じもう)を灯せる幸先(さき)の実らぬ焦りを吐いた。

 孤独の身重に自発が片付く旧い活力(ちから)の活歩(かつほ)の揺れには、坊主の瞳(め)をした八頭(おろち)が佇み「時空」の歪曲(ゆがみ)を構成した儘、しどろもどろに暫く崩れる人群(むれ)の自然(あるじ)へ暫く放られ、旧い白壁(かべ)から孤独が息衝く幻(ゆめ)の闊歩の抑鬱等には、分厚(あつ)い早朝(あさ)から労苦が棚引く孝行息子の業(ぎょう)の総てが、未活に束ねる緩い活路に微塵を吐き行く生命(せいめい)さえ見た…。繰り返しに依る「繰り返し」に寄り、「繰り返し」に観た「繰り返し」と成る…。集めた人格(ひと)から塊が成り、人間(ひと)の合図に固まり始める『レギオン』から聴く騒音(こえ)の人界(かぎり)は、人間(ひと)の孤独と融合したまま孤高に居座る「女神」など観て、分厚(あつ)い進路へ赴き始める「未開の自然(あるじ)」と遭遇して居る。

      〈追記〉

 明日(あす)の朝から私欲(よく)が解(と)け入り、幻想(ゆめ)に纏わる人肢(じんし)の体裁(かたち)が身欲(よく)に連なり連呼に成るのを、俺の自覚(かくご)は土偶を貪り、分厚(あつ)い自覚(かくご)の流行(ながれ)の人群(むれ)から一切通れぬ不慮の小声(こえ)へと総身(からだ)を画して造形(ぞうけい)して居た。真白(しろ)い幻見(ゆめみ)は業界から観て漆黒(くろ)い気色の人智に有り付き、一幻(ゆめ)の身重へ幻想(ゆめ)を刈り取る事象(こと)の集成(シグマ)と相異も無い儘、見得ぬ自然(あるじ)の片言まで得る未開の杜へと脱走して居た。疾走して行く事始(こと)の火照りは自明(あかり)が差すまま本能(ちから)の向く儘、纏めて幻見(ゆめみ)る無機の労苦へ火照りを忘れて紫陽花など観て、雌雄を決する未覚(みかく)の自主(あるじ)に物議を醸せる陰府(よみ)を観て居た…。分厚(あつ)い孤独を少々滑稽(おかし)な傀儡(どうぐ)へ見たまま奈落の底へと通底して生く「俺の集体(シグマ)」は煩悩(なやみ)を知り貫(ぬ)き、事始(こと)の進路と合せて摘み取る旧(むかし)の合図へ逃走して生く…。分厚(あつ)い凝(こご)りは地獄の最低(そこ)まで人間(ひと)の感覚(いしき)を自由に摘み取り、着せ替えだけする自然(あるじ)の身辺(あたり)は空気(もぬけ)の可能(かぎり)に〝云々…〟して居り、人間(ひと)の両腕(かいな)に破れぬ「未知」には、しどろもどろに概(おお)きく尖れる理知の孤独が文言(ことば)と消えた。消えた丸味(まるみ)を器用に観て生く無戒(むかい)の一滴(しずく)は華(あせ)に佇む…。

 自己(おのれ)の感覚(いしき)がげんなりして生く無刻(むこく)に見限る人間(ひと)の労苦は、翌朝(あさ)の目途から一幻(ゆめ)を識(し)れない孤高の月日(つきひ)に退屈(ひま)を見付けて、分厚(あつ)い経過(ながれ)に退屈(ひま)を見送る奇想の暴嵐(あらし)を調子付かせた…。俺の生憶(きおく)は自由を見限る幻(ゆめ)の畔(ほとり)で今日も佇む。


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~思春の夕べに八頭(おろち)を観た日(ひ)に~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji

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