第26話 魔

「すごい、すごいわ! 力がみなぎってくる!」


 空中高くで、嬉々としてマリカは王笏を横薙ぎに振るった。術式の言霊を唱えることなく辺りが火の海と化していく。

 マリカの魔力は火属性だがここまでの使い手はなかったはずだ。熱風に煽られてユスティーナはよろけそうになった。


「ユスティーナ様!」

「お姉様?」


 マリカの視線がユスティーナに落とされる。

 邪魔者を見る目つきで睨みつけ、次いでマリカはいいことを思いついたかのように瞳を輝かせた。


「ちょうどいいわ、ユスティーナお姉様には死んでもらおうかしら? 仕方ないわよね。試し打ちをしたらたまたまそこにお姉様がいたんだもの」


 狂気の笑みを浮かべマリカは王笏を振り上げる。

 迷いなく放たれた火の玉が容赦なくユスティーナに襲いかかろうとした。


「きゃあっ」

「危ない……!」


 急降下したリュリュが寸でのところでユスティーナを拾い上げた。風魔術で遠くに飛ぶも、ふたり分の重みですぐに地面に着地する。

 もつれるように倒れ込んだふたりは、ふと差した影に空を見上げた。

 頭上でマリカが見下ろしている。憎々しげな顔をして再び王笏を振りかざす。


「今すぐそこをどきなさい、リュリュ」


 ユスティーナを後ろ手に庇ってリュリュはマリカの前に立ちはだかった。


「どきなさいって言ってるでしょうっ」


 脅しの炎がリュリュのすぐ脇に叩きつけられる。ごぉっと立ち昇った火柱に、それでもリュリュは怯むことなかった。

 苛立ちも顕わにマリカはますます憎悪を募らせた。後ろで震えるユスティーナに向かって、立て続けに炎の龍が放たれる。


「ユスティーナ様、掴まって!」

「きゃあっ」


 ユスティーナを抱えたリュリュが風魔術を駆使してぎりぎりで躱していく。

 着地するところを狙われて、火龍の牙が大きく地面を抉り取った。


「ちょこまかと!」

「うわぁっ」

「リュリュ!」


 ことさら大きな火龍が襲いかかり、リュリュが遠くに吹き飛ばされる。

 地に伏したままリュリュは動かない。かけ寄ろうとしたユスティーナを阻むように、マリカがふわりと目の前に降り立った。


「ふんっ、お姉様なんかを庇うからよ」

「マリカ、あなたなんてことを……」


 残り火が草木に燃え移り、辺り一帯は焦土と化している。

 かなりの距離を追い詰められて、すぐそこには防壁が見えていた。


「もう逃げられないわよ、ユスティーナお姉様」


 それはそれは楽しそうにマリカは笑った。掲げられた王笏の宝玉から、妖火が陽炎のように立ち昇る。ごおっと音を立て、灼熱の龍が渦を巻いた。

 死を覚悟した瞬間ユスティーナから何かが膨れ上がり、弾かれた火龍がマリカの元へと跳ね返された。


「ぎゃあぁっ」


 火に包まれたマリカが踊るようにもがいている。

 何が起きたのか分からなくて、ユスティーナは呆然とその場に立ち尽くした。


「おのれ……小娘……」


 燃え盛る炎を纏ったマリカがしゃがれた声で王笏を高く掲げ持つ。怨念の影を揺らめかせ、最後のあがきとばかりに大炎を吐いた。

 その時ユスティーナの喉元から再び力が溢れ出た。それは見事な水龍となりマリカを炎ごと飲み込んでいく。

 王笏がマリカの手を離れ、空高く跳ね飛ばされる。そのままマリカの体がどさりとその場に倒れ伏した。

 水龍が掻き消えて、辺りはすっかり鎮火している。


 ――おおおぉおぉ……!


 突然叫び声が響き、ユスティーナは思わず耳を塞いだ。まるで大勢の人間が苦悶の声をあげているかのようだ。


「なんなの、あれは」


 防壁には王笏が真っすぐと突き刺さっていた。その王笏が引き込まれるように少しずつ少しずつ短くなっていく。

 青ざめて我が目を疑った。防壁の外側にはカマキリに似た巨大な虫がへばりついていた。


(王笏を食べている……?)


 その口が不気味に蠢いて、ボリボリと王笏を貪っていた。

 あまりの光景に言葉を失ってしまった。その間にも王笏はどんどん短くなっていく。

 あのおぞましい虫は「魔」なのだと、そこでようやく悟った。助けを呼ぼうにも人影はない。リュリュとマリカが地に伏しているだけだ。


「一体どうしたらいいの」


 杖の部分がほぼなくなって、あとは先端に飾られた宝玉を残すのみだ。

 あの王笏が最後まで飲みこまれてしまったら――。


(このままでは防壁に穴が開く)


 魔の背後には大小様々の虫たちが蠢いていた。

 あれが防壁内に入ってきたら。魔は人をも食べ尽くす。ことさら魔力を持つ者が狙われて、骨のひと欠片すら残らない。


「シルヴェステル……」


 ここにいるはずもないその名を口にして、無意識のままチョーカーの輝石を握りしめた。


「ユス? 聞こえますか?」

「シルヴェステルっ!?」


 すぐ近くで声がして、飛び上がらんばかりに驚いた。しかし見回してもどこにもいない。


「遠隔で声を飛ばしています。ユス、今の状況を」

「王笏が刺さって魔が食べてるの! もう穴が開きそうなのよ!!」


 言っているそばから防壁にぴしりと亀裂が走る。

 主語もへったくれもないユスティーナに、冷静な言葉が返された。


「落ち着きなさい。修復にはどの術式が最適ですか?」

「ど、どの術式って」

「いつも通りに考えるんです。あなたならどう見ますか?」


 課外授業でのことが思い起こされる。

 言われるまま、防御壁に織り込まれた魔術の中に綻びを見出していった。


「火が逆行して木属性を浸食してる。そのせいで地への流れまでおかしくなっているわ」

「分かりました。今から封印の扉を開きます。ユスはその場で精神統一を」

「え」


 足元が眩しく光り、地面から幾何学模様が迫り出すように現れる。

 聞き返す前にはもう、その光は下から頭上へ、ユスティーナの体を一気に通り抜けていた。

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