第47話 一つの首をめぐって
エイダの宮殿はレイドゥーニア軍に包囲されていた。王の妹フランシスは、なんとエズラから王権を簒奪し、エイダ軍の指揮をとっている。彼女がエイダの軍隊を機能させていること自体が驚きだった。
レネー・ウィゼカは思わぬ障害に復讐を阻まれて苛立っていた。まさかエズラの妹がいるとは!
フランシスの名前など聞いたこともなかった。もちろん兄のギーと結婚していたことは知っていたが、エズラの存在は周囲の者をかすませてしまう。
レネーは山の中腹の天幕の中で妻への手紙を書いた。
リリィへ
エイダは美しい土地だ。山は壮麗で厳しい。ひさしぶりに宮殿のある山の上にきて、僕らの祖先がいかに賢明で、頑丈だったのかが身にしみてわかった。油断させない限り、敵はあの宮殿を陥落させることはできない。
道すがら、煮えたがる憎しみだけを胸に抱いて行軍していた。本当を言うと、君がレイドゥーニアの王城に現れた日から、エズラへの憎しみが片時も頭を離れなくなっているんだ。ほとんど情熱に近い思いなんだ。
着いてすぐに父の宮殿を包囲できた。大した犠牲も出さずにだ。大勢の死者を出してもかまわない、奴らを皆殺しにしてやるんだ、とも考えていたんだが。
あの宮殿では奇妙なことが起こっている。それで復讐もできずに、足止めをくっているんだ。
エズラは姿を現さなかった。かわりに妹のフランシス・フィルスがいる。リシャール、僕たちの愛する子どもの姿も見当たらない。
フランシスの狙いがわからない。兄にかわってエイダの君主になるつもりか。武装をゆるめる気配もない。また流血が起こるかもしれない。だがいいんだ。結局のところ、僕はエズラの首だけでなく、王冠ののった頭ごと、ほしいんだから。
新たな戦いが始まりそうだ。僕の勝利とリシャールの無事を祈っててくれ。君を愛している。
レネー
手紙を読んだリリィは中庭へ駆けていった。メアリーがジュリア=テディアと話している。社交辞令のためだけの台詞で会話しているみたいだ。
リリィは挨拶もおざなりにメアリーを崩れかけの天文台に連れていった。
「どうしたのよ?それにここ危ないわ」
メアリーが顔をしかめて言う。
が、リリィの顔にはただ事では済まされない何かが浮かんでいた。
「手紙を読んで。でもアレックスには言っちゃだめだから」
メアリーが美しい眉をひそめて、手紙をふんだくった。
「エズラの妹が?一体狙いはなんなのよ?それにレネーだって何を考えてるかわからないわ」
メアリーはフランシスとは一度も会ったことがなかったし、レネーを信用ならない男だと思っているのだ。
「私が行けば、無駄な流血は避けられるわ。フラニーとは友達なの。二人には仲介役が必要よ」
リリィが言う。
「本当にそう思うの?レネーもフランシスも強情者同士、お似合いかもしれないのよ」
メアリーは厳しい顔をして言った。この親友が呑気さにつけ込まれて、痛い目に遭うのを何度も見てきたのだ。
「本当よ。昔からフラニーを知っているの。彼女だってエズラや奴隷制を憎んでいた。レネーとも意見を一致させられるわ」
そこまで言われては、リリィを止める理由もなくなってしまった。アレックスには内緒にしてエイダへと送り出すだけだ。
頭痛がして、足はふわふわと浮いて、身体中の感覚がないような気がしていた。背中に汗がういて、寒い。
夜の寝室を歩き回っていた。昼間の服装のまま、着替えもせずに。朝が永遠にこないような気がする。それにひとりぼっちだ。行き止まりだ。
レネー・ウィゼカは宮殿を包囲して、いかつめらしい顔をした使者をよこしてきた。今すぐ宮殿を明け渡し、エイダ軍の全権を放棄すること、エイダにある領地を手放すこと、エズラの身柄を引き渡すこと。
昼間、屋上に出るとレネーが見えた。律儀に馬上でフラニーの返事を待っている。苛立って見えた。
彼は知らないのだろうか?自分たちが同じことを望んでいるのを。たった今、宮殿を占拠して、彼の行動を阻んでいる女が自分の兄の妻だったことを、忘れてしまったのだろうか。
フラニーは顔を洗って、ベッドの上に横たわった。
侍女がやってきて信じられないことを耳打ちした。奇跡のようなことを。リリィが内密に宮殿の中に入ってきたのだ。
何を話せばいいのかわからなかった。打ち解けて話すには、この宮殿は威圧的すぎたし、事態が深刻すぎた。
リリィはフラニーを抱きしめた。優しく、温かい抱擁。孤独だった心がじんわりととけてゆく。フラニーは涙ぐんでリリィを見つめた。
「どうするつもりなの、こんなところに閉じこもって」
リリィがきく。
「途方にくれているの。本当はやるべきことを、わかっているのよ。でも今はできない。娘と領地を守らないといけないから。レネーにエイダの王冠はいらないと伝えて」
「伝えるわ。あなたに悪いようにはしない。レネーは話のわかる人なの。だからフラニー、最後にエズラに会わせて。これは最後の慈悲なの」
フラニーはうるんだ目でリリィを見上げた。
「兄は慈悲に値しない人だったわ。無害だったギーを見せしめのためだけに殺し、あなたを監禁して獣のような扱いをした。それに……私を辱めたわ、実の妹をよ!」
苦痛と激しい憎悪に満ちた叫びだった。
それがエズラという男なのだ。
「最後の慈悲よ。おねがい、フラニー」
エズラは独房で鎖につながれていた。青白い肌の、彫刻のような男。わずかに曲がった鼻。
彼はせせら笑いを浮かべて、言葉たくみにリリィを操ろうとした。虐待した女の情を当てにすること、それだけが彼にできることだったのだ。
「あなたの命は救えないわ。ここから出してやることもできない。あなたともう一度やり直すことも」
リリィが優しく言う。
まるで穏やかな死刑の宣告だった。
「お前は冷たい女だ。だが、俺が死んでも、俺を忘れることはない。今だって目を閉じれば俺の存在を感じるはずだ。リシャールを見てもな」
エズラが言う。
「エズラ、負けたのはあなたよ。あなたは死に、私はレネーと結婚して彼の子どもを産む。私は生き続けるわ。あなたの最愛の女もじきに死ぬ。それか街角に立つ娼婦に戻るかもしれない。どうでもいいことよ。
あなたは一度だって私を征服できたことはなかった。リシャールはあなたの子じゃない。レネーの子よ。皮肉よね、レアの産んだ子どもたちよりもリシャールを愛していたんだから」
「嘘だ!この卑しい冷血女めが」
エズラが怒鳴る。
「いいえ、私は最後の慈悲をかけにきたのよ」
リリィはそう言うと独房を去った。
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