第41話 殺人と目撃者

「エズラを追うよ」

 レネーが寝室にやってきて言った。


 夕暮れのたそがれ時、リリィは数日ぶりの風呂に入ろうとしていた。女中がお湯の入ったおけをもって隣の浴室に出入りしている。


 リリィは髪をおろして、ガウンを脱ごうとしていた。目を伏せて、ガウンの手前をかき合わせる。


 レネーは部屋の中に入ってくると扉を閉めた。


「ええ。あなたはエズラを追わずにいられない。彼の首を取るまでは」


 リリィの口調には何か強いものがこもっている。エズラへの思いは夫と同じだ。彼の首がくいに刺さっているのを見たい。彼が追い詰められて絶望するさまを見てやりたい。


「エズラもメアリー=ジェインも必ず殺す。君とウィゼカの仇討ちだ。僕がエイダを征圧するまで君はイリヤにいるんだ。いいかい?」

 レネーが静かに言う。


 彼は優しく、冷静そのものだった。だが、リリィも彼自身も冷酷なまでの復讐心を忘れてはいない。レネーの瞳の奥が冷たく光っていた。


「僕はエイダの王に、君はエイダの王妃になるんだ。僕たちの子どもはエイダの王子になる」

 彼はそう言う。


「素敵ね」

 リリィは突然不安になった。

「レネー、あなたが知らないことがあるの。とても重要なことよ。ひどく重大なことなの」


 レネーの瞳の色が変わる。リリィの思い詰めた様子に心を動かされたのだ。二人は並んで寝台の上に腰かけた。


「私はリチャードの子どもじゃないの。だからリロイ家の人間でもないし、あなたの妻でいる資格もないのよ」


「誰がそんなこと言った?」

 レネーがリリィの肩をつかんで言う。


「言えないわ。と言うよりも、自分で気づいたことなの。私の母はヘレナよ。母には大勢愛人がいた。私が父の子でなくても不思議はないでしょう?それに、私は父には似ていない」

 リリィはすっかり弱々しい口調で言った。


「リリィ、リチャードが君をイリヤの皇女だと認めたんだ。それにアレックスも君をリロイだと思っている。君は公式にはリロイ家の人間なんだ。誰がなんと言おうがそれは変わらない。だから僕の妻でいる資格なんて言葉は使うな。そんなことで君を追い出したりしない。たとえ君が漁師の子どもでも。君を守るのが僕の役目だ」


 レネーはそう言ってリリィを抱きしめる。


「そう。あなたって優しいのね」

 リリィはぼんやりとした口調で言った。迷子になって怯え切ってしまった子どものように。


「当たり前のことだ。リリィ、このことは誰にも言うな。僕以外だれにも。君の親友にもだぞ」


 メアリーのことを言ってるのだ。


「ええ、誰にも言わないわ」


 でも、と思う。でも、レネーがリリィの出自の真実を公表してくれたら、重荷から解放されただろうに。


 話が終わるとリリィは風呂に入った。あたたかく、四肢の疲れがとけてゆく。寝室でレネーが待っているはずだ。入浴してライラックの匂いをつけたら、ベッドの上で彼に身を任せよう。


 明日にはレネーもエズラを追ってエル城を発つだろう。しばらく彼には会えない。



 それは蒸し暑い夜のことだった。眠れずに、寝室をぬけて、城の中の廊下や階段をふらふらと歩き回っていた。虫の声がきこえる。それにしてもなんて平和な、なんて静かな夜だろう。ついこの間までこの城が攻撃にさらされていたとは信じられない。


 廊下の角に紫のドレスの裾が見えた。女がいる。それも使用人ではない。高貴な身分の女だ。


 足が自然に動いた。この蒸し暑く、長い夜に誰か話し相手がほしかったのだ。


「レイチェル!レイチェル!こんな夜に奇遇きぐうね」

 リリィが話しかけた。


 レイチェルがキャッと悲鳴をあげて振り向く。

「あら、リリィさま。ごめんなさい。こんな暗い夜だから怯えていて」


「いいえ、私が考えなしだったわ。夜中なのに大声なんか出して。でも一体どうしたの?そんな素敵なドレスを着て」


 レイチェルは深い紫のサテンのドレスを着ていた。いかにも暑そうなドレスだ。額に汗を浮かべていた。


「私室を出るときには淑女としてのかっこうを。それがマッツの大叔母さまの教えよ。あんまり口うるさく言われるから習慣になってしまったの。ええ、ヤング・ジョンを探してるんです。目が覚めたら隣にいないんですもの」

 レイチェルは喋るだけ喋って、どこか行ってしまおうとする。


「それなら簡単よ。弓形の門の下よ。あそこで戦争ごっこをしているの」


「弓形の門?ありがとう、行ってみるわ」

 レイチェルは止まろうともせずに行ってしまった。外に出るには反対に行かなければならないのに。


 それにしても何か変だった。レイチェルの怖がりようときたら。それに彼女、普段はあんなお喋りじゃない。


 リリィはハッとしてヘンリー・トンプソンの寝ている小部屋に向かった。


 暗い室内からは揉み合う音が聴こえる。リリィはためらった。レイチェルを気の毒に思ったのだ。それに彼女の思いを理解できた。誰かを殺したいほど憎む気持ちを。


 扉を開けると事切れていた。男が立って息をきらしている。女が床に転がっていた。


「ヘンリー?」

 リリィが恐る恐る名前を呼ぶ。


 男は落ち着いた動作でろうそくに明かりをつけた。


 リリィは扉を閉め、ひたすら彼を見つめている。


「レイチェルに会ったの。それであなたを殺そうとしているのがわかったのよ。でも、なんでここに来たのかはわからない。だって、あなたを助けようなんて思ってなかったから」


「彼女が憎むのは当然だった。俺は彼女を誘拐した本人だし、当時はヘレナの手下だった。それで、どうするんです?俺をここの領主に引き渡すんですか?」

 ヘンリーは片方しかない目でリリィを見た。


「引き渡そうとすれば、あなたは私を殺すわ。レイチェルにやったのと同じように」

 リリィがささやく。


「あなたは殺せない。愛してるから」

 ヘンリーは慎重に言った。


「やめて」

 リリィが叫ぶ。


「いや、あなたをエズラから救ったのも愛してるからだった。この戦争でエズラを裏切ったのも、あなたへの愛のせいだ」

 彼は無我夢中になって言った。

「あなたは半殺しの目にあったとき、天使のように俺を助けてくれたんだ。あなたは俺の天使だ」


「出ていって!」

 リリィが声を荒げて言った。

「そして、二度と私の前に現れないで。家族に近づかないで。もう一度会ったら、あなたを死刑にするわ」

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