第30話 海のそば、山の上
侍女と一緒に小川のそばに屈んで洗濯をしていた。まるく平たい岩の上に洋服を広げ、水に濡らして裸足で踏む。山の上から流れてくる水は冷たく、頭に降り注ぐ日光は
「メアリー?」
メアリーはすぐに振り向いた。トゥーリーンだ。イネスと手を繋いでいる。
「まあトゥーリーン!驚いたわ!無事だったのね」
メアリーはそう言ってトゥーリーンを強く抱きしめた。
「皇帝からこの子をエル城に送り届けるよう言われたんだ。後は君たちが面倒を見てくれるだろうって。君とリリィが……」
トゥーリーンがそう言って表情をくもらせる。
「飲み物はいかが?食事をしてくでしょ?」
トゥーリーンとイネスは城の
イネスは立ったまま出されたおかゆを食べていた。トゥーリーンは静かにミントィーを飲んでいる。心ここにあらず、という感じだ。
「奥様、この子は本当に女の子なんで?」
太った召使いの女がイネスを見て悲鳴をあげた。赤ら顔の人の良さそうな女だ。
「もちろん女の子よ。イネスというの。でも、そうね。体を洗って着替えた方がよさそうだわ。ジゼル、この子を任せられるかしら。おかゆを食べ終わってからでいいけれど」
イネスはたしかにひどい見た目をしていた。髪は泥がこびりついて茶色になっているし、ガウンの上からぶかぶかのチュニックを着ている。
「さあお嬢さん、いらっしゃい。見違えるようにしますからね」
ジゼルは放心した顔のイネスをどこかに引っ張っていきながら言った。
「アレックスは元気だった?」
メアリーがたずねる。
「ああ。君は?」
トゥーリーンが言った。
「元気よ。もしよかったら、泊まっていけばいいわ。ハーブだって気にしないでしょうから」
「泊まってゆく?いや、せっかくだけど先を急ぐんだ……」
彼はそう言って口をつぐんだ。
厨房の外、廊下を見つめている。リリィがヤング・ジョンに手を引かれて歩いていた。
「話さないの?」
メアリーがきく。
「リリィはあなたと会ったら喜ぶわ」
「メアリー、僕を苦しめようとしないでくれ。僕の気持ちを知ってるだろう?彼女の立場だって」
トゥーリーンが声を落として言った。
「あら。リリィは夫を愛してないのよ。レネーだってリリィを愛してない。冷たい男だわ。でも、あなたなら違う。リリィは不安がっているの。あなただけがリリィを慰めてあげられるのよ」
メアリーは
そうこうする内にヤング・ジョンとウィリーがリリィを厨房に連れてきた。早速、ヤング・ジョンがこねかけのパン生地を触ろうとする。
「ジョン、パンを触っちゃだめよ。さっき、泥をこねてたでしょ?」
リリィが慌ててヤング・ジョンをパンから引き離した。
「リリィ、リリィ!トゥーリーンよ。彼があなたと庭を歩きたいって」
メアリーが言う。
リリィはすっかり戸惑ってトゥーリーンを見つめていた。午前中ずっとウィリーとヤング・ジョンと一緒にいたせいだろう、髪は乱れ、頬が上気している。
「トゥーリーン、来てたのね!知らなかった……」
リリィはどぎまぎしてしまって嬉しそうな顔ができなかった。
「メアリーって、本当に何考えてるのかわかんないわね」
リリィが回廊を歩きながら言う。
「あなたもメアリーのことは昔から知ってるけれど……」
「彼女、何か勘違いしているよ。恋の
トゥーリーンが静かに言った。
「メアリーはレネーが嫌いなのよ。アレックスを裏切ろうとしたから。それであなたと私を使って復讐しようとしているの。もちろん、馬鹿げたことだけど」
リリィはそう言ったきり、そっぽを向いてしまう。
「エル城にくると、海のそばに戻りたくなる」
トゥーリーンが出し抜けに言った。
「寄せてはかえす波、冷えた肌の上をすべる、温かい砂……」
「それに海の色は青かったり、緑だったりして。水平線を見るといつでも胸がふくらんだわ。夕焼けが海に照り映える様子なんて言葉で言い表せない」
「イリヤ城をエイダ人の手に渡したくない」
トゥーリーンが言った。
「あなたが?戦争には関わらないものかと思ってたけど……」
リリィが遠慮がちに言う。
「君の言う通りだよ。戦争には関わっていない。僕は自由だからね。でも、君の故郷が荒らされることを思うと胸が痛くなる。おかしいね、この戦争が勝利に終わっても、君は海から遠く離れた場所に行ってしまうわけだから」
「ああ、そうね。高い山の上で暮らすの。あんまり高いから雲が手に取れてしまうくらい……。でも、エイダの宮殿だってここと同じ。息がつまるのよ」
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