第29話 戦地の愛人
レネーは家族想いの妻をもったのを呪わしく思った。
「聞いたところによると、皇帝が
レネーが皮肉な笑みを浮かべて言う。
「帝国軍は必死に隠そうとしていますよ。敵軍の悪意ある噂にすぎない、とね」
カンバートが丘の上に立って、遠くを見据えながら言った。
「引き返しますか?皇帝がいないのでは話にならない」
カンバートが言う。
「いや、妻との約束だ。今引き返しても納得しないだろう」
レネーは背後を振り返った。天幕が整然と並んでいる。レイドゥーニアの戦士たちはイリヤ人のために流す血に不満をもつだろう。イリヤ城からエイダ軍を追い払った後はエイダの領地と王冠を取り返さなければならない。
ドゥーサ河近くの城壁の前にはエイダ側の兵士があまり配置されていない。密林もあった。
「カンバート、無謀な計画がある」
レネーが言う。
二人は密林に影をひそめ、敵軍を偵察していた。
「なんです?」
カンバートがたずねる。
「無謀とは、あなたらしくない」
低い声でそうつけ加えて。
「ごく単純なことだ。夜やってきてこの密林に姿を隠す。そして見張りの兵士を殺し、
なるほど、単純かつ無謀な作戦だった。エズラに見つかって両側から敵軍が押し寄せてくるかもしれない。イリヤの兵士に敵と間違われて射殺されるかもしれない。
カンバートにもレネーにも全員が城内に入れるほどの時間を稼げるとは思えなかった。
「
カンバートが思案しながら言う。
二人は敵軍と赤い城壁をじりじりと見つめながら、閃きを求めていた。
「
レネーはそう言ったきり黙り込んでしまう。
王とその家臣は夜明けがくる前に野営地に戻っていった。結局、名案は浮かばずじまいだ。
レネーは天幕に入り、日が昇るまでの短い時間、仮眠をとる。
朝日が天幕の隙間から差し込んできた。起き上がって水をのむ。
外が騒がしかった。どうやらひと騒動起こっているようで、どんどん野次馬が増してゆく。レネーは着替えて鎖かたびらを着込むと外に出た。
4、5人の男たちが
馬車に向かって兵士たちが野次をとばしている。
「
兵士たちは叫んでいた。
「何事だ?」
レネーが馬車に近づいてたずねる。一瞬、周囲が静かになった。
「密偵の女です。エイダ軍の兵士と会っていました。エイダ貴族の愛人かなんかでしょう。単なる娼婦かもしれません」
お祭り騒ぎを見守っていたカンバートが説明する。
「女を馬車から出せ」
レネーが命令した。
馬車から女が手荒に引きずり出される。女は戦地らしくもなく、よく着飾っていた。奇抜な女だ。はしばみ色の瞳に、ところどころ緑の混じる黒髪、真っ赤な紅のひかれた唇。長い首をこぼれんばかりのエメラルドと黄金で飾っている。
レネーは顔をゆがめた。虫けらでも見るような目だ。
「カンバート、
レネーが冷たい憎しみを込めて言う。
「知ってるか?この女はかつてエイダのエドマンド王子の愛人だった。次はエズラ。さて、今度は誰の愛人になる?」
メアリー=ジェインはうつむいていた。
レネーはメアリー=ジェインがウィゼカ一族の暗殺に関与していたことを知っていたのだ。レネーの兄、エドマンドは愛人に裏切られて命を落とした。
「私は単なる女だったわ。エドマンドを裏切っていない。エズラがどういう男か知っているでしょう?自分の愛人にならなければ殺すって言われたわ」
メアリー=ジェインが目を伏せ、きれいな姿勢をして答える。
「だがエズラはお前を愛して大切に思っているんだろうな?」
レネーが言った。
「エズラの愛し方を、あなたは知らないわ」
女は答えをはぐらかす。
レネーはエズラがメアリー=ジェインを愛していることを知っていた。おそらくリリィよりもずっと愛しているのだろう。たとえ、その愛が破壊的で、血みどろにしかなり得ないものだとしてもだ。
翌朝、正門の前にメアリー=ジェインと二十人の戦士が姿を現した。メアリーの喉には短剣が突きつけられている。すぐにエズラがやってきた。
「エイダ王よ、今すぐイリヤ城から撤退しろ。さもなければ彼女を殺す」
レイドゥーニアの兵士が叫ぶ。
男は短剣を使って手荒にメアリーの首から首飾りをはぎ取った。エメラルドと黄金がかわいた砂の上に散らばってきらきらと輝く。
「何してる、さっさと奴らを殺せ!」
エズラが怒鳴った。
が、エイダ人たちは動かない。王妃を恐れていたのだ。
なんとかメアリー=ジェインが救出されてから、レネー・ウィゼカが歩廊の上に姿を見せて言った。
「メアリー=ジェイン嬢、時には男が百人いるよりも、女の方が役に立つ」
「私は王妃よ!私の名前を軽々しく扱うな!」
メアリーが怒り狂って叫んだ。
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