第25話 馬はよろめく、そして男は死ぬ

 野営地に馬の駆ける音が高らかに響いた。鎧かぶともつけず、腰に長剣をさげた戦士が馬を走らせている。美しい乗馬姿だ。


 トゥーリーンは皇帝の天幕の前にくると馬を降りて、アレックスとの面会を求めた。レイドゥーニアとの同盟の知らせをもってきたのだ。


「じゃあ義妹いもうとはうまくやったのだな?」

 アレックスは脱いだよろいを手渡して言った。


「ええ、この戦争のあとに姫君と夫婦として同居することが条件です」

 トゥーリーンが答える。立ったままだ。皇帝は何かに夢中になってトゥーリーンに椅子を勧めるのを忘れていた。


義妹いもうとにふさわしい夫だ。異論はない。他に条件は?」

 アレックスが矢継ぎ早にきく。


「カリーヌ皇妃の死の真相です」


 沈黙が流れた。

「他殺だと思っているのか?」


 皇帝は天幕に金髪の少女を連れてくるとトゥーリーンにエル城に無事に送り届けてくれるよう頼んだ。


「皇妃と折り合いが悪いんだ」

 返事をしかねているトゥーリーンにジョンが説明する。


「わかりました。名前は?」

 トゥーリーンはたいして時間をとらずに言った。


「イネスだ。エイダ軍の侵攻で家族を亡くした。エル城に連れていけばリリィとメアリーが面倒を見てくれる」

 アレックスが言う。


 イネスは皇帝を振り返って鋭い目つきで見た。おがむような視線だ。


「陛下は君を見捨てるわけじゃない。エル城は安全だし、メアリーも君には親切だろう。イネス、そんな目をしないでくれ」

 ジョンが優しく言う。


「知らない人のところはいやよ。危険でもあなた達の近くにいたい。皇妃にきついこと言われたっていいわ。兵隊は好きなの、イリヤ人の兵隊ならね」

 イネスはあの無愛想な顔のまま、必死に言うのだった。

 見ていて胸が痛くなるほど。


「イネス、すまない。君を守るためだ」

 アレックスが謝る。誠実ではあるがつけいる隙のない、きっぱりとした言い方だ。


 イネスは二度、みなしごになったような気分になった。特別優しくはなくても、ずっと一緒にいてくれる人がほしかったのだ。


「さあ行こう。エル城には君のことを世話してくれる女性たちがいる」

 トゥーリーンはそう言ってくれたけれど、気分は憂鬱なままだ。



 イネスとトゥーリーンの去ったあと、皇帝と臣下しんかたちは早速エズラを追って戦うべきか、それとも援軍との合流を待つべきか議論し始めた。


「密偵の話では今エズラの兵力は当初の三分の二だとか。我々にも勝ち目はあります。追いかけましょう」

 テリー公が言う。


「しかし、エイダ軍はドゥーサ河の下流の方で新たな兵士と合流しているという情報もあります。焦るのも得策ではあるまい」

 ジョンが忠告した。


「我々にも十分兵力はある。援軍はあくまでも予備だ。レネーに頼って後で幅をきかせてもらったら困る」

 アレックスが言う。


 誰も皇帝に反対しなかった。カリーヌ皇妃の他殺説を知ってから、もはやレネーを信頼できなくなったのだ。


 アレックスはできることならレイドゥーニアの援軍なしにエズラに勝利したかった。そうすればレネーに王位を返還する場合にも、ついでに北エイダを王国の領土に編入してもらおう、などと言われないだろう。エズラの次はレネーが敵になるかもしれない。


 そうこうする内にエイダ軍がどんどん帝都に近づいていっているのが不安だった。

 一度エズラに追いついて奇襲きしゅうを仕掛けた。だが、なんとも言えない結果に終わったのだ。敵軍に打撃を与えられたのは確かである。それでも自軍がこうむった損害は無視できなかった。


 行軍を続けていた。ずっとエイダ軍を追いかけなければならないのだ。兵士たちは軍歌も歌わず、卑猥ひわいな冗談も言わない。みな不機嫌だった。


 不意にアーサー・ロンドの馬がよろめき出す。ロンド卿はくずおれる馬から飛び降り、悪態あくたいをついた。危機一髪だ。馬に足をつぶされるところだった。脇腹から血を流している。


 彼は馬の汗があわだって光るのを、憂鬱そうに見ていた。短剣を取り出し、馬のこめかみに素速く刺す。

 もう絶命していた。


「なんてこった」

 アーサーは馬の虚ろな目を見て言う。


 死んだ馬と立ち尽くす男の横を兵士たちが、これまた虚ろな目をして通り過ぎていった。行軍は日が暮れるまで続く。



 夕方になると皇帝軍はサキュドの谷で野営をはることにした。


「まったく、あいつがこのいくさを持ちこたえなかったなんてな」

 アーサーが短剣の切先きっさきで焚き火をつっつきながら言う。


 向かい側にジョン・トルナドーレが神妙な顔をして座っていた。


「可哀想な馬だ。領地の牧場でにんじんでもかじっていればよかったものを」

 ジョンが言う。


「あいつは戦場が好きだったさ。どの馬よりも勇敢だった……」

 アーサーはそう言うとかぶりを振った。


「名馬の思い出に」

 ジョンが皮袋に入った酒をのんで言う。


「世界一勇敢な馬に」

 アーサーがそう言うか言い終わらないうちに、ジョンには向こうから矢が飛んでくるのが見えた。慌てて名前を呼んだが時すでに遅し。矢はアーサーの頭を貫通し、右目から飛び出してきた。即死である。


 ジョンは武器をとって立ち上がった。エイダ軍が急襲をかけてきたのだ。谷の上の方から矢が降ってきて、騎馬兵がおりてくるのが見える。


 イリヤ人たちに逃げ場はなかった。

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