第12話 饗宴

 真夜中。エイダの宮廷人たちは眠らない。王妃は中庭の石のテーブルでサイコロを転がして、たかぶった笑い声をあげている。賭博とばくをしているのだ。


「いやな女だぜ。あの笑い声。めまいがするほど大きい宝石にずるずる引きずって歩くドレス。殴って気絶でもさせてやりたい」

 庭に立っていた衛兵の一人が言った。


「本当だ。あの狂った女のお遊びときたら……。だが、まあいい、命がある限り。本当に恐ろしい女だぜ」

 もう一人が声をひそめて言う。


「俺はウンザリだぜ。一晩中あの女の耳をつんざくような笑い声を聴くのなんて。おいお前、いい考えがあるんだ。よく聞け。俺たち二人で今夜あの女を誘拐するんだ。怖気付おじけづくのも当然さ。でもそんな顔はするな。じき、あの気高けだか遊女ゆうじょ殿—いや、言い間違えた、気高き王妃殿も、奴隷と一緒に着替えのために中庭から退場する。本当だ、この5年間一日も欠かさずに衛兵をつとめてきたんだからな。とにかく、その瞬間がチャンスだ。奴隷は気絶させるなり、喉をかっきってやるなりするがいい。そうすれば王妃は俺たちのもんだ。まず日頃ひごろ鬱憤うっぷんが晴れるまで殴りつけてやろう。俺とお前交互でな、両手が震えて使えなくなるまでだ」


 男はまるでウサギ狩りにでも行くかのような、ごく無邪気むじゃきな様子で言うのだった。


「だが、殴りつけたら大した値で売れないぜ」

 もう一人が感心しない、という口調で言う。


「大丈夫だ。奴隷商人に売り飛ばすんじゃない。もともと美人じゃないしな。イリヤの皇帝とかに売ってやろう。喜んで買うはずだ。もう一人の王妃が逃げ出しちまって戦争が始まりそうなのもあの女のせいだからな」


「いい案かもな」

 生唾をのんで言う。


「衛兵!」

 テーブルから王妃の興奮した声がとんできた。苛立ったような、同時にこの状況が愉快でたまらない、といったようなむら気な声だ。


 二人の衛兵はただちに賭博打ちのテーブルに向かった。


 メアリー=ジェインは不思議な魅力の持ち主である。美人ではなかった。はしばみ色の瞳にところどころ緑の混じる黒い髪。やや大きめな唇にはいつも真っ赤な紅がひかれている。


 今、彼女の気まぐれな瞳は二人のがっしりとした体型の衛兵を見つめていた。笑みを含んだ目で隣に座る女友達を見やる。


「賭博にはうんざりしているのよ。負けてばっかりで借金までこさえてしまった。なにかパーっと気分の明るくなることをやりたいわ。ねえ衛兵、そう思わない?」

 メアリーが衛兵の胸に触れて言った。


「いかにも、王妃殿下」

 衛兵が戸惑いながら言う。


「そう。じゃあ剣をぬいて、お仲間の衛兵と勝負しなさい。命をかけたら楽しいでしょ。私はあんたが勝つのに金貨三枚と奴隷の女を一人、かけたげる」



 朝。エズラは中庭の石のテーブルの前に立っていた。ワインの入った杯に食べかけの料理。金貨や銀貨の一枚。衛兵が向き合って倒れていた。血を流して絶命している。お皿のまわり、死んだ衛兵たちの間にハエが飛び回っていた。


 奴隷の少女が一人涙を流している。衛兵たちの死を嘆いているのではない。女主人が賭けに負けて、新しい主人のもとへ売られてしまったのだ。貰い手の男に行って一ヶ月と命がもった奴隷の女はいなかった。


「メアリー!奴隷を売ったのか!あれは売らないよう言ったはずだぞ」

 エズラがメアリーを揺り起こして言う。


「でもあなたが私にくれた奴隷じゃない。私の奴隷なのにどうして売っちゃいけないのよ?この子が好きだった?寝たの?」

 メアリーがエズラの手を激しくふりはらって叫んだ。


「ああ、寝たさ。とにかく売るな。嫉妬したぐらいで大袈裟だ」

 エズラはそう言うと奴隷の少女の手を引っ張って屋内につれていってしまった。


「あいつはますます扱いきれなくなる。いっそ殺してやりたいほどだ」

 エズラは広間に奴隷の少女を放り出すと、イライラしながら言った。

「だが、あいつはまだ必要だ。まだ愛してる。奴隷の一人や二人を殺したところで何でもない。だがその内俺はあいつを殺すだろうな」


 広間にはペレアスという名の美青年がいた。王の若き参謀さんぼうだ。その青い瞳が奴隷の少女を無関心に見やる。何か言いかけてやめ、手を前で組み直した。


「王妃殿下が陛下を愛してらっしゃるのは確かです。陛下のご子息を認めてらっしゃいます。もし反逆者なら殺せばいいでしょうが」

 ペレアスが言う。


「リシャールのことだろう?俺が命じてるからだ。だが、リリィが息子を残して出ていくとはな。息子のためならいくらでも我慢すると思ったが。あいつは金髪のうるわしき皇帝のもとから奪い返してやらないといけない。ついでにイリヤ城も征服してしまおう。ここ数年の夢だった。帝国を征服しかえしてやるんだ」

 エズラの瞳には病的な光があった。孤独な男が妄執のとりこになったような。


「陛下には必ずや実現できるでしょう」

 ペレアスが言う。


「いよいよ戦争が始まる。掠奪りゃくだつに虐殺。皇帝も兵士も、妻や子どもたちはみんな奴隷にしてやろう。そうすればエイダの民が喜ぶだろうからな。それでこそ民衆の血が騒ぐというものだ。だがペレアス、リシャールとレアの子どもたちはメアリーには預けないぞ。メアリーは俺が出ていった後でリシャールを殺すだろう。そうして勝利をおさめた俺にお悔やみを言うんだ。勝利の歓喜が怒りを和らげると期待してな。だが、俺はあいつを許さない。レアの子どももろともにあいつを殺すだろう。リシャールこそが俺の王冠を受け継ぐべき子だから」



 リシャールは寂しい子どもだった。母親の記憶はなく、父親だけが広い宮殿で彼を溺愛している。リシャールには奴隷の遊び相手がいた。だが幼いながらに奴隷の友達にどんなつらい運命が待ち受けているのか理解していたのだ。


「父上」

 リシャールはおもちゃの剣を投げ出すと父親を抱きしめた。

「どうしたの?今日こそ母上に会えるんだね?」


「いや、母上は悪者どもに誘拐されたんだ。それでお前の父親は遠くに行かなければならない。母上を救うためにな。お前は弟や妹たちと一緒に叔母のフランシスのところに行くんだ。あそこでは不自由はない」


 リシャールは父親の話に切なげにうなずくだけだった。

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