第11話 ばらの香りと侍女

「結婚生活はどうだった?」

 メアリーがおけを持ってきて、浴槽の中にバラの花びらを浮かべながら聞く。


 リリィは裸をお湯の中に沈め、白く細い脚をぴんとのばした。


 こうしてメアリーとお風呂で過ごすのはいつぶりのことだろう。あの頃は、イリヤ城にいた頃は、お風呂を世話する侍女がいた。


「結婚生活ってどっちのかしら」

 リリィが首をかしげてほほえむ。


 お湯の中で足をまげるとチャポンというくぐもった音がした。


「レネーのことなら直接きいたわ。エズラよ」

 メアリーが少しためらって言う。


 エズラの噂なら聞いていた。メアリー=ジェインの噂も。暴君との結婚生活がどのようなものだったか想像にかたくない。

 それでもメアリーは聞かずにいられなかった。


「あれは結婚なんてものじゃなかった。あの人は私を洞窟の中の暗い部屋に閉じ込めてリシャールにも会わせなかった。私が人魚をしたっていることを知っていて、人魚の死体を毎日のようにに投げてきたの。あの人を憎んでいた。でもどうしようもなかったわ。ヘンリーだけが希望だった……」


 リリィの暗い灰色のひとみが遠くを見つめていた。メアリーがリリィの肩の上で手を握る。


「もっと前にあなたを助けておくべきだったわ。私たち、エズラがどんな人か知っていたのよ。でも助けなかった。結局、トンプソンが見かねて連れ出したのね」

 メアリーが顔を険しくして言った。リリィが5年間耐えてきた苦しみを思うと、後悔に苛まれる。


「助け出すなんて、ヘンリー以外には無理だった。もし焦って助け出そうとしていたら、誰かが犠牲ぎせいになっていたわ。エズラのことをよく知っているからこそ言うのよ。あなたが私を心配してくれていたことも、つらい思いをしていたことも知っている。仕方なかったのよ。エズラから逃げられたのだから、もうなんでもない。あなたと一緒にいられて幸せよ」


 メアリーにもやはり、エズラがどんな人かわかっていた。

「ずっと前に彼をどうにかしておくべきだった。アレックスはエズラと戦うことを恐れているわ。それで領民がおそわれて奴隷にされても、私たちの人魚が見せ物になっても『警告』するだけよ。彼の蛮行ばんこうを野放しにしておきたくないわ」


「戦争になれば大勢が死ぬわ」

 

 リリィはそれ以上、エズラとの戦争のことを話したがらなかった。

「リシャールは今もエイダにいるわ。メアリー=ジェインは実の姉のレアを殺した。息子の身が心配よ」



 二人はリリィの寝室で着替えた。そろそろ晩餐ばんさんの時間だ。


「あなたもビリーも反対してたけれど、私はイリヤ城に行ってアレックスと会うわ」

 リリィがメアリーのコルセットのひもを力の限り引っ張る。お腹のあたりにくびれができた。見てて苦しそうなほど見事に胸が寄せ上げられている。


「レネーがいるわ。彼はレイドゥーニアの王であなたの正式な夫よ。レネーならあなたを守れる」

 メアリーがガウンをはおって言った。


「彼とは一ヶ月の間しか結婚していなかった。その後はエズラの王妃になったわ。リシャールの父親のことだって信じなかったでしょ。それにもう私のことを忘れてるわ」

 

 リシャールの父親はレネーだ。一度エズラのもとから逃げてイリヤ城に戻ったとき、レネーはリシャールの父親はエズラだといって信じようとしなかった。あの時のショックを忘れられない。


「レネーはあの後、あなたとリシャールを助け出そうとしたのよ。それに彼の命を救ったことを忘れたの?」

 メアリーが説得しようとする。


「5年たったわ。忘れていたって彼を責められない。彼の命を救ったのは、あの時夫を愛してたからよ。恩を売るためじゃない。メアリー、これ以上、説得しようとしないで。私はイリヤの皇女として生まれたわ。今は皇帝の妹よ。イリヤ城に行くの。そこで皇帝につかえるわ」


 メアリーは呆れた、というふうに目をまわしてため息をついた。リリィはあくまでもアレックスに忠実なわけだ。




「男は衰弱して死にましたよ。なぜ三日も生き延びたのかわからない。そもそも、なぜ傷を負ったのかも」

 ビリーがハーバートの書斎で報告する。


「なぜ木に引っかかってたのかもな。領民たちには知られたくない。怯えるはずだ」

 ハーバートが文書に目を通しながら言った。


「この件は内密にするべきだと?でも埋葬はさせるんでしょう?」

 ビリーが木彫りの人形を弄びながら言う。


「ああ。ビリー、埋葬は君に任せられるか?城内に埋めてやってほしい」

 ハーバートはすっかり無関心な様子で言った。



「彼の体を調べたけれど、何もわからなかったわ。明らかなのはあの男を殺したのは人間じゃないってことよ」

 メアリーが言う。


 ビリーたちが穴の中に棺をおろし、土をかけた。


「魔女に会って聞くの?」

 リリィがたずねる。


「ええ。アイダは行ってしまった。メトシェラ、あなたは何かわかるかしら」

 メアリーがリリィと腕を組んで立つメトシェラに言った。


「わからないわ。でも、叔母なら何か知ってたはず」



 メトシェラはメアリーと一緒に帝都に行くことになった。アイダの指示である。


「メアリー、イリヤ城から戻ったら一緒に冒険につれてってくれるでしょ?」

 ウィリーがドレスの裾をつかんで言う。


「あなたがもう少し大人になったらね。必ず戻ってくるわ」

 メアリーが馬にくらをのせた。


「でも今行きたいよ。僕は自分の身くらい自分で守れる」

 ウィリーは引き下がらない。


 メトシェラが二人の近くで馬車に乗り込んだ。リリィが弟のおでこにキスして、馬車に乗ろうとする。


「姉さんもなんとか言ってよ。僕はもう大人だ。勇敢だろう?」

 ウィリーがリリィの抱擁ほうようを拒否して言った。


「ええ、あなたは勇敢よ。でも世界はあなたの思う以上に危険で悪意に満ちているの。連れていけないわ」

 リリィが言って聞かせる。


「危険なのは本望さ!」

 ウィリーが叫んだ。

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