第7話 エル城の後継人

 帝都ていとでの一騒動ひとそうどうの後、メアリー・トマスとビリーは人知れずエル城へと向かった。ビリーは愉快な旅のお供だ。肩肘かたひじはらずに隣にいてくれる。


「魔女は何か言っていましたか?」

 ビリーが石を使って火を起こそうとしながらたずねた。


「何も言わなかったわ。あの人は私の母親じゃないもの」

 メアリーがビリーに顔を近づけて言う。


「そうか。でもなんだか悪い予感がする。君を帝都でもエル城でもないところに連れていきたい。メアリーのことを悪く思う人がいないところに」


「残念ね。私、敵をつくるのが得意なのよ」

 メアリーが目くばせして、いたずらっぽく笑う。


「じゃ、君は向かうところ、すべて戦場というわけか」

 ビリーがつぶやいた。


「そういうこと」



 エル城は険しい山々の中にあった。一度も敵の手におちたことのない城砦じょうさいである。敵だって、こんな険しい山の中の、酸欠になりそうな場所で戦いたくないに違いない。


 途方とほうもなく大きな石門せきもんの前に来ると、門番が側塔そくとうの窓から顔をだした。


「メアリー様、少しお待ちを」

 門番はそう言ってメアリーが口を開くよりも先に姿を消してしまう。


 ビリーはこちらを見ると肩をすくめた。


 門番はすぐに赤毛の男を連れてきた。何やらいかめしい顔をしている。男の善良そうで年若い顔に、厳しい表情は似合わない。


 メアリーはきれいな笑顔を浮かべ、軽く会釈した。男はやや驚いたような顔をし、会釈を返す。


 跳ね橋がおり、城門が開く。男は城壁の中でメアリーを迎え、名前を名乗った。ハーバート・トマスだという。

 メアリーはこれから起こることを瞬時にさとった。エル城の真の後継者が現れたのだ。


 ハーバートとメアリーはまず城主の書斎に入った。部屋の中はメアリーが出かけたときのままだ。ハーバートはまだ手をつけていないらしい。


「あなたと争う気はないし、あなたをこの城から追い出す気もありません」

 彼が穏やかな口調で切り出す。


「ずっと変だと思っていました」

 メアリーが口を開いた。諦めて、何もかも投げ出してしまったような顔をしている。

「どうして私がこの領地を相続できたのか。父のこともトマスの一族のこともよく知りませんけれど、私が城主でいられるのも、一時いっときのことだってわかってたんです。でも、教えてください。誰に言われてきたんです?」


「テリー公が手紙で教えてくれました。僕はあなたのはとこらしいです」

 ハーバートはメアリーに争う気がないのを知ると、態度を和らげた。


「私たち、疎遠だったんですね」

 メアリーがなんとか微笑もうとして言う。なんだか悲しそうに見えた。

「ご家族は?」


「弟がいます。病気なんです」


 ハーバートには治療費が必要だったのだ。だからエル城もゆずれなかった。テリー公の策略の道具にまんまと使われたのだ。


 メアリーは領地経営について、基本的な知識を教え、はとこ達と食卓を共にした。

 今まで通り、村に出かけて病人の治療や農業を手助けしようとする。


 放牧場を歩いていた。牛がモーモーと鳴いては、草をはんでいる。女の子が駆け寄ってきてメアリーのスカートのすそをつかんだ。


「魔女だからお城を追い出されたの?もし、泊まるところがないんだったら、あたし達のお家に泊まる?」

 女の子が甲高い声できく。


「ハーバート様はね、親切な方だから、私をお城に泊めてくれるわ。でもありがとう、エラ。うれしいわ」

 メアリーがにっこりと笑って言った。


「エラ!戻ってきなさい!」

 母親が林の中からでてきて言う。

「その人は魔女だって言ったでしょ!あんたも私の娘に近づかないで!この村に近づかないでちょうだい!あんたが何をしたか知ってるんだよ!この赤ん坊殺し!」


 「赤ん坊殺し」から子どもを守ろうとする母親の形相たるもの、なかなかの迫力だった。目がきつねのように細くなり、頬は赤黒くなる。怒りのせいで体がふくれて見えた。



 こういうことが何回も続くとメアリーもビリーが旅の途中で言ったことを考えるようになった。世界を見に、ビリーと侍女のジゼルと三人で旅に出たらどうなるだろうか。


「メアリー、君はエル城から出ていく必要はない」

 ハーバートは中庭の〈りんごの園〉で熱心に言った。


 二人りんごの木の間を歩いている。りんごの木の向こうには回廊かいろうがあった。


「僕もビリーも、ジゼルも君のことを人殺しだなんて思っていない。村人たちは怯えていて、無教養なんだ。それに王弟おうていの教育はどうする?」


 皇帝の依頼いらいをうけて、エル城で王弟ウィリアムの面倒を見ていたのだ。メアリーは姉のような気持ちでこの少年を愛しており、日頃から頼もしい男に成長するよう教育を行っていた。


「皇帝の許可がおりれば旅先につれていくわ。おりなければ他の人に任せるしかないでしょうね」


 メアリーは過保護ではない。ウィリーも10歳になるので、男の子たちのところに放り込んで、剣や戦いにならさせてもいい頃だろう。


 ハーバートはメアリーをとどめたがった。弟と自分は幼いころに両親を失い、みなしごとして生きてきた。やっと見つかった家族なのだ。こんな形で別れたくない。


 彼は出会ってもない、美しいはとこに恋していたのだ。


 メアリーは彼の求婚を断らねばならなかった。



「領主夫人じゃないなら、何者になるんだい?」

 ビリーが木剣ぼっけんでウィリーとつつきあいながらたずねる。


 彼は左手を腰の後ろにそえ、利き手だけで木剣をあつかっていた。無駄がなく、美しい剣さばきだ。ウィリーはあごのあたりまでのびた金髪を揺らし、稽古けいこに集中している。


他人ひとが言う通りになるわ。魔女でしょう?」

 メアリーが腕組みして答えた。


 ビリーがウィリアムの木剣を切先きっさきで地面にとばし、メアリーに向き直る。

「君も戦士になればよかったのに。そうすれば傭兵ようへいになって世界を見てまわれた」


「魔女として世界をまわるのは?そんなに悪いことじゃないでしょう?旅しているうちに魔女の住む国だって見つかるかもしれない。あなたの言ってたこと、昨日の夜、考えていたのよ」

 メアリーが言う。


「俺も一緒に行くのか?」

 ビリーがたずねた。


「あなたがいいって言ってくれたらね。船に乗るくらいの資金ならあるわ。お金がなくなったら、あなたは傭兵、私はケチな占い師として稼ぐの。いいと思わない?」

 メアリーがそう言って色っぽく笑う。魅力的ながらもどこか切なそうな笑い方だ。


「僕も連れて行ってよ、メアリー!」

 ウィリーが二人の話にわりこんで言った。

「僕にはライオンのロトがいる。きっと役にたつはずだよ。メアリーを守れる。世界を見たいんだ!こんな城壁の中にはいたくない!」


 ウィリーはライオンの親友がいた。もとは皇帝がリリィに贈ったものだ。ロトは幼いころからウィリーの守護者であり、一番の親友だった。


「ウィリアム、あなたは皇帝の大切な人なのよ」


 どう説明したらよいものか。ウィリアムは今のところは帝国の世継ぎだ。だが、アレックスは弟を大切に思ってもいないし、自分の死後、弟が皇帝の座につくことを望んでもいない。

 だが、妻のアビゲイルに後継ぎを期待できない今、近親の者を丁重ていちょうに扱い、血統が途絶えないようにすることはアレックスの義務なのだ。


 もし皇妃が再び奇跡を起こし、男児を産んだら、アレックスはウィリーをどうするだろうか……?


 昔、アレックスは父の後妻ヘレナと敵対していた。ヘレナが皇太子アレックスを廃し、自分の産んだウィリアムを皇位につけ、帝国を支配しようとしていたからである。


 メアリーはアレックスがウィリーを旅に連れていってもよいと許可してくれるのを願わずにいられなかった。

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